[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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おまけ

影なる者達の務め Ⅳ

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 オーリィード嬢が食堂に入ってから十五分ほど後。
 大通りの反対側にまで伝わっていた店内の賑やかな雰囲気が、少しだけ落ち着いた。
 どうやら仕事を終えたオーリィード嬢が、食堂と同じ建物の三階に借りている部屋へと戻ったらしい。
 ほどなくして食堂を出て行く満足気な客がちらほらと見受けられる辺り、彼女は客引きとしての役割を十分に果たしているようだ。本人は不本意かも知れないが。

「今日はもう、降りてこないのでしょうね」
「不足か」
「不足です。オーリィード嬢は難しい」
「難しい?」
 オーリィード嬢への評価に対してか、私が分からないと答えた事に対してか、意外そうに首を傾げる妹。
 街灯に照らされたその顔を正面に見つめ、浅く頷く。
「貴女も御存知の通り、戦場を駆ける人間には三つの要素が不可欠です」
「精神、身体、技術だな」
「はい」
 『精神(気力)』と、『身体(体力)』と、『技術(知力)』。
 三つの要素はそれぞれ一つずつでも伸ばせるが、三つを揃えなければ熟達者の域には決して届かない。
 何故なら。
 精神は身体を鍛え、鍛えられた身体は技術を養い、磨き上げられた技術は自信に繋がり精神を向上させるが。
 このベクトルが反転した場合、またはどれか一つでも欠けている場合、要素同士の反発で培った能力が瓦解。要素独自の強味が丸ごとその人間の弱点に変わるからだ。
 即ち。
 技術を理解していても身体が付いて行けないなら使えないし、磨けない。無理に使おうとしても身体を思い通りに動かせない事実で苛立ち、苛立ちは精神の安定を妨げる。安定を欠いた精神状態では、理解力も吸収率も下降の一途。
 精神が強くて技術への理解があっても、訓練や実戦に耐えられる身体が無ければ鍛えられず。
 基礎体力が高くて技術の吸収率が良くても、軟弱な精神ではちょっとした苦痛で簡単に折れ。
 強い精神で身体を鍛え上げたとしても、生かせる技術が無ければ直線にしか進めない能無しが出来上がるだけ。
 直線にしか進めない能無しならまだ特攻や囮や盾役としての使い途はあるが、虚弱と軟弱は戦力外。
 もしも家柄などの後ろ楯があるなら、運が良ければ重役付きの助言者といった補助職には就けるだろう。しかし、己の身を護る力や気概が足りない人間は、必ずどこかで切り捨てられる。
 誰だって、命のやり取りをする現場で足を引っ張られたくはない。
「オーリィード嬢の場合、身体と技術は問題ありません。本国の騎士達と刃を交えても楽に勝てるでしょう。彼女からすればきっと、肩慣らしにもならない」
「精神か」
「ええ、そこが難しい点です。彼女は見た限りかなり特殊な例で、可能性があります」
「…………は?」
 これも意外だったのか、単に意味が解らなかっただけか、きょとんと瞬く黒紫色の目。
「正確に言えば、弱点にはなっているのかも知れません。ただ、それを補って余りある目的意識の強さが、平時と有事で精神の在り方や身体機能を切り替えている可能性があるんです」
「……精神の在り方や身体機能が、普段のオーリィードと戦闘員としてのオーリィードで、完全に切り離されていると?」
「いえ、私の言葉が悪かったですね。戦闘時かどうかは、あまり関係ありません。、です」
「強い……目的意識……」
「臆測ですが、彼女は『命の危険』や『誰かの為』という口実があって初めて本領を発揮できるタイプなのでしょう。だから、の仕事では何枚でも皿を割ってしまうのに、の仕事では失敗らしい失敗をしていない」
 毎回滑らせて取り落とすのか、持つ手の力加減を間違えているのかは判らないが、何十枚もの皿をくり返し割り続けた人間が、食材らしき物を無事に届けられるとは思えない。途中で潰すか落とすかしそうなものだ。
 だが、実際には何事も無く、食堂まで届けて仕事を終えた。
 おそらく『待っている雇い主や客の為に絶対届けなければいけない』と、強い目的意識が働いたから。
「…………意識……か……」
「思い当たる節でも?」
「……いや、……」
 なんでもない、という雰囲気ではない。
 眉を寄せてうつむいたかと思えば、ゆっくりと顔を上げ、探るような目で私をじぃっと睨んでくる。
 言いたい事があるならどうぞと無表情で沈黙を返せば、わざとらしい溜め息を盛大に吐かれた。
「お前相手にここまで細かく説明する必要は無いと踏んでたんだが……期限ギリギリまで付きまとわせるのも気が引けるしな。とりあえず、私の考えと今後の予定を総て話す。不足分はそれで補える筈だ」
「……オーリィード嬢の意識の切り替わりに関する判断材料ですか?」
「ああ。無関係ではない」
「伺いましょう」
 周囲の気配を探りながら頷いた妹に合わせ、私も再度周辺の無人を確かめ、頷く。

