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外伝
少女怪盗と仮面の神父 15
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指輪の捜索を手伝ってくれた女衆はその後、明るいうちに解散していた。
素直に引き下がったのは自警団の仕事を邪魔しない為でもあると思うが、一番の理由は、お目当てのアーレストが『今日はミートリッテさんの勉強に付き添います』と言ったからだろう。
混乱状態で外へ駆け出そうとした女を強引に執務室へ押し込んだ挙げ句、扉の外側から鍵まで掛けておいて、付き添うも何もなかろうに。
大人の舌先三寸には二の句が継げない。
そんなアーレストの暴挙のおかげで、少しだけ頭が冷えたのだけど。
女衆も女衆で、鑑賞できないならとあっさり帰る潔さが素晴らしい。
自分に素直というか、欲望に忠実というか。
ここまで露骨な態度を披露されるともう、恐怖や呆れを通り越して、実に羨ましい生き方だと尊敬してしまいそうになる。
例によって、倣いたいとはまったく思わないが。
(まあ、倣いたくてもできないんだけど。いつでも自由に行動できるって、良いなあ……)
「すみません、お待たせしました」
「あ、はい」
「では、行きましょうか」
門扉の一歩外側でポツンと立っていたミートリッテに、教会内の戸締りを終えて出てきたアーレストが歩み寄る。
動きはゆったりしてるのに、距離の縮まり方が異常に早い。
高い身長を支える長い足のせいか。
「…………? 私の足に、何か付いていますか?」
足元へ注がれる視線に気付いたらしく、立ち止まって自身を見直す彼に、ミートリッテがふるふると頭を横に振る。
「いえ、私服はズボン姿なんだなあと思っただけです」
「ああ。実家にはいろいろあるんですけどね。地方暮らしは初めてなので、念の為に動きやすさと機能性を重視して選んだ結果こうなりました。やはり違和感がありますか?」
いろいろってなんだ。
ズボン姿と、体全体を覆い隠してる神父服みたいなだらだら系の他にも、何か種類があるんだろうか?
まさか足の形がはっきり分かるピチピチした布や、生足を曝すような……
いやいや。
とっくに成人してる男性が、いくらなんでも、そんなバカな。
男性向けの服に興味はなかったが、目の前の美形の普段着がとんでもなく奇妙な物だったらと想像して、内心ちょっと笑ってしまった。
「神父姿しか見てなかったので新鮮ではありますが、違和感はないですね。よくお似合いだと思いますよ」
村の散歩は業務外だからと律儀に替えてきた服装は、ツルツルスベスベで肌触りが良さそうな長袖の白いシャツに、燕尾服で使われてるような布地の黒いズボン。
爪先に向かって細くなる上品な形の靴は、光沢が美しい黒革製。
いつも身に付けている月桂樹の葉をくわえた水鳥の形の銀製ペンダントを外してないのは、信仰心故か職業病か。
背中に垂らした三つ編みは毛先のはみ出しもなく綺麗にまとまっていて、全体に清潔感を漂わせている。
サラッサラした長い髪を自分で編むとは、なんと器用な手先だ。
体型も、余分な肉が一切無く、スラッとしていて健康的。
どこぞの貴公子、あるいは凛々しい貴婦人ですと紹介されても納得できる風体だが……一応女である身としては、横に並んで歩きたくはない。
二人を比較する目線が集まれば、冴えない自分を嫌でも自覚させられて、地味に悲しくなりそうだ。
元々、入念にお手入れするほど己の外見に拘りはないが。
しかし。
「……ありがとうございます」
ミートリッテが自己嫌悪に陥る前に、何故かアーレストのほうが少しだけ残念そうに肩を落として微笑んだ。
(? 普通に誉めたつもりだけど、適当に流されたとか思ったのかしら? 私の反応が不満なら尋かなきゃ良かったのに。私からの好感度が超激低で、わざと愛想悪くしてることくらい分かって……なかったりして。そういうの気にする性格じゃなさそうだしなあ)
