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結
第二十六話 聖と悪と無の再会
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サージェルマン男爵の手紙を受け取ってから、約半月後。
ロゼリーヌ王太后のお茶会はリブロムの同席を条件に、王城の片隅でひっそりと開かれた。
通常、王妃や王太后が主催する茶会に招かれるという事は、招待客にとって大変な名誉だ。
噂好きな貴族達も、茶会の情報を少しでも耳に入れようものなら大喜びで招待客周辺の個人情報を騒ぎ立てたりするのだが、今回に限りそれは禁忌の領域であるとされ、サージェルマン男爵本人を含めた貴族全員が口を固く閉じている。
サージェルマン男爵はロゼリーヌに口止めされたからでもあるが、そうでなくても、シュバイツァーの名前に連なる人間と迂闊に接触してしまった場合、己の家門にどんな災いが降り注ぐか分からないからだ。
ロゼリーヌに始まりサーラとオーリィード、果てはシウラにまで伸びた王達の手は、ウェラントの貴族達を戦々恐々とさせていた。
その恐怖心も、オーリィードがゼルエスに拘束された時点から少しずつ薄れてきてはいるが……油断禁物とばかりに挙って避ける辺り、ウェラントにはまだマシな判断力が残っていると言えた。
色とりどりの花が咲き乱れる見事な庭園。
その中央で心地好い音と輝きを放つ噴水。
爽やかな風と香りが吹き抜ける東屋に茶器やお菓子などを用意し、リブロムがあらかじめ意識操作を施しておいたメイドに客人達を案内させる。
到着後は、まず主催者のロゼリーヌが招待客のサージェルマン男爵と挨拶を交わし、次にリブロムとサージェルマン男爵、サージェルマン男爵の紹介を受けたマッケンティアがロゼリーヌに挨拶を告げ、マッケンティアがリブロムと言葉を交わした。
「こんにちは、リブロム陛下。とても大きくなられましたね」
「……お久しぶりです、母上」
十年以上ぶりに再会した親子の最初の会話は、たったそれだけで終わった。
茶会の招待客は、あくまでサージェルマン男爵だ。サージェルマン男爵に紹介される形になっていたマッケンティアには、あまり発言させないように意識して話を運ぶ。
積極的な会話を好まないサージェルマン男爵は、時々言葉に詰まりながらもロゼリーヌやリブロムに興味深いと頷かせる見識を披露し、それなりに場を盛り上げてくれた。
くすんだ麦色の金髪。室内に籠もる時間が長いせいか、青白くほっそりした頬。薄い桃色の目は、ほぼ毎日薄暗い室内で本を読んでいるからか、若干吊り上がり気味。ロゼリーヌと同じ四十代の男性にしては、少々頼りない印象を受ける。
しかし、彼が連れて来た女性には決して気を抜けない。
黒髪にサファイアの目、白い肌に蠱惑的な赤い唇、サージェルマン男爵が纏う柔らかい緑色の服装に合わせた白い帽子と淡い緑色のティードレスで着飾っている彼女は、黙って微笑んでいるだけでもロゼリーヌ達の目を惹いていた。
いつ、どんな影響が及んでくるかと、心の内で警戒し続けるリブロム。
ところが。
「王太后陛下、そろそろお時間です」
意識を操作されているメイドが、予定通りの時刻に茶会の終わりを告げた。
マッケンティアとの再会では、驚くほど何も起こらなかった。
意図的に話を振らなかったことにも気付いていた筈なのに、不満げな表情一つ見せない。
これではまるで、ただ会いに来ただけではないか。
リブロムとロゼリーヌは視線で互いに合図を送り、マッケンティアが何の為にリブロムとの接触を試みたのか、探りを入れてみた。
すると。
「十年以上行方知れずだった実の子供が見つかったのです。会いたいと願ってはいけませんか?」
