[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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THE・逆転

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◇◆◇◆◇◆ 前転 ◇◆◇◆◇◆


 その日。
 バスティーツ大陸の南東部に領土を置くフリューゲルヘイゲン王国の首都ヘイムディンバッハは、ボルボーンが夜明けを告げる前からさざめいていた。

 まだ黒い空の下。
 都内の至る所に街灯と松明の灯りを敷き詰め。
 規定の営業時間よりずっと早く開いた各店に合わせ、大通りにも小道にも人の波が絶えず寄せては返し。
 パンや肉や香辛料が焼けた芳ばしい香りと心が弾む音楽に包まれ、飲めや歌えと陽気にはしゃぐ老若男女の隙間を縫って、大量の荷物を載せた馬車があちらへこちらへと忙しなく行き交う。

 上は王候貴族御用達の高級ブティックや、会員制レストランの最高責任者などから、下は住所不定無職の酔っぱらいまで。
 首都の住民のみに留まらず、住民と繋がりを持っていたすべての人間が、日常の枠を越えて一様に浮き足立っている。

 この、王国軍直下王都警備団所属・各警邏隊に在籍する騎士と兵士全員を勤務時間外の警戒巡視に駆り出した尋常ならざるお祭り騒ぎは、以後一ヶ月もの間、延々と続く予定になっていた。

 それは、フリューゲルヘイゲン王国の明るい未来を祝う宴。
 フリューゲルヘイゲン王国の当代国王が成した、稀なる偉業を讃える宴。
 フリューゲルヘイゲン王国に加わる新たな家族、次代の母を歓迎する宴。

 手持ちのカップを、地酒や新鮮な果汁などで満たした彼らは、テーブルを囲んで重ねる「乾杯ヴィ・エッソ!」の代わりに、国王が住まう王宮の方角を見つめて口々にこう叫ぶ。

結婚おめでとうハレシュ・ファッツア我らが父リア・ヴァルタダンデリオン陛下マジュ・ダンデリオン!」

 と。





 その日の夕方。
 ヘイムディンバッハの街並みを眼下に望む、小高い山の上。
 朱金色の斜陽に染まる真っ白な外壁が特徴的な、大きな大きな城の中。
 物音一つしない、飾り気も無ければ広くもない謁見の間の控え室で。
 フリューゲルヘイゲン王国の当代国王ダンデリオン=シュバイツェルは、悩ましげな吐息を溢した。

憂鬱ゆううつだ」

 赤色を基調とした豪華な衣装を纏って真っ黒な革の椅子に座り、腕と頬を肘掛けに預けてどこでもない場所をぼんやり眺めるその姿は、恋に夢を見る乙女達を一目でとりこにしてしまいそうな、得も言われぬ魅力を放っている。

 陽光も滑り落ちるほど艶やかでサラサラとした黄金色の短髪。
 星々がきらめく夜空を連想させる、神秘的な黒紫色の虹彩。
 少々低い身長と中性的な顔立ちには、幼さと親しみやすい柔らかな印象を残しているものの。
 ほんのり陽に焼けた肌やちょっとした仕草から滲み出る威圧感は重厚で、隙と呼べるものがまったく無い。

 二十歳になったばかりとは思わせないカリスマを備えたダンデリオンは、しかし。
 お祝いムードで沸き立つヘイムディンバッハの様子が克明に記されている報告書を膝の上に乗せたまま、心底面倒臭そうに唇の端を歪めた。
 
「結婚が正式に決まっただけで、成婚自体はまだまだ先の話なのだがな」

 大雑把に数えて、約半年と少し後。
 彼、ダンデリオン=シュバイツェルは、フリューゲルヘイゲン王国の国家元首、当代国王として結婚する。

 相手の女性は、バスティーツ大陸で最大の領土面積と、最上位の権勢と、最大級の武力を誇る超大国、フィオルシーニ皇国の第三皇女。
 その類い稀なる美貌と知性、何よりも背後に付くフィオルシーニ皇国との繋がりから、大陸中の国々が『ぜひとも我が許へ!』と渇望していた貴重な縁談相手だった。
 
