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結
第二十七話 微睡み
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真っ赤な陽光に包まれた郊外。
でこぼこな道の上をゆっくり走る馬車の中、レクセルの右肩に寄り掛かったオーリィードが、無防備な寝顔を曝して微かな寝息を立てていた。
二人の前に座っているマッケンティアが、微笑ましい光景にやんわりと目を細める。
「珍しいわね、オーリィードが私の前で眠るなんて」
「ずっと孤児院に籠っていましたから。王城までの長い道中で、精神的に疲れてしまったのでしょう」
安心し切った様子で目蓋を伏せている女性騎士の肩に腕を回して軽くさすり、レクセルも幸せそうに微笑んだ。
王都で子供達へのお土産を見繕った後、サージェルマン男爵を邸宅まで送り届けた三人は、その足で現在身を置いている孤児院へ向かっている。
建物や喧騒や人影が徐々に減っていく道程は、人間との摩擦で疲れ果てていた彼女にとって、心地好い微睡みを誘うものだったらしい。
王城内でリブロム達に見せた雰囲気とはまるで違い、眠っている彼女の横顔は、とてもあどけない。
「そうしていると、小さな子供と変わりなく見えるわ。拠り所を見つけたばかりの、小さな子供」
「実際その通りですよ。昔から、オーリィードには居場所が無かった。オーリィードを受け入れてくれる人は居ても、安らぎを与えてくれる場所だけはどこにも無かったんです。こうして誰かに身を預けることを知って、オーリィードはようやく子供になれた。拒絶するしかできなかった彼女が、ようやく子供になれたんです」
「レクセルは、子供になったオーリィードが可愛くて仕方ないのね」
「はい」
蕩けた笑みでマッケンティアに頷き、オーリィードの頭頂部に口付けを落とすレクセル。
ガラス窓から射し込む陽光に照らされている二人の姿は、ビシッとした印象の黒い騎士服の効果もあってか、絵画のように美しく、ある種の神聖さすら感じさせる。
「私も、貴方達をとても可愛く思っているわ。リブロムも、レクセルも、オーリィードも。みんな、とても可愛い子供達」
「私自身は、子供と言われると、ちょっと気恥ずかしかったりするんですけどね。こんな図体ですし」
「ふふ……そうね。オーリィードは子供で良くても、貴方は大人でありたいわよね。オーリィードの為にも」
「はい」
力強く肯定を返すレクセルに頷き。
ふと、口元を手で押さえながら「いけない。私ったら、大切な事を伝え忘れてしまったわ」と呟いた。
「大切な事ですか?」
「ええ」
何の話だろうと首を傾げるレクセルの隣、これだけの話し声の中でもまだ目覚める気配が無いオーリィードを見て、マッケンティアの眉尻が下がる。
「貴方とオーリィードの、正式な婚約についてよ」
「……ああ、その件ですか」
「オーリィードの実母であられるロゼリーヌ王太后陛下には、ひとまず二人の意向だけでも伝えておかなければと思っていたのだけど。リブロムと会えたことが嬉しくて、つい忘れてしまっていたわ」
「問題ありませんよ。まだ婚約を申し込む前段階ですし、初対面で気軽に申し入れて良い話でもないのですから。後日改めて、こちらから公式な書簡を送らせていただきましょう」
「ごめんなさいね。貴方としては、一日でも早くまとめておきたいでしょうに」
「…………私もオーリィードも、焦るつもりはありません。立場上、通常よりも複雑な手続きになることは承知していますし……彼女の生い立ちを考えれば、すんなり通る話でもないですから。全部、覚悟の上です」
オーリィードの頭部、丁寧な編み込み部分の少し上を撫でて、レクセルは目蓋を半分伏せた。
銀色の睫毛に当たる眩しい陽光が、青い目に翳りを生む。
「あちらの方々を困惑させてしまうだろうことだけは、少々心苦しく思いますが……申し入れた時点で引き返せなくなるのです。ゆっくり構えますよ、私達は」
「そう? 貴方達がそれで構わないと言うのなら良いのだけれど。とりあえず、孤児院に戻ったらオーリィードも交えて話し合いましょうか。子供達にも、お土産を渡さなくてはね」
「……はい」
あの子達は喜んでくれるかしらと、心なしか楽しげに微笑むマッケンティアを見つめ直し、レクセルも静かな表情で微笑んだ。
オーリィードはまだ眠っている。
時々聴こえてくる小さな小さな寝言らしき声から察するに、夢を見ているのかも知れない。
サーラ王妃と決別したあの日から深い眠りを忘れてしまっていた彼女にしては珍しい、夢……過去の記憶を。
刺々しさを感じさせない寝顔を覗き見て、レクセルは安堵と共に心から祈った。
どうか、彼女の夢が優しいものでありますように。
穏やかで温かく、幸せな夢に包まれていますように。
せめて夢の中では、心から笑えていますように……。
と。
石でも踏んでしまったのか、車体がいきなり大きく揺れ、三人の身体が軽く弾んだ。
オーリィードの喉から洩れる「んぅ……?」という可愛らしい響き。
だが、目を覚ますほどではなかったらしく、再び規則正しい呼吸音が聴こえてきた。
ホッと息を吐き、細い肩を抱き寄せて、優しくさする。
「今は眠っていてください、オーリィード。辿り着くまでには、もう少し……時間が掛かりますから」
寄り添う鳥のようなレクセルとオーリィード。
二人の姿を温かな目で見守るマッケンティア。
