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外伝
少女怪盗と仮面の神父 52
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波の音が聴こえる。
風に流され、浜に乗り上げ、砂を攫って沖へ帰る、涼やかな水の音。
遠く離れた場所から聴くだけでも、波打ち際の壮大な景色が思い浮かぶ、不思議な子守歌だ。
「ああ──……飛び込みたいぃ~~。泳ぎたぁあ~~いぃ~~」
「ダ・メ・よ。足裏の傷も完治してないのに、海水に入ってどうするの! 痛いだけよ? 溺れて皆さんに心配を掛けたくないでしょう? これからが本番なんだから、だらけてないでシャキッとしなさい、シャキッと!」
「解ってますけどぉ~~。でも、もう……いろいろ、限界……」
ペンを右手に持ったまま。
記入済みの書類が山積する机の上に上半身をパタッと倒すミートリッテ。
斜め後ろに立つ神父姿のアーレストが、呆れた様子で両肩を持ち上げた。
「仕方ないわねえ。少しだけ寝かせてあげましょうか? ここで。今すぐ」
「いいえ結構です! 疲れてなんかいませんよ私! ほらほら見て見て! もーすっごく意欲満々で、落ち着かないったらありゃしないっ! さーて、次のお役目頑張っちゃうぞ⁉︎ 善は急げだ、行ってきまーすっ‼︎」
三回も四回も寝顔を覗かれて堪るか!
ただでさえ執務室に二人きり、なんて世にも恐ろしい状況だというのに、アーレストの前でスヨスヨ寝てましたあ~などと女衆に知れたら、いったいどんな目に遭わされるか。考えたくもない。
ぐぁばっ! と勢いよく立ち上がってペンを放り出し。
礼拝堂へと走……りはせずに、早足で移動する。
「難儀な娘ねぇ」
背後で零れるため息交じりのセリフにも、「お前のせいだぁああ‼︎」とは突っ込まない自分。短期間でずいぶん大人になったよねぇ。
日々これ成長だ。うんうん。
一時間ほど前、数日ぶりに再会した瞬間、アーレストの鼻っ柱を目がけて振り上げた握り拳があっさりと避けられた件はもう、ワスレマシタ。
くそうっ!
「ふっ……はーぁっ! 気持ち良いぃ~~……」
無人の礼拝堂と正面の扉を潜り抜け。
白銀のアーチへ向かって、アプローチをまっすぐに進む。
時折背後から襲ってくる木の葉はやっぱり痛いが、強めに吹く風は疲れで火照った体に心地好い。
「んむ。平穏無事が一番だぁわぁあ~~……あぁふ」
菜園と繋がる坂道の途中で一旦立ち止まり。
両の拳を天に突き上げて、ぐぐぐーっ と背筋を伸ばす。
見渡す空は青く高く、雲は白く厚く。
山は深い緑に彩られ、海は陽光を反射してキラキラ輝き。
暗殺組織が潜伏していた時の息詰まるような緊迫した空気はどこへやら、ここ数日のネアウィック村には、子供達の笑い声と大人達の囁きが絶えず、常よりも活気に満ち溢れている。
特に今日は、朝陽が顔を出す前から、とっても賑やかだ。
それが嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、寂しくもあり……
「……~~ぅだあっ! ヤメヤメ! 落ち込むの禁止! お役目のことだけ考えてりゃ良いのよ、私は!」
ぶんぶん頭を振って余計な思考を排除しつつ、下り方面へと歩き出す。
睫毛に付いた水滴は、欠伸をしたからだと思いたい。
ハウィスの家で目を覚ましてから三日目の今日。
滞在期限が切れたバーデルの軍人達は、事情聴取が終わるまで密入国達は渡さないと主張するアルスエルナ側に対し、ベルヘンス卿と他数名の騎士を『山荘炎上と警備隊殺害に関する重要参考人』として。
アリア信仰の大司教二人を、『ベルヘンス卿達の付き添い兼バーデルでの言動見届け役』として伴い、昼少し前に全員帰国した。