それだけだった。
他に目的らしい目的は無く、会いたかったから会いに来ただけ。
会ったからといって何かを要求する訳でも、ベルゼーラの前国王の死や、ウェラントを侵略した件について言及する訳でもない。
裏も表も無く、本当にただ子供の姿を見て満足していただけの母親。
リブロムもロゼリーヌも、唖然とするしかなかった。
「ではそろそろ、おいとまさせていただきます。楽しい時間をありがとうございました」
「え、ええ」
一同は東屋を離れ、城壁の外へと移動する為の馬車乗り場まで歩いて移動した。
監視の意味もあっての同行だったが、道中のマッケンティアにも不審な動きは見当たらず、警戒していた自分達は何だったのかと思いかけた……
その時だ。
サージェルマン男爵とマッケンティアが乗って来た黒塗りの馬車の中で二人の戻りを待っていたらしき人影が二つ、扉を開いて降りてきた。
一人は女性。
右胸辺りを飾る銀色の飾緒といくつかの徽章を付けた黒いコートタイプの騎士服に、黒いグローブと黒い革のロングブーツ、内側を赤で彩る黒いマントを着用し、オールバックにした黄金色の髪を後頭部で丁寧に編み込み、キリッとした目元と血色が良い頬と唇に薄い化粧を乗せている。
もう一人は男性。
装飾品の数はこちらのほうが多いが、女性と大体同じような服装で、銀色の少しだけ長い髪を左肩で一つに括っていた。
二人は開いた馬車の扉の前に並び立ち、サージェルマン男爵とマッケンティアに恭しく礼を執る。
一瞬、分からなかった。
分かる筈がなかった。
何故なら、リブロムの記憶に居る彼女は、ここまで成熟した女性の色香を持っていない。
美しいと形容するより可憐と言ったほうが適切で、人の目を惹く容姿には違いなかったが、こんな、男を惑わせる類いの魅力とは別の純粋さがあって。
けれどその妖艶さは、リブロムの後ろに立つ漆黒のドレスを着ている絶世の美女と同じ。
同じ、だった。
「…………レクセル…………オーリィード…………?」
「……ああ、リブロム陛下も会うのは久しぶりなのね。そうですよ。彼は貴方の異母弟レクセル。彼女は貴方の同僚だったオーリィード。二人とは縁があって、今は私の護衛をお願いしているの」
「護衛……?」
「はい、ロゼリーヌ王太后陛下。大体二ヶ月前でしょうか。下町で無気力なオーリィードを抱えていたレクセルを見つけて……以来、私と一緒に孤児院でお世話になっていたのです。何か役に立てないかと言うので、それならばと、私の護衛騎士になってもらいました」
「バカな!!」
思わず荒げたリブロムの声に、一同の視線が集中する。
「どうしたのです? リブロム陛下」
「母上の護衛騎士とはつまり、ベルゼーラ王国の騎士! レクセルはともかく、オーリィードがベルゼーラの騎士になどなる訳が……っ」
「早く行きましょう、マッケンティア様。日が高い内に移動しませんと、夜までに帰り着けなくなります」
リブロムの言葉に、オーリィードが声を重ねた。
マッケンティアを肯定し、リブロムを視界から外し。
リブロムなど知らないと言いたげに、マッケンティアへ歩み寄ってその手を取った。
「!! 待っ」
「触らないでください」
オーリィードに伸ばしたリブロムの腕が、ぱんっと音を立てて払い除けられる。
驚き戸惑うリブロムを見据えるすみれ色の目には、わずかな感情も温度も無い。
ただ冷たく。
ただ淡々と。
新月の夜を思わせる冥闇な眼差しで、リブロムの存在を撥ね付けた。
「自分はマッケンティア王太后陛下の専属護衛騎士。いかに国王陛下と言えど、王太后陛下の許しも無く我が身に触れる無礼は、どうかお控え願いたい」
「オー……リィード……」
