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おまけ
レクセルの思慕 Ⅳ
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笑っていた。
私に首を斬られる直前、ゼルエス王は微笑んでいた。
無表情だった私と、私が掲げた抜き身の剣を見上げて。
嬉しそうに、なにより、安堵の胸を撫で下ろすかのように。
紺色の虹彩を潤ませて、微笑んでいた。
私が刈り取った二人分の命。
父上の最後は、驚きと怒りと苦しみに満ちていて。
ゼルエス王の最後は、期待と喜びに彩られていた。
対照的な二人の感情。
対照的だからこそ、取り戻した意識に伴う実感は凶悪で。
対照的だったからこそ、二人の死は私を責め立てていた。
他人事の目で無関心な刃を振り下ろした私を、ずっと責めていた。
なのに。
思い出すたびに背筋を凍らせていたあの微笑みの意味は。
操られた意識で聞き流してしまった、あの言葉の真意は。
「…………何から?」
「え?」
「生まれる前から育った環境まで、何もかもをしがらみと謀略とで雁字搦めにされていた貴女が、いったい何から逃げ出せたというのですか」
オーリィードの手首を掴み、細い腰に腕を回して引き寄せる。
驚いて瞬いたすみれ色の目に、私の影がぼんやりと揺らいだ。
「レクセル……?」
「当時の貴女は、ウェラント王国とサーラ王女に仕える宮廷騎士の一人だ。サーラ王女に誓約を捧げ、サーラ王女からの寵愛を受けていた唯一の騎士。そして、サーラ王女が最も愛している片親繋がりの義妹。仮に貴女がゼルエス王を弑逆していた場合、王女は貴女の行為を肯定し、擁護したでしょう。間違いなく、絶対に、確実に」
結果、国際社会はサーラ王女こそ反旗を翻した張本人だと考えるだろう。
不当な形ではあってもシュバイツァーの家名を継いでいるオーリィードが王位簒奪に加担したと公で噂になれば、度重なる不敬で名誉を汚され続けたフリューゲルヘイゲン王国も干渉せざるを得なくなる。
サーラ王女とダンデリオン陛下が接触できれば、愚王からの解放を口実にウェラントとフリューゲルヘイゲンの関係を見直せる。
「両国の関係を見直す為に愚王の悪行を洗い直すその過程で、賢王と名高いダンデリオン陛下やフィオルシーニ皇国出身のルビア王妃陛下に小説の危険性を気付かせ、対処させる。ゼルエス王が思い描いた数ある結末の内の一つがそれだったのでしょう。それを実現する為に貴女と貴女の周りを傷付け、貴女からの反撃を待ち望んでいた」
「……多分、そうだと思う」
目蓋を伏せて首肯するオーリィードに、私もこくりと頷く。
「ですが、当時の貴女はまだ知らなかった。貴女が置かれていたウェラント王国内での立ち位置も、シュバイツァーの家名が持つ対外的な意味も、ゼルエス王が貴女に何を求めていたのかさえ、何一つ」
ヘンリー卿に話を聴く前のオーリィードは、『シュバイツァー伯爵家』の存在は知っていても、伯爵家のルーツや家名継承に関する複雑な事情までは知らなかった。
ゼルエス王に引き起こされた『ウェラントの悪夢』が、実の両親と娘達、シュバイツァー伯爵家と他の貴族との距離を遠ざけてしまったせいで、そういった類いの情報を耳にする機会がほとんど無かったからだ。
よりによって上位国の庇護を受けている家に手を出した天下の愚王。
彼へと注がれる怒りから己の家門を守る為にも不用意に接触してはならない相手だと貴族に忌避されていたオーリィードは、だからこそ、彼女の背後にシュバイツェル王家……延いてはフリューゲルヘイゲン王国と縁を結んだフィオルシーニ皇国が在る事実を認識できていなかった。
生まれてすぐに両親と引き離され、実家の名前を受け継ぎながらも実家との縁は無く、オーリィードの足場を支えているものと言えば、ゼルエス王の後見と次期女王の寵愛、自力で勝ち取った宮廷騎士の称号のみ。
「実質サーラ王女の騎士である事実以外には何の後ろ楯も無く、貴族から厄介者として見られていた一介の騎士が、国の長たるゼルエス王に刃を振り上げて無事で済む筈がない。下手をすればゼルエス王の死を好機と見た貴族がサーラ王女を担ぎ上げ、自分を処分しろと迫るかも知れない。自分のせいでサーラ王女が苦しんでしまうかも知れない。ゼルエス王の突然の暴挙に戸惑いながら、頭のどこかでそう考えていたんじゃないですか? 貴女は」
「…………」
「サーラ王女と一緒に居られなくなる。貴女にとっては、それこそがどんな苦痛よりも耐え難い悪夢だ。ゼルエス王を弑逆してしまったら、悪夢はより現実味を帯びる。しかも、自分を愛してくれているサーラ王女に自分を処分させるという最悪な形で」