初めは最重要当事者であるミートリッテも連れて行く、と言っていたが、ずっと寝てたからほとんど何も知らないし、説明を求められてもこれ以上は答えようがない。
第一全身怪我だらけで憔悴してる被害者を国外へ連行するとは何事か‼︎ と、アルスエルナ勢が総出で拒否。
バーデル王国とアリア信仰では、どちらが社会的な信用を多く得られるか考えるまでもない上、ミートリッテの寝姿は両国揃って確認していたので、あまり強気には出られなかったもよう。
これがなんと。
エルーラン王子とそっくりな格好で彼の後ろに控えていた二人の男性が。
アルスエルナ王国中央教会に務める中央区司教兼大司教のコルダと。
バーデル王国中央教会に務める中央区司教兼大司教のタグラハンだった。
お見舞いに来てくれたらしい二人は、ミートリッテと挨拶を交わした後、これぞまさしく好好爺といった表情で
「結構前から、ウチの子達がなにやらコソコソしていたからねぇ。ちょっと様子を見てみようか? って、友人のタグラハン君と手紙で話してたんだ。そしたら殿下が、ご一緒に観光でもいかが? ちょうどこれから、南方領のオレンジが美味しくなる季節なんですよ……って、お声がけくださってね。大体一ヵ月くらい前になるかなあ? 王都を出たの」
「うん、そうだね。私がバーデルの中央教会を出立したのはそれよりずっと前なんだけどね。陸路は移動に時間が掛かるから困るよ」
「それも観光の楽しみじゃない。いろいろ見て回ったんでしょ?」
「勉強にはなるね。馬車に体力を持ってかれちゃうのが難点だけど」
「ふふ。振動を軽減する車輪と凹凸が少ない道路の整備は今後の課題かな」
とまあ、なんとものんびり、ゆったりな口調で話していたが。
要するに、移動距離の関係上バーデルの軍人が入国許可を求めてくる前に王都を出ている必要があったエルーラン王子が、異変を察知していた大司教二人に声を掛け、第一騎士団を動かしても不自然ではない表向きの理由……国賓級の護衛対象として『リアメルティ領付近までの視察を兼ねた観光』に同行してもらったのだそうだ。
たまたま近くで『複数の手紙』を受け取ったから、急いで来ましたよー。
という演出の為にバーデルの第一都市からも要人を呼び込んでいたとか。
本当に、いつからの計画だったのやら……空恐ろしい人である。
とにかくそんなわけで、現在ネアウィック村に残っている武装勢力は
エルーラン王子が率いてきた第一・第二騎士団の各小隊と、
自警団や村民に扮していた第三王子と、第二騎士団の小隊。
それに、村外で待機している第三騎士団の小隊と、彼らに拘束されている暗殺者達。
加えて、本日の正午から新任領主ハウィス=アジュール=リアメルティの正式な護衛役となった、十二人編成のリアメルティ騎士団だ。
十二人の正体は、言わずもがな。
長年の諜報活動と今回の捕り物劇における功績を称え、エルーラン王子が直々に手を回して出世させたとのこと。
本人達に言わせれば「窮屈な制服を毎日着ろとかスゲー迷惑」らしいが。
険悪な雰囲気になっていた村の人達が、今日の明るさを取り戻せたのは、顔見知りの彼らが揃って元気に帰村、領守に着任したからでもある。
元々エルーラン王子に認められていた実力者達。
村民から寄せられる信頼も大きいようだ。
なお、マーシャルは眠っていて尋けないので彼らに確かめてみたところ、『アムネリダ』の意味は『恋人』だと答えられた。
直後、船上でのあれ……演技? だよね……? と。
疑問が顔に出てしまったのか、お嬢には五年早ぇよと爆笑された。
この件に関する真相は、五年後でも十年後でも、知りたくないと思う。
「おお。お疲れさん」
「……あ! お疲れ様です、ピッシュさん!」
菜園を通り抜け、果樹園への坂道に足を掛けた所で。
後ろから来た雇い主の手に、左肩をポンと軽く叩かれた。
どうやらピッシュも、これから仕事場へ向かうようだ。
いや、既に何往復かした後か。
今朝早くにも、坂道を上る作業着姿の彼を見ていた覚えがある。
「今日はずっと歩き通してただろ。足裏、辛くないか?」
横並びで足を運んでいる途中、彼の目がこちらの足元をちらりと窺った。
珍しく開き気味な両目は、それでもはっきりとした色を現さない。
「一時間くらいは座ってましたし、全然問題ありません! たとえ痛くても気合で頑張りますよ。ピッシュさんの果樹園に行くのも今日で最後ですし。むしろ、残業ができなくて残念です」
「ははっ。普通は嫌われるモノなんだけどな、残業なんて」
「わあ勿体ない! 果樹園での仕事を嫌がるとか、人生の大損失ですよ! 手塩にかけた果実が、傷一つ無く丸々と大きく、香り良く育った時の感動と言ったら、もう……! ああ~~……続けたかったなあ……」
「そうは言っても、果実の手入れより大切な仕事が見つかったんだろ?」
「はい。だから、甘えん坊な三つ葉の根を大好きな畑から引っこ抜かなきゃいけないんです。遠慮なく放り投げてくださいね? 嗅覚に優れた果樹園の監視者様」
「んんー。なかなか心が痛むなぁ」
晴れ晴れした笑顔を見せつけて「大丈夫ですよ」と言っても。
彼は、苦笑いで唇の端を持ち上げるだけ。
関係者からの示唆は一切なかったが、しかし。
語られた事実と、現状と、自分で持ち歩いていた証拠の数々が。
優しくも罪深い真実を、ミートリッテに向けて指し示していた。
なら、彼にも伝えるべき言葉が残っている。
「甘やかしちゃいけません! 甘やかされた三つ葉は爆発的に数を増やし、将来的には農作物にも悪影響です。実際、風に飛ばされた種子の悪戯とか、目に余るものがあったでしょう?」
「いや。ウチから飛んでった種子かどうかを疑われたのは確かだが、果樹園自体の潔白はすぐに証明されてたし。なにより手土産に持参したオレンジの実や副産品を気に入ってくれる方が多くてな。拡がった風評被害と同じだけ注文数が増加してくもんだから正直かなり助かってた。被害者が出てる話で無神経だとは思うけど、従業員の給料を増やせてたのは大きいぞ」
「なんとっ⁉︎」
彼にも大迷惑だったシャムロックの行為は、一方で利益向上ともしっかり結び付いていたらしい。
無論それは、彼のオレンジに対する真摯な愛情と、たくましい商売根性があってこその結果だが。
「え。じゃあ、ピッシュさんがくれたあのマーマレードには、特に他意とかなくて、本当に」
「単なるお礼だ。先日も新規で大口の契約が結べたから」
「ふえぇ。私はてっきり偉い人の密命で目印代わりに持たされてたのかと。事象の逆算だけじゃ判らないものですねぇ」
「計画と目標は、ある程度望み通りの結果を引き寄せるが、結果から偶然と必然を選り分けるのは至難の業だからな。決定的な間違いを犯さないよう、思い込みには注意しておけ。これ、経験者からの助言。」
「すごく勉強になります! でもやっぱり、土に含まれてる栄養には限りがあるんですから、三つ葉の分は実りある作物へ回してください。私は遠くでみんなの様子を満足気に眺めてますから。ね?」
「……了解。ま、頑張れ」
「はい! 今まで本当に、ありがとうございました!」
髪をくしゃくしゃに撫でられ、嬉しさと気恥ずかしさとほんの少し混じる寂しさを誤魔化すように、歩く速度を上げて前へ進み。
ふと、彼の数歩分先で振り返り、首を傾ける。
「あ。そうだ、ピッシュさん」
「ん?」
「マーシャルさんの誘いを断ったのは、ハウィスが怖かったからですか?」
ハウィスは、マーシャルを含めたブルーローズの総人数を『十四人』。
表舞台に出ていたのは『十三人』だと言い切った。
イオーネも、ブルーローズは『十三人』だと思っていた節がある。
だとしたら、表舞台に出ず、イオーネに認識されなかった残りの一人は、どこへ行ったのか? ブルーローズ内で何をしていたのか?
マーシャルに手を出さなかったらしい構成員との関係は?
