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おまけ
レクセルの思慕 Ⅱ
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夕暮れ時は短い。
青い空に赤が混じり、朱金に輝いたかと思えば紫へ、紫から濃紺へ、濃紺から黒へと忙しなく色を変えて、瞬く間に夜が来る。
マッケンティア后が町を訪れる時間帯や周期に規則性は見られないらしいが、護身の為か、それとも店が閉まった町には用事が無いからか、基本的に夜は出歩かないと聞いていた。
この時間に待ち構えていても、マッケンティア后に見つけてもらえる可能性は低い。
今日のところは接触を諦め、表通りを往く人達の視線を集めるようにわざとらしく大きな靴音を鳴らしながら、町の警邏隊や不穏な空気を纏う人間達に絡まれにくい物陰を探して薄暗い路地裏へと滑り込む。
平穏な日常を謳歌できている人間は奇異なものに対して良くも悪くも敏感だから、不自然な行動を執る人間が現れればすぐにでも目撃情報が周辺一帯に伝播する筈。
駅馬車を使ってウィルマリアに降り立った訳ありげな男女二人組が、宿も取らずにそのまま路地裏へ消えた……そんな噂が町中に流れてくれたなら、少なくとも町民の関心はある程度路地裏に注がれる。
町民の意識が路地裏に向けられていると感じ取れば、その影に潜む人間達は警邏隊を警戒して派手な動きを避けたがる。
そうやって周辺に潜む彼らの犯罪行為を抑制してくれれば結果的にオーリィードの身も安全だし、うまくいけば、広められた噂がマッケンティア后を私達の元に導いてくれるかも知れない。
私の背中を見つめていた複数の怪訝な目線に様々な効果を期待しつつ、飲食店と思しき建物の裏口が見える曲がり角で三つ並べて立て置きされていたタルの上にオーリィードを座らせる。
壁沿いのタルを正面に、左右と左手側前方の三方向へ伸びている細い道。
多くの窓が灯りを溢しているここなら、何かあっても大声を出せば飲食店内に居る方々や周辺の住民に気付いてもらえるし、万が一挟み撃ちにされても逃げられる。大通りともそんなに離れてはいないから、良からぬ考えを巡らせる人間は特に近付きにくいだろう。
好条件な場所を早々と見つけられた幸運に安堵の息を吐き、オーリィードの左隣に座って彼女の肩を引き寄せ、私の膝の上に頭をそっと乗せる。
「馬車に長時間揺られていたせいで疲れたでしょう? 寝心地は良くないと思いますが、できれば今夜はちゃんと眠ってくださいね。……数分でも構いませんから……」
無駄だと分かってはいるけれど、黄金色の髪をやんわりとゆっくり撫でて彼女の眠気を誘う。
この三日間、オーリィードは一睡もしていない。
一睡もしていないばかりか、摂取や排泄も全くしていない。
ウィルマリアに着くまでの休憩用としてヘンリー卿が手配してくれていた宿でも、ベッドの上でペンダントを抱えて横たわったまま、新たな一日の始まりを告げる朝陽を浴びても、目蓋さえ微動だにしていなかった。
初めの内は喪ってしまうのではないかと焦り、恐怖心に駆られて無理矢理スープや水を飲ませようと手を尽くしていたが、喉を通ったと安心した次の瞬間に全部吐き出してしまう為、余計な体力を使わせて一層弱らせるくらいならと、今は無理な摂取を避けている。
ただ、睡眠や排泄は他人がどうこうできる問題ではない。
通常なら食事や入浴などで生存欲を満たすか、身体を極限まで疲れさせて眠気を誘えば済む話だけれど、こんな状態で体力や気力を削っても、削った分だけ消えていく一方だ。極度の疲労なんかは死に直結してしまう。薬物や暴力を用いての昏睡や気絶などは論外だし、兄上の言葉でさえ、今の彼女には届くかどうか怪しい。
とどのつまり、私が何をしてもしなくても変わらない。
話さず、動かず、意思の一欠片も垣間見えず。
まるで呼吸する人形みたいだと、同じ事を何度も考えては自嘲した。
解っていた事じゃないか、と。
『ガーネット=フリージア』はフィオルシーニ皇帝の指示で遣わされた、ダンデリオン陛下に仕える使者。
その立ち位置は、フリューゲルヘイゲン王国からフィオルシーニ皇帝への忠心を示す役割を果たすと同時に、問題発生時にはフリューゲルヘイゲンが全責任を負うべしと、暗に切り捨てを宣告されているようなもの。
ガーネットがどこかでたった一つ失敗しただけで、フリューゲルヘイゲン王国とフィオルシーニ皇国の縁が切られてしまう。
ガーネットに求められていたのは、絶対の中立性と公平性。
だからこそ、サーラ王女は絶対に『真実』の一部しか知らない。
『真実』の一部しか知らないサーラ王女が、それでもオーリィードと一緒に行きたいと言えるほど強くいられるとは、どうしても思えなかった。
