[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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第二十四話 優しさの定義Ⅱ

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 孤児院の夜はとても寒い。
 建物に使われている石壁自体がひんやりしている上、市場で安く手に入れた使い古しの絨毯や手作りのタペストリーでは凌げない隙間風が、絶えず忍び込んでくるからだ。見晴らしが良い丘にぽつんと一軒だけで建っている事も、気温が下がる夜に限っては災いと言えた。
 せめて建物の周囲に樹木を配置できれば防風林代わりになるのだろうが、いかんせん、この土地に適した樹木を用意する資金も、植樹や手入れの為に割ける人手や知識も無い。
 二階にある寝室の床で身を寄せ合う子供達に掛けるボロボロな毛布数枚と、責任者の男性が一日中着ている厚手ながらも穴だらけのコート、来客時にのみ開放する一階の客室で貴重な薪をくべて使う暖炉だけが、ほぼ唯一の防寒手段だった。
 しかし、ここ数ヶ月ほどはマーシィことマッケンティアの滞在に合わせて、薪も暖炉も毎日フル稼働。しかも、マッケンティアが使う薪は彼女自身が購入して持ち込んでいる。
 眠くなるまではと客室に快く招き入れられた住人達にとって、無償で暖を分け与えてくれるマーシィは聖母様そのものだ。出会って数日で心酔してしまうのも無理はなかった。

「そこでテーラは答えました。『私は、みんなで幸せになりたい。私だけじゃなくて、誰かだけでもなくて、みんなで一緒に、幸せになりたい。だから!』」
 揺れる灯りの、その手前。
 床にクッションを寄せ集めて作った空間で、子供達が一斉にゴクリと喉を鳴らした。
 真剣な眼差しが集まる先には、分厚い本を開いて座る美しい女性・マーシィ。
 半分伏せた目蓋、髪色と同じ黒い睫毛の隙間に覗く、サファイアの虹彩。白い肌に炎の赤が映り、艶めく赤い唇と共に壮絶な色気を醸し出している。
 だが、子供達が言葉も無くのめり込んでいるのは、老若男女問わず見惚れてしまうマーシィの外見ではなく、彼女が膝に乗せて読み進めている本の中身だ。
 マッケンティアの母国では『愛の答え』、とある国では『愛あればこそ』、別の国では『愛ゆえに命を歌う』、中央大陸の大半の国では『愛の導きで繋がる世界』、東大陸の大半の国では『愛さえあれば種族なんて!』、ウェラント王国では『愛がすべてを救う』などと、各地の文化や時流に合わせて翻訳・改題されてきたマッケンティアの処女作にして超・長編恋愛小説が、まさに今、子供達の目の前で、終結の時を迎えようとしていた。
 主人公テーラの最後の選択に期待を寄せる子供達。抑え切れない好奇心とトキメキが、客室の空気を隅々まで支配する。
 何気に部屋の片隅で立っている責任者の男性も、唇をキュッと引き結びつつ見守っている。

「『だから私は、貴方を受け入れます。破壊の神……アースよ』」
「「「「「えええええええ!!??」」」」」
 まさかの真実に、子供達が驚きの悲鳴を上げた。
 ついでに、責任者の男性も一緒になって悲鳴を上げていた。
「なんで!? アースって、テーラの双子のお兄さんだよね!? なんで!?」
「そんな、まさか……503巻目で初登場したアースが、1巻からずっと暗躍していた破壊の神だったなんて!!」
「うそだろ!? なんてステルスなハカイシンなんだ!」
 思い思いの感想を口走る読者達に微笑み、マーシィは続きを読み始める。
「『何故だ。お前は知っている筈だ。俺がこれまでしてきた事を。お前が、本当は何者なのかを』」
「え? まだ何かあるの?」
「テーラちゃんの正体?」
「『知っています。私と貴方に血の繋がりが無いことも。私が月の女神セレーネの分身であることも』」
「「「「「セレーネの分身んんん!?」」」」」
「『私の本名はアルテミス。破壊神を止める為に生まれた、貴方の対となる女神。幼い貴方に拉致され、何も知らないまま双子として育った偽りの妹』」
「「「「「双子ですらなかったああ!!」」」」」
 二転・三転する事実に、読者達の戸惑いは最高潮。
 驚きすぎて目の玉が飛び出しそうだ。
「『俺が、俺が憎くはないのか! お前を拉致し、偽りの兄妹として記憶を塗り替え、こうしてお前の大切な者達を傷付けてきた俺が!』」
「『赦しはしません。けれど、受け入れます』」
「『な、なんだと……』」
「『貴方の寂しさ、苦しみ、孤独、それ故に犯してしまった罪を、私は決して赦しません。けれど、私は貴方を受け入れます。666人もの敵と相対し、たった一人で戦ってきた貴方を。貴方の覚悟を。私は、受け入れます』」
 『666』人の敵。
 それは、この世界に存在しているとされる罪と欲求の総数であり、最終巻の数字でもある。
 破壊神を迎え入れるのに、これ以上はない相応しい時期と言えた。
「『行きましょう、アース。私と貴方が、みんなが、誰もが幸せになれる時代へ』そうしてテーラは、アースの手を取って微笑みました。アースもまた『お前は、俺と一緒に居てくれるのか。なら……俺の敵は665人だった』と言って、どこか嬉しそうに笑いました。そうしてテーラは破壊神を孤独から救い、世界も愛で救われたのです。おしまい」

