【R18】逆さの砂時計

梅見月ふたよ

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外伝

少女怪盗と仮面の神父 30

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 夢を見てるみたいだ。

 飛散した無数の水粒が地面に落ちるより早く。
 アーレストがミートリッテの背中に覆い被さり、冷たい衝撃から庇う。
 目の前に居たハウィスとクナートが、瞳に殺気を宿して剣身を抜き放ち、アーレストの背後へ素早く回り込む。
 森に隠れていた偽海賊の軍属騎士達十人が、周りを警戒するように神父と怪盗を丸く囲い込んだ。
 物々しい空気が張り詰めた辺り一面に、一過性豪雨がバタバタと荒々しい音を立てて降りしきる。

 そんな一瞬の出来事すべてに、現実感が無い。

(ハウィス……)

 マーシャルとイオーネの打ち合いを通し、関係者である『ヴェラーナ』も彼女達並みに強いのだろうと思ってはいた。
 そして実際に現れた『ヴェラーナ』は血染めの軍服を纏っていて、咄嗟に見せた動きの速さも、戦い慣れていることを素人目にハッキリ伝えてくる。

 確かに『ヴェラーナ』は強い。
 物理的に、人を傷付ける者として。

 でも、ミートリッテが知るハウィスは、深夜の酒場で働く一般民だ。

 嫌がる娘に恋愛話を持ち掛けてからかったり、休みの日にお酒が入れば、なんでもない日常の小さな愚痴を一日中延々語り通したりするけど、自身も時々物凄く間抜けな失敗をやらかす、憎めないうっかり屋さんで。
 そのわりに小汚い浮浪者を迷いなく拾い育てるほど懐が深く器量も好い、どこまでも優しい女性だった。間違っても、剣を振り回す人間じゃない。

 それだけに、七年を共に過ごしたハウィスとここに居る『ハウィス』は、同じ顔の別人だとしか思えない。

 だが、ミートリッテが見てる『ハウィス』は間違いなくハウィス本人で。
 その彼女が、実はアルスエルナ国軍に所属する騎士の隊長で。
 経済難に喘ぐ南方領の一領主で。
 誰かとの賭けに負けた結果、他国の孤児であり密入国者だった犯罪者を、アルスエルナ国内の一領主の後継者へ指名すると言う。
 涙を溢して、謝りながら。

 訳が分からない。
 こんなに大人数で、たくさんの嘘を絡めて。
 いったい、どういう趣向の茶番劇なのか。

(なんなのこれ。手の込んだ悪戯にしてもたちが悪いよ? ハウィス……)

「まったく……」

 河水の雨が止んでもまだ茫然と立ち尽くしているミートリッテを解放し。
 対岸に向かって転身したアーレストが崖先を見上げ、のほほんと呟いた。

「あの高さから落ちるなんて、無謀なことをしますねぇ」

「「「いや、お前が言うなよ‼︎」」」

 総勢十三人の、呼吸ぴったりな突っ込みが綺麗に炸裂した。

「あんたが! 私を! から無理矢理落としたんでしょうが!」

 目だけでキッ! と、背後のアーレストを睨んだミートリッテが叫べば

「私達がミートリッテの悲鳴を聞いて、どれだけ驚いたと思ってるのよ! 慌てて探し出してみればその子は気絶してるし、二人共全身水浸しだし! こっちは心臓が潰れるかと思ったんですからね⁉︎」
「アンタのほうはそりゃ平気かも知れんが! そいつはちょっと勘違いした努力家なだけで、至って普通の、どこにでも居そうな年頃の娘なんだぞ⁉︎ 全身ずぶ濡れで抱き合うとかも、もう少し気を遣え! ただでさえキレてるハウィスをこれ以上暴走させんな! 誰が止めると思ってんだ、誰が!」

 一同も、一斉にアーレストへ噛みつく。

「「「お嬢の身になんかあったら、俺達全員がねえさんに殺されるんだぞ⁉︎ いくらお嬢がべらぼうに可愛くっても、命と性に関わる手出しだけは絶対にやめてくれ! 本当、マジで真面目に頼む!」」」
「だぁあからあっ! それもアンタ達が言えた義理じゃないでしょうが! マーシャルさんの演技も含めて、あんた達自身が、下品な言葉とイヤらしい態度で私を脅迫したクセに!」
「「「「あ」」」」
「あ?」

 どさくさ紛れの阿呆な訴えに怒鳴り返した途端。
 ミートリッテに視線を集めた騎士達の顔が真っ白になる。

「………………ねえ、クナート?」
「ひっ⁉︎」

 背後で急速に膨れ上がる冷たい殺気。
 氷水を浴びせかけられた錯覚に、思わずその方向へ足先を向けると。
 艶やかに微笑んだハウィスが、隣に立つクナートの喉元へ。
 切れ味良さげな刃を、ヒタリと添わせていた。

「私、マーシャルと私を人質役にして、シャムロックを脅した……としか、聴いていなかったのだけど。あの子の演技を含めた下品な言葉とイヤらしい態度って、どういう内容……? 一挙手一投足、一言一句違わない、詳しい状況とセリフを、ここで再現してくれないかしら? 今、すぐに」

 すぅ……と薄く開いた群青色の虹彩が、激しい怒りを湛えて鋭く光る。

「あー……えーっと、だな……」

 剣先は河に構えたまま、あさっての方向へと顔を泳がせるクナート。
 どうやら、海賊の下品な言動はハウィスも与り知らぬ物であったらしい。

(なんか……いつものハウィスっぽい?)

 猛吹雪を招きそうな冷気にはおののいたものの。
 義母に抱く高潔な印象を彼女に見出したミートリッテは、少し安心した。

「仲が良いですよね、皆さん。ですが今は、落ちた二人の迅速な引き上げを優先したほうが賢明ですよ。特に、女性の方は相当な深傷ふかでを負っている筈。水に浸けておくのは、衛生面を考慮しても非常に危険です」
「貴方、誰がどんな状態で落ちてきたのか分かったの? この暗い中で⁉︎」

 喧騒けんそうの最中にも、黙々と袖をまくっていた神父へ。
 ハウィスが驚きの視線を走らせる。
 アーレストは唇の両端をやんわり持ち上げ……

「あっ、ちょっと!」

 彼女の脇をすり抜けて、止める間もなく河へ飛び込んだ。

「……着水直後まで、河なんか見てすらいなかったわよね? 彼……」
「……見てなかったな」
「あなた達、落下してきた影を見極められた? 落ちてきたのが人間だと、確信できた? 私は単に反射で動いちゃったんだけど……せいぜい、奴らが石や岩を使って攻撃してきたのかと思ったくらいで……」
「ハウィスに同じく」
「「「ねえさんに見えないモノが、俺達に見えるワケないっす」」」
「…………。」
「…………。」
「「「…………。」」」

(ハウィス達、アーレスト神父の異常さは知らなかったんだ……)

 水面に拡がる波紋をぽかんとした表情で眺めつつ。
 しばらく無言で、怪物アーレストが戻るのを待っていると。

「……っぶはーっ!」

 水の膜を押し破り、男性二人と、気絶しているらしい女性が現れた。
 三人の顔を確認した全員が、思いがけない組み合わせに目を丸くする。

「ベルヘンス卿……マーシャル⁉︎」
「げほ! はぁ……、……ああ、リアメルティ伯爵、か」
「どうして、こんな所に……!」

 剣を収めて駆け寄るハウィスに気付いた男性が、彼女の姿を確認。
 次いで周りの様子を目視し、苦しげな顔を一層曇らせた。

「アーレスト様と……ミートリッテ嬢まで。やはり、間に合わなかったか。すまない。彼女を留められず妹御いもうとごの救助も遅れてしまった」
「いいえ! 正規任務中に無理をお願いしたのは私達です。ベルヘンス卿に責などありません。この愚妹マーシャルをお助けいただき、ありがとうございました。卿にお怪我は?」
「無い。自分より妹御いもうとごのほうが大問題だ。急いで処置を。着水時には意識を失っていたおかげで水はそれほど飲んでないが、浮上に時間が掛かった分、出血が酷くなってしまった点は詫びさせてもらう」

 『ベルヘンス卿』と呼ばれた男性は、肩に掛けていたマーシャルの右腕をハウィスへ預けると、急いで自身のマントを外し、比較的大きく平らな岩の上に広げて敷いた。
 すぐさま、ぐったりしたマーシャルの体が、その上に横たえられる。

 別れた時には傷一つ無かった彼女の手足や肩にはいくつもの線が刻まれ、ドレスも所々切り裂かれていた。
 特に酷いのは左の脇腹。ミートリッテの立ち位置だと暗闇のせいで傷口ははっきり見えないが、かなり深く斬られているのだろう。
 白っぽいマントが、脇腹に触れた部分から見る間に赤黒く染まっていく。

(酷い……あんな深傷ふかでを負った体で水に飛び込んだの⁉︎ アーレスト神父が助けに行かなかったら、もっと酷くなってたんじゃ……っ)

「マーシャル! 目を開けなさい、マーシャル!」

 クナートがマーシャルの左横で両膝を突き、軍服のポケットに入っていた様々な小道具を取り出して、怪我の処置を始める。
 ハウィスはマーシャルの右横に片膝を突き、眉も動かさないマーシャルの頬を数回、乱暴に叩いた。
 ミートリッテを囲む心配顔の騎士達が微動だにしないのは、イオーネ達の襲撃に備えて周辺の警戒を続ける為か。

