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結
第二話 望んでいたもの
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「ただいま……」
買い出しを無事に終え、雇い主や従業員や常連客達にからかわれながら、食堂内での仕事も全部片付けて。
ようやく解放された時には、月が頂点を極めていた。
食堂と同じ建物の三階に借りている部屋へ戻るなり、ぐったりした身体をベッドの上に投げ出す。
「お疲れ様です、オーリ。仕事には慣れましたか?」
「商人の情報網は風速を超えるんだってな」
「はい?」
「知ってて尋くな。嫌みったらしい」
窓の横に背中を預けて立つ、月明かりで読書中のレクセルを睨み、抱えた枕に顎を埋める。
羽毛を詰めた白い枕は、さらさらした手触りとふかふかした厚みが非常に心地好い。
目蓋を閉じた瞬間に眠れそうだ。
「ふふ。失礼しました。そろそろ諦めてくれるかと期待していたので」
「誰が諦めるか。自分の世話は自分でする。これ以上お前の金は借りん!」
「ちなみに、今日の弁償額は過去最高を更新しました」
「ぅぐ」
「だから、私に任せてくださいと何度も言っているのに」
「い・や・だ! 勝手に付いて来てる奴の金を当てにしてたまるか!」
「他人様のお店で損害を出すよりよほど建設的な提案だと思いますけどね。今は皆さんも楽しまれているようですが、メイベルさんの忍耐力がいつまで保つか分かりませんし。早めの降参をおすすめしますよ」
「降参なんか、絶対しない! 大体っ……」
「大体?」
「……私がクビになることは、多分、ない」
「立派な見世物になっているから?」
「そうじゃない! お前も感じてるだろ!? 今のウェラントは」
「『異常』?」
「っ……」
サーラが王城に連れ去られてから、約五ヶ月。
『ベルゼーラ王妃の帰城』を公布された直後はリブロムへの敵意と動揺で満ちていた国民感情も、ウェラント王国元来の法律が堅持されたことによりあらゆる悪徳が貧富貴賤を問わずに裁かれた結果、悪化するどころか改善の兆しが見えてきた日常生活を受け入れ、少しずつ、落ち着きを取り戻そうとしていた。
そればかりか、実は社交界で旧知の仲だったリブロム王が、サーラ王女を不遇の境地から救う為に、愚王ゼルエスを倒しに来たのではないか、という美談じみた噂まで広まっている。
レジスタンスは、ゼルエスの遺志を継いでサーラに実権を与えまいとしていた集団だったのだと、まるでオーリィード達こそが国を乱した元凶であると言いたげな尾ひれまで付けて。
「サーラ様が御自ら望まれてベルゼーラの王妃になるなど、天地がひっくり返ってもありえない。なのに、あんな、根も葉も無い流言飛語を真に受ける国民は増える一方。誰も彼もが現状に納得し、サーラ様への不当な扱いから目を逸らしてる」
サーラは今でも表舞台には立っていない。
それこそ、リブロムがサーラを虜囚にしている何よりの証。
であるにも拘わらず、国民はサーラを敬う姿勢を保ったまま、リブロムに対する感情を軟化させようとしている。
サーラの騎士を自負するオーリィードからすれば、これほど気分を害するものはない。
「だが、ベルゼーラ軍がウェラント王国全体の景気を刺激したのは事実だ。人が動けば物も動く。より多くの物を動かそうとすれば、より多くの人手が求められる。だからこそ王都に来て一日目でもこの仕事を見つけられたし、三日経っても続けていられるんだ。少なくとも人手不足が続く間は、簡単に切られたりしないと考えて良い」
「レジスタンス包囲網に端を発する、ウェラント経済の好循環、ですか」
「サーラ様は、逃亡中にも、国民生活の安定を望んでおられた。王妃云々はともかく、現状には……安心……されているかも、知れない」
国民のほうは、サーラが居る王城の現実さえ見ようともしていないのに。
「これも、兄の一手なのでしょう。体裁が整っていれば、他国からの横槍を防げますから」