手を下すのがオーリィードの部下であっても同じことだ。
隊長を護る為に部下が犯した罪は、隊長へと跳ね返る。
少なくとも『シュバイツァー伯爵家』を避けていた貴族達には、目障りなオーリィードを王家から遠ざける良い口実になる。
オーリィード自身やオーリィードの部下、シュバイツァー伯爵家の人間がゼルエス王を殺したら、貴族達にサーラ王女との仲を引き裂かれてしまう。
引き裂かれたら、二度とサーラ王女の騎士には戻れない。
もう二度と、サーラ王女と同じ場所には居られない。
そう考えてしまった。
だから、抵抗できなかった。
ゼルエス王の狙いは半分当たって、半分は外れたのだ。
サーラ王女を大切に想っているからこそ、オーリィードにはゼルエス王は殺せない。
これから先もサーラ王女と一緒に同じ時間を生きていきたいと願っていたオーリィードには、自国の王を弑逆した大罪人の汚名を被る選択肢など、初めから無かった。
姉と妹が、主人と騎士が引き離された事で、どんなにゼルエス王を憎んでいても、それだけは絶対に選べなかった。
「貴女は逃げたんじゃない。戦っていたんです」
願い求めた未来の成就を阻害する総てから姉妹の想いと誓いを守る為に、身心を懸けて戦っていた。
ずっとずっと、一人で戦っていた。
「……レクセル……」
掴まれた手首は気にも留めず、すみれ色の目が私をまっすぐに見つめる。
涙を流して見つめる私を、心配そうに見つめ返す。
「迷惑ではありません」
「え」
「迷惑だとしても、掛けたって構わないから。迷惑を掛けられた程度で貴女を嫌う人なんて、貴女の周りには居ないから。もう、良いんですよ」
目前に寄せたオーリィードの額に口付け、彼女の首元に顔を埋める。
埋めて、私自身でもどうにもならないほど震えた声で、告げる。
「理不尽には怒っても良い。抗っても良い」
私が知るあのオーリィードを作り上げてしまった……きっと今ここに居るオーリィードの根底にも潜んでいる呪縛を解く言葉。
「やるせない気持ちを無理矢理割り切ろうとしなくて良い」
黄色の花をウェラントに根付かせてしまった呪縛を解く願い。
「貴女が貴女自身を深く傷付けてまで全部を受け止めなきゃいけないなんて、そんな事はない」
最期の瞬間、本当は『アーシュマー』に託そうとしていたであろうゼルエス王の真意を。
「だから……」
オーリィードを解き放つ為の祈りを、告げる。
「もう、これ以上、大人しく聞き分けが良い人間なんか、続けないで」
私に首を斬られる直前、ゼルエス王は微笑んでいた。
無表情だった私と、私が掲げた抜き身の剣を見上げて。
嬉しそうに、なにより、安堵の胸を撫で下ろすかのように。
紺色の虹彩を潤ませて、微笑んでいた。
私が刈り取った二人分の命。
父上の最後は、驚きと怒りと苦しみに満ちていて。
ゼルエス王の最後は、期待と喜びに彩られていた。
対照的な二人の感情。
対照的だからこそ、取り戻した意識に伴う実感は凶悪で。
対照的だったからこそ、二人の死は私を責め立てていた。
他人事の目で無関心な刃を振り下ろした私を、ずっと責めていた。
なのに。
思い出すたびに背筋を凍らせていたあの微笑みの意味は。
操られた意識で聞き流してしまった、あの言葉の真意は。
「…………何から?」
「え?」
「生まれる前から育った環境まで、何もかもをしがらみと謀略とで雁字搦めにされていた貴女が、いったい何から逃げ出せたというのですか」
オーリィードの手首を掴み、細い腰に腕を回して引き寄せる。
驚いて瞬いたすみれ色の目に、私の影がぼんやりと揺らいだ。
「レクセル……?」
「当時の貴女は、ウェラント王国とサーラ王女に仕える宮廷騎士の一人だ。サーラ王女に誓約を捧げ、サーラ王女からの寵愛を受けていた唯一の騎士。そして、サーラ王女が最も愛している片親繋がりの義妹。仮に貴女がゼルエス王を弑逆していた場合、王女は貴女の行為を肯定し、擁護したでしょう。間違いなく、絶対に、確実に」
結果、国際社会はサーラ王女こそ反旗を翻した張本人だと考えるだろう。
不当な形ではあってもシュバイツァーの家名を継いでいるオーリィードが王位簒奪に加担したと公で噂になれば、度重なる不敬で名誉を汚され続けたフリューゲルヘイゲン王国も干渉せざるを得なくなる。
サーラ王女とダンデリオン陛下が接触できれば、愚王からの解放を口実にウェラントとフリューゲルヘイゲンの関係を見直せる。
「両国の関係を見直す為に愚王の悪行を洗い直すその過程で、賢王と名高いダンデリオン陛下やフィオルシーニ皇国出身のルビア王妃陛下に小説の危険性を気付かせ、対処させる。ゼルエス王が思い描いた数ある結末の内の一つがそれだったのでしょう。それを実現する為に貴女と貴女の周りを傷付け、貴女からの反撃を待ち望んでいた」