「……我が名、我が身、我が剣は、ベルゼーラ王国のマッケンティア王太后陛下にのみ捧げし誓約の証。過去を知る仲であろうと、今後は気安く呼ばれませんように」
「「!!」」
明確な拒絶。
その上、サーラを唯一の主人と掲げていた彼女が。
何年経とうが、どんな目に遭おうが、変わらずにずっとサーラだけを真の主人と称え、想い慕っていた彼女が。
そんなサーラへの忠義をも、否定した。
オーリィードをオーリィード足らしめていた総てを、根底から全否定した。
信じられないオーリィードの変貌に、リブロムも、ロゼリーヌでさえも、目を見開いて硬直する。
「そうね。行きましょう、オーリィード。せっかくですもの、王都で子供達へのお土産を見ておきたいわ」
「はい、マッケンティア様」
空気ごと凍りついたウェラント王家の二人に背を向け、マッケンティアとサージェルマン男爵を馬車の中へ導く漆黒の女性騎士。
身を翻した拍子に、彼女の耳たぶを飾る真っ赤な宝石のピアスがキラリと光った。
ベルゼーラ王家の人間が本当に信頼できると判断した、たった一人の騎士にのみ授けられる、国宝にも等しい価値を持つ御印。
オーリィードからの、終生の誓約を受け入れた、証。
「……サーラは……サーラはどうすれば良い……!?」
サージェルマン男爵の着席を待って自身も乗り込もうとするオーリィードに、リブロムはなおも声を掛けた。
すがるように、叫んだ。
「サーラは、お前がこれ以上苦しまないでくれと願って、その為にっ……!」
けれど。
「お好きにどうぞ」
「……!?」
「自分を手放したのはサーラ王妃陛下です。今後をどうされるかは、両陛下が御自身の意思でお決めになること。自分には一切関係ございません。御自由になさればよろしいかと」
肩越しの視線だけを残し、オーリィードは今度こそ、前を向いたまま振り返らない。
マッケンティアを護衛しながら、マッケンティアと共に、かつて住んでいた後宮を、王城を、サーラと過ごした思い出を、アーシュマーとの日々を捨てて、ウェラントを出て行く。
振り返りもせず、ためらいも見せずに。
過去を、ウェラントを、捨てて行く。
「……オーリィード!!」
堪らず駆け出したリブロムの視界を遮り、右腕を伸ばしたレクセルが、オーリィード達を護るように立ち塞がった。
「どけ! 頼むから退いてくれ、レクセル! 俺は……オーリィードを殺したくないっ……!」
「……『ああ……そうか……。そうだったのか』」
「!?」
ずっと無言と無表情を保っていたレクセルが、重苦しい息を吐きながら、唇を開いた。
「『ならば……後の事は総て、お前達に……託す』」
リブロムとよく似た青い色の目に、怪訝な顔の男女が映る。
「『どうかウェラントに……バスティーツ大陸に、誇りを……』」
青い目に映る青い目が、徐々に大きくなっていく。
「『あれと、娘と……』」
青い目に映る漆黒のドレス姿をした女性が、自身の口元を手で覆う。
「『 黄色の花に、自由を 』」
愕然と立ち尽くす二人を前に、レクセルは少しも表情を崩さず、深く息を吸って、吐いた。
「……貴方達に頼まれるまでもない。オーリィードは私が護ります。彼女は私の花ですから」
ベルゼーラ式の礼を執り、レクセルもまた馬車へ乗り込み、マッケンティアと共に去った。
リブロムとの対立を暗に示し、オーリィードを連れて、王城から去ってしまった。
「何故だ」
暗い表情でうつむいているロゼリーヌを背に、リブロムは青い空を見上げて茫然と呟く。
「どうして……、こう、なるんだ……っ」
奪って行く。
失っていく。
大切にしたかった思いも、護りたかった想いも。
心を削り、言葉通り命を懸けていた願いでさえ。
全部、全部が、すり抜けていく。
「どうして応えてくれなかったんだ、フリューゲルヘイゲン……!」
たった一国。