 そんな良縁を、本人の意思と関係なく結ばれてしまったダンデリオンは、これからフィオルシーニ皇国の使者達と面会。
 皇帝陛下より送られてきた『婚姻誓約書』という名前の親書を受け取った後、国内の主立った貴族と近隣諸国の大使達を寄せ集めた晩餐会を開く。

 すべては、二年前の取り決め通り。
 先代国王キエル=シュバイツェルの遺言通りに。

「面倒臭い。余計なことをしてくれた父上のせいで、何もかもが面倒臭い。どうせなら、キエルって名前の通り、遺言も縁談も全部丸ごと綺麗さっぱり消してってくれれば良かったのに」
「お慎みください、ダンデリオン陛下」
「……不粋だぞ、グエン。独り言くらい黙って聞き流せ」
「はっ」

 右手側にある窓の反対側、西陽を浴びて光り輝く姿見に、ダンデリオンの左斜め後ろでうやうやしく腰を折った見目麗しい男性騎士の全身が映る。

 肩まで伸びて横顔を隠す長髪は、わずかに混じる赤みが艶やかなシルバーブロンド。
 鼻筋に掛かる前髪の隙間から覗く虹彩は、夜の闇にも似た奥深い黒紫色。
 二十歳男性にしては少々低めな身長ながら、筋肉の付き方・手足の長さ・姿勢の良さは、人間としての逸材と称されるに相応しい黄金比。
 女性受けしそうなシャープ感を保つ顔立ちの反面、ほんのり日焼けした肌から滲み出ているオーラは、野性味溢れる戦士の如く重厚で、隙が無い。

 日没も間近に迫り、刻一刻と落ち込んでいく明度の中。
 ダンデリオンの容貌とよく似た印象の男性騎士は、純白の騎士服で逆光を纏っている為か清廉な雰囲気があり、妙に神々しい。

 肘掛けから腕と頬を離したダンデリオンは、姿見の中で姿勢を正した男性騎士をじっと見つめ。
 やや間を置いてから、意を決したように浅く頷いた。

「なあ、グエン」
「はっ」
「余に男色の気があると言ったらど「ご冗談を」」

 ………………。

「近衛騎士グエン」
「はっ」
「主人の言葉をさえぎるのは、騎士としてどうなのだ?」
「申し訳ございません」
「うむ、赦そう。で、どうなのだ? 男し「お慎みください、ダンデリオン陛下」」

 ………………………………。

「余の問いに答える気は無いのだな?」
「騎士としてまだまだ修練が足りていないものと自覚しておりますれば」

 肩越しに振り返ってみるダンデリオン。
 姿見の中にあった男性騎士の無表情は。
 いつの間にか、半眼の鉄面皮になっていた。

「……この部屋はネズミの耳が遠くなる造りだ。主従関係は一旦横に置き、幼なじみの純粋な相談に乗ったつもりで答えてくれないか? グーちゃん」
「国を滅ぼすつもりか、この一人っ子どあほう
「いきなり容赦がないな」
「お前がそうしろっつったんだろうが。嫌なら仕事中に人生相談をするな。愛称で呼ぶのもやめろ。近衛騎士こっちの立場を考えろ。凄まじく大迷惑だ」
「幼なじみがスーパークールミントで、ダンちゃんマジで泣き出す三秒前」
「ああ? 国の未来を左右する大仕事が控えてるっつー時に目ん玉赤くするとか、王国代表の面子めんつナメてんのか? シメるぞコラ」

 中級貴族の五男から、叩き上げで現在の地位に就いた青年。
 近衛騎士グエン=ハインリヒ。
 彼はダンデリオンの幼なじみであり、気安いタメ口と愛称呼びを許し合う数少ない親友の内の一人でもある。
 とはいえ、仮にも国王を相手にメンチを切る辺り、根性が半端ない。

「皇女殿下との結婚は、ロイヤルブラッドを残す為の国同士の約束、国王の役目、義務、仕事。嫌なら、議会でごねろ。国民に反旗をひるがえせ。処刑台がよだれを垂らして歓迎すんぞ」