様々な情報を吟味した上での推測でしかなかったのだが。
ピッシュは間髪を容れず「まさか」と笑った。
「ハウィスを愛してるからだ」
これこそまさかの、ド直球。
「男性ってこういう時、態度で察しろとか女性を超能力者扱いするものだと思ってました。けど、肝心なハウィスには何も言ってないんですよね?」
「ただでさえ、守りが堅かったからな。今じゃ立派な子持ちだし。正面から切り込んでも勝てる気がしない」
「おおぅ、なんとも反応しづらい現実! じゃあ、村に残ったのも」
「いや、それは趣味が実益を兼ねてたってトコだ。姐さんと知り合う前に、植物学者から農業の基礎を学ぶ機会があったんだよ。それ以来、勉強自体が楽しくてな。姐さん達の所でも頭脳派を気取ってた。で、ネアウィック村に移住してきた後は、この知識と、異様に鋭い嗅覚を当時の村長に買われて、あの農園を任されたってワケ。村の人間に獲られるくらいならあわよくばと思わなくもなかったが、未婚の母はさすがに予想外だったな」
「あははー……申し訳ありませんっ!」
「いや。こんなに可愛い娘なら大歓迎だ。いつでも帰っておいで」
坂道の上方から頭を下げる仮の従業員に。
雇い主は、ふんわりと微笑みながら右手を差し出した。
さりげなく付け加えられた言葉で、うっかり眼球が潤みそうになる。
「……お母さんを、よろしくお願いします!」
上半身を跳ね起こした勢いのまま彼の手を両手で握り。
ぐぐっと力を籠めた。
「ん。任された」
彼も、痛くない程度の力で応じてくれる。
「さて。それじゃ、役目を果たしに行くか。着替えは持ってきてるのか? 長衣のままじゃ動きづらいだろ」
いつかどこかで再会した時は、四人家族になっていたら良いな、と
「大丈夫です! 下に作業着を着込んでおいたので!」
「……この暑い時期に重ね着なんかしてて、よく倒れなかったな」
「それは自分でも、早まったなあ~とは思ってました」
風に揺れる木々の狭間で、そんな綺麗な、夢を見る。
風に流され、浜に乗り上げ、砂を攫って沖へ帰る、涼やかな水の音。
遠く離れた場所から聴くだけでも、波打ち際の壮大な景色が思い浮かぶ、不思議な子守歌だ。
「ああ──……飛び込みたいぃ~~。泳ぎたぁあ~~いぃ~~」
「ダ・メ・よ。足裏の傷も完治してないのに、海水に入ってどうするの! 痛いだけよ? 溺れて皆さんに心配を掛けたくないでしょう? これからが本番なんだから、だらけてないでシャキッとしなさい、シャキッと!」
「解ってますけどぉ~~。でも、もう……いろいろ、限界……」
ペンを右手に持ったまま。
記入済みの書類が山積する机の上に上半身をパタッと倒すミートリッテ。
斜め後ろに立つ神父姿のアーレストが、呆れた様子で両肩を持ち上げた。
「仕方ないわねえ。少しだけ寝かせてあげましょうか? ここで。今すぐ」
「いいえ結構です! 疲れてなんかいませんよ私! ほらほら見て見て! もーすっごく意欲満々で、落ち着かないったらありゃしないっ! さーて、次のお役目頑張っちゃうぞ⁉︎ 善は急げだ、行ってきまーすっ‼︎」
三回も四回も寝顔を覗かれて堪るか!
ただでさえ執務室に二人きり、なんて世にも恐ろしい状況だというのに、アーレストの前でスヨスヨ寝てましたあ~などと女衆に知れたら、いったいどんな目に遭わされるか。考えたくもない。
ぐぁばっ! と勢いよく立ち上がってペンを放り出し。
礼拝堂へと走……りはせずに、早足で移動する。
「難儀な娘ねぇ」
背後で零れるため息交じりのセリフにも、「お前のせいだぁああ‼︎」とは突っ込まない自分。短期間でずいぶん大人になったよねぇ。
日々これ成長だ。うんうん。
一時間ほど前、数日ぶりに再会した瞬間、アーレストの鼻っ柱を目がけて振り上げた握り拳があっさりと避けられた件はもう、ワスレマシタ。
くそうっ!