 妹は何故か、私なら何を知っていても不思議じゃないと思っていたらしいが。
 私が知っていたのは、洗脳効果がある本の存在や、本の中身が世界中に流通した結果を危惧していたゼルエスの行動、本の著者がベルゼーラ王国の王妃だった事など、あくまでも小説の文章に直接関連する出来事、事実だけ。
 厳密に言えば、『ウェラントの悪夢』と呼ばれるシュバイツァー伯爵家への一連の仕打ちと小説が繋がっていると気付いたのも、妹に小説を渡した後。オーリィード嬢が生まれた後だ。
 他の内情・心情・目に見えない・形になっていない部分、特に感情や気持ちが先行していたり複雑に絡んでいる部分などは、本人や周りの人間達を観察するか直接聴き出すかしない限り、推測はできても知りようがない。
 オーリィード嬢の精神疾患や、妹が語った内容は、まさにそういうものだった。

「……リブロム王が『言葉の力』でオーリィード嬢の意識を強制的に操っている、ですか」
「信じられないか?」
 私の思考を読み取ろうとしているかのような表情の妹に、「いいえ」と答えて頭を振る。
 むしろ今までぼんやりしていた部分が鮮明になり、納得がいった。
「多くの人間が意識していないだけで、言葉は確かに他人を操ります。そしてそれは、同じ言語を理解している相手や、相手の状況を察するに足る経験や観察眼さえあれば、誰にでも簡単に意図してできる事です」
 例えば、約束。
 例えば、虚実。
 例えば、激励。
 人間は普段から言葉に縛られ、自覚も無いまま言動を左右し、左右されている。
「小説の文章にもできる事です。同じく『音』から成る人間の声にできない理由は無い。単純に考えるなら、リブロム王の『言葉の力』は普段使いの言葉よりも影響力が格段に強いのでしょう」
「ああ。その解釈で合ってると思う」
 正確な理屈はどうであれ、リブロム王には他人を操る力がある。
 そして、現在のオーリィード嬢はリブロム王の『言葉の力』に護られ、自我を保っている状態。
 だとすれば
「平時の観察には大して意味が無い……か」
「ん?」
「少々席を外します」
「? ちょっと待て、どこに行くつもりだ」
「メイベルの食堂横へ。オーリィード嬢の実力を測りに」
「はあ!?」
 すっとんきょうな声を出した妹が、大通り沿いへ足先を向けた私の左腕を慌てて掴み、引き止める。
「お前、何を言って」
「私が知るべきは、オーリィード嬢が培ってきた力の程度であり、彼女の真価です。平時の怯えている彼女では全く参考にならないので、手っ取り早く刺激してみようかと」
「いや、だから! 接触はするなと!」
「接触はしません。刺激してみるだけです」
「何がちが……っ、グリューエル!」
 押し問答にはキリが無い。
 妹の手を払って飛び退き、大通り沿いを無音で走る。
「……っの、武力バカ……ッ!」
 メイベル嬢の……特技? 体質? 性質? を気にしているのだろうか。
 非難の声を上げたわりに、妹はその場から動こうとしなかった。

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