[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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第零話 消えない記憶

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 国に仕える者達は、時として、国王と縁を結んだ妃や愛妾、姫君達が身を置く後宮を『鳥籠』と言い表す。
 王の前でのみさえずることを許されたおんなを閉じ込めておく場所、という意味らしい。

 なるほど、的を射た比喩だ。
 そのような考え方を自身に置き換えてみると、環境の定義に多少の違いは生じるものの、オーリィードにとっての鳥籠は、ウェラント国王ゼルエスが宮殿で使っていた執務室になる。

 廊下側の北一面は、木製の二枚扉と何本かの石柱を埋めた白い壁。
 東西の二面は、国王と王妃がそれぞれ使う寝室に繋がっている扉と、古の神話を描いた色彩豊かで大小様々な絵画が華を添え。
 王城の一郭を眼下に望むバルコニーと接する南側の一面には、職人の技を惜しみなく注ぎ込ませた透明な強化ガラス製の扉が六枚も設置され。
 開放的で明るいながらあまり広くない室内では、重厚感を醸し出す木製の机と椅子が一組、中身をびっしり詰め込んだ本棚や、豪奢な装飾が施された衝立、三人掛けのソファー二台に挟まれたローテーブルが、床面積の大半を占めていた。

 一見、ちょっと豪華なだけで、何の変哲も無い仕事部屋。
 貴族や民の大半に『天下の愚王』と蔑まれ嘲笑されていたゼルエスでも、その部屋で書類と睨み合う時だけは、不思議とまともな人間に見えた。
 不意に手が空き、欲を孕んだ目線が、一国の姫と称するに相応しい装いをさせられていたオーリィードの姿を捉えるまでは。

 ソファーの座面に背中を縫い付けて。
 ガラスの扉に上半身を押し付けて。
 机や黒い絨毯の上に押し倒して。
 改めて数え直すのもバカバカしくてうんざりするほど、ゼルエスは何度も何度もオーリィードを蝕んだ。

 拘束はしない。
 手足を縛る鎖や、扉を固定する錠と鍵はもちろん、オーリィードの食事や身なりを整えさせる為のメイドにも出入りの制限は無く、ゼルエスや客人を護衛する騎士達以外には、脱走防止用の見張りさえ立たせない。
 必要が無かったからだ。

 曲がりなりにも、宮廷騎士として隊長にまで昇格する力と技と実績を得ていながら、ゼルエスが室外へ、城外へ出ている隙に逃げようと考えるだけの気力も湧かないほど、当時のオーリィードは壊れていた。
 一人きりの室内で、開け放たれた扉と、無人の廊下を視界に捉えている時ですら、ソファーに座ったまま一歩たりとも動こうとしないほど、徹底的に壊されていた。

 それでもゼルエスと過ごした時間が殺意を掻き立てる忌々しい記憶として鮮明に残っているのは、生き人形も同然になるまで追い詰めた張本人であるゼルエスが、正気を手放す自由もあらかじめ奪っていたからに他ならない。


「忘れるな」

 耳を打つ、低い艶声あだごえ

「決して、忘れるな」

 背後から抱き締めてくる、傲慢な腕と身体。

「お前だけだ」

 頭頂部から足の爪の先まで、余す所無く刻み付けられた無遠慮な感触。

「お前だけが、動かせる」

 強引に重ね合わされた吐息と熱と鼓動。

「お前の存在だけが、唯一の可能性」

 紡がれる言葉の一音一音が……煩わしい。

「お前の強い想いだけが、サーラ達を護れる」

 実の父親の命も、母親と積み重ねる筈だった思い出も。
 最愛の姉が護ってくれていた黄色い花も、姉と交わした約束も、生涯ただ一人と定めた主人に立てた誓約も。
 将来の夢や希望や、叶わないと知っていても捨てられなかった、淡く儚い想いでさえ。
 何もかもを根こそぎ奪い取っておきながら、ゼルエスは語った。

「お前の嘆きと怒り、嫌悪と憎悪だけが、サーラ達の未来を護り抜く唯一の手段だ」

 姉妹の絆を無情に引き裂いた日から、ベルゼーラ国王リブロムの影武者に首を落とされるその日までの、約八ヶ月間。

「これから先、どんな事が起きても、決してそれを忘れるな」

 支配者気取りの命令口調はそのままに、すがるような声色で。

「いつか、すべてを取り戻す瞬間まで。決して、お前の名を忘れるな」

 女性特有の、月の障りが二人の間に横たわる時も。

「忘れるな、オーリィード」

 毎日欠かさず、語り続けていた。

「オーリィード……私の花……」


「オーリィード・シュヴェル・シュバイツァー」

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