「ふっ……はーぁっ! 気持ち良いぃ~~……」
無人の礼拝堂と正面の扉を潜り抜け。
白銀のアーチへ向かって、アプローチをまっすぐに進む。
時折背後から襲ってくる木の葉はやっぱり痛いが、強めに吹く風は疲れで火照った体に心地好い。
「んむ。平穏無事が一番だぁわぁあ~~……あぁふ」
菜園と繋がる坂道の途中で一旦立ち止まり。
両の拳を天に突き上げて、ぐぐぐーっ と背筋を伸ばす。
見渡す空は青く高く、雲は白く厚く。
山は深い緑に彩られ、海は陽光を反射してキラキラ輝き。
暗殺組織が潜伏していた時の息詰まるような緊迫した空気はどこへやら、ここ数日のネアウィック村には、子供達の笑い声と大人達の囁きが絶えず、常よりも活気に満ち溢れている。
特に今日は、朝陽が顔を出す前から、とっても賑やかだ。
それが嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、寂しくもあり……
「……~~ぅだあっ! ヤメヤメ! 落ち込むの禁止! お役目のことだけ考えてりゃ良いのよ、私は!」
ぶんぶん頭を振って余計な思考を排除しつつ、下り方面へと歩き出す。
睫毛に付いた水滴は、欠伸をしたからだと思いたい。
ハウィスの家で目を覚ましてから三日目の今日。
滞在期限が切れたバーデルの軍人達は、事情聴取が終わるまで密入国達は渡さないと主張するアルスエルナ側に対し、ベルヘンス卿と他数名の騎士を『山荘炎上と警備隊殺害に関する重要参考人』として。
アリア信仰の大司教二人を、『ベルヘンス卿達の付き添い兼バーデルでの言動見届け役』として伴い、昼少し前に全員帰国した。
初めは最重要当事者であるミートリッテも連れて行く、と言っていたが、ずっと寝てたからほとんど何も知らないし、説明を求められてもこれ以上は答えようがない。
第一全身怪我だらけで憔悴してる被害者を国外へ連行するとは何事か‼︎ と、アルスエルナ勢が総出で拒否。
バーデル王国とアリア信仰では、どちらが社会的な信用を多く得られるか考えるまでもない上、ミートリッテの寝姿は両国揃って確認していたので、あまり強気には出られなかったもよう。
これがなんと。
エルーラン王子とそっくりな格好で彼の後ろに控えていた二人の男性が。
アルスエルナ王国中央教会に務める中央区司教兼大司教のコルダと。
バーデル王国中央教会に務める中央区司教兼大司教のタグラハンだった。
お見舞いに来てくれたらしい二人は、ミートリッテと挨拶を交わした後、これぞまさしく好好爺といった表情で
「結構前から、ウチの子達がなにやらコソコソしていたからねぇ。ちょっと様子を見てみようか? って、友人のタグラハン君と手紙で話してたんだ。そしたら殿下が、ご一緒に観光でもいかが? ちょうどこれから、南方領のオレンジが美味しくなる季節なんですよ……って、お声がけくださってね。大体一ヵ月くらい前になるかなあ? 王都を出たの」
「うん、そうだね。私がバーデルの中央教会を出立したのはそれよりずっと前なんだけどね。陸路は移動に時間が掛かるから困るよ」
「それも観光の楽しみじゃない。いろいろ見て回ったんでしょ?」
「勉強にはなるね。馬車に体力を持ってかれちゃうのが難点だけど」
「ふふ。振動を軽減する車輪と凹凸が少ない道路の整備は今後の課題かな」
とまあ、なんとものんびり、ゆったりな口調で話していたが。
要するに、移動距離の関係上バーデルの軍人が入国許可を求めてくる前に王都を出ている必要があったエルーラン王子が、異変を察知していた大司教二人に声を掛け、第一騎士団を動かしても不自然ではない表向きの理由……国賓級の護衛対象として『リアメルティ領付近までの視察を兼ねた観光』に同行してもらったのだそうだ。
たまたま近くで『複数の手紙』を受け取ったから、急いで来ましたよー。
