【R18】逆さの砂時計

梅見月ふたよ

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外伝

少女怪盗と仮面の神父 47

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 大戦終結後、十数年。 
 世界中で漂う憎悪の念や、血脂ちあぶらが放つ悪臭を前に、各国の法政やら個々の理性やらが未だ混迷していた時世。
 片親の不義や人格を無視した性暴力が原因で、父母とされる二人の外見的特徴を受け継がない子供は、それほど珍しくなかった。

 しかし、血の繋がりは確かでありながら親戚の誰とも異なる左右非対称の虹彩色を持つ子供は、時代を問わず、世界的に見ても極めて稀だ。
 その為一部の好事家達の間では、一度でも彼らを見ればその後は死ぬまで夢としか思えない幸福に満たされるか、はたまた筆舌に尽くしがたい災厄に見舞われ続けるだろうとささやかれていた。

 そうした、ささやかれる事象に関して明確な根拠が一つも提示されていない、実像が曖昧あいまいすぎる所伝からも分かる通り、彼らには血統による特徴の継承やそれに基づく独自の共同体……『一族』と呼べる性質が無い。

 また、虹彩異色と呼称されながらも、目の色が左右で違う他に共通する特異性などはほとんど見当たらず、時には両目共血縁とかけ離れた色になる原因も判っていないことから、医学・生物学の見解上、『病』というよりは『突然変異』に分類されている。

 当然、彼らと親交を結んだ人間も数は少なく、世界各地であらゆる情報を掻き集めて共有する各国の外交官や商人や語り部でさえ、時折偶然耳に入る各地元民の密やかな噂程度でしか、存在を把握できないのが実状だ。

 だからこそ。
 目の前で死を選んだ少女の珍しい虹彩の色は、自らの行いが引き起こした惨劇の証として、ハウィスの脳にこれ以上ないほど鮮明に焼き付いていた。
 歳を重ね、やがて自分や周囲に関する記憶が掠れ消えてしまっても、の少女の容姿だけは絶対に忘れたりしないと断言できる。

 そんなハウィスにとって、目に限らず髪や肌までもが少女とまったく同じ色合いを有するアルフィンは、まさしく罪悪と恐怖の象徴だった。
 幼子らしいまっすぐな眼差しが、いつ何時嘲笑の形へと豹変し、どうして私があんな目に遭わなきゃいけなかったの? 人殺しのお前は今でも誰かに護られてぬくぬくと生きているくせに、となじってくるか。
 考えるだけでゾッとした。

 もちろん、アルフィン自身にハウィスを責める意図は欠片もない。
 彼女はただ単に、弱り切った姿で寝込む女性を心配してるだけ。
 それはハウィスにも伝わっていた。
 解ってはいる、けど。

 アルフィンの裏がない思いやりは理解できても。
 少女に酷似した虹彩と顔立ちが怖すぎて、どうしても直視できないのだ。
 アルフィンと同じ家で同じ時間を過ごしてほしい、というティルティアの願いは、とてもじゃないが受け入れられるものではなかった。

 涙に濡れた両目を見開き、ぎこちなく頭を振って拒絶を示すハウィス。
 だがティルティアは眉尻を下げ、今は答えなくて良いと苦笑いを返した。

「とりあえず今日は、私の考えを伝えておきたかっただけよ。貴女が自力で歩けるようになったら、改めて私達から話を聴いてちょうだい。貴女一人の問題ではないし、よく考えてから結論を出してほしいの」

 父親は、予期せぬ海難で命を落とす危険と常に隣り合わせな遠海漁師。
 母親は病に侵され、これから先は家事も育児もままならなくなる。
 確かに、幼い子供のつつがない成長を願うならずっと傍に居てあげられる存在の確保は急務だろう。

 だが、ハウィスがアルフィンに対して並ならぬ恐怖心を抱いている以上、どれだけ考えても出せる答えは一つしかない。
 それでなくても、殺してしまった少女に似ているだけの無関係な女の子を避けたがる酷い人間に対し、よりによって避けようとしていた女の子本人の将来を預けられても困る。
 何を思って自分を選んだのかは知らないが、頼むから他を当たってくれ。
 そう、はっきり断りたかった。
 でも。

「できれば、貴女を含むみんなに、幸せでいてもらいたんだけどね」

 嫌だ の一言も満足に操れないハウィスを残し。
 母娘は部屋を、家を出て行ってしまった。
 そして、娘を抱えて微笑む母親の姿を見たのは、その日が最後だった。

 話なんか聴きたくない。
 回復した後にアルフィンを預からなきゃいけないなら。
 いっそ、このまま殺してくれ。

 目蓋の奥で少女の笑い声に謝りながら、窓を打つ雨の気配に安堵を覚え。
 暖かな陽射しと穏やかな潮騒、吹き込む風と海鳥の軽快な鳴き声に怯えた数ヵ月を経て、喉を傷めない声と屋内を自由に動き回れる体力を取り戻し。
 ぱたりと途絶えた母娘の訪れに、疑問とわずかな不安を感じ始めた頃。
 突然、彼が現れた。

「ふぅーん? 一応の学習能力はあるのか。なら、手間暇かけて連れてきた甲斐があったな」

 首筋で束ねた、肩に掛かる長さの硬質な金髪。
 瑞々しい若葉を連想させる緑色のつり目。
 一般民が着用するには堅苦しく、仰々しい装い。
 十代後半の少年らしい顔立ちと親しみやすい口調に反した重厚な威圧感。

 ハウィスは彼を一目で敵と認識、ベッドの上で上体を起こして身構えた。
 同時に『手を出してはいけない相手だ』とも判断し、膨れ上がった敵意を必死で抑え込む。

 武力行使で敵うかどうか。
 その点に限れば、おそらく回復直後の自分でも勝てる。
 彼の背後に立つ騎士二人を手数に含めるなら、余裕で、とは言えないが。
 少なくとも負けたりはしない。
 彼らは未熟の域を出ていない。

 けれど、のだ。

 一般民ですらない自分が、彼らを害すれば。
 彼らと一般民との間に位置する人間、全員に波が立つ。
 一度立った波は人々の間で上も下もなく反復して岩壁を削る荒波となり、階級の枠を越え、やがてアルスエルナ王国の根底をも覆してしまうだろう。
 濁流の犠牲者は常に、弱い者から順に生まれる。
 元は貴族の末端だったであろう、あの少女のように。
 犠牲者をこれ以上増やしたくないなら。
 どんなに憎く思っていても、支配層かれらに刃を向けてはいけない。

 苦しむ者達を救う力なんて、自分には無い。
 そうと思い知らされたハウィスは、布団を強く握り、血が滲むほどに唇を噛み締め、眼光鋭く彼らを睨みつけるしかできなかった。

 ハウィスのそんな態度が気に入ったのか。
 アルスエルナ王国第二王子ソレスタ=エルーラン=ド=アルスヴァリエと名乗った彼は、満面の笑みでベッドの横へと歩み寄り、ハウィスの頭頂部に ぽん と、手のひらを乗せた。
 一瞬、何が起きたのか解らなかった。

 髪が擦れる音と頭皮から徐々に伝わってくる他人の熱を感じてようやく、頭を撫でられていると気付く。
 何のつもりかと訊けば、彼は「褒めてる」と答えて、笑みを一層深めた。

「お前達は方法こそ極端に間違えていたが、諦めだけは受け入れなかった。自身に降り掛かる危険は顧みず、南方領、一般民の窮状をどうにかしたいと声を上げ続け、自身の過ちに気付くまでは決して立ち止まりはしなかった。その願いと意志は尊ばれるべきものだ」

 ふざけるな!
 誰のせいで皆が苦しんでると思ってるんだ!

 などと叫ぼうとしても。
 開いた唇が……体の芯が震えて、声にならなかった。
 彼に向けた怒りはすべて自分自身に跳ね返ってくることを。
 ハウィスは既に知っている。

「私が見聞きしてきた限りじゃあ、どこの世界でも勘違いしてる奴のほうが圧倒的に多いんだが。高権というものは本来、治者が己の役割を果たす為の道具に過ぎないんだ。断じて他人の意思をねじ伏せる為の圧力じゃない」

