[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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第十二話 過去との対峙

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 オーリィードは、明らかに怯えていた。
 宮廷騎士だった頃の彼女が率いた隊で副隊長を務めていた、という青年を前にして、何故か凍えたように震えている。

「オーリ?」
「……すまないが、席を外してくれないか」

 パシン! と音を立てて扇子を閉じたオーリィードが、気遣わしげな目で彼女を見下ろすレクセルに対し、声だけで退席を願う。

「ですが」
「お前宛てのカードにもあっただろ? ティアンの用事は私にある。私も、ティアンと二人で個人的な話がしたいんだ。それが済んだら呼び戻すから、とりあえず夜警にでも行っててくれ。もしもそっちで不審者を見つけたら、深追いはせず、とにかくまずは私を呼べ」

 ティアンをじっと見つめるオーリィードの手は震えたまま。顔色も決して良いとは言えない。
 いや、化粧をしていても分かるほどだ。実際はもっと酷いのだろう。
 わかりましたと安易に頷いて良いのかどうか、ティアンとオーリィードの顔をじっと見比べ……

「我が剣に誓って、シュバイツァー隊長には一切危害を加えません。どうぞお連れ様、お預かりを」
「「!」」

 ふと、室内のソファーに立て掛けてあった長剣の柄を手にしたティアンがオーリィード達に歩み寄り、剣を横向きにして、レクセルへ差し出した。

 丸みを帯びた柄頭、少し長めの握り、側面に細かい装飾を施した鍔。
 黒い鞘に収まった剣身は、三歳未満の子供の平均身長に相当する細長さ。

 ウェラント王国の騎士達が、称号と共に君主より授かる、忠誠の証だ。

「ばっ、やりすぎだ、ティアン! 主人ではない者に己の剣を預けるなど、正気か!?」
「元よりこの為にお連れ様もお呼びしたのです。こうでもしないと、貴女は落ち着いていられないでしょう?」
「っ、そ、そこまではしなくても良い!」
「いいえ。今日、この場に限り、私は騎士ではありません。良いですか? 殿のです。それを絶対忘れないで。お連れ様、どうかお預かりを」
「ティアン!」
「……私は、騎士の称号を持っていません。剣の重さ自体は知っていても、この剣の重みが持つ意味を正しく理解できている、とは言えないでしょう。それでも?」
「はい。私の主人ではない貴方だからこそ、意義があります」
「……では、お預かりします」
「ありがとうございます」
「なん、て、バカな真似を……っ!」

 苦渋に満ちたオーリィードの表情に対し、ティアンの雰囲気が露骨なほど安堵に染まる。
 その様子を見たレクセルは、ティアンはオーリィードを本心から気遣っているのだと察した。
 ならばどうして彼女がこんなにも怯えているのかという疑問は残るが……少なくとも、彼にオーリィードへの害意が無いことだけは確かだ。それは、彼女も承知している。
 であれば、この場は二人に任せても大丈夫だろう。

 レクセルは、差し出しされた剣を両手で受け取り、ギュッと握り締めて、うつむいた額に剣身部分を引き寄せた。

「! お前っ」
「……大丈夫です。私はもう、恐れません」

 自分の意思とは関係なく、二人の国王を斬った腕。
 二人分の命を奪った剣と同じ類いの、凶器。
 肉を裂いて浴びた飛沫の生々しい感触と温度への恐怖、嫌悪感と罪悪感はいまだに胸中を蝕み続け、薄れる気配はまったくない。

 だが、ここにはオーリィードが居る。
 自分を救ってくれた、自分が護りたいと思った、ただ一人の女性が。

 オーリィードを近くに感じるだけで、レクセルはレクセルでいられる。
 オーリィードの存在がある限り、二度と闇に呑まれたりしない。
 それほどに大切な女性が、自分を心配そうに見上げているのだ。どうして震えてなどいられようか。

 顔色悪く眉を寄せる彼女に微笑みかけ、柄には決して触らぬよう、左手でしっかりと鞘を持つ。
 それはレクセルが恐怖から逃げる為ではなく、『剣の持ち主はあくまでもティアンである』という意味を家人に示す為の持ち方だった。

 ささやかな心配りに気付いたティアンが、嬉しそうに微笑む。

「私の剣をお連れ様に預ける旨は、家の者達全員に伝えてあります。執事に案内させますので、敷地内ではどうぞご自由になさってください」
「ご配慮くださり、ありがとうございます。では、一時失礼します」

 男性二人は互いの目を見て頷き合い。
 控えていた執事に先導されたレクセルが、今来た廊下を戻っていく。
 その背中をしばし無言で見送ったオーリィードは、

「座れますか?」
「……問題ない」

 ティアンの滑らかなエスコートで、室内へと移動した。





 赤い絨毯を敷き詰めた部屋の中央には、白い三人掛けのソファーが二脚。小さな花瓶を飾るガラス製のローテーブルが一台。脇には、二人分のティーセットを載せたキャスター付きのワゴンが置かれ。
 頭上には、細やかな装飾が施されている、そこそこ大きなシャンデリアが吊り下がり。
 白地に金で花の模様を入れた四方の壁には、額縁に入った風景画ばかりが彩りを添え。
 四隅には、艶やかな緑色の葉が美しい低木の植木鉢が置かれている。

 自然の物を愛するフィールレイク伯爵家の特徴がよく表れている調度品の数々と、ティアンが淹れたカモミールティーの爽やかで優しく甘い香りが、オーリィードの緊張を少しだけ解してくれた。
 ソファーに腰を下ろし、温かいお茶を一口含んで、ほう……と息を吐く。
 対面するティアンも同じように一口含み、目を細める彼女に微笑んだ。

「お口に合って良かったです」
「……ティアンが淹れてくれるお茶に、外れは無いから」
「そうやって、あの頃から認めてくださっていたのは貴女だけでした。他の連中ときたら、お茶汲みは婦女子のたしなみだ、淹れ方を覚える前に一度でも多く剣を振るえと、毎日バカにしてたんですよ」
「お茶の文化だって立派な商業だし、うまく拡げれば国全体の経済効果にも繋がる。造詣の深さに職種の違いや男女差を持ち出すことこそ非生産的だ。私は全然上手に淹れられなかったから、ティアンがうらやましかった」
「ああ……貴女は度々不思議な色のお茶を抱えて半泣きになってましたね。懐かしい。なんでしたら、今から淹れてみます?」
「……そういう意地悪なところは、変わってて欲しかった」
「恨めしそうに見上げられると、ついつい、からかいたくなるんです」
「悪趣味」
「可愛いすぎる貴女が悪い」
「意味不明な責任転嫁をするな」
「ほら、そのむくれ顔。拗ねてる猫にそっくりで、本当に可愛いですよ」
「猫好きも相変わらずか」
「ええ、大好きですよ。黄金色の毛並みの仔猫とか、愛らしいですよね」
「引っ掻かれてしまえ」
「あはは。痛そうなので遠慮します」

 気が付けば、二人共自然体で話していた。
 元々は心から信用できる数少ない仲間の一人だ。
 昔の空気に包まれれば、多少なりとも気は抜ける。

 だが、オーリィード達の目的は旧友との談笑ではない。

「あのカードは、どういう意味だ」

 会話に切れ目を入れ、本題を突きつけた。

「文章そのままの意味ですよ。『貴女にお伝えしたい事があります。どうか我が家へお越しください。アランも待っています』」
「最後の意味が解らない」

 レクセル宛てのカードとは微妙に異なる内容。
 翼を広げた二頭の鷲と、それらが掲げる王冠と太陽の輝きを厳かに描いた紫色のカードには、一目で男性の物だと分かる個人名が記されていた。
 その名前もまた、オーリィードにとっては懐かしく……
 背筋と心臓を凍らせる物だった。

「アランが何を待っているというんだ。あいつは」

「ゼルエスのクソ野郎に殺されたんだ、とか、思ってたんだろ?」

「……ッ!?」
「ひっでぇ女だなあ。そりゃあ、左腕は使い物にならなくなったし、騎士の称号は失くしたけどよ。そんだけだぜ? 人様を勝手に殺すなってんだ」

 開いたままの扉の向こう。
 いつの間にか、ティアンとよく似た身形の男性が立っていた。

 乱暴に掻き上げただけの、硬くて短い金髪。
 見る者を鋭く射竦める、翡翠色の凶悪なつり目。
 下品さと親しみやすさが程好く混じるケタケタ笑いと、右手を腰に当てて重心を片足に傾けた、隙だらけで粗雑な立ち姿勢が、上品と穏和を形にしたティアンとは真逆の印象を与える青年。

 彼を目にしたオーリィードが弾かれたように立ち上がり、手に持っていたカップを床に落とした。
 カップに残っていたカモミールティーが絨毯の上で散らばり、広がる。

「お、お前……アランが、どうして……!?」
「だから、そのままの意味だと言ったでしょう?」

 動揺するオーリィードに柔らかく微笑み、ティアンとアランは口を揃え、優しく語りかけた。

「「」」

 もう、ゼルエスの凶刃に怯える必要はないのだと。


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