[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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おまけ

影なる者達の務め Ⅱ

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 王都の中でも比較的大きな通りを囲い込んで展開している飲食街。
 一時の休息と満腹感を求めて様々な業種の働き手達が集まってくるこの界隈に、レクセル王子とオーリィード嬢が現在身を寄せている食堂兼宿屋がある。
 同じ建物内であっても階層ごとに所有者が異なる事例が多い王都では珍しく、建物と土地丸々一戸分が若い女性個人の所有物として登録されているらしい、メイベルの食堂。
 その眼前に横たわる大通りを挟んで斜め前辺りへ歩いてきた妹は、何故かそれ以上近寄ろうともせず、適当な建物と建物の隙間に滑り込み、カンテラの灯りを落として石畳の上に置くと、通り沿いに接する建物の角に背中を預けて立ち、腕を組んで、開かれっぱなしの入口へと目線だけを注いだ。
 私も同じ場所へカンテラを隠し、彼女と向かい合わせで立って、店先に視線を送る。
 月が夜空の頂に差し掛かる頃だというのに、いまだ客足が途絶える様子は無い。
 周辺を観察してみても、帰るつもりは無さそうな酒飲みや通行人達がそこかしこで数人ずつたむろし、和やかな雰囲気で談笑している。
 おかげで、私達がこうして立ち話をしていても不審に思われる心配は無さそうだが。

「入らないのですか?」
「お前なら、この距離でも十分に『分かる』だろう?」
「測るだけでしたら」
 本国の貴族達を納得させるに足る力を有しているか否か。
 鷲の庇護を受けるに相応しい実力者かどうか。
 私なら、立ち姿を見れば大体分かる。
 剣や筆を握り続けていると接触部分の皮膚が硬質化するように。
 全方位からの襲撃に慣れた人間が、どこへでもすぐさま動ける位置で壁を背にして立つように。
 培った経験は身体や雰囲気、日常の何気無い姿勢や所作に表れるもの。
 同様の経験を積んできた相手には、その度合いも筒抜けだ。
 オーリィード嬢が私を遥かに超える実力者で、常日頃から無力を装えるレベルの猛者でない限りは、読み取れる。

「接触はしないのですね」
「お前が認めるまではな」
「認めなかったら?」
「お前の水準は越えていると信じてる」
「賭け、ですか」
「そう思うか?」
 硬くなった口調。
 ちらりと覗いた妹の口元が、無感情な一本線を形作っている。
「……承知しました。しかし、オーリィード嬢が姿を見せるまでここでひたすら待ち続けるのですか? 気長な話ですね。既に終業済みだとしたら、朝になってしまいますよ」
「仕方ないんだ。店主のメイベル嬢が、少々厄介な特技……いや、体質……性質……? を持ってるんだよ。彼女が視認できる範囲内に私達が入ると後々面倒な事になりかねないから、今日はこれ以上近付けない」
 特技? 体質? 性質?
 どれも別物だ。
 言い淀む意味が解らない。
「なにより、私達の容姿は可能な限り誰にも覚えられたくない。どこでどんな形でリブロムやオーリィード達や彼女の周りの人間に伝わって警戒されるか分からないからな。少なくとも今日は、大勢の人間の前に顔を出したくないし、出させたくもない」
 それに、
 と言いかけたところで、真夜中には似つかわしくない、賑やかすぎるにもほどがある笑い声が食堂のほうから飛んできた。
 どっと沸き立った気配に顔を向ければ、妹の脱力し切った声色が私の耳を撫でる。
「……それに、終業したかどうかはすぐに判る、と言いたかったんだが……やっぱりまだ店内に居て、上がってなかったみたいだな」
「………………解せません」
 何故、食堂からの笑い声がオーリィード嬢の現状を示す判断材料になるのか。
 飲食店に爆笑を発生させなければいけない仕事でもあるのか?
 理解に苦しむ。
「……そうか……。片っ端から調べ尽くしてる訳じゃないんだな、お前」
 自嘲気味の溜め息。
 向き直った私を正面に捉えた妹の目が、再度食堂を見て細められる。
「あれも、私の罪だ」
「笑い声が?」
「日常生活に支障を来す程度の初歩的な失敗の連続と、心身の不制御による意図しない破壊行為。本人に自覚は無いが、王都に近付けば近付くほど酷くなっていた。食堂の仕事を始めてからは一時間に一回は皿を割り、今朝に至っては新品の木製サラダボウルを綺麗に真っ二つだ」
「日常生活に支障を来す心身の不制御……心因性の精神疾患ですか」
「彼女自身は不器用さが原因だと思っているようだし、それも間違いではない。ゼルエスの後宮で育てられたとは思えないほど心根が素直な子だから。ただ、あそこまでの不器用になってしまった原因は、彼女を取り巻いていた人間と環境、精神的苦痛を受け続ける状況に追い詰めさせた私にある」
「……後悔してますか、双剣術を指南したこと」
「半々だ。教えたから余計に苦しめた。教えていたから居場所を作れる。どっちにしろ、彼女にしてみればろくなものじゃないだろうが」
「それを決めるのはオーリィード嬢でしょう」
「…………そうだな」
 一度固く閉じた目蓋をゆっくり開き、笑い声が続く食堂の入口を注視する妹。

 私が妹に渡した長編小説の文章は、読んだ者の自己肯定感を最大限に引き出した上で、自己中心的な平和思考へと強制誘導……洗脳する物だ。
 私やルビア王妃陛下と同じく、何らかのきっかけで小説の危険性に気付いたウェラント国王ゼルエスは、フリューゲルヘイゲン王国シュバイツェル王家の血筋・シュバイツァー伯爵家を貶める行為によってフリューゲルヘイゲンの怒りを煽りつつ、フィオルシーニ皇国の第三皇女ルビア殿下と縁を結んだダンデリオン陛下に
 総てはバスティーツ大陸の人々を護る為。
 学園在籍中に先王が病で急逝してしまい、社交界での地盤を固める余裕も無いまま学園卒業と同時に王位を継ぐしかなかった……そんなゼルエスではできなかった事を、大陸一の強国フィオルシーニへと託す為に。

 しかし、ダンデリオン両陛下は小説の真実に気付けなかった。
 気付けないばかりか、よりによって『光の鷲』……『正統なる国王グエン』が洗脳されかけていた。
 普段から煩悩に従順な性格で、欲望を満たしながらも手綱を握ってくれる妹が隣に居たから、効果が薄かったのだろう。あれの場合は。

 『小説の危険性』という重要な一点が抜け落ちていたダンデリオン両陛下の視点では、ゼルエスの行動はあまりにも突発的で不敬極まる、意味不明な敵対行為。
 フリューゲルヘイゲンの民の生活を脅かされる可能性がある以上、敵対声明や要求を明示しないまま続く挑発的な態度に乗せられて強権を発動する訳にはいかなかった妹は、『この娘には手を出すな』とゼルエスへの牽制の意味も込めて、軍人になったオーリィード嬢へ万が一の護身用としてフリューゲルヘイゲン流双剣術を伝授した。
 その剣術を見たゼルエスが『フリューゲルヘイゲンと確実に繋がっているオーリィード嬢』を標的にするのは、必然。
 むしろ、妹こそがゼルエスの愚行を後押しした形だ。

 ベルゼーラ王国の進軍とゼルエスの無抵抗な死、レジスタンスを始めた『アーシュマーリブロム王』の様子からやがて真実を導き出した妹は、それ以来ずっと、自分自身の軽挙を罪と呼んで責めている。
 もっと早く、どんな状況でも仕事を優先する堅物で知られているグリューエル=ハインリヒから100巻を超える長編の恋愛小説を渡された時に。
 そうでなくても、小説を読んだ『正統なる国王グエン』が洗脳されかけている時に。
 いくつもの小さな違和感をもっとちゃんと拾い上げていれば。
 自分が……『もう一人の国王』が気付いて、応じられていれば。
 シュバイツァー伯爵家が、オーリィード嬢が、ここまでボロボロにされることは無かった。
 ゼルエスも、ゼルエスの愚行の被害に遭った人達も救えていた筈だと。
 そんな思いを言葉にも態度にも出そうとせず、ずっと、責め続けている。

「来たぞ。あの子だ」
 裏口に出なくて良かったと呟く妹の顎に促され、食堂の入口に目を走らせた。
 遠目にも輝く黄金色の髪、街灯に照らされて浮き立つ鼻先や手の白い肌。虹彩ははっきり見えない。
 ウェイター姿が妙に似合う小柄な女性は、右手に小袋を持ち、慌てた素振りで、大通り沿いに市場へと駆けて行く。
「…………彼女が、貴女の寵児? 本当に?」
「? ああ。間違い無く、オーリィード・シュヴェル・シュバイツァー本人だ」
「冗談でしょう?」
「何が?」
 訝しげに傾く妹の表情が信じられない。
 本当に、本気で分かっていないのか。
 それとも、長い間見守ってきた分、慣れたか曇ったかしているのか。
「貴女には彼女がどんな風に見えているのか、お尋ねしても?」
「剣士としてのセンスに優れた最高級の逸材」
「逸材……」
「最高級の、逸材だ。不服なのか?」
「いいえ、不服ではありません。不服を感じる以前の問題です」
 意味が解らないと渋面を作る妹に頭を振り、右足のつま先を石畳に落とす。
 軽く叩いた程度だが、真夜中の冴えた空気が、小さな筈の音をやけに大きく響かせた。
「靴音」
「ん?」

「走って行ったオーリィード嬢からは、靴音が聞こえませんでした」

「……………………………………え?」

 妹と二人、市場の方角を同時に見る。
 周辺に点在している人集りが発する様々な音の中、華奢な背中は闇に溶けて消えていた。

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