[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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おまけ

影なる者達の務め Ⅹ

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 ヒールを鳴らして私達に近付く女性のシルエット。
 闇の中でも影を落とすその手元で、先程放り投げた妹の短剣が鈍く光る。

「そちらの様子はいかがでしたか? ガーネット」
 気を抜けない相手の出現で『影の鷲』に戻ってしまった妹が速やかに立ち上がり、ガーネットから受け取った短剣を自らの左袖に隠した。刃に付着していたであろう私の血は、ガーネットが拾った際に拭き取っておいたらしい。
 私も無言で立ち上がり、自分の短剣を探して回収する。
「フィールレイク伯爵邸はとても判りやすい造りでしたわ。あれなら招待客の目があっても忍び込むのは容易いでしょう。宮殿のほうはやはり、グローリア様が仰っていた通路やレジスタンスに知られている大半の抜け道が潰されていましたけれど、後処理が甘い昔の廃路を見つけましたので、こちらを使えば確実です。それから、リブロム陛下がシウラ嬢の後宮入りを明日公表するそうです。全て想定通りですわね」
「そうですか……感謝します。手間を掛けさせてしまいました」
「労いの言葉は不要です。グローリア様に使っていただける我が身を、誰よりも私こそが誇らしく思っているのですから」

 メイベルの食堂に臨む大通り沿いで聴いた妹の話によれば、ルビア王妃陛下が演じる『ガーネット=フリージア』の役目は主に三つ。
 一つ目は、フィールレイク伯爵邸へと誘導したオーリィード嬢とかつての部下達を同じ部屋に集め、外側から扉を閉める事。
 二つ目は、王妃の寝室に囚われているサーラ王女へ『真実』を伝え、後々の選択を見届ける事。
 三つ目は、オーリィード嬢と妹とグエンの間で連絡役を務める事。
 今夜は、王城と伯爵邸で侵入経路を確認する事が主な目的だった。
 伯爵邸の件は三ヶ月ほど前に妹がティアン・フォルト・フィールレイクと打ち合わせを済ませていたらしく、扉を閉める役目に関しては、『フィールレイク伯爵家主催の夜会』で誘き寄せたリブロム王とガーネットが万が一にも鉢合わせたりしないよう、敢えて侵入者の形を取ったという。

「こちらも、グローリア様の御指示通り、ティアン様のお部屋の机に隠されていた小箱から回収して参りました。ご確認くださいませ」
 ガーネットが胸元の内ポケットから取り出した紙切れのような物を二枚、妹が受け取ってくるりと裏返し、表面に指を滑らせた。
「……間違い無く、フィールレイク伯爵家の家紋です。こちらからのカードは」
「勿論、お届けいたしました。小箱の封も直さずにそのままです」
「ティアン殿が早い時間に気付けると良いのですが」
「夜会の開催は明後日に迫っています。いえ、もう明日と言っても良い時間ですわね。特にここ数日は頻繁に確認されていることでしょう。心配は御無用です」
 暗闇ではっきりとは見えないが、月明かりを受けて白っぽく浮かび上がる四角形のそれはおそらく、オーリィード嬢とレクセル王子に渡す予定の招待状。フィールレイク卿ティアン直筆のメッセージカードが入っている封筒だ。
 所定の方法でしか取り出せないあの封筒が指定の場所から無くなったら、行動開始の合図。
 事前の手回しがあったと言っても、宮廷騎士団の元隊員仲間達に集合を呼びかけたり、妹が調べたオーリィード嬢とレクセル王子の身体情報を使って用意していた正礼装をいつでも着られるように店で待機させたり、伯爵邸までの案内役や馬車を手配したりと、オーリィード嬢達二人の行動が確定してからでなければできない事も多い。それらは必然的に夜会準備の追い込みと並行せざるを得ない為、時間との勝負になる。
 預かっていたシュバイツェル王家の紋章とフィールレイク伯爵家の社交。
 立場上どちらもないがしろにできないフィールレイク卿ティアンは、ガーネットの言葉通り、小箱の中身を頻繁に確認しているだろう。替わりに入れられたこちらの現状やオーリィード嬢の現在地などを記したカードを見つければ、東の空が白む前であっても即座に動き出す筈。
 伯爵邸のほうはフィールレイク卿ティアンに任せておけば問題無い。
 問題があるのは

