[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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第二十一話 特別になりたかった男

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「一つ、お尋きしても?」
「……なんだよ」
「こちら、どこの国の、何という名前の料理なのでしょうか」
 宮廷騎士達が普段使用している王城内の食堂。
 十人ほどが同席できる長いテーブルの片隅に、珍妙な香りを放つ奇妙な造形の、とても食べ物とは思えない不気味な色をした料理らしき物が、油のような何かで薄汚れた皿に乗ってずらりと並んでいた。
 たまたまその場に居合わせた男性以外の全員が、顔を引きつらせて遠巻きに逃げていく。
「ベルゼーラ風『ポスタルチーニミートパスタ』と『ピエーテたまごサラダ』と『ホリポニたまねぎスープ』」
「黒いパスタに赤々と沸き立つマグマのようなドロドロした物が乗っているこれがポスタルチーニで、乳白色と鮮やかな黄色でマーブル模様にテカテカと輝きながらぶよんぶよんと弾んでる液体の中に枯れ葉っぽい物が漂っているこれがピエーテ。混ざり切らない虹色の膜を表面に張ってツンとした酸っぱい臭いを振り撒いているこれがホリポニ……で、合ってます?」
「合ってる」
 頷いて欲しくなかった。
 とは、男性を含めた全員の心の声だ。
「レシピ通りに作ったのに、なんでかこうなった」
 不器用も一種の才能なのだろうか。
「それで……私は、これを食せば良いのでしょうか?」
「嫌なら良い」
 嫌です。
 そう告げられたなら、どんなに良かったか。
 だが、うつむいた彼女の目には、今にも溢れ出しそうな涙。
 羞恥のせいか自己嫌悪のせいか、頬と耳は真っ赤に染まり。
 よくよく見れば、捨てられた仔犬のように両肩がぴるぴると震えている。
 どちらかといえば被害者は男性や居合わせた全員のほうなのに、皆で彼女を虐めている気分になるのは何故なのか。
 なんとなく理不尽だった。
 しかし、理不尽は訴えても正されないからこそ、理不尽と言う。
「い、いただきます……ね」
 壊滅的な見た目の料理にフォークを差し入れ。
 爪の先でガラスをこすった時の気持ち悪い痺れにも似た感触に耐え。
 彼は、逝った。
 逝ってしまったのだと、誰もが思った。
 が。
 ちょっとした未知への扉は開きかけたけれど、意外にも噴き出したり吐き出したりお腹を壊したりはせず、無事に生還……もとい、完食できた。
 男性がその日の職務を最後までやり遂げた事実は、後日『宮廷七不思議』の末席に加えられたらしい。
 顔色悪くも平らげた男性の隣で安堵の笑みを浮かべていた彼女は、かなり卑怯な女性だと思う。
 口直しにと差し出されたお茶が一番美味しかったことは言うまでもないが、そのお茶を淹れたのがティアンだったというオチは、彼女とティアンしか知らない。
 ただ。
 青白い顔で口元を押さえながら食堂を出ようとした際、すれ違ったティアンに
「あの料理の数々は、数日前まで体調を崩して寝込んでいた貴方への差し入れだったんですよ。よほど心配だったのでしょうね。滋養が高い材料や体力が付く料理を一生懸命勉強して、借りた厨房を破壊しながら何度も何度も作り直していましたよ。見ました? 彼女の、傷だらけになっている指先」
 と耳打ちされ、男性の首筋にぞわりとしたものが這い上がった。
「不器用で可愛いですよね、本当。膝に乗せて頭を撫でてみたいものです」
「……ご婚約者がおられる身で、軽率な発言はしないほうがよろしいかと」
「ご心配なく。猫好きは婚約者公認ですし、彼女も同好の士なので。むしろ彼女のほうが重度の猫好きなんですよ。私が触ろうとしたら、腕に噛みついてくるかも知れません。憧れの猫に気安く触らないでくださいませ! って。彼女のそういうところが、私は堪らなく愛しいのです。ふふ」
「そう……ですか……。円満そうで、なによりです」
 噂や立場や容姿に惑わされている者達の中で、彼女自身を偏見無く見つめる男に感じた嫉妬。
 男性からは見えなかった彼女の姿に改めて抱いた好感や、それまでは知らなかった執着心と独占欲。
 実家で殺されかけた挙げ句に故郷での居場所を失った元王子アーシュマーの記憶が発する、踏み込み注意の予防線。
 偽りの人格レクセルで塗り潰していた本当の自分リブロムが無意識に放つ、シュバイツァーに肩入れするなという警告。
 この時に。
 そうでなくても、せめて、二度と会いたくなかった『リブロム・アーシュリマー・フロイセル』と再会してしまう前までに。
 少しでも早く、自分自身が訴えていた危険信号に気が付いて、彼女と距離を置いていれば。
 彼女の隣に居場所を願ったりしなければ。
 彼と同じ事をして、彼と同じく愚かな王と蔑まれ、彼と同じ道と結末を辿ったとしても。
 これほどの苦しみは感じなくて済んだ。
 『アーシュマー』になる前の自分なら平然とこなしていただろう総てが。
 『アーシュマー』になる前の自分なら平然と捨てられていた筈の感情が。
 今の男性には、酷く、重い。