たった一人が決断してくれていれば、違う未来もあった筈なのに。
「何故なんだ! ダンデリオン=シュバイツェル――――ッ!」
何もかもが、すれ違っていく。
ロゼリーヌ王太后のお茶会はリブロムの同席を条件に、王城の片隅でひっそりと開かれた。
通常、王妃や王太后が主催する茶会に招かれるという事は、招待客にとって大変な名誉だ。
噂好きな貴族達も、茶会の情報を少しでも耳に入れようものなら大喜びで招待客周辺の個人情報を騒ぎ立てたりするのだが、今回に限りそれは禁忌の領域であるとされ、サージェルマン男爵本人を含めた貴族全員が口を固く閉じている。
サージェルマン男爵はロゼリーヌに口止めされたからでもあるが、そうでなくても、シュバイツァーの名前に連なる人間と迂闊に接触してしまった場合、己の家門にどんな災いが降り注ぐか分からないからだ。
ロゼリーヌに始まりサーラとオーリィード、果てはシウラにまで伸びた王達の手は、ウェラントの貴族達を戦々恐々とさせていた。
その恐怖心も、オーリィードがゼルエスに拘束された時点から少しずつ薄れてきてはいるが……油断禁物とばかりに挙って避ける辺り、ウェラントにはまだマシな判断力が残っていると言えた。
色とりどりの花が咲き乱れる見事な庭園。
その中央で心地好い音と輝きを放つ噴水。
爽やかな風と香りが吹き抜ける東屋に茶器やお菓子などを用意し、リブロムがあらかじめ意識操作を施しておいたメイドに客人達を案内させる。
到着後は、まず主催者のロゼリーヌが招待客のサージェルマン男爵と挨拶を交わし、次にリブロムとサージェルマン男爵、サージェルマン男爵の紹介を受けたマッケンティアがロゼリーヌに挨拶を告げ、マッケンティアがリブロムと言葉を交わした。
「こんにちは、リブロム陛下。とても大きくなられましたね」
「……お久しぶりです、母上」
十年以上ぶりに再会した親子の最初の会話は、たったそれだけで終わった。
茶会の招待客は、あくまでサージェルマン男爵だ。サージェルマン男爵に紹介される形になっていたマッケンティアには、あまり発言させないように意識して話を運ぶ。
積極的な会話を好まないサージェルマン男爵は、時々言葉に詰まりながらもロゼリーヌやリブロムに興味深いと頷かせる見識を披露し、それなりに場を盛り上げてくれた。
くすんだ麦色の金髪。室内に籠もる時間が長いせいか、青白くほっそりした頬。薄い桃色の目は、ほぼ毎日薄暗い室内で本を読んでいるからか、若干吊り上がり気味。ロゼリーヌと同じ四十代の男性にしては、少々頼りない印象を受ける。
しかし、彼が連れて来た女性には決して気を抜けない。
黒髪にサファイアの目、白い肌に蠱惑的な赤い唇、サージェルマン男爵が纏う柔らかい緑色の服装に合わせた白い帽子と淡い緑色のティードレスで着飾っている彼女は、黙って微笑んでいるだけでもロゼリーヌ達の目を惹いていた。
いつ、どんな影響が及んでくるかと、心の内で警戒し続けるリブロム。
ところが。
「王太后陛下、そろそろお時間です」
意識を操作されているメイドが、予定通りの時刻に茶会の終わりを告げた。
マッケンティアとの再会では、驚くほど何も起こらなかった。
意図的に話を振らなかったことにも気付いていた筈なのに、不満げな表情一つ見せない。
これではまるで、ただ会いに来ただけではないか。
リブロムとロゼリーヌは視線で互いに合図を送り、マッケンティアが何の為にリブロムとの接触を試みたのか、探りを入れてみた。
すると。
「十年以上行方知れずだった実の子供が見つかったのです。会いたいと願ってはいけませんか?」
それだけだった。
他に目的らしい目的は無く、会いたかったから会いに来ただけ。
会ったからといって何かを要求する訳でも、ベルゼーラの前国王の死や、ウェラントを侵略した件について言及する訳でもない。
裏も表も無く、本当にただ子供の姿を見て満足していただけの母親。
リブロムもロゼリーヌも、唖然とするしかなかった。
「ではそろそろ、おいとまさせていただきます。楽しい時間をありがとうございました」
「え、ええ」
一同は東屋を離れ、城壁の外へと移動する為の馬車乗り場まで歩いて移動した。
監視の意味もあっての同行だったが、道中のマッケンティアにも不審な動きは見当たらず、警戒していた自分達は何だったのかと思いかけた……
その時だ。
サージェルマン男爵とマッケンティアが乗って来た黒塗りの馬車の中で二人の戻りを待っていたらしき人影が二つ、扉を開いて降りてきた。
一人は女性。
右胸辺りを飾る銀色の飾緒といくつかの徽章を付けた黒いコートタイプの騎士服に、黒いグローブと黒い革のロングブーツ、内側を赤で彩る黒いマントを着用し、オールバックにした黄金色の髪を後頭部で丁寧に編み込み、キリッとした目元と血色が良い頬と唇に薄い化粧を乗せている。
もう一人は男性。
装飾品の数はこちらのほうが多いが、女性と大体同じような服装で、銀色の少しだけ長い髪を左肩で一つに括っていた。
二人は開いた馬車の扉の前に並び立ち、サージェルマン男爵とマッケンティアに恭しく礼を執る。
一瞬、分からなかった。
分かる筈がなかった。
何故なら、リブロムの記憶に居る彼女は、ここまで成熟した女性の色香を持っていない。
美しいと形容するより可憐と言ったほうが適切で、人の目を惹く容姿には違いなかったが、こんな、男を惑わせる類いの魅力とは別の純粋さがあって。
けれどその妖艶さは、リブロムの後ろに立つ漆黒のドレスを着ている絶世の美女と同じ。
同じ、だった。
「…………レクセル…………オーリィード…………?」
「……ああ、リブロム陛下も会うのは久しぶりなのね。そうですよ。彼は貴方の異母弟レクセル。彼女は貴方の同僚だったオーリィード。二人とは縁があって、今は私の護衛をお願いしているの」
「護衛……?」
「はい、ロゼリーヌ王太后陛下。大体二ヶ月前でしょうか。下町で無気力なオーリィードを抱えていたレクセルを見つけて……以来、私と一緒に孤児院でお世話になっていたのです。何か役に立てないかと言うので、それならばと、私の護衛騎士になってもらいました」
「バカな!!」
思わず荒げたリブロムの声に、一同の視線が集中する。
「どうしたのです? リブロム陛下」
「母上の護衛騎士とはつまり、ベルゼーラ王国の騎士! レクセルはともかく、オーリィードがベルゼーラの騎士になどなる訳が……っ」
「早く行きましょう、マッケンティア様。日が高い内に移動しませんと、夜までに帰り着けなくなります」
リブロムの言葉に、オーリィードが声を重ねた。
マッケンティアを肯定し、リブロムを視界から外し。
リブロムなど知らないと言いたげに、マッケンティアへ歩み寄ってその手を取った。
「!! 待っ」
「触らないでください」
オーリィードに伸ばしたリブロムの腕が、ぱんっと音を立てて払い除けられる。
驚き戸惑うリブロムを見据えるすみれ色の目には、わずかな感情も温度も無い。
ただ冷たく。
ただ淡々と。
新月の夜を思わせる冥闇な眼差しで、リブロムの存在を撥ね付けた。
「自分はマッケンティア王太后陛下の専属護衛騎士。いかに国王陛下と言えど、王太后陛下の許しも無く我が身に触れる無礼は、どうかお控え願いたい」
「オー……リィード……」
「……我が名、我が身、我が剣は、ベルゼーラ王国のマッケンティア王太后陛下にのみ捧げし誓約の証。過去を知る仲であろうと、今後は気安く呼ばれませんように」
「「!!」」
明確な拒絶。
その上、サーラを唯一の主人と掲げていた彼女が。