「グローリア様が心を配るべきは、グリューエル様の判断。そして、オーリィード嬢と再会したリブロム陛下の選択と、私の決断です」
 少し離れた場所で立つ私に顔を向けたガーネットが、同意を求めるかのように首を傾ける。
 妹も一瞬だけ私に振り返り、顔を逸らしてうつむいた。
「グリューエルは……あれだけやったんだ。もう十分だろう?」
「本音を言えば、剣を振るわせてみたいところですが」
「黙ってろ」
 正直に答えただけで、またしても鋭い殺気に全身を貫かれた。
 …………意外な反応だ。
 あらあらと言いながら自身の頬に手を当てたガーネットが、肩を揺らして意味ありげに含み笑う。
「グリューエル様に剣を振るわせてみたいと言わせるほどの実力者ならば、その時点でフリューゲルヘイゲンの貴族達も納得するでしょう。判断は下されたも同然です。グリューエル様ご自身がどうしても気になるのでしたら、招待状を手渡す切っ掛けにでもされればよろしいかと」
「ガーネット。グリューエルを甘やかさないでください。本気にしたらどうするのです」
「良いではありませんか。わざわざ手紙で呼び出すより効率的ですし、オーリィード嬢の警戒心を刺激しておけば、フィールレイク伯爵邸へ出向く彼女に心構えを持たせる事にも繋がります。何もせずに送り出すよりは、多少なりとも、オーリィード嬢の心的負担を軽減できるかも知れませんわ」
「それは……っ」
「お忘れにならないで、グローリア様」
 顔を跳ね上げた妹と向き直ったガーネットが、伸ばした両手で妹の顔を包む。
「シウラ嬢の後宮入りはシウラ嬢からの提案なので見逃しますが、もしもリブロム陛下がオーリィード嬢を連れ去ってしまったり、表社会で彼女の名前を利用した場合、私はこの件から手を引きます。サーラ王女に『真実』を伝える役目も負いません。オーリィード嬢もサーラ王女もリブロム陛下もレクセル王子も、そしてウェラント王国やベルゼーラ王国も。私以外の刺客により、フィオルシーニ皇国にとって最も都合が良い終わりを迎えるでしょう」
 そう。
 それは、反対を押し切ってまでサーラ王女に移住の機会を与えたいと望んだダンデリオン陛下に、フィオルシーニ皇帝が提示した条件。
「『フリューゲルヘイゲンの王妃・ルビア』に彼らを止める力はありませんし、フリューゲルヘイゲン王国の為にも止めようとは思いません」
 決して違えてはならない、国同士の約束。
「貴女がオーリィード嬢を実の子同然に想っているのは痛いくらい伝わっています。だからこそ今は冷静に。何をどのように為せば、貴女が望む結果を得られるか。よく考えて行動なさってください」
 ガーネットの言い分は間違っていない。
 フリューゲルヘイゲンの為にも、オーリィード嬢の為にも、『影の鷲』は常に冷静さを保って行動するべきであり、それが最善だ。
 しかし。

「……すみません、ガーネット。貴女には助けられてばかりいる。私は何も返せていないのに」
「私は貴女の妻。貴女を支え、貴女を癒す事が私の務め。私の至上の喜び。気に掛けていただけるのでしたら、もっと私を使ってくださいませ、旦那様」
 ガーネットの口付けを慣れた様子で額に受け止めながら、徐々に静まっていく妹の感情。
 せっかく引き出した『グローリア』を気付けないまま封じ直してしまう妹の姿に、ガーネットへの……ルビア王妃陛下やフィオルシーニ皇国への推測が、確信へと変わっていく。
「さあ、大使館へ戻りましょう。グリューエル様も」
 妹の背中に手を回して一緒に歩き始めたガーネット。
 私は首を振って、同行を辞退する。
「もう一人、確かめなければいけない人間が残っていますので」
「そうですか。……リブロム陛下ならば、蓮の宮で休まれている頃だと思いますわ。私が置いてきた目印をお使いくださいませ」
 すれ違いざまの潜めた言葉は、全てを繋ぐ決定打。
 やはり、私の望みも行動も全て、ガーネットに読まれていた。
 読まれていた上に、妨害された。
 『影の鷲』を、グローリアにさせない為に。