 国王が男性好きというだけで、まさかの国民総敵宣言。

「なんて理不尽な世界」
「現行法の制定者、ダンちゃんの先祖だからな?」
「ご先祖様が憎い」

 国民の間では、同性どころか神様や悪魔や動植物、果ては、時空を越えて現代に移住してきた喋るアンモナイトまでが恋愛対象になる長編恋愛小説『愛さえあれば種族なんて!』(現在108巻まで発行・以下続刊)が大流行中だというのに。
 政治社会では、役職を持っただけで性差必定、転覆不可。

 涙目になったダンデリオンは、差別だあんまりだと嘆きつつ、自身の顔を両手で覆う。
 そうしている間も、騎士グエンの言葉は冷たく凍てついていた。

「これ以上、くだらない話に時間と酸素を費やすな。もっと有意義なことで脳を使え。そして俺を巻き込むな」
「最後が本音か」
「男に差し出すケツは無い」
「女性には差し出すのか?」
「会話の流れをちゃんと汲め。空気と意図をしっかり読め。自分は。先ほどからずっと。お仕事をしてくださいと申し上げているのですよ。

 指の隙間に見た姿見の中のグエンが「そろそろ本気でいい加減にしろよ」と言わんばかりの刺々しい顔で、黄金色の後頭部を睨みつけている。

 ダンデリオンは渋々居住まいを正し、膝上の報告書を見直して……再度、深い深いため息を長々と吐き出した。

「はあ……。憂鬱ゆううつだ」





 時は流れて数日後。
 ダンデリオンとグエン、両名と同じ学園を卒業してから四年もの間国王の婚約者止まりだった件の皇女が、フリューゲルヘイゲン王国を訪ねてきた。
 先日の使者達は、フィオルシーニ皇国の国家元首、皇帝が遣わした諸々の事前確認を取る為の使節団であり。
 同時に、皇女の来訪を告げる先触れ役でもあったらしい。

 使者達が入国する前から、皇女の来訪を知っていたヘイムディンバッハの住民達は、異国の紋章を掲げる行列を目にして、ようやくこの日が来たかと盛り上がりも最高潮に達し、熱すぎる視線と過剰なおもてなしとで、新たな国母となる女性を手厚く大歓迎した。

 朝も早くから出迎えの準備に追われていたダンデリオンは、国民に背中を押される形で入城した皇女一行と、謁見の間で挨拶を交わした後。
 山積みにしていた別案件を半日以上掛けてじっくりこなしてから、皇女が一ヶ月程度滞在する予定の客間へと足を運ぶ。

 気乗りしない様子のダンデリオンの斜め後ろには、今日も騎士グエンが、無表情で付き従っていた。

「姫君のご様子はどうだ、グエン。不足などは無さそうか?」
「はっ。そういった旨の報告は確認しておりません。お付きの方々と庭園を散策されたり、大臣達のご令嬢方と談笑されながら、つつがなく過ごされておいでだそうです。さすがはフィオルシーニ皇国の第三皇女殿下。ご自身の立場をわきまえられた言動が、関係者の間で大人気です」
「……微妙に、余へのトゲを感じるな」
「皇女殿下になら、安心して我が国の未来を預けられますね」
「君、不敬罪って知ってる?」

 ここは、物陰過多な庭と面している吹き抜けの廊下。
 人通りが少ない一角とはいえ、誰がどこで聞き耳を立てているか判らない場所で、騎士が主人を貶める発言をするのはいかがなものかと、歩きながら肩越しに目を細めるダンデリオン。

 グエンは表情も変えず、胸に手を当てて頭を下げ、謝罪の意を示した。

「失礼ながら……自分には、陛下のお考えが理解できません。皇女殿下は、容姿端麗、頭脳明晰、人望も厚く、まさに『理想の王妃陛下』であられると誰もが噂しております」
「うむ。思うところは多々あるが、姫君の器量に関しては余も異論は無い」
「では何故、王太子としての仕事を大量に捏造ねつぞうしてまで御成婚を何度となく延期されていたのですか? 先代国王キエル様の御遺言が無ければ更に数年延期するおつもりだったのではないかとすいしますが」
「ノーコメント。ただの護衛でしかない今の卿が、国王の政治的判断に口を出さないように」
「……申し訳ございません」