寂しそうにも拗ねているようにも見える横顔に、若干首をひねりつつ。
普段は開き放しの門扉にもしっかり施錠したアーレストと隣同士、青紫とオレンジが混ざる夕焼け色の坂道を同じ速度で下る。
果樹園の下方にある菜園までの一本道、人影は一つもなかった。
その代わり、菜園の周辺では教会方面に二人、果樹園方面に二人、住宅区方面に二人、村の入口方面に二人、計八人の武装した自警団員が、それぞれ見える範囲の様子を窺うように立っている。
どうやら巡回を無事に終えて、各自指定位置に就いたらしい。
(ここには八人か。二人一組で交通の要所を張ってるなら、村の入口側でも六人から八人くらいは置いてそうだけど……中央広場周辺と船着き場周辺はどうなってるんだろう? 自警団員なんて、全員を同時に引っ張ってきてもせいぜい三十人程度しかいないのに)
訓練でもなんでもない、本物の海賊が相手では、さすがに緊張するのか。
こちらから気軽に声をかけられる雰囲気ではなさそうだ。
相手が振り返った際に「お疲れ様」と挨拶しつつ、その脇を通り抜ける。
みんな、声を出さない代わりか、軽い会釈で答えてくれた。
「……見事な菜園ですね。作物はすべて、村外への商品なのですか?」
「近辺の村や町との商会協定で、この村にも出荷制限が掛けられてるので、全部ではないです。収穫物の三割程度は村人にも格安で売ってくれますよ。ちなみに、ここの畑は主に葉物野菜を育ててます。あっちの、今下りてきた坂道の近くでは芋とかの根菜類。もう少し先の果樹園近くでは、トマトとか背が高くなる植物を中心に植えてますね」
「なるほど……土地の高低差を利用した陽当たりと風通し、水と土の関係を重視する設計でしょうか」
「みたいですよ。なんて、私はオレンジの農園で働かせてもらってますが、実のところ、野菜についてはよく解ってないんです。村のおばあちゃん達が頑張って育ててるなーって、道すがら横目に眺めてる程度なので。神父様は栽培に詳しいんですか?」
「いえ。ただ、植物にも適度な光や水や風通しが必要でしょう? 見た目に全体を気遣っていると感じたので、多分そうではないかと思ったのです」
「へえ……」
(畑仕事とはあんまり縁が無さそうな王都から来た人間でも、植物に理解はあるんだ。意外ね。南方領の大きな街に住んでる人達だって、大半は買って済ますか、小鉢で生けてる程度なのに)
「それに、ネアウィック村が奏でる音色は総じて心地好い。必要以上に理を捻じ曲げずにいることで良い循環が保たれ、ここに住まう生命に活力が満ち溢れている証拠です。こちらに来るまでの街などでは胸を引き裂かれる思いでしたが、こうした場所が残されていると知り、わずかに救われました」
「音色、ですか?」
「ええ」
ちょっと前にも、似たような言葉を聞いた気がする。
あれは、確か……
そうだ。
教会のアプローチで鍵を預かって、礼拝堂に入る少し前。
ミートリッテの音が綺麗とかなんとか言っていた。
「貴女にも、聴こえるでしょう? さざ波の声、鳥や虫達の歌、風の囁き、木や草花の語らいが。ここには無駄な物など一切なく、すべてが輪を描いて繋がっている。あらゆるものが産まれ生きて、死を迎えても地へ水へ還り、新たな命を育む糧となる。途切れることなく続き、されど二度と同じ旋律は辿らない、限られた刻の多重奏。これ以上に美しい音楽を私は知りません」
「…………」
舗装されてない道を、住宅区へ向かって歩きながら。
アーレストは本当に嬉しそうに笑っている。
なんとなくだが……
この人物を放っておいたら、カエルや羽虫などを追いかけて一日中場所を選ばず走り回ってるんじゃないか? と思ってしまった。
そんな子供っぽい真似はしないだろうけど。
あくまで、なんとなく。
「……私も、波の音は好きですよ」
アーレストの言葉は、詩的すぎて所々意味が解らないが。
自分を拾ってくれた村が好意的に見られているのは、純粋に嬉しい。
こそばゆい気持ちで微笑むと、アーレストの顔が急に強ばった。