という演出の為にバーデルの第一都市からも要人を呼び込んでいたとか。
本当に、いつからの計画だったのやら……空恐ろしい人である。
とにかくそんなわけで、現在ネアウィック村に残っている武装勢力は
エルーラン王子が率いてきた第一・第二騎士団の各小隊と、
自警団や村民に扮していた第三王子と、第二騎士団の小隊。
それに、村外で待機している第三騎士団の小隊と、彼らに拘束されている暗殺者達。
加えて、本日の正午から新任領主ハウィス=アジュール=リアメルティの正式な護衛役となった、十二人編成のリアメルティ騎士団だ。
十二人の正体は、言わずもがな。
長年の諜報活動と今回の捕り物劇における功績を称え、エルーラン王子が直々に手を回して出世させたとのこと。
本人達に言わせれば「窮屈な制服を毎日着ろとかスゲー迷惑」らしいが。
険悪な雰囲気になっていた村の人達が、今日の明るさを取り戻せたのは、顔見知りの彼らが揃って元気に帰村、領守に着任したからでもある。
元々エルーラン王子に認められていた実力者達。
村民から寄せられる信頼も大きいようだ。
なお、マーシャルは眠っていて尋けないので彼らに確かめてみたところ、『アムネリダ』の意味は『恋人』だと答えられた。
直後、船上でのあれ……演技? だよね……? と。
疑問が顔に出てしまったのか、お嬢には五年早ぇよと爆笑された。
この件に関する真相は、五年後でも十年後でも、知りたくないと思う。
「おお。お疲れさん」
「……あ! お疲れ様です、ピッシュさん!」
菜園を通り抜け、果樹園への坂道に足を掛けた所で。
後ろから来た雇い主の手に、左肩をポンと軽く叩かれた。
どうやらピッシュも、これから仕事場へ向かうようだ。
いや、既に何往復かした後か。
今朝早くにも、坂道を上る作業着姿の彼を見ていた覚えがある。
「今日はずっと歩き通してただろ。足裏、辛くないか?」
横並びで足を運んでいる途中、彼の目がこちらの足元をちらりと窺った。
珍しく開き気味な両目は、それでもはっきりとした色を現さない。
「一時間くらいは座ってましたし、全然問題ありません! たとえ痛くても気合で頑張りますよ。ピッシュさんの果樹園に行くのも今日で最後ですし。むしろ、残業ができなくて残念です」
「ははっ。普通は嫌われるモノなんだけどな、残業なんて」
「わあ勿体ない! 果樹園での仕事を嫌がるとか、人生の大損失ですよ! 手塩にかけた果実が、傷一つ無く丸々と大きく、香り良く育った時の感動と言ったら、もう……! ああ~~……続けたかったなあ……」
「そうは言っても、果実の手入れより大切な仕事が見つかったんだろ?」
「はい。だから、甘えん坊な三つ葉の根を大好きな畑から引っこ抜かなきゃいけないんです。遠慮なく放り投げてくださいね? 嗅覚に優れた果樹園の監視者様」
「んんー。なかなか心が痛むなぁ」
晴れ晴れした笑顔を見せつけて「大丈夫ですよ」と言っても。
彼は、苦笑いで唇の端を持ち上げるだけ。
関係者からの示唆は一切なかったが、しかし。
語られた事実と、現状と、自分で持ち歩いていた証拠の数々が。
優しくも罪深い真実を、ミートリッテに向けて指し示していた。
なら、彼にも伝えるべき言葉が残っている。
「甘やかしちゃいけません! 甘やかされた三つ葉は爆発的に数を増やし、将来的には農作物にも悪影響です。実際、風に飛ばされた種子の悪戯とか、目に余るものがあったでしょう?」
「いや。ウチから飛んでった種子かどうかを疑われたのは確かだが、果樹園自体の潔白はすぐに証明されてたし。なにより手土産に持参したオレンジの実や副産品を気に入ってくれる方が多くてな。拡がった風評被害と同じだけ注文数が増加してくもんだから正直かなり助かってた。被害者が出てる話で無神経だとは思うけど、従業員の給料を増やせてたのは大きいぞ」