三人を乗せた黒塗りの馬車は、紫色に変わりつつある空の下、孤児院が建つ丘を見上げる広大な草原の端に差し掛かろうとしていた。
でこぼこな道の上をゆっくり走る馬車の中、レクセルの右肩に寄り掛かったオーリィードが、無防備な寝顔を曝して微かな寝息を立てていた。
二人の前に座っているマッケンティアが、微笑ましい光景にやんわりと目を細める。
「珍しいわね、オーリィードが私の前で眠るなんて」
「ずっと孤児院に籠っていましたから。王城までの長い道中で、精神的に疲れてしまったのでしょう」
安心し切った様子で目蓋を伏せている女性騎士の肩に腕を回して軽くさすり、レクセルも幸せそうに微笑んだ。
王都で子供達へのお土産を見繕った後、サージェルマン男爵を邸宅まで送り届けた三人は、その足で現在身を置いている孤児院へ向かっている。
建物や喧騒や人影が徐々に減っていく道程は、人間との摩擦で疲れ果てていた彼女にとって、心地好い微睡みを誘うものだったらしい。
王城内でリブロム達に見せた雰囲気とはまるで違い、眠っている彼女の横顔は、とてもあどけない。
「そうしていると、小さな子供と変わりなく見えるわ。拠り所を見つけたばかりの、小さな子供」
「実際その通りですよ。昔から、オーリィードには居場所が無かった。オーリィードを受け入れてくれる人は居ても、安らぎを与えてくれる場所だけはどこにも無かったんです。こうして誰かに身を預けることを知って、オーリィードはようやく子供になれた。拒絶するしかできなかった彼女が、ようやく子供になれたんです」
「レクセルは、子供になったオーリィードが可愛くて仕方ないのね」
「はい」
蕩けた笑みでマッケンティアに頷き、オーリィードの頭頂部に口付けを落とすレクセル。
ガラス窓から射し込む陽光に照らされている二人の姿は、ビシッとした印象の黒い騎士服の効果もあってか、絵画のように美しく、ある種の神聖さすら感じさせる。
「私も、貴方達をとても可愛く思っているわ。リブロムも、レクセルも、オーリィードも。みんな、とても可愛い子供達」
「私自身は、子供と言われると、ちょっと気恥ずかしかったりするんですけどね。こんな図体ですし」
「ふふ……そうね。オーリィードは子供で良くても、貴方は大人でありたいわよね。オーリィードの為にも」
「はい」
力強く肯定を返すレクセルに頷き。
ふと、口元を手で押さえながら「いけない。私ったら、大切な事を伝え忘れてしまったわ」と呟いた。
「大切な事ですか?」
「ええ」
何の話だろうと首を傾げるレクセルの隣、これだけの話し声の中でもまだ目覚める気配が無いオーリィードを見て、マッケンティアの眉尻が下がる。
「貴方とオーリィードの、正式な婚約についてよ」
「……ああ、その件ですか」
「オーリィードの実母であられるロゼリーヌ王太后陛下には、ひとまず二人の意向だけでも伝えておかなければと思っていたのだけど。リブロムと会えたことが嬉しくて、つい忘れてしまっていたわ」
「問題ありませんよ。まだ婚約を申し込む前段階ですし、初対面で気軽に申し入れて良い話でもないのですから。後日改めて、こちらから公式な書簡を送らせていただきましょう」
「ごめんなさいね。貴方としては、一日でも早くまとめておきたいでしょうに」
「…………私もオーリィードも、焦るつもりはありません。立場上、通常よりも複雑な手続きになることは承知していますし……彼女の生い立ちを考えれば、すんなり通る話でもないですから。全部、覚悟の上です」
オーリィードの頭部、丁寧な編み込み部分の少し上を撫でて、レクセルは目蓋を半分伏せた。
銀色の睫毛に当たる眩しい陽光が、青い目に翳りを生む。
「あちらの方々を困惑させてしまうだろうことだけは、少々心苦しく思いますが……申し入れた時点で引き返せなくなるのです。ゆっくり構えますよ、私達は」
「そう? 貴方達がそれで構わないと言うのなら良いのだけれど。とりあえず、孤児院に戻ったらオーリィードも交えて話し合いましょうか。子供達にも、お土産を渡さなくてはね」
「……はい」
あの子達は喜んでくれるかしらと、心なしか楽しげに微笑むマッケンティアを見つめ直し、レクセルも静かな表情で微笑んだ。
オーリィードはまだ眠っている。
時々聴こえてくる小さな小さな寝言らしき声から察するに、夢を見ているのかも知れない。
サーラ王妃と決別したあの日から深い眠りを忘れてしまっていた彼女にしては珍しい、夢……過去の記憶を。
刺々しさを感じさせない寝顔を覗き見て、レクセルは安堵と共に心から祈った。
どうか、彼女の夢が優しいものでありますように。
穏やかで温かく、幸せな夢に包まれていますように。
せめて夢の中では、心から笑えていますように……。
と。
石でも踏んでしまったのか、車体がいきなり大きく揺れ、三人の身体が軽く弾んだ。
オーリィードの喉から洩れる「んぅ……?」という可愛らしい響き。
だが、目を覚ますほどではなかったらしく、再び規則正しい呼吸音が聴こえてきた。
ホッと息を吐き、細い肩を抱き寄せて、優しくさする。
「今は眠っていてください、オーリィード。辿り着くまでには、もう少し……時間が掛かりますから」
寄り添う鳥のようなレクセルとオーリィード。
二人の姿を温かな目で見守るマッケンティア。
三人を乗せた黒塗りの馬車は、紫色に変わりつつある空の下、孤児院が建つ丘を見上げる広大な草原の端に差し掛かろうとしていた。
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