「つまり、お前達兄弟はとことん性格が悪いって結論で良いんだよな?」
「否定はしません」
「しないのか!?」
「ええ」
予想外の答えに跳ね上がったオーリィードの顔を見つめ。
レクセルは、にこりと微笑んだ。
「貴女が思うよりずっと、性格悪いんです。私」
「リブロムより?」
「あるいは、そうですね」
読んでいた本を閉じて窓枠の辺りに置き、足音も立てずにベッドまで歩み寄ると、オーリィードが下敷きにしている掛け布団をパッと抜き取り、その背中に掛け直した。
「……どこかでお祈りでもしたら、良くなるんだろうか。この……最悪な、男運……」
「諦めも肝心ですよ」
「ぜったい……いや、だ……」
布団の温かさも手伝ってか、枕に突っ伏し、秒で微睡み始める彼女。
傍らに座って頭を撫でている内に、穏やかな寝息まで聞こえてきた。
慣れない仕事の連続で相当疲れたらしい。
リブロムに刺された時の傷、正確には治療痕が、いまだに完治していないせいでもあるのだろうが。
「……ゆっくり休んで、早く治してしまえば良いんです。この傷も……私が知らない、過去の痛みも……」
一房掬い上げた黄金色の髪にそっと口付け、苦笑いを浮かべて部屋を出るレクセル。
静かに閉じられた扉の音を聴きながら、オーリィードもまた、枕の影で、同じような表情をしていた。
「確かに、タチの悪さはアーシュマー以上だ」
嫌みな口調で絡んでくるところは同じでも、アーシュマーのほうは無断で踏み込むような真似だけはしなかった。
今となっては、どんな腹積もりでの距離感だったのか不明だが、居心地は悪くなくて……、と。
「一番の性悪は私、なのだろうな」
こんな風に、気付けば二人を比べている自分に嫌気が差す。
「くだらない感傷に浸る隙が無くなって、ありがたい」
枕の下に隠しておいた短剣を手に取って起き上がり、開いた窓から近くの木の枝へ跳び移る。
わずかな葉ずれの音を連れて地面に降り立ち。
辺りを注意深く観察してから、駆け出した。
眠気も刹那に吹き飛ばす、強烈な殺気の主を追いかけて。
買い出しを無事に終え、雇い主や従業員や常連客達にからかわれながら、食堂内での仕事も全部片付けて。
ようやく解放された時には、月が頂点を極めていた。
食堂と同じ建物の三階に借りている部屋へ戻るなり、ぐったりした身体をベッドの上に投げ出す。
「お疲れ様です、オーリ。仕事には慣れましたか?」
「商人の情報網は風速を超えるんだってな」
「はい?」
「知ってて尋くな。嫌みったらしい」
窓の横に背中を預けて立つ、月明かりで読書中のレクセルを睨み、抱えた枕に顎を埋める。
羽毛を詰めた白い枕は、さらさらした手触りとふかふかした厚みが非常に心地好い。
目蓋を閉じた瞬間に眠れそうだ。
「ふふ。失礼しました。そろそろ諦めてくれるかと期待していたので」
「誰が諦めるか。自分の世話は自分でする。これ以上お前の金は借りん!」
「ちなみに、今日の弁償額は過去最高を更新しました」
「ぅぐ」
「だから、私に任せてくださいと何度も言っているのに」
「い・や・だ! 勝手に付いて来てる奴の金を当てにしてたまるか!」
「他人様のお店で損害を出すよりよほど建設的な提案だと思いますけどね。今は皆さんも楽しまれているようですが、メイベルさんの忍耐力がいつまで保つか分かりませんし。早めの降参をおすすめしますよ」
「降参なんか、絶対しない! 大体っ……」
「大体?」
「……私がクビになることは、多分、ない」
「立派な見世物になっているから?」
「そうじゃない! お前も感じてるだろ!? 今のウェラントは」
「『異常』?」
「っ……」
サーラが王城に連れ去られてから、約五ヶ月。
『ベルゼーラ王妃の帰城』を公布された直後はリブロムへの敵意と動揺で満ちていた国民感情も、ウェラント王国元来の法律が堅持されたことによりあらゆる悪徳が貧富貴賤を問わずに裁かれた結果、悪化するどころか改善の兆しが見えてきた日常生活を受け入れ、少しずつ、落ち着きを取り戻そうとしていた。