「なんとっ⁉︎」
彼にも大迷惑だったシャムロックの行為は、一方で利益向上ともしっかり結び付いていたらしい。
無論それは、彼のオレンジに対する真摯な愛情と、たくましい商売根性があってこその結果だが。
「え。じゃあ、ピッシュさんがくれたあのマーマレードには、特に他意とかなくて、本当に」
「単なるお礼だ。先日も新規で大口の契約が結べたから」
「ふえぇ。私はてっきり偉い人の密命で目印代わりに持たされてたのかと。事象の逆算だけじゃ判らないものですねぇ」
「計画と目標は、ある程度望み通りの結果を引き寄せるが、結果から偶然と必然を選り分けるのは至難の業だからな。決定的な間違いを犯さないよう、思い込みには注意しておけ。これ、経験者からの助言。」
「すごく勉強になります! でもやっぱり、土に含まれてる栄養には限りがあるんですから、三つ葉の分は実りある作物へ回してください。私は遠くでみんなの様子を満足気に眺めてますから。ね?」
「……了解。ま、頑張れ」
「はい! 今まで本当に、ありがとうございました!」
髪をくしゃくしゃに撫でられ、嬉しさと気恥ずかしさとほんの少し混じる寂しさを誤魔化すように、歩く速度を上げて前へ進み。
ふと、彼の数歩分先で振り返り、首を傾ける。
「あ。そうだ、ピッシュさん」
「ん?」
「マーシャルさんの誘いを断ったのは、ハウィスが怖かったからですか?」
ハウィスは、マーシャルを含めたブルーローズの総人数を『十四人』。
表舞台に出ていたのは『十三人』だと言い切った。
イオーネも、ブルーローズは『十三人』だと思っていた節がある。
だとしたら、表舞台に出ず、イオーネに認識されなかった残りの一人は、どこへ行ったのか? ブルーローズ内で何をしていたのか?
マーシャルに手を出さなかったらしい構成員との関係は?
様々な情報を吟味した上での推測でしかなかったのだが。
ピッシュは間髪を容れず「まさか」と笑った。
「ハウィスを愛してるからだ」
これこそまさかの、ド直球。
「男性ってこういう時、態度で察しろとか女性を超能力者扱いするものだと思ってました。けど、肝心なハウィスには何も言ってないんですよね?」
「ただでさえ、守りが堅かったからな。今じゃ立派な子持ちだし。正面から切り込んでも勝てる気がしない」
「おおぅ、なんとも反応しづらい現実! じゃあ、村に残ったのも」
「いや、それは趣味が実益を兼ねてたってトコだ。姐さんと知り合う前に、植物学者から農業の基礎を学ぶ機会があったんだよ。それ以来、勉強自体が楽しくてな。姐さん達の所でも頭脳派を気取ってた。で、ネアウィック村に移住してきた後は、この知識と、異様に鋭い嗅覚を当時の村長に買われて、あの農園を任されたってワケ。村の人間に獲られるくらいならあわよくばと思わなくもなかったが、未婚の母はさすがに予想外だったな」
「あははー……申し訳ありませんっ!」
「いや。こんなに可愛い娘なら大歓迎だ。いつでも帰っておいで」
坂道の上方から頭を下げる仮の従業員に。
雇い主は、ふんわりと微笑みながら右手を差し出した。
さりげなく付け加えられた言葉で、うっかり眼球が潤みそうになる。
「……お母さんを、よろしくお願いします!」
上半身を跳ね起こした勢いのまま彼の手を両手で握り。
ぐぐっと力を籠めた。
「ん。任された」
彼も、痛くない程度の力で応じてくれる。
「さて。それじゃ、役目を果たしに行くか。着替えは持ってきてるのか? 長衣のままじゃ動きづらいだろ」
いつかどこかで再会した時は、四人家族になっていたら良いな、と
「大丈夫です! 下に作業着を着込んでおいたので!」
「……この暑い時期に重ね着なんかしてて、よく倒れなかったな」
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