何年経とうが、どんな目に遭おうが、変わらずにずっとサーラだけを真の主人と称え、想い慕っていた彼女が。
そんなサーラへの忠義をも、否定した。
オーリィードをオーリィード足らしめていた総てを、根底から全否定した。
信じられないオーリィードの変貌に、リブロムも、ロゼリーヌでさえも、目を見開いて硬直する。
「そうね。行きましょう、オーリィード。せっかくですもの、王都で子供達へのお土産を見ておきたいわ」
「はい、マッケンティア様」
空気ごと凍りついたウェラント王家の二人に背を向け、マッケンティアとサージェルマン男爵を馬車の中へ導く漆黒の女性騎士。
身を翻した拍子に、彼女の耳たぶを飾る真っ赤な宝石のピアスがキラリと光った。
ベルゼーラ王家の人間が本当に信頼できると判断した、たった一人の騎士にのみ授けられる、国宝にも等しい価値を持つ御印。
オーリィードからの、終生の誓約を受け入れた、証。
「……サーラは……サーラはどうすれば良い……!?」
サージェルマン男爵の着席を待って自身も乗り込もうとするオーリィードに、リブロムはなおも声を掛けた。
すがるように、叫んだ。
「サーラは、お前がこれ以上苦しまないでくれと願って、その為にっ……!」
けれど。
「お好きにどうぞ」
「……!?」
「自分を手放したのはサーラ王妃陛下です。今後をどうされるかは、両陛下が御自身の意思でお決めになること。自分には一切関係ございません。御自由になさればよろしいかと」
肩越しの視線だけを残し、オーリィードは今度こそ、前を向いたまま振り返らない。
マッケンティアを護衛しながら、マッケンティアと共に、かつて住んでいた後宮を、王城を、サーラと過ごした思い出を、アーシュマーとの日々を捨てて、ウェラントを出て行く。
振り返りもせず、ためらいも見せずに。
過去を、ウェラントを、捨てて行く。
「……オーリィード!!」
堪らず駆け出したリブロムの視界を遮り、右腕を伸ばしたレクセルが、オーリィード達を護るように立ち塞がった。
「どけ! 頼むから退いてくれ、レクセル! 俺は……オーリィードを殺したくないっ……!」
「……『ああ……そうか……。そうだったのか』」
「!?」
ずっと無言と無表情を保っていたレクセルが、重苦しい息を吐きながら、唇を開いた。
「『ならば……後の事は総て、お前達に……託す』」
リブロムとよく似た青い色の目に、怪訝な顔の男女が映る。
「『どうかウェラントに……バスティーツ大陸に、誇りを……』」
青い目に映る青い目が、徐々に大きくなっていく。
「『あれと、娘と……』」
青い目に映る漆黒のドレス姿をした女性が、自身の口元を手で覆う。
「『 黄色の花に、自由を 』」
愕然と立ち尽くす二人を前に、レクセルは少しも表情を崩さず、深く息を吸って、吐いた。
「……貴方達に頼まれるまでもない。オーリィードは私が護ります。彼女は私の花ですから」
ベルゼーラ式の礼を執り、レクセルもまた馬車へ乗り込み、マッケンティアと共に去った。
リブロムとの対立を暗に示し、オーリィードを連れて、王城から去ってしまった。
「何故だ」
暗い表情でうつむいているロゼリーヌを背に、リブロムは青い空を見上げて茫然と呟く。
「どうして……、こう、なるんだ……っ」
奪って行く。
失っていく。
大切にしたかった思いも、護りたかった想いも。
心を削り、言葉通り命を懸けていた願いでさえ。
全部、全部が、すり抜けていく。
「どうして応えてくれなかったんだ、フリューゲルヘイゲン……!」
たった一国。
たった一人が決断してくれていれば、違う未来もあった筈なのに。
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