「貴女方が不毛の地に夢を見る村人だったとは、予想外でした」


 ささやき返した言葉で立ち止まって振り返るガーネットの目に、月の光が煌めいた。
 煌めいて、瞬いて、細くなる。
「……傷の数だけ涙を流して訴える者も居れば、声を殺して慎重に、強かになるしかない者も居ます。けれど結局、二度と傷付きたくない思いはどちらも同じ」
 その目に宿るものを、不思議そうに振り返った妹には見せない為か、私の顔を間近に覗き込み、微笑む。
「どれだけ疲れ果てていようと諦められない身には、たとえ微かであっても光が必要なのです。きぼうへと続いているひかりが」
「光こそが、その想い故に途絶えようとしていても?」
「光が途絶えるのならば、望みも絶えるだけのこと」
 目蓋を伏せた顔が迫り、私の左頬に切なげな吐息と柔らかな感触を残して離れる。
「けれど、それは杞憂です」
 再び対峙したガーネットの目からは、直前まであった悲哀めいた影が消えていた。
 代わりに現れたのは、切望。
「私は、誰に何を言われようとも、グローリア様の妻。グローリア様を支え癒す事が、私の務め。私の至上の喜び。私の理由」
 ただ、貴方の望みを叶えるのは『今』ではない。
 『今』はまだ、その時ではないのです。
「どうか信じて」
 真摯に、ひたすらまっすぐに訴えかけてくる眼差し。
 嘘も悪意も無い、真剣な想い。
 そんなガーネットの斜め後ろで、妹が物言いたげに身体の重心を揺らしている。

「……一つだけ、約束していただけますか」
「私にできる範囲ならば」
「五年。叶うなら、可能な限り早く。単調な音ではない音楽を聴かせてください」
「五年?」
 示した区切りにきょとんと瞬き。
 やや間を置いて、ルビー色の目が大きく開いた。
「だから……『今』、だったのですね……」
「できますか?」
 うつむいたガーネットがふるふると頭を振り、「いいえ」と答える。
「残念です」
「いいえ。五年の区切りをこそ、私は認めません。こんな短い時間で、旦那様の大切なものを失わせたりしない。どんな手段を用いてでも、何一つ欠けさせたりしません」
「大袈裟ですね」
 察してもらえたのは助かるが、医師に口止めして誰にも話していない事だ。妹に覚られても困ると苦笑う。
「何の話ですか、ガーネット」
 案の定、訝しげな妹の声が割り込んできた。
「このボロボロになった服のままでは、体調を崩すかも知れないという話です」
 妹に切り裂かれ、石畳に擦り切られた服の背面を、二人に見せつける。
 と言っても、暗闇ではっきりとは見えないだろうが。
「フリューゲルヘイゲン最強の騎士が、その程度で体調を崩す訳がないだろ。まったく……お前の体格に合う服を探すのは苦労したんだぞ。面倒臭いから、明日もそれを着てろ」
「酷いですね。貴女に切られたのに」
「本気で避けていれば掠りもしないクセに、妙なところで手を抜くからだ。自業自得」
 ずっと全力で逃げていた、と答えても、納得はしないのだろう。現在、正真正銘の『王国最強』が誰なのか、彼女には自覚が無い。
「この姿でオーリィード嬢の前に出るのですか?」
「マントくらいなら用意してやる。左手の傷、大使館に戻ったら治療しておけよ」
「承知しました」
 行きましょうとガーネットの腕を引いて歩き出した妹に礼を執り、妹と私を交互に見るガーネットへも浅く頷く。
 私も王城へ足を運ぼうとして
「グリューエル」
 立ち止まった妹に声を掛けられた。
 そちらを見れば、闇に溶けかけた背中をガーネットが支えている。
「なにか?」

「…………ありがとう」

 私に背中を向けたままぽつりと呟き、スタスタと去っていく妹。
 ガーネットも一礼を残して後を追う。
「気付かれた……、か。あの勘の良さには油断できないな」
 先を逝く者の話など、人前でするものではない。
 だが、ほんのわずかでも変えられたものがあるのなら。
 悪くはない。

 ガーネットが現れた方角に向き直り、日付を跨いでなお黒い夜空を見上げる。
 ふと、どこか遠くから近付いてくる物音に気が付いた。
 接近する瞬間を待っていると、二人組のメイドが私の脇を無言で通り過ぎ、私が崩した空箱を元あった位置に戻して、ガーネット達の後を追うように音も無く去っていった。
「……グローリアもグエンも、大変な相手に好かれたものだ」
 どこまで調べて、どこまでを見通してるんだか。
 妹のあの言葉は、ルビア王妃陛下にこそ相応しく思う。

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