自分を利用する為にオーリィードが傷付けられていた……自分が遠ざけるより他にオーリィードを護る方法が無いのだと思い知ったら、私もきっと、サーラ王女と同じ選択をしていただろうから。
オーリィードを大切に想っているからこそ、サーラ王女は一緒に来ない。
けれど、オーリィードにとって、サーラ王女は生きる理由だった。
サーラ王女と一緒に、サーラ王女と同じ時間を生きていく。
それがオーリィードの願いで、望みで、オーリィードの全てだった。
どんな目に遭っても、どんな苦しみを背負っても、サーラ王女さえ一緒に居てくれれば、それで良かった。
そこまで愛していた相手に突き放されて、平然としていられる筈がない。
たとえ、まず間違いなくそうなるだろうと事前に聴かされ、覚悟を決めて相対しても、離れていく愛しさに傷付かない訳がない。
ヘンリー卿に話を聴いた時点で、解っていた。
サーラ王女に会えば、私が知っているオーリィードは居なくなる。
レジスタンス潰滅後から一緒に過ごしたあのオーリィードは、もうどこにも居ない。
解っているのに、閉じた目蓋の裏に浮かぶ表情はどれもオーリィードの物だ。
怒って怯えてうつむいて。
泣いて叫んで睨み付けて。
迷惑そうに意地を張って。
嬉しそうに、笑っていた。
私が知っている、私を救ってくれたオーリィード。
押し広げた視界のどこを探しても、彼女は居ない。
もう、居ない。
「……あっ、すみません、オーリィード」
頬を伝い落ちた涙の雫が、パタッと音を立ててオーリィードの髪に触れ、飛び散ってしまった。
慌てて私の服の袖で髪を拭い、首を振って涙を払う。
「マッケンティア后に会うまでは気を抜く余裕など無いというのに……」
情けない自分を叱る意味で両頬をパチパチと叩き、オーリィードの肩を起こしてタルを下りた。
念の為に辺りを注意深く見渡し、建物の外の無人を確認。オーリィードの背中を壁に預け、膝に乗せたせいで少し乱れた髪を手櫛で整える。
「お店の方に水を頂いてきます。すぐに戻りますから、ちょっとだけ待っていてくださいね」
もう一度周辺の気配を探り、オーリィードを残して素早く移動。
やはり飲食店だった建物の正面入口で店員の男性に声を掛け、ヘンリー卿から預かっていた路銀を使って、タライ一杯分の水を頂く。
店の隅を借りて顔を洗い、借りたタオルでしっかり拭き取ってから店員にお礼を言って、すぐに店を出る。
体感では三分も経っていないが、その三分すら落ち着かない。
大急ぎで曲がり角まで引き返し
「…………オーリィード!?」
誰も座ってないタルの上を見て、血の気が引いた。
青い空に赤が混じり、朱金に輝いたかと思えば紫へ、紫から濃紺へ、濃紺から黒へと忙しなく色を変えて、瞬く間に夜が来る。
マッケンティア后が町を訪れる時間帯や周期に規則性は見られないらしいが、護身の為か、それとも店が閉まった町には用事が無いからか、基本的に夜は出歩かないと聞いていた。
この時間に待ち構えていても、マッケンティア后に見つけてもらえる可能性は低い。
今日のところは接触を諦め、表通りを往く人達の視線を集めるようにわざとらしく大きな靴音を鳴らしながら、町の警邏隊や不穏な空気を纏う人間達に絡まれにくい物陰を探して薄暗い路地裏へと滑り込む。
平穏な日常を謳歌できている人間は奇異なものに対して良くも悪くも敏感だから、不自然な行動を執る人間が現れればすぐにでも目撃情報が周辺一帯に伝播する筈。
駅馬車を使ってウィルマリアに降り立った訳ありげな男女二人組が、宿も取らずにそのまま路地裏へ消えた……そんな噂が町中に流れてくれたなら、少なくとも町民の関心はある程度路地裏に注がれる。
町民の意識が路地裏に向けられていると感じ取れば、その影に潜む人間達は警邏隊を警戒して派手な動きを避けたがる。
そうやって周辺に潜む彼らの犯罪行為を抑制してくれれば結果的にオーリィードの身も安全だし、うまくいけば、広められた噂がマッケンティア后を私達の元に導いてくれるかも知れない。
私の背中を見つめていた複数の怪訝な目線に様々な効果を期待しつつ、飲食店と思しき建物の裏口が見える曲がり角で三つ並べて立て置きされていたタルの上にオーリィードを座らせる。
壁沿いのタルを正面に、左右と左手側前方の三方向へ伸びている細い道。
多くの窓が灯りを溢しているここなら、何かあっても大声を出せば飲食店内に居る方々や周辺の住民に気付いてもらえるし、万が一挟み撃ちにされても逃げられる。大通りともそんなに離れてはいないから、良からぬ考えを巡らせる人間は特に近付きにくいだろう。
好条件な場所を早々と見つけられた幸運に安堵の息を吐き、オーリィードの左隣に座って彼女の肩を引き寄せ、私の膝の上に頭をそっと乗せる。
「馬車に長時間揺られていたせいで疲れたでしょう? 寝心地は良くないと思いますが、できれば今夜はちゃんと眠ってくださいね。……数分でも構いませんから……」
無駄だと分かってはいるけれど、黄金色の髪をやんわりとゆっくり撫でて彼女の眠気を誘う。
この三日間、オーリィードは一睡もしていない。
一睡もしていないばかりか、摂取や排泄も全くしていない。
ウィルマリアに着くまでの休憩用としてヘンリー卿が手配してくれていた宿でも、ベッドの上でペンダントを抱えて横たわったまま、新たな一日の始まりを告げる朝陽を浴びても、目蓋さえ微動だにしていなかった。
初めの内は喪ってしまうのではないかと焦り、恐怖心に駆られて無理矢理スープや水を飲ませようと手を尽くしていたが、喉を通ったと安心した次の瞬間に全部吐き出してしまう為、余計な体力を使わせて一層弱らせるくらいならと、今は無理な摂取を避けている。
ただ、睡眠や排泄は他人がどうこうできる問題ではない。
通常なら食事や入浴などで生存欲を満たすか、身体を極限まで疲れさせて眠気を誘えば済む話だけれど、こんな状態で体力や気力を削っても、削った分だけ消えていく一方だ。極度の疲労なんかは死に直結してしまう。薬物や暴力を用いての昏睡や気絶などは論外だし、兄上の言葉でさえ、今の彼女には届くかどうか怪しい。
とどのつまり、私が何をしてもしなくても変わらない。
話さず、動かず、意思の一欠片も垣間見えず。
まるで呼吸する人形みたいだと、同じ事を何度も考えては自嘲した。
解っていた事じゃないか、と。
『ガーネット=フリージア』はフィオルシーニ皇帝の指示で遣わされた、ダンデリオン陛下に仕える使者。
その立ち位置は、フリューゲルヘイゲン王国からフィオルシーニ皇帝への忠心を示す役割を果たすと同時に、問題発生時にはフリューゲルヘイゲンが全責任を負うべしと、暗に切り捨てを宣告されているようなもの。
ガーネットがどこかでたった一つ失敗しただけで、フリューゲルヘイゲン王国とフィオルシーニ皇国の縁が切られてしまう。
ガーネットに求められていたのは、絶対の中立性と公平性。
だからこそ、サーラ王女は絶対に『真実』の一部しか知らない。
『真実』の一部しか知らないサーラ王女が、それでもオーリィードと一緒に行きたいと言えるほど強くいられるとは、どうしても思えなかった。
自分を利用する為にオーリィードが傷付けられていた……自分が遠ざけるより他にオーリィードを護る方法が無いのだと思い知ったら、私もきっと、サーラ王女と同じ選択をしていただろうから。
オーリィードを大切に想っているからこそ、サーラ王女は一緒に来ない。
けれど、オーリィードにとって、サーラ王女は生きる理由だった。
サーラ王女と一緒に、サーラ王女と同じ時間を生きていく。
それがオーリィードの願いで、望みで、オーリィードの全てだった。
どんな目に遭っても、どんな苦しみを背負っても、サーラ王女さえ一緒に居てくれれば、それで良かった。
そこまで愛していた相手に突き放されて、平然としていられる筈がない。
たとえ、まず間違いなくそうなるだろうと事前に聴かされ、覚悟を決めて相対しても、離れていく愛しさに傷付かない訳がない。
ヘンリー卿に話を聴いた時点で、解っていた。
サーラ王女に会えば、私が知っているオーリィードは居なくなる。
レジスタンス潰滅後から一緒に過ごしたあのオーリィードは、もうどこにも居ない。
解っているのに、閉じた目蓋の裏に浮かぶ表情はどれもオーリィードの物だ。
怒って怯えてうつむいて。
泣いて叫んで睨み付けて。
迷惑そうに意地を張って。
嬉しそうに、笑っていた。
私が知っている、私を救ってくれたオーリィード。
押し広げた視界のどこを探しても、彼女は居ない。
もう、居ない。
「……あっ、すみません、オーリィード」
頬を伝い落ちた涙の雫が、パタッと音を立ててオーリィードの髪に触れ、飛び散ってしまった。
慌てて私の服の袖で髪を拭い、首を振って涙を払う。
「マッケンティア后に会うまでは気を抜く余裕など無いというのに……」
情けない自分を叱る意味で両頬をパチパチと叩き、オーリィードの肩を起こしてタルを下りた。
念の為に辺りを注意深く見渡し、建物の外の無人を確認。オーリィードの背中を壁に預け、膝に乗せたせいで少し乱れた髪を手櫛で整える。
「お店の方に水を頂いてきます。すぐに戻りますから、ちょっとだけ待っていてくださいね」
もう一度周辺の気配を探り、オーリィードを残して素早く移動。
やはり飲食店だった建物の正面入口で店員の男性に声を掛け、ヘンリー卿から預かっていた路銀を使って、タライ一杯分の水を頂く。
店の隅を借りて顔を洗い、借りたタオルでしっかり拭き取ってから店員にお礼を言って、すぐに店を出る。
体感では三分も経っていないが、その三分すら落ち着かない。
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