「君も、河に落ちたようだな。怪我は?」

 マーシャルの傍を離れたベルヘンス卿が、想像を絶する惨事を目の当たりにして動けなくなったミートリッテの隣に立ち、蒼白い顔を覗く。

「私も無い、です。……昼間、置き去りにしてすみませんでした」

 きっと大丈夫だと、思ってた。
 しかし、いざ改めて無事な姿を見ると、『良かった』と『申し訳ない』が同じだけ溢れて、接し方に戸惑う。
 自分達を襲った斧の持ち主が暗殺者だと知った後で、化け物染みた強さのマーシャルが死にかけている姿を直視してしまっては、尚更だ。

「……数刻の間に、ずいぶんしおらしくなったな。ま、自らの意思で反省に至ってくれたんなら構わないさ。ああ、そうだ。あの食料は、リアメルティ伯爵宅の玄関先に届けておいたから、君達自身で食べてくれ。君に貰ったと報告しようものなら、我が主サマが不機嫌になるのは目に見えてるし、俺は受け取れない。君が関係者全員に手料理を振る舞ってくれるって言うなら、話は別だけどね」

 目を合わせようとせずに肩を震わせるミートリッテの頭をぽんぽん叩き、薄茶色の目がアーチ状に細まった。
 思いやりに満ちたその仕草が、逆に怪盗の心臓を締めつける。
 彼もマーシャルと同じ……自分のせいで殺されていたかも知れないのに。

(ここで私が謝ったとしてもどうにもならない。土下座して、泣き喚いて、赦しを願って……それで、マーシャルさんが助かる? 違うでしょう?)

 拳を強く握り、ぐっと奥歯を噛みしめて。
 ベルヘンス卿を正面に見据える。

(現状理解だ。ぼけっとしてる場合じゃない。頭を働かせろ。情報を集めて考えるんだ。私は今、誰に何を求められていて、これから何をするべきか。考えろ!)

 突然目の色を変えて向き合ったミートリッテに首を傾げ。
 何かを感じ取ったらしい青年も、静かに見つめ返した。

「関係者って、何十人居るんですか? 私、未だに何がどうなってるのか、さっぱり解らないんですが」
「悪いけど俺も具体的な人数は把握してない。仮に知ってても、情報開示の許可が下りなければ答えられないよ。現時点で、君に教えられることがあるとしたら……そうだな。リアメルティ伯爵宅内で君を眠らせたのは、そこにずらっと並んでる奴らだ。とか?」
「へ?」

 既に聞いた後かも知れないが、と言ってベルヘンス卿が指し示したのは、二人を囲む十人の、海賊を演じていた軍属騎士達。

「貴方が言ってた『アイツら』って、自警団のことじゃないんですか?」
「まさか。ネアウィック村の自警団とアイツらとでは格が違うよ。自警団が留守中の婦人宅に忍ぶなど、天地がひっくり返っても決してありえないね。万が一そんな団員が居ても、翌日以降、その人物は村に存在しない」
「ますます意味不明です。貴方のほうが格上に見えるのに、貴方は自警団を同等か、上に見てるの?」

 他所よその自警団がどうなのか、ミートリッテは知らないが。
 少なくとも、ネアウィック村の自警団は有志で作った自衛組織。
 基本となる詰所の維持費や装備費用や給料などは、最低限の防衛費として領主から支給されてるらしいが、団員はみんな一般民だ。
 軍属騎士のハウィス達とそっくりな形の白っぽい騎士服(徽章は無い)を着用している青年が、同類の騎士達を格下扱いしたり、自警団を同等か上に見てるのは、序列的におかしい。

 指先を辿って騎士達の様子を窺った後、再び青年の顔を見直すと。
 彼は苦笑いで「守秘義務だから」と答えた。

(守秘義務。職務上知り得た秘密を、断乎隠し通さなくてはいけない義務。国軍に所属している騎士達が義務を負う程度には隠しておきたい何かが、『ネアウィック村の自警団』にもあるんだ)

 ハウィスは、別の任務に就いていたというベルヘンス卿に無理を言って、ミートリッテの護衛を任せていた。
 彼らは、ミートリッテを護る為に本来の仕事を休んでいるのか。
 あるいは、ミートリッテの守護そのものが、本来の仕事に近いのか。

(彼女の願いであり俺達に与えられた『役目』の一つ。ハウィスの他にも、私を護れと『俺達』に指示を出した人がいる。『俺達』に含まれるこの人が敬称を使ったのは、『あの方』と『我が主サマ』で…………あれ?)

 どこかで聴いた組み合わせに、ミートリッテが眉を寄せると。
 いきなり、耳に覚えがある愉しげな笑い声が夜闇の中で響き渡った。

「あはっ! 『ブルーローズ』、みぃーつけた!」


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