 王族や貴族の方針に、どうしても納得できない部分や、聞き入れてほしい意見があるなら、地面に向かってぶつくさ文句を連ねてないで
 まずは批判や意見の根拠となる政策や事情を複数人で細部に亘って検証し
 己とは違う立場の者達とも話し合いを重ね
 問題点を明確にした上で、代替案や修正案を構築し
 それが実施された場合の具体的な将来像と、提案の形成に用いた材料まで全部まとめ切った文書なり言葉なりを、交渉相手が無視できない舞台を作り上げてから公表し
 近隣領民、または全国民に対して、広く是非を問うべきなんだ。
 結果好ましいと判断されれば、たとえ相手が国王陛下であっても無下には扱えないのだから。
 だというのに多くは段階を踏みもせず、すげなく断られるたび何をしても無駄だと諦めて立ち止まり、権力の暴走に怯え、思った通りに生きられない苛立ちをより弱い者にぶつけ、すべて横暴な支配層が悪いと自己完結した。

「妄想や愚痴や陰口でしかない物をせっせと政策に取り入れてやれるヒマな執政者なんぞ、アルスエルナのどこにも居ないんだけどな。どうもそういうトコが、今もって理解されてないらしい」
「そこまでしても強権で握り潰されるか、頑として耳に入れてくれなかった前例が、山ほどあるからでしょう……っ!」
「だから、相手が無視できない舞台を作り上げてから公表し、交渉しろ、と言っている。上申の大多数が失敗する原因は、毎回この辺にあるんだよ」

 交渉相手に匹敵する有力な人物・組織を見極めて信用させ、後ろ楯として協力を得ること。
 時期が来るまでは囮情報を作成活用し、自らの最終目的と弱みになりうる情報の秘匿に努めること。
 交渉相手が断りにくく、かつ、その他大勢の同意を獲る為に最も効果的な情報公開の時期を見極めること。
 立会人の半数以上に、受け入れたほうが得策だ、と思わせる状況を作り、受け入れる側にもそれなりの旨みを与えて、力量に偏りがない対話を周りに印象付け、好いとこ取りしたがる第三者の介入をはばむこと。

「これらは取引の成立に欠かせない、双方に必要な、防衛手段だ」

 考えてもみろ。
 王侯貴族や保安職業従事者達の言動は、国内外の四方八方から四六時中、公も私もなく気持ち悪いくらいつぶさに観察されてるんだぞ?
 その筋の大物にこんこんと説得されました……なら、高度な話し合いでの決定と見なされても、一般民がああしてくれ・こうしてくれと言うので運営方法を変えてみましたあ~。じゃ、専門職の面目が丸潰れだろうが。
 アルスエルナの王侯貴族は下の人間をちょいと突けば簡単に操れるぞと、揚げ足を取りたがる連中を牽制する意味でも、不完全な交渉材料を机の上に乗せない姿勢を貫くのは、至極当然だ。

 お前達、自身の意見を声高に主張した時とか、反映された後に出るだろう周囲の影響を、それらへの対処方法を、真剣に想像していたか?
 誰もがそれぞれ違う生き方で各々の役目と負担を背負っている中、お前達自身の不満が解消されれば、世界中の人間が幸せになるとでも?

「そういうのをこそ、『思い上がりもはなはだしい』と言うんじゃないのか」

 声を上げれば良いというものではない。
 ただただ訴えていれば要求が通る、などと思うのは大間違いだ。
 力業でごり押しなんぞ言語道断、愚の極み。
 相手が何者であれ。刃を向ければ、倍の数の刃が返ってくるだけ。
 どんなに立派な大義名分を掲げようと、振り上げた拳が辿り着く先には、双方の不毛な疲弊、蜜に群がる虫達の略奪合戦しかないと、無数の歴史書が雄弁に物語っている。

 ならば、どうするべきか。

 自分と相手の立場や持ち札を頭に叩き込み。
 周囲の思惑に気を配りながら、自分と相手の最善手と悪手をすり合わせて妥協点を探り、相手にとって魅力ある花を持たせつつ、自分側に肝要な『応』をさりげなく引き出せ。
 内政を預かると同時に、他国の賢しい治者とも渡り合わなければいけない執政者達に声を届かせたいなら、彼らと同等の腹芸程度はこなしてみせろ。

「私達権力者は、万能じゃない。幾万幾億の民が暮らすアルスエルナ王国を護る義務と制約の中で、都度都度最善と思われる将来像を選択していくしかないんだ。そして、可能性をより良く実現する為には、国民の協力が要る。アルスエルナの鎧を纏っている自覚と自負を持った、お前達の協力がな」
「⁉︎」