 ピタリと足を止め、踵を合わせて腰を折る、国王に忠実な近衛騎士。
 兼、必要がある時には、国王ダンデリオンの影武者も務める、暗部所属の特務騎士グエン=ハインリヒ。

 職務中は真摯な仕事人の表情を崩さない彼だが。
 今は、前髪の隙間から覗く目が『せーじてきはんだんんんんんー?』と、サラダの中に毛虫を見つけた時のになっている。
 男色の話を振られたせいか、そちらの方面で懐疑的になっているようだ。

 グエンのは、間違っても一国の主に向けて良い類いの視線ではない。
 が。

 ダンデリオンは、あえて見なかったフリをした。





 足取り重く、無言で移動を終えた後。
 フィオルシーニ皇国から付いて来た皇女の使用人達とグエンを筆頭とする近衛騎士達を壁際に控えさせた客間で、皇女とダンデリオンが結婚式関連の大まかな打ち合わせを済ませ、晩餐を共にする。
 学園卒業後まもなく政界入りを果たしていた皇女は、柔和な姿形と仕草と口振りで、主張は控えめながらも、押さえるべき部分はしっかりと押さえる度胸と手腕を持つ、噂以上のやり手だった。

 緩やかに波を打つ、ハチミツ色の長い髪。
 淀みない意志の光を宿す、ルビー色の虹彩。
 真珠のように輝く白い肌に映える、ふっくらとした桃色の唇。
 ドレスの上から見ても一切の無駄を感じさせない、まろやかな曲線を描くしなやかな身体。
 優雅で洗練された立ち居振る舞いや、穏和でありながら付け入る隙は与えない芯の強さが放つオーラも、理想の王妃とささやかれて当然の美しさ。

 この女性をフリューゲルヘイゲン王国の母として迎え入れれば、国民だけでなく、自分自身も有能な人材を得られる。実に有意義な婚姻だ、と。
 皇女との再会と談笑を通じ、ダンデリオンは改めてそう感じていた。

 しかし。

 皇女に礼を執って退室した直後、透かさず斜め後ろの定位置に付いた近衛騎士に、顔だけで振り返る。
 ダンデリオンの視界に収まったグエンは、陽光に照らされていなくても、やはりどこか凛とした神々しさを漂わせていた。

「騎士グエン。いや、ハインリヒ卿」
「はっ」
「卿に話がある。我が国の存亡に関わる重要な話だ。付いて来てくれるか」
「……仰せのままに」

 真剣な表情のダンデリオンに応じ、グエンは常よりも少しだけ速い主人の歩調に合わせて、一歩後ろを付いて行く。
 
 王宮の片隅にある蔵書館内の読書スペース。
 廊下と繋がる正面扉から入って、ずらりと並ぶ本棚をいくつかすり抜け。
 蔵書や備品を出し入れする為の搬入口から、建物の裏手へと回り込み。
 生い茂る植物で巧みに隠されていた引き上げ型の二枚扉を開いて足を踏み入れ、すぐに閉じた地下への道。

 扉の内脇に吊るしてあったカンテラを灯して片手に持ち、緩い傾斜を数分ほど掛けて下った先で、もう一枚の分厚い鉄扉を潜り。
 やはり扉の両脇に設置されていた二台の床置き燭台へと火を移す。

 薄い暗闇に慣れかけていた二人の目が映し出したのは、丸っこく削られた土壁を覆う数枚のタペストリーと、使い古されて傷んだツルハシが数本と、ベッドが一台置かれているだけの、とても狭い室内ドームだった。

「……時々、特別忙しくもないのに入れ代わりを要求してたのは、まさか、ここに来る為だったのか?」

 見張り役が一人も居ないと見て事情を察したグエンが、呆れを隠そうともしない目で、主人の背中をジトッと睨む。

 度々、国王の身代わり役をグエンに押し付け、代わりに引き受けた騎士の立場で密かな息抜きを満喫していたらしいダンデリオンは、悪びれもせず、両肩を軽く持ち上げてみせた。

「毎回ではないぞ。三回に一度程度だ」
「十分多いわ、このサボり魔が! てか、なんなんだここは?」
前国王ちちうえの秘密基地」
「……は?」
「早朝も深夜も考慮しない、節操無しな監視の目に堪え切れず、自分だけの場所が欲しいからと、蔵書館に来ては勉強を口実に護衛を追い払い、自らの手で夜な夜なこっそりコツコツと掘り進めていたらしい」
「国王が、ツルハシで?」
「国王が、ツルハシで。」
「ちょっと開けようとしただけで物凄くうるさい、その鉄扉も」
「無論、父上が単独自力で設置したそうだ。どうやって持ち込んだかまでは知らないがな。うるさいのは侵入者対策だと聞いている」
「この国、大丈夫?」
「大丈夫じゃないから、お前を連れて来たんだ。グーちゃん」

 先代国王が遺した壮絶な現実逃避しゅうねんの結晶を見上げながらポカーンと大口を開いて立ち尽くすグエンの前で。
 ベッド横の地面にカンテラを置いたダンデリオンが、

 脱いだ。

「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て」

 ダンデリオンの奇行に気付いたグエンが慌てて逃げ出そうと踵を返すも、素早く先回りした人影に扉の持ち手を奪われてしまった。
 無情にもやかましく反響する、扉を完全に閉めきった音。
 唯一の出入口を塞がれたグエンは、せめてもの抵抗とばかりに目蓋を固く閉じて、うつむく。

「目を逸らすな」
「見たくない」
「見るんだ、グエン」
「絶対、見たくない!」
「お前が見てくれないと、シュバイツェル王家の血が私の代で途切れるぞ。その場合フリューゲルヘイゲン王国はフィオルシーニ皇国に乗っ取られる。ヘタをすれば潰されるんだが、それで良いのか?」
「ぅぐっ……、っ」

 息を呑み、そろりと高度を上げた騎士の目に。
 一糸纏わぬ主人の裸体が映る。

 カンテラとろうそくの灯りで輪郭を得た身体は、上から順に見て
 つる、きゅ、ちょっとぽん。
 即ち、つるぺた女子の形をしていた。
 その事実が示す真実。
 それは。

 フリューゲルヘイゲン王国の当代国王ダンデリオン=シュバイツェル。
 その正体は『女性』である、ということ。

 言うまでもなく、特一級の国家機密だった。

「……ってことだから、種付けいまから妊娠・出産・床上げが終わるまでの間、身代わりをよろしく」
「俺を巻き込むなと言っただろうが!!」
「もう遅い」

 グエンはダンデリオンの裸体を見た。
 国王ダンデリオンの正体を知った。
 秘されているべき国家の機密を知ってしまった。
 しかも、上位国との縁結びが果たされようとしている重要な時期に。

 グエンがフリューゲルヘイゲン王国の未来を考えるのなら、彼に残された選択肢は二つ。

 フィオルシーニ皇国に情報が洩れぬよう、適当な理由で処刑くちふうじされるか。
 もしくはダンデリオンに次代の国王となる子供を孕ませ、シュバイツェル王家の子孫繁栄に協力するか、だ。

「卑怯だ……。国を盾に脅迫とか、卑怯すぎる……」
「余が本当に男であれば、このような真似はしなくて済んだのだが」

 天を仰いでがっくりと肩を落とすグエンに対し。
 ダンデリオンは「すまないな」と苦笑う。

「……ったく……。お前が男だったら、俺はここに居ねぇよ」
「……………… ぅん?」

 不意に、グエンの手がダンデリオンの手首を掴む。
 引き寄せられたと思った時には、羽毛布団がダンデリオンの背中を優しく受け止めていた。
 パチクリと瞬く目に、荒削りな土の天井が映る。

「えーと…………もしかしてグーちゃん、知ってた?」
「そりゃあ、初対面や同席の場が少ない他の連中ならともかく、俺とお前はガキの時分から顔を突き合わせてたんだし。どんだけ巧く隠しているつもりでも、長期間近くに居ればバレるもんだぞ? 骨格とか体臭とかで」
「うわ。ヤバイ系統の人間のセリフだ」
「人前でためらいなく素っ裸になれるダンちゃんほどじゃない」

 布ずれの音を聞きながら呆然と仰向けになっていたダンデリオンの両脇に手を置き、肩を露出したグエンがのっそりと覆い被さる。
 国家機密がバレていたことには驚きを隠せなかったが、とりあえず逃げるつもりではなさそうだと、ダンデリオンの頬が安心で緩んだ。

 もしもグエンが本気で拒絶していたら、さすがのダンデリオンでも、引き留められたかどうか怪しい。
 最悪の場合は、近衛騎士の一人と国王の影武者を同時に失踪させる覚悟もしていただけに、ベッドの上で見るグエンの素肌が純粋に嬉しかった。

 そんな気持ちが溢れ出ている微笑みを見下ろすグエンが目を細め、右手でダンデリオンの頬をそっと包む。

「最初に確認しときたいんだけど。お前が選んだのは『俺』か? それとも『影武者も務める近衛騎士』?」
「いや、容姿が似てる者同士の子供なら、出自を疑われる心配は無いかと」
「……色気が無い。やり直し」
「って言われても、」
 
 色気がある答えとはどんなものだ? と、言いかけた唇をグエンの親指がなぞり、互いの額を間近に寄せる。

「容姿が似ていれば、俺以外の誰でも良かったのか?」
「……どう、だろうな。少なくとも現在は、グーちゃん以上に適性があって信頼もできる男性は居ないと思っているが」
「なら、俺が、お前以外の女とこういうコトをしてたら? お前は、どんな気分になる?」
「こういうコト?」

 グエンは、うっすらと微笑み。
 ダンデリオンの目蓋に口付けを落とした。

「グーちゃん?」

 目蓋に、額に、何度も何度も口付けて。
 頬に、唇に、指先をさわさわと滑らせる。
 何分間もずっとそうされていると、普段にない近距離で呼吸を感じるせいもあってか、されるがままになっていたダンデリオンの肌に少しずつ赤みが差し、指先の小さな動き一つにも反応するようになってきた。

「っあ……、ちょっと待てグーちゃん……っ、く、くすぐったぃ……って、ひゃわわわわああああ!?」

 得体の知れないむず痒さ、もどかしさで悶え始める彼女の耳に唇を寄せ。
 伸ばした舌先で耳たぶの輪郭を辿り、ぱくりと食む。

「な、にゃっ、にゃみ、みみ! みみみみみみみみっ!?」

 驚いて奇声を上げるダンデリオンを見下ろし、彼はクックッと、楽しげに喉を鳴らした。

「こういうコト。俺がお前以外の女にやってたら、お前はどう思う?」
「へ、変態……っ! 変質者あ!!」
「子供をくれとか迫ってきたお前が言うか」
「子作りに必要ないだろ、コレは!」
「俺には必要なんだよ。お前以外とやる時にもな」
「……それは、グーちゃんが他の女性と子作りをする、ということか?」
「仮にそうしていたら、お前はどう感じる?」
「……グーちゃんが、他の女性と……」

 それも、考えていなかった、わけではない。

 表向きの国王ダンデリオンは『男性』であり、ダンデリオンが国王である以上、『女性』のダンデリオンとグエンは決して公的な夫婦にはなれない。
 そして、中級とはいえ貴族の子供として生まれたグエンには、家門を存続させる為に、どこかの家門と縁を結ぶ義務がある。

 血を繋ぐ行為は、貴族の責務。
 グエンがダンデリオン以外に妻となる女性と子を成すのは、当然の話。

 なにより、ダンデリオンは女性の身でありながら、上位国の姫君を伴侶に迎え入れる寸前だ。
 王太子の座には、あれこれと手を尽くしてダンデリオンとグエンの子供を就けるとしても。
 皇女を清いままで王妃の座に据えておくなど、皇女への、フィオルシーニ皇国への侮辱でしかない。

 国王ダンデリオンが女性で、王妃となる皇女もまた女性。
 この事実を隠し、かつ白い結婚で終わらせない為には、『男性』の国王が皇女と夜を共にしなければならない。

 それは、女性のダンデリオンにはできないこと。
 影武者を務められるほどに、ダンデリオンとよく似た風貌で、機密保持の面からも本当に信頼できる『男性』にしか預けられないこと。
 先代国王キエル=シュバイツェルが、正体を隠した王太子ダンデリオンと皇女との婚約確定を告げた瞬間から、避けては通れなかった道。

 そうなるだろうと、解っていた。
 ダンデリオンがグエンを選べば、皇女の相手となる国王の役目も、影武者であるグエンに任せなければならない。
 グエンがダンデリオンの正体を受け入れてくれるなら、ダンデリオンからグエンへと、その役目を直に打ち明けて託さなければならないのだと。
 解っていた。
 解ってはいた、けれど。

 探るようなグエンの瞳をじぃっと見つめ。
 ダンデリオンは、きっぱりと答える。


「グエンは、私のものだ」


 自然と伸びた両腕がグエンの身体を包み込み、強い力で抱き寄せる。
 身体全体を密着させて、なお離すまいとする彼女の意外な行動に。
 グエンの両目が大きく開き、満足気に細くなった。

「上等」
「んっ」

 端を吊り上げた薄い唇が、ダンデリオンの唇に触れる。
 初めはついばむように。
 少しずつ、舐めるように。

「ぅ、んん? ふ、あ」

 くすぐったさで開いた狭い隙間に熱いぬめりが割り込み、上顎をこすって舌を絡め取る。
 口内への刺激で溢れ出る吐息と唾液が二人の唇を濡らし、ダンデリオンの顎を伝い落ちてシーツの上に広がった。

「……ぁっ、グエ……ン……」
「はっ……。まだ時間はあったのに、自分から縮めるとか……バカな奴」
「ん……? ふっ……。なんだよ、それ」
「ここまで来たら、もう逃がしてやれないから。後悔はするなよって意味」

 力が抜け落ちた身体に、グエンの重さが伸し掛かる。
 素肌に感じる体温で頬を上気させながら、口付けの息苦しさで痺れた頭のまま、ダンデリオンは艶やかに微笑んだ。

「逃げる気が無いとは嬉しい限りだ。余が子を成すまでは頼むぞ、グエン」





 翌日の昼頃。
 近衛騎士と使用人達を下がらせた客間で。
 黄金色に輝く短髪を曝すグエンと、部屋着姿の皇女が、テーブルを挟んで向かい合うソファーにそれぞれ腰掛け、淹れたての紅茶を一口含んだ。

「……それで、『彼女』は?」

 華やかな薔薇の香りに一息吐いて問うた皇女は、悠然と微笑んでいる。
 影武者として国王の衣装を着用しているグエンも、上位国から来た貴賓を目の前にして、大した緊張感もなくどっしりと構えていた。

「私が目を覚ました時には、まだ眠っていました。初めての経験で、よほど疲れてしまったのだと思います。ですが、『彼女』は律儀な性格なので……今日も頑張ってくれるでしょうし、三日は起き上がれないかも知れません」
「……罪悪感の欠片も無いのですね、貴方には」
「貴女とて同罪でしょう。自ら望んで、わざと騙されているのですから」
「ええ、そうですね」

 やんわりと目を細めて笑う女は、美しい外見とは裏腹に内面が真っ黒だ。炭でもここまで黒くはならないだろう。
 なにしろ、自分の婚約者であるダンデリオン=シュバイツェルの正体を、婚約が確定するずっと前から知っていたのだから。
 今この場で言葉を交わしている男性の正体も知っていて、それでもなお、自らの願いを成就させる為に、何事も無いような顔で結婚の話を進めているのだから。

役職は現王陛下の妃のみ。後継者がどこから現れ、いつ・どのような形で身を立てられようと、私はに寄り添い、妻としての務めを果たすだけです」
「私は貴女が恐ろしいですよ。我が王妃陛下リム・フィアマジュ
「光栄ですわ、我が国王陛下リム・ファルマジュ

 ダンデリオンが知らない所で国家機密と思惑を共有している男女二人は、色とりどりに咲き誇る花々の幻影を背に、ふふふ、うふふと、実に優雅に、実に楽しげに微笑み合った。



 フリューゲルヘイゲン王国には、歴代国王の身代わり役……『影武者』を輩出してきた影の一族が、立国時から存在している。

 影武者とは、実の家族や親戚よりも、国王や王太子と長い時間を共有し、時には国首級会談の務めをも肩代わりする、国王と同等の権限を与えられた『もう一人の国王』であり。
 影の一族とは、その実在と役割を知る者達にとって、『もう一つの王家』と言える存在だ。

 しかし、歴代の国王と影武者達が、内敵を強く意識した秘匿性を利用して時々立場を入れ替えていた事実を知る人間は、ごくごくわずか。
 今代に至っては、知らされていなかった。

 そう。
 フリューゲルヘイゲン王国の先代国王キエル=シュバイツェル唯一の実子として育てられた末、現在は当代国王ダンデリオン=シュバイツェルとして玉座に据えられているの『女性』こそが、実は影の一族が輩出した当代の影武者である。
 そんな真実を、『彼女』本人は、まったく知らない。

 産まれた日から影の一族ハインリヒに預けられて育った正統なる王子グエンが、王子教育を受けている最中だった影武者の『女性』に強く惹かれ、ぜひとも我が妻にと望んでいたからだ。

 影武者の『彼女』と出会った当時、十一歳のグエンは、こう考えていた。

 王太子が女性なら、妃となる者を迎え入れてもシュバイツェル王家の血を継ぐ子供を授けることはできない。
 フリューゲルヘイゲン王国唯一の直系王族キエルの、ただ一人の実子だと思い込まされている影武者の『女性』は、いずれ国家機密を共有できるほどの信を置ける『男性』を選び、己の身体に『男性』との子供を宿そうとするだろう。
 その『男性』には、『彼女』とそっくりな外見を持つ自分こそが適任だ。
 表向きの王子を務める『彼女』の許、自分が影武者に徹して、『彼女』の信用を勝ち取れば。
 『彼女』は自ら望んで自分の妻になる、と。

 数年を『彼女』の隣で過ごし、さすがに身勝手な願望だったと気付いて、わざと心的距離を取ってみたりもしたが。
 『彼女』を影武者に戻してどこぞの貴族に嫁がせることだけはどうしても許せなかった当時の無知なグエンは、先代国王キエルや、ハインリヒ一族を相手に『彼女』が欲しいとわがままをねじ込み。
 国王の正体を知りながらフリューゲルヘイゲン王国への嫁入りを希望する皇女の意外な協力も得て、今日まで真実を隠し通してきたのだ。

 グエンにも一応、真実を打ち明けていないことに対する罪悪感はある。
 あるにはあるのだが、それよりも『彼女』が自分を選び受け入れてくれた事実への喜びが勝って、今は後ろめたさに構う余裕のほうが無かった。

 思いがけず強い力で抱きついてきた『彼女』の温もりが、何時間経っても身体と記憶から消えない。
 今すぐにでも腕の中に閉じ込めてしまいたいと、動けずにいる『彼女』の代わりに請け負った国王としての仕事中も、そんな事ばかり考えていた。



「……では、私はそろそろ公務に戻ります。滞在中は、くれぐれもよろしくお願いしますね。皇女殿下」
「心配はご無用ですわ。どうぞお気兼ねなく、ごゆっくり」
「ありがとうございます」

 シュバイツェル王家直系の血を受け継いでいるのは自分だが、当面の間は影武者の『彼女』こそが、表向きの国王ダンデリオンだ。
 シルバーブロンドのかつらを脱いで騎士の変装を解いた自分と『彼女』の外見に大きな違いは無いが、どれだけ入念に着飾っていても、男女の差は、必ずどこかで見え隠れする。
 共犯者の皇女はともかく、皇国から付いて来た皇女の使用人達には、極力国王の衣装を着た『男性』の印象を残したくない。
 客間での長話は、可能な限り避けるべきだ。

 ……と、もっともらしい言い訳を頭の中で展開させながら。
 開いたばかりの健気な花を、今夜はどんな風に愛でてやろうかと、暗闇に浮かぶ柔肌を思い出しつつ、グエンは浮かれ気分でいそいそと客間から立ち去った。

 だから、彼が知る由もない。

「その幸せも、束の間に終わるでしょうけれど」

 そう呟き微笑む女性の美しいルビー色の虹彩に、何が映っていたのかを。

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