[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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第二十二話 一縷の望み

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「サーラ!」
「……陛下……。貴方は一度、行儀作法をきちんと学び直されたほうがよろしいかと」

 廊下側から足早に近付いてくる形だけの夫を睨み、サーラは呆れた様子でわざとらしく息を吐いた。
 サーラを王妃の寝室に閉じ込めて以降、リブロムは入室前に声を掛けるという当たり前の行為を一度もしていない。せめて扉を叩くくらいはしたらどうかと思うのだが、それさえ無かった。
 国王が出入りできるのは執務室側の扉だけ、といった決まり事も知らないのか、知っていて守るつもりが無いのか、彼ときたらまるっきりどこ吹く風。
 今は自分の意思で留まっている面もあるとはいえ、ほぼほぼ監禁状態のサーラにとってはとても迷惑で、非常識な行動だった。
「お前、誰と会ってる!?」
 王妃からの忠告も無視。
 国王の威厳もへったくれもない無作法で失礼な銀髪男は、寝台の端に腰掛けているサーラの真ん前に立って彼女を見下ろした。
 膝の上で開いたままの分厚い本を映す青い目。
 その奥に宿っているのは、不安……期待? だろうか。そんな印象を受ける。

 オーリィード達が宮殿を出て行ってから、一ヶ月程度が過ぎた。
 どうやらいまだに彼女達の足跡すら見つけられないせいで、表情を取り繕う余裕も無くなってしまったらしい。レジスタンスから連れ戻された時の、無理矢理感情を押し殺してみせた大人な態度とは全く違う。
 これがリブロムの本性なのだろうか?
 正式に認めるつもりは微塵も無いし不本意極まりないが、自分の上位に立つ者に対する一応の礼儀として不承不承ながらも居住まいを正したサーラは、しかし、内に潜むものを探るような静かな目で彼をじぃっと見上げた。
「会う、とは? 何のお話でしょうか」
「その本はどこから持ってきた? ロゼリーヌ后とさえまともに話してなかったのに、宮殿の外でしか知り得ない噂の内容まで、どうやって把握したんだ!?」

 一ヶ月前に会った時、彼はサーラが知っている前提で『ウェラントの王女を助けに来た心優しいベルゼーラの国王』の噂を引き合いに出した。リブロム自身が知っていた事だから、彼の目的を理解したサーラも知っているだろうと、あまり深く考えずに言ったのかも知れない。
 実際、サーラは噂の内容を知っていたし、その噂がウェラントを含む近隣諸国にもたらす影響も解っていた。結局最後まで姿を見せなかった『ガーネット=フリージア』が、ウェラントの悪夢に関連する大体の真実を教えてくれていたからだ。
 まさか総ての元凶であるマッケンティア本人がウェラント国内に来て噂を撒いていたとは思わず、少々焦ってしまったけれど。
 ただ、リブロムは王妃の寝室に潜んでいた助言者ガーネットの存在に気付けなかった。
 ガーネットを知らない彼の視点では、宮殿で孤立している筈のサーラが何故か突然リブロムの目的を理解した上、国民の間で拡がっている噂の内容と、噂が及ぼす今後への影響を正確に把握した。にも拘わらずオーリィードとペンダントを手放し、危険な場所へ放り出しても平然としていて、寝室から逃げ出そうともせず、どこからともなく取り出したマッケンティアの本を読んでいる……といった状況だろう。
 彼が『サーラに入れ知恵をした誰か』の存在を疑うのは当然で、その疑惑は間違っていない。
 ガーネットが教えてくれたからこそ、サーラはリブロム達の真意に気付けたのだから。

「答えてくれ、サーラ! 鷲が……『二頭の鷲』が来たんじゃないのか!?」
 サーラの両肩に手を置いて顔を覗き込むリブロムの必死な姿は、まるで崩れかけた崖に指先だけでしがみついている落下寸前の登山者だ。
 期待と、切望……それが誰の為の思いなのかがはっきり伝わってくるだけに、素直に答えるのは腹立たしいが。
「……もしも貴方がこの本に気付いたなら、貴方に伝えて欲しいと言われていた事があります」
「俺に、伝えて欲しい事、だと?」
「ええ」
 一旦顔を伏せたサーラは、開いたページの上に置いていた右手でリブロムの腕を勢いよく払い除け、驚いた彼を吊り上げた目で睨みつけた。
「『私、困ったらとりあえず実力行使! などと考える輩は、老若男女問わず好みませんの』」
「…………は?」
 普段とは明らかに違う、しかも、女性のものだとはっきり判る口調。
 予想外だったのか、リブロムが呆気にとられた表情になる。
「『近視眼的な物の考え方は、所詮ただの対処療法。一時しのぎ。現実逃避。他人任せの責任放棄とも言えますわね。解決策でも何でもありませんわ。指導者たる者、十年や二十年や百年は先を見据えて根本的な事柄を根本から動かさねばなりません。たとえ誰の理解も得られず、邪魔者と排除されかけ、絶望や孤独に苛まれたとしても、です。浅慮極まる自殺志願者が、思い通りにならないからとみっともなくわんわん泣き喚いて、誰が付いて行くとお思い? 同情を買いたいなら、鏡をじっくり覗き見てから出直していらっしゃいな、青二才の小猿ちゃん』」
「…………………………。」
 サーラ自身の言葉ではない。
 いくら気が強くてもサーラはこんな喋り方はしないし、彼女の立場では知りようがない事実も混じっている。
 だがしかし、声に出しているのはサーラで、リブロムの目の前に居るのはやはりサーラ自身だ。
 半端ではない違和感で彼の口元が引きつった。

「『けれど、小猿ちゃんは愚か者とは違う選択をしましたね』」
「!」
「『どちらも浅はかで、ろくでなしな思考回路から導き出された選択ですが……』」
 サーラが本を閉じ、ゆっくりと目蓋を伏せる。
「『状況も考慮し、ギリギリのギリギリで及第点を差し上げましょう。よく頑張りましたね、アーシュマー。ご褒美として、一本だけ紐を贈りますわ』」
「……紐?」
 一呼吸置いて現れた紫水晶のような虹彩が驚きと戸惑いに瞬く男性を捉え、やんわりとした曲線を描いた。
「『グローリア。『グローリア=ヘンリー』。この紐を信じて結ぶか、諦めて放り出すかは、貴方次第です。先を見ない者、未来を求めない者に、夢や希望は無いと知りなさい』」
「グローリア……?」
「……本当に必要とする者、資格を得た者の頭上にのみ輝く光だと、彼女は言っていたわ」
 長い長い伝言を聴き終えたリブロムは、深呼吸代わりに長息を吐いたサーラの顔をじっと見つめながら、馴染みが無い響きを反芻する。
 そして。
「グローリア……光……グローリア=ヘンリー……『ヘンリー』?」
 自ら導き出した可能性に青い目を大きく見開き、上半身を仰け反らせて、一歩・二歩とよろめくように後退った。

「……heinrichヘンリー……『ハインリヒ』……?」

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