そればかりか、実は社交界で旧知の仲だったリブロム王が、サーラ王女を不遇の境地から救う為に、愚王ゼルエスを倒しに来たのではないか、という美談じみた噂まで広まっている。
レジスタンスは、ゼルエスの遺志を継いでサーラに実権を与えまいとしていた集団だったのだと、まるでオーリィード達こそが国を乱した元凶であると言いたげな尾ひれまで付けて。
「サーラ様が御自ら望まれてベルゼーラの王妃になるなど、天地がひっくり返ってもありえない。なのに、あんな、根も葉も無い流言飛語を真に受ける国民は増える一方。誰も彼もが現状に納得し、サーラ様への不当な扱いから目を逸らしてる」
サーラは今でも表舞台には立っていない。
それこそ、リブロムがサーラを虜囚にしている何よりの証。
であるにも拘わらず、国民はサーラを敬う姿勢を保ったまま、リブロムに対する感情を軟化させようとしている。
サーラの騎士を自負するオーリィードからすれば、これほど気分を害するものはない。
「だが、ベルゼーラ軍がウェラント王国全体の景気を刺激したのは事実だ。人が動けば物も動く。より多くの物を動かそうとすれば、より多くの人手が求められる。だからこそ王都に来て一日目でもこの仕事を見つけられたし、三日経っても続けていられるんだ。少なくとも人手不足が続く間は、簡単に切られたりしないと考えて良い」
「レジスタンス包囲網に端を発する、ウェラント経済の好循環、ですか」
「サーラ様は、逃亡中にも、国民生活の安定を望んでおられた。王妃云々はともかく、現状には……安心……されているかも、知れない」
国民のほうは、サーラが居る王城の現実さえ見ようともしていないのに。
「これも、兄の一手なのでしょう。体裁が整っていれば、他国からの横槍を防げますから」
「つまり、お前達兄弟はとことん性格が悪いって結論で良いんだよな?」
「否定はしません」
「しないのか!?」
「ええ」
予想外の答えに跳ね上がったオーリィードの顔を見つめ。
レクセルは、にこりと微笑んだ。
「貴女が思うよりずっと、性格悪いんです。私」
「リブロムより?」
「あるいは、そうですね」
読んでいた本を閉じて窓枠の辺りに置き、足音も立てずにベッドまで歩み寄ると、オーリィードが下敷きにしている掛け布団をパッと抜き取り、その背中に掛け直した。
「……どこかでお祈りでもしたら、良くなるんだろうか。この……最悪な、男運……」
「諦めも肝心ですよ」
「ぜったい……いや、だ……」
布団の温かさも手伝ってか、枕に突っ伏し、秒で微睡み始める彼女。
傍らに座って頭を撫でている内に、穏やかな寝息まで聞こえてきた。
慣れない仕事の連続で相当疲れたらしい。
リブロムに刺された時の傷、正確には治療痕が、いまだに完治していないせいでもあるのだろうが。
「……ゆっくり休んで、早く治してしまえば良いんです。この傷も……私が知らない、過去の痛みも……」
一房掬い上げた黄金色の髪にそっと口付け、苦笑いを浮かべて部屋を出るレクセル。
静かに閉じられた扉の音を聴きながら、オーリィードもまた、枕の影で、同じような表情をしていた。
「確かに、タチの悪さはアーシュマー以上だ」
嫌みな口調で絡んでくるところは同じでも、アーシュマーのほうは無断で踏み込むような真似だけはしなかった。
今となっては、どんな腹積もりでの距離感だったのか不明だが、居心地は悪くなくて……、と。
「一番の性悪は私、なのだろうな」
こんな風に、気付けば二人を比べている自分に嫌気が差す。
「くだらない感傷に浸る隙が無くなって、ありがたい」
枕の下に隠しておいた短剣を手に取って起き上がり、開いた窓から近くの木の枝へ跳び移る。
わずかな葉ずれの音を連れて地面に降り立ち。
辺りを注意深く観察してから、駆け出した。
眠気も刹那に吹き飛ばす、強烈な殺気の主を追いかけて。
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