[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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おまけ

聖者の福音 Ⅱ

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「お待たせしました。何からお話ししましょうか」
 室内の掃除と道具の片付けを終え、使用人部屋でメイドアイテム一式を外してきたマッケンティアが、ソファーに並んで座るリブロムとロゼリーヌに対面する形で、一人掛けの椅子に腰を下ろした。
 自身で淹れた紅茶の香りを楽しもうとティーカップを持ち上げた拍子に、窓から射し込む陽光が背中に流していた長い黒髪を艶やかに輝かせる。
 格好や行動には驚かされるばかりだったが、こうした何気ない仕草や落ち着いた口調は上品で隙が無く、まさしく王太后の肩書きに相応しいものだ。相対する者に威厳を感じさせるそれを見れば、呆然と座っていたリブロムとロゼリーヌの背筋も自然と伸びる。
「……オーリィードが刺した脇腹の傷は、もう安定しているのですね」
「ええ。オーリィードは重傷にならない場所を選んでいたようですし、レクセルも適切な処置を施してくれましたから、お掃除を楽しめる程度には治っています。長時間座っていても問題はありませんよ」
 マッケンティアの傷に関しては、王子時代に博士号取得も狙える程度まで医学を習得し、今は王城内に潜んでマッケンティアの主治医を務めているレクセルから報告は受けていた。本人の言葉通り、部屋の掃除を一通り済ませるだけの余裕も目の当たりにしたばかり。
 それでも念の為とリブロムが取った確認に、マッケンティアは気にしなくても良いと応じる。
「けれど、私から改めてお話しできることと言えば、リブロム陛下の居場所を知ったから会いに来た、それだけです。他のことはどうお話ししてよいのか私には判断できませんので、お二方からご質問を頂ければと思います」
 自身で淹れた紅茶を一口含み、ほう……と息を吐いて柔らかく微笑むマッケンティア。
 鼻腔をくすぐるクチナシの花の濃密な甘い香り、うっすらと赤みを乗せた頬が漂わせる色気に、ローテーブルを挟んで彼女と向かい合っている二人は緊張感を高めた。

 自身が綴る文章で全世界の人間を洗脳していた大作家『マッケンティア・ドルトリージュ・バロックス』。
 本人には洗脳していた自覚も悪気も全く無かったとはいえ……いや、だからこそ他者の無意識に働く彼女の影響力は得体が知れず、本人を前に油断していると知らず知らずのうちに思考を奪われる可能性がある。
 彼女と対話する時は、自分は自分であるという確固たる意志を、何者にも惑わされず騙されないという警戒心と慎重さを、最大限まで高めて維持しなければならない。

 少しの思案を挟んでまつりごとに携わる者としての表情を選んだリブロムは、両膝の上に置いていた手を固く握り締め、腹にグッと力を入れて実母マッケンティアと目を合わせた。
「では、私からいくつかお尋ねします」
「なんなりと」
 晴天時の突き抜けるような青い虹彩と、サファイアのようにきらめく青い虹彩が交差する。
 しかし、一方は露骨な警戒感に染まり、一方はひたすら静かに和らいでいて、二人の温度差はロゼリーヌから見ても激しい。
 親子と言うには親しみが一方通行している奇妙な空気の中、リブロムは、当初気にもしていなかった疑問を口にした。

「まず一つ。ロゼリーヌ后の茶会で、貴女は私を指して『十年以上行方知れずだった』と仰っていましたが。何故、私が十年以上前に王宮から姿を消していたことをご存知なのですか?」
 かつて父王に盛られた毒杯から回復した後、単独でベルゼーラ王国を離れると決めた時、リブロムが最も警戒していたのはマッケンティア王妃の動向だった。
 世界中の人間を自滅へと導こうとしている張本人にとって、真実を知ってしまった人間の生存は不都合でしかない。リブロムが生きて他国に逃げ延びたと知れば、リブロムやリブロムの関係者達が逃亡先でどんな目に遭うか、既に中央大陸で嫌になるほど実感している。
 だからリブロムは、毒杯からの生還時に得た『言葉の力』で、自分の世話をしていたメイドを始め、王宮内の人間達やレクセルの意識を操り、『誰とも会わなくなった引きこもりの第一王子』という虚像を作り上げて拡散させた。
 軍事防衛費を下げたいベルゼーラの上層部にしてみれば、予算引き下げの障害となりうるリブロムが自らの意思で表社会から身を退いた事実は吉報だ。
 勿論この世から消えてくれたほうがよほどありがたかっただろうが、社交も政務も放棄した役立たずな王子など、情報操作でどうとでもできる。少なくとも、マッケンティアが根を張っているフロイセル家の外聞を悪くするリスクを冒してまで暗殺しようとはしなくなる筈。
 そう判断しての裏工作は、功を奏していた筈だった。
 実際、リブロムが十一年前に王宮を離れて以降、レクセルが『リブロム王』を自称し始める六年前まで、ベルゼーラの第一王子に関する噂は一つも流れていなかった。この間の五年は、引きこもりの第一王子として誰からも放置されていたことになる。

 しかし、ウェラントで再会したマッケンティアは『十年前以上前に姿を消したリブロム』を知っていた。王宮で最後に会ったレクセルや王家の人間に仕える『影』達にさえ『言葉の力』で定かにさせていなかった失踪時期を、彼女は何故か正確に言い当てていた。
 リブロムがウェラント王国に難民として入国した十年前ではなく、リブロムと同じ容姿の『アーシュマー』がウェラントの正規軍に入隊した九年前でも、『リブロム王』が政権を奪取した六年前でもない、だと。
 グリューエル=ハインリヒに聴いた限りでは、真相を知った際のレクセルにも『父王を弑逆した時、リブロムは既にウェラント国内に居た』程度のあやふやな情報しか確認していなかったという。
 であれば、情報源はグリューエル=ハインリヒでも、レクセルでも、ましてやベルゼーラのお家事情とかけ離れていたオーリィードでもない。
 だ。
 マッケンティアは、引きこもりの第一王子が十一年前にベルゼーラ王国から失踪していた事実を知っている。
 フリューゲルヘイゲンが、ダンデリオン王が密かに調査を始めるまでは、誰も知らなかったであろう事実を。
 マッケンティア王妃には特に知られないようにしていた事実を。

 それは何故?
 どこで、どのように、いつから知っていたのか?

「ああ、それは……」
 リブロムの真剣な問いかけに、マッケンティアは笑顔で答えようとして、ふと気まずげに目を泳がせた。
「え、と……その……」
「「?」」
 ついさっきまでの堂々とした態度から一変、おろおろと慌てた様子でカップの中身を揺らしているマッケンティアに、リブロムとロゼリーヌが揃って首を傾げる。
 よく見れば、マッケンティアの頬がじわじわと赤みを増していく。
「「……?」」
 羞恥?
 今の質問のどこに、恥ずかしさを感じる要素があったのか。
 予想外な反応で困惑するリブロムとロゼリーヌは、互いに顔を見合わせ、もう一度マッケンティアに向き合う。
 やがて二人の沈黙と視線に耐えられなくなったらしいマッケンティアは、両肩を落とし、観念したと言いたげな弱々しい表情を正面に見せた。
「……見て、いたから……」
「「……はい?」」
 眉尻を下げ、ふるふると震えるか細い声で。
 世に名高き聖者は、言う。


「リブロム陛下が中央大陸から帰還された後、王宮で臥せられたあの日からずっと……毎晩、誰にも内緒でリブロム陛下の部屋に忍び込み、リブロム陛下の様子を見ていたから……です……」


「「…………は…………?」」

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