「……多分、そうだと思う」
目蓋を伏せて首肯するオーリィードに、私もこくりと頷く。
「ですが、当時の貴女はまだ知らなかった。貴女が置かれていたウェラント王国内での立ち位置も、シュバイツァーの家名が持つ対外的な意味も、ゼルエス王が貴女に何を求めていたのかさえ、何一つ」
ヘンリー卿に話を聴く前のオーリィードは、『シュバイツァー伯爵家』の存在は知っていても、伯爵家のルーツや家名継承に関する複雑な事情までは知らなかった。
ゼルエス王に引き起こされた『ウェラントの悪夢』が、実の両親と娘達、シュバイツァー伯爵家と他の貴族との距離を遠ざけてしまったせいで、そういった類いの情報を耳にする機会がほとんど無かったからだ。
よりによって上位国の庇護を受けている家に手を出した天下の愚王。
彼へと注がれる怒りから己の家門を守る為にも不用意に接触してはならない相手だと貴族に忌避されていたオーリィードは、だからこそ、彼女の背後にシュバイツェル王家……延いてはフリューゲルヘイゲン王国と縁を結んだフィオルシーニ皇国が在る事実を認識できていなかった。
生まれてすぐに両親と引き離され、実家の名前を受け継ぎながらも実家との縁は無く、オーリィードの足場を支えているものと言えば、ゼルエス王の後見と次期女王の寵愛、自力で勝ち取った宮廷騎士の称号のみ。
「実質サーラ王女の騎士である事実以外には何の後ろ楯も無く、貴族から厄介者として見られていた一介の騎士が、国の長たるゼルエス王に刃を振り上げて無事で済む筈がない。下手をすればゼルエス王の死を好機と見た貴族がサーラ王女を担ぎ上げ、自分を処分しろと迫るかも知れない。自分のせいでサーラ王女が苦しんでしまうかも知れない。ゼルエス王の突然の暴挙に戸惑いながら、頭のどこかでそう考えていたんじゃないですか? 貴女は」
「…………」
「サーラ王女と一緒に居られなくなる。貴女にとっては、それこそがどんな苦痛よりも耐え難い悪夢だ。ゼルエス王を弑逆してしまったら、悪夢はより現実味を帯びる。しかも、自分を愛してくれているサーラ王女に自分を処分させるという最悪な形で」
手を下すのがオーリィードの部下であっても同じことだ。
隊長を護る為に部下が犯した罪は、隊長へと跳ね返る。
少なくとも『シュバイツァー伯爵家』を避けていた貴族達には、目障りなオーリィードを王家から遠ざける良い口実になる。
オーリィード自身やオーリィードの部下、シュバイツァー伯爵家の人間がゼルエス王を殺したら、貴族達にサーラ王女との仲を引き裂かれてしまう。
引き裂かれたら、二度とサーラ王女の騎士には戻れない。
もう二度と、サーラ王女と同じ場所には居られない。
そう考えてしまった。
だから、抵抗できなかった。
ゼルエス王の狙いは半分当たって、半分は外れたのだ。
サーラ王女を大切に想っているからこそ、オーリィードにはゼルエス王は殺せない。
これから先もサーラ王女と一緒に同じ時間を生きていきたいと願っていたオーリィードには、自国の王を弑逆した大罪人の汚名を被る選択肢など、初めから無かった。
姉と妹が、主人と騎士が引き離された事で、どんなにゼルエス王を憎んでいても、それだけは絶対に選べなかった。
「貴女は逃げたんじゃない。戦っていたんです」
願い求めた未来の成就を阻害する総てから姉妹の想いと誓いを守る為に、身心を懸けて戦っていた。
ずっとずっと、一人で戦っていた。
「……レクセル……」
掴まれた手首は気にも留めず、すみれ色の目が私をまっすぐに見つめる。
涙を流して見つめる私を、心配そうに見つめ返す。
「迷惑ではありません」
「え」
「迷惑だとしても、掛けたって構わないから。迷惑を掛けられた程度で貴女を嫌う人なんて、貴女の周りには居ないから。もう、良いんですよ」
目前に寄せたオーリィードの額に口付け、彼女の首元に顔を埋める。
埋めて、私自身でもどうにもならないほど震えた声で、告げる。
「理不尽には怒っても良い。抗っても良い」
私が知るあのオーリィードを作り上げてしまった……きっと今ここに居るオーリィードの根底にも潜んでいる呪縛を解く言葉。
「やるせない気持ちを無理矢理割り切ろうとしなくて良い」
黄色の花をウェラントに根付かせてしまった呪縛を解く願い。
「貴女が貴女自身を深く傷付けてまで全部を受け止めなきゃいけないなんて、そんな事はない」
最期の瞬間、本当は『アーシュマー』に託そうとしていたであろうゼルエス王の真意を。
「だから……」
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