 ふと真顔になった彼がベッドの端に座り。
 驚きでわずかに引いたハウィスの頭を胸に抱え、後頭部を撫でた。

「一面的な物の見方と感情に囚われ、衝動に駆られて安易な手を選んだ点は擁護しない。義賊の犠牲になった者達への負い目に関しては、お前達自身が一生抱えて墓の下まで持っていけ」

 だが、どうにかしようと足掻き続けたお前達の、諦めなかった強さを。
 諦められなかった弱さを。
 自分ではない誰かを思いやる声を。
 私は受け止め、評価する。


「今まで、よく、頑張ったな」


 ……何を、バカな。

 家長も家畜もわずかな蓄えも、全部を貴族の特権にむしり取られ。
 そのせいで離散してしまった一般家庭がどれほどあったか。
 喉を潤す水も、腹を満たす食料も得られず、小動物よりも小さな体のまま死んでいった子供がどれだけいたか。
 浮浪者の自分でさえ気付けたのに。
 国を統括する王族が見抜けなかったなんて、そんなことはありえない。

 武器を作る名目で調理器具まで徴収していく横暴な軍人達を。
 見目が良い女子供を連れ去り貪る金持ち達を。
 助けを求めて流れる血や涙を、そのすべてを止められる力がありながら。
 今日に至るまで見ないフリで放置し続けてきたくせに。

 何が評価するだ。
 何がよく頑張った、だ。
 そんなセリフを吐く資格、貴方には無い‼︎

 そう、言い返したかった。
 王族が貴族の素行を監視していれば両親とあの子供は殺されなかった! 
 他の子供達も、余計な苦しみを知らずにいられた!
 私達ブルーローズだって、誰一人殺さずに済んでいた筈だ! と。

 なのに。

「……助け、られ……、なかった……っ」

 食い縛った歯の隙間から溢れた音は。
 権力者への憎しみでも、八つ当たり染みた恨み言でもなかった。

「どうして……! どうして、助けられなかったの⁉︎ どうしてっ‼︎」

 愚かで無力な自分への憤り。
 理不尽な世界に放つ慟哭どうこく
 堪え切れなかった涙が次々と球になり、彼の衣服を滑り落ちていく。

「助けたかった! 護りたかったのよ‼︎ もう、マーシャルも誰も彼もが、苦しまないようにって‼︎ 生きたいと願う皆が生きていけるようにって‼︎」
「ああ」
「なのに、どうして! どうして私が、あんな……っ」

 あんな、細く頼りない体の少女を、死なせてしまった。
 自分の手で、最悪の状況に追い込んで。
 身も心も擦り切れるまで苦しめて。
 そうして、殺して、しまった。

「助けたかったの、に……」
「……ああ」

 頭を抱える腕に力が籠った。
 頭上で眉を寄せる気配がした。
 それだけで、彼にも彼なりの怒りや葛藤があったのだと、気付く。

 助けたくても、助けられなかったんだと。
 万民の上に立つ王族だからこそ、どうしようもないことがあるのだと。

 ……いや、違う。

 本当は、彼に諭されるまでもなく、最初から解ってはいたのだ。
 ただ、認めたくなかっただけ。
 持っている者は、持たざる者に等しく無償で手を差し伸べるべきだと。
 それが義務だろうと。
 そんな風に、心のどこかで根付いていた甘えと怠慢を。
 生まれた瞬間に何もかもすべてを与えられ、無条件で護られているように見える者達への、羨望とひがみを。
 自分自身の弱さと醜さを、認めたくなかっただけ。

 けれど、権勢を振るう王侯貴族だって、所詮は人間でしかなくて。
 人間には必ず限界がある。
 それこそ、助けられる命の数にも。

「……くやしい……」

 自分自身は失敗を恐れて努力や助力を惜しみ、重い腰を上げたとしても、旗色が悪くなればさっさと逃げ出すクセに、他人には己にとって都合が良い結果ばかり要求することを、人は『無責任』と名付けていた筈だ。
 責任逃れを前提で好き勝手に暴れ回っていただけの自分が。
 いったい誰を、何を救えると思っていたのか。

「くやしい……っ くやしい‼︎」

 閉じた扉の内側に佇む騎士達もきっと、似たような想いでいたのだろう。
 年若い背中に腕を回して綺麗な布地に深いシワを刻み付けるハウィスを、物言いたげな顔で一瞥いちべつはしても、咎めたりはしなかった。
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