 パタンと閉じた本。静まり返る室内。
 そして。
「……すっげえ……」
「うん……うん! すごいっ!」
「ひとりで665人と戦ってたアースもすごいけど、テーラちゃんがすごい! カッコいい!」
「なんという包容力……なんという寛容さ! これぞヒロインですね!」
「わたし、おっきくなったら、テーラちゃんみたいな女の子になりたい! テーラちゃんかわいい!」
 少しの静寂を挿んだ後、興奮度を増していく読者達。
「なれますよ」
 マーシィは持っていた本をナフィに渡し、お世辞にも綺麗とは言えない彼女の頭を撫でた。
「どこのどんな人でも、なりたいと思ったものになれます」
「ほんと!? わたし、テーラちゃんみたいになれる!?」
「なれますよ。簡単ではないかも知れませんが、諦めさえしなければ、人は何にでもなれます」
「わたし、なる! テーラちゃんになる!」
「ええ。ナフィがテーラと同じ気持ちを持ってくれたら、私も嬉しいわ。その本はナフィにあげる。文字を読めるようになったら、今度はナフィが誰かに読み聴かせてあげてね」
「え!? くれるの!? いいの!?」
「未来のテーラへ、ささやかな贈り物よ」
「ありがとう、マーシィさま!」
「どういたしまして」
 良いな、ずるいなの合唱を背後に、もらった本を抱えて嬉しそうに笑うナフィの前髪を除け、額に軽い口付けを贈るマーシィ。
 他の子供達にも同様に口付け、そろそろ夜も遅いから眠りなさいと、興奮冷めやらぬ子供達と責任者の男性を寝室へ送り出す。
 しばらくは二階からにぎやかな気配がしていたが、一時間と経たない内に物音が途切れた。


「……あの話を聴いて、どう思いましたか?」
 クッションに座り直したマッケンティアは、暖炉の中にある残り少ない薪を見つめながら、客室内の護衛に声を掛ける。
 光源から離れた位置で影に埋もれているその容姿は、振り返ったマッケンティアでもはっきりとは見えない。
「強いな、と思いました」
「強い?」
「アースは、自分という存在に気付いて欲しくて、665人もの敵と戦い続けました。自分自身を認めてくれる誰かを求めて、諦めることなく訴え続けていました。テーラも、同じ数だけ失って傷付いて涙を流していたのに、それでも、最後にはアースを受け入れました。どちらも、とても強いです。自分だったら諦めていたと思います。きっと、求める手や指先をたたみ、孤独の殻に閉じ籠って、誰かを受け入れる勇気も無く、一人きりで膝を抱えていました。だから、二人の強さが自分にはとても怖いです。自分は、二人のようには……なれませんから」
「そう」
 自嘲を含む微かな吐息に、マッケンティアはふわりと微笑んだ。
「それは、悪いこと?」
「え?」
「誰にだって、辛い事や苦しい事はあるわ。誰かに認めてもらいたい心も、一人きりで膝を抱えていたい気持ちも。それは、悪いこと?」
「……どう、なんでしょうか……」
「苦しくて辛くて悲しいなら、無理はしなくても良いの。逃げたって、手放したって良い。私はテーラを目指すナフィを応援するし、誰一人としてアースやテーラにはなれなくても、それはそれで良いと思うわ。だって、アースもテーラも、ナフィもみんなも、自分の心に従って選び、生きていく。それだけの話なのですから」
 柔らかな微笑みを照らす炎の中で、薪がパチンと爆ぜる。
 ゆらゆらと揺れる光と影は、どこまでも暖かく、どこまでも穏やかな空気を描いていた。

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