「陛下。起きてください、リブロム陛下」
「…………何故、お前が蓮の宮に居るんだ。ミウル」
 目蓋を無理矢理押し開き、肩を揺さぶってきたメイド姿の少女を睨む。
「誰かさんが蓮の宮だけ管理人を手配していなかったから、私が毎日手を入れてるんです。オーリィード様が使っておられたお部屋を放置させるなんて、言語道断! お掃除の邪魔です。早くどいてください」
「……。」
 自国の王に対して、不敬とも取れる口振り。
 しかし、リブロムは少女の言葉に大人しく従った。
「まったく。良い年齢の大人が真っ昼間から他人の寝台で寝るとか、本気でありえません! ご自分でだらしないと思わないのですか? 恥ずかしい!」
「……俺は、ついさっきまで城の外に居たんだよ」
「まあ! 王様のくせに、執務を放り出してのんきに外出ですか!? いい気なものですね。さすがは他人の迷惑を顧みない侵略者様。私、こんなダメな大人にだけは絶対なりたくないです!」
「……。」
 ぷんぷんっ! と口で発音しながら布団をたたみ、シーツを外し……と、素早く丁寧な仕事ぶりを見せつける、御歳十五の金髪碧眼美少女な有能メイド。
 正直ちょっとうるさいと思っているリブロムだが、彼女の容姿は少しだけ昔のオーリィードに似ていて、しかも正論ばかりぶつけてくるので、強く出られなかったりする。
「俺が捜さないと、憧れの猫には会えないぞ」
「追い出した貴方が言います?」
「追い出した、は正しくない」
「精神的に追い詰めたと言っていましたよね。陛下。貴方は人間として、男性としてもサイッテーです」
「……知ってる」
 三日ぶりの睡眠を邪魔されても、オーリィード似の少女に汚物を見る目で見下されると、怒る気にもなれない。
 ミウル・ウェリア・ヒューマー。
 現ヒューマー伯爵の一人娘で、ティアンの婚約者。
 シュバイツァー姉妹の従妹にあたる存在だ。
 似ていて当然と言えば当然なのだが、似ているだけに言葉が逐一痛い。
「あら。落ち込んでいる陛下の御姿は大変小気味良いですね。ロゼリーヌ伯母様とシウラお姉様とサーラ王妃陛下にも見ていただきましょう。きっと、とても喜ばれますよ」
「やめてくれ」
「冗談です。私も貴族の端くれ、体面の重要性は理解しているつもりですよ。陛下と違って」
「掃除が終わったんなら出て行ってくれ。本当に疲れてるんだ」
「…………しょうがないですね。今回は特別に見逃して差し上げます。ですが、陛下よりもオーリィード様のほうがずっとずっと辛いお立場なのです。そこをお忘れなきように」
「解ってる」
 ミウルとシウラとロゼリーヌには、ある程度の真実を話しておいた。
 現在の切り札であるオーリィードと、彼女を護っているレクセルに何かあった場合……つまり、リブロムの身に何かあった場合、次に狙われるのは、おそらく彼女達だからだ。
 あらかじめ自分の遺志を継がせておくという意味で、彼女達だけにはどうしても話しておく必要があった。
 もっとも、ロゼリーヌとシウラは、リブロムが明かす前から大半の事実に行き着いていたけれど。
 シウラの後宮入りと同時に彼女専属のメイドとしてミウルの身柄を引き取ったのは、彼女達を『マッケンティア』から護る為でもある。
 結果、顔を合わせる度に毒舌の雨を浴びるはめになったのだが。
「では、失礼します」
「ああ……いや、ちょっと待て」
「なんですか? 昼行灯陛下」
「お前達、サーラにはあまり詳しく話すなよ。あいつはオーリィードが絡むと知性が飛ぶ。俺の力も万能じゃな」
「サーラ王妃陛下にお会いしたことなどありませんが?」
 きょとんとした目で首を傾げる美少女メイド。
「……会ってない? シウラに同行してるんじゃないのか?」
「シウラお姉様が牡丹の宮から出られないのに、私が宮殿に近付ける筈ないでしょう。愛妾の専属メイドでしかない私に、そんな権利はありません」
 牡丹の宮も、王女専用の蓮の宮と同じ後宮の一角にある、愛妾専用の住まいだ。
 現状、意識を保って自由に出入りできる人間は、シウラの世話をしているミウルと国王のリブロム、サーラとシウラの橋渡し役を許したロゼリーヌしかいない。
 つまり、それは。
「…………ロゼリーヌ后とも会っていない、という意味か?」
「ロゼリーヌ伯母様とシウラお姉様なら時々お会いしていますけど、サーラ王妃陛下とロゼリーヌ伯母様なら、一度挨拶したきり二度と来ないでくれと言われた……と、お聞きしていますね」
「ロゼリーヌ后を拒絶したのか? あいつが?」
「そうみたいです。詳しい状況は分かりませんが」
「なら、あの本はその時にロゼリーヌ后が持って行ったのか……」
「例の本なら、陛下ご自身が回収されていたでしょう。「万が一の為に」と仰ったのは陛下ですよ。ついにボケが始まりましたか?」

 ……おかしい。

 ならば、王城内には存在しないあの本を、サーラはどうやって手に入れた?
 ロゼリーヌとシウラは、ゼルエスの行動と自分達への干渉度に対する違和感で気付いたと言っていたが。
 だとしたら、必要な情報からも孤立していた筈のサーラは、どうやって気付いたんだ?
 ロゼリーヌ達から話を聴いたから、ではないとしたら……

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