なに? と思うより先にサッと顔を逸らした彼が、一歩先を進み出す。
その背中を目で追い
「あ。」
「どうされました?」
なんでもない顔で振り返る神父越しに、昨夕視線を感じた場所が見えた。
(……私、バカだ。どうしてすぐに思い出さなかったんだろう)
船で会った腐れ男共とは違い、恐ろしいほど何の感情も滲ませてなかった気持ち悪い視線。
あの視線と遭遇したのは、女衆とアーレストが家の前に集まっていた時。
アーレストが教会へ戻る少し前だ。
坂道の登り下りで掛かる時間を含めても、指輪が消えたであろう頃合いとぴったり重なる。
(関係ない、とは思えない。もしかしたらあの視線の主が、指輪を盗んだ後どこかに隠れていた盗賊だったかも知れないんだ)
恐怖に固まってる場合じゃなかった。
せめて、体が動くようになった後でも良いから。
周辺をもっとしっかり、注意深く探るべきだったのだ。
……今更だけど。
「ミートリッテさん?」
瞳を真ん丸にして茫然と立ち竦むミートリッテを訝しむアーレスト。
目の前で右手を軽く振り
「あ……いえ、すみません。行きましょう」
きょとんとする彼を放置して、ミートリッテは例の場所へと早足で歩く。
(ぼけーっとしてる場合じゃない。いくつか疑問は残るけど、あれが本当に指輪を盗んだ犯人で、海賊とは別の誰かなら……指輪は、もう……)
依頼の完遂と引き替えに、一時的でも確実に恩人達を護る。
そして、次の依頼が来るまでに海賊との縁を切る方法を考案、実行する。
シャムロックのそんな願いは叶わない。
依頼は多分、失敗した。
(だから諦める? 冗談でしょ。まだ二日も残ってる。考えなきゃ。指輪を探す方法を。指輪が無くてもハウィス達を護れる方法を。それができるのは私だけ。私にしかできないんだから、私がやるしかない!)
汗が滲む手でバッグの持ち手を強く握りしめた。
これも、もう使えなくなるなと自嘲で口元を歪ませて……立ち止まる。
「……神父様?」
気が付けば、隣に並んでいたアーレストが、果樹園へ続く坂道をじぃっと見上げている。
目線の先を追いかけてみても、そこにあるのは風に揺れる木々の葉だけ。
「この先が、ミートリッテさんの職場ですか?」
「ええ、そうです。完熟させた果実と、摘果した実で作ったマーマレードがおすすめな、この辺りで一番大きいオレンジの農園ですよ」
「……なるほど」
何に納得したのか、険しかった表情がふわりと和らぐ。
「空もずいぶん黒くなってきましたし、急ぎましょうか。帰りはもちろん、お送りしますので。もう少しだけお付き合いください」
「それは構いませんが」
にこっと笑って歩き出すアーレスト。
彼に付き添う形で自警団員二人の間を通り抜け、住宅区へ入る。
今日は女衆に取り囲まれることもなく、村の人達の足音すら聞こえない。
みんな、大人しく自宅で過ごしているようだ。
「この造りは、すべてのご家庭から海を望めるようにとの配慮でしょうか」
「はい。一人暮らしだった場合は、そりゃあもう贅沢ですよ。絶景を堂々と独り占めですからね。教会の敷地から眺める海には劣りますけど」
「ふふ。教会の外門から見下ろす村の景観も圧巻ですよ。住み慣れるには、少々時間を要しますが」
海へと向かうなだらかな傾斜地で、チェッカー柄のように配置されている木造二階建て庭付き家屋の群れ。
その隙間を縫って中央広場まで出ると、砂浜へ続く階段の両脇に武装した自警団員が二人、間隔を空けて立っていた。
そこから西側の少し離れた所にある、開店したばかりの酒場前にも一人。
同じく東側にある村長の家の前には、誰も居ない。
灯りが漏れていることから察するに村長の警備を兼ねて屋内で待機中か。
「砂浜と通じているのは、この階段だけですか?」
「いえ。船着き場の近くに、水揚げされた魚を一時保管する施設があって、その手前に搬入用の小道が作られてます。舗装はされてませんが」
「ああ、あの大きな倉庫ですね」
夜目が利くのだろうか?
ついさっきまで地上を真っ赤に染めていた陽光はあっという間に海没し、遠く離れた船着き場の辺りはもう、暗くてはっきりとは見えていない。
それでも、アーレストが見つめる先には確かに保管施設がある。
「住宅区の東側には漁業関係の建物しかありませんが、行ってみますか?」
国のど真ん中、内陸部に位置する王都には当然『漁業』なんかない。
興味があるならと尋いてみたが、彼は首を横に振った。
「ここまでで十分です。ありがとうございま」
「アーレストさまーっ!」
ドカーン! と、派手な衝突音を響かせて。
何かが突然、アーレストの体に激突した。
彼が勢いで吹っ飛ばされなかったのは、激突してきた何かが妙に細っこい女性だったからだ。
(って、ちょっと。この人今、砂浜から走ってきたわよ? 驚いてないで、仕事しなさいよ自警団員! もしこれが怪しい奴だったらどうすんの⁉︎)
慌てふためく自警団員二人を睨むミートリッテの斜め前で、アーレストにべったり貼り付く謎の女性。
背格好だけで判断するなら、ハウィスよりやや年下? くらいか。
「マーシャルさん⁉︎ 何故、貴女がここに⁉︎」
アーレストも酷く慌てている。
「退屈だったから、来ちゃった」
驚いて固まる一同を気にもせず。
マーシャルと呼ばれた女性は、舌先をペロッと出して無邪気に笑った。
素直に引き下がったのは自警団の仕事を邪魔しない為でもあると思うが、一番の理由は、お目当てのアーレストが『今日はミートリッテさんの勉強に付き添います』と言ったからだろう。
混乱状態で外へ駆け出そうとした女を強引に執務室へ押し込んだ挙げ句、扉の外側から鍵まで掛けておいて、付き添うも何もなかろうに。
大人の舌先三寸には二の句が継げない。
そんなアーレストの暴挙のおかげで、少しだけ頭が冷えたのだけど。
女衆も女衆で、鑑賞できないならとあっさり帰る潔さが素晴らしい。
自分に素直というか、欲望に忠実というか。
ここまで露骨な態度を披露されるともう、恐怖や呆れを通り越して、実に羨ましい生き方だと尊敬してしまいそうになる。
例によって、倣いたいとはまったく思わないが。
(まあ、倣いたくてもできないんだけど。いつでも自由に行動できるって、良いなあ……)
「すみません、お待たせしました」
「あ、はい」
「では、行きましょうか」
門扉の一歩外側でポツンと立っていたミートリッテに、教会内の戸締りを終えて出てきたアーレストが歩み寄る。
動きはゆったりしてるのに、距離の縮まり方が異常に早い。
高い身長を支える長い足のせいか。
「…………? 私の足に、何か付いていますか?」
足元へ注がれる視線に気付いたらしく、立ち止まって自身を見直す彼に、ミートリッテがふるふると頭を横に振る。
「いえ、私服はズボン姿なんだなあと思っただけです」
「ああ。実家にはいろいろあるんですけどね。地方暮らしは初めてなので、念の為に動きやすさと機能性を重視して選んだ結果こうなりました。やはり違和感がありますか?」
いろいろってなんだ。
ズボン姿と、体全体を覆い隠してる神父服みたいなだらだら系の他にも、何か種類があるんだろうか?
まさか足の形がはっきり分かるピチピチした布や、生足を曝すような……
いやいや。
とっくに成人してる男性が、いくらなんでも、そんなバカな。
男性向けの服に興味はなかったが、目の前の美形の普段着がとんでもなく奇妙な物だったらと想像して、内心ちょっと笑ってしまった。
「神父姿しか見てなかったので新鮮ではありますが、違和感はないですね。よくお似合いだと思いますよ」
村の散歩は業務外だからと律儀に替えてきた服装は、ツルツルスベスベで肌触りが良さそうな長袖の白いシャツに、燕尾服で使われてるような布地の黒いズボン。
爪先に向かって細くなる上品な形の靴は、光沢が美しい黒革製。
いつも身に付けている月桂樹の葉をくわえた水鳥の形の銀製ペンダントを外してないのは、信仰心故か職業病か。
背中に垂らした三つ編みは毛先のはみ出しもなく綺麗にまとまっていて、全体に清潔感を漂わせている。
サラッサラした長い髪を自分で編むとは、なんと器用な手先だ。
体型も、余分な肉が一切無く、スラッとしていて健康的。
どこぞの貴公子、あるいは凛々しい貴婦人ですと紹介されても納得できる風体だが……一応女である身としては、横に並んで歩きたくはない。
二人を比較する目線が集まれば、冴えない自分を嫌でも自覚させられて、地味に悲しくなりそうだ。
元々、入念にお手入れするほど己の外見に拘りはないが。
しかし。
「……ありがとうございます」
ミートリッテが自己嫌悪に陥る前に、何故かアーレストのほうが少しだけ残念そうに肩を落として微笑んだ。
(? 普通に誉めたつもりだけど、適当に流されたとか思ったのかしら? 私の反応が不満なら尋かなきゃ良かったのに。私からの好感度が超激低で、わざと愛想悪くしてることくらい分かって……なかったりして。そういうの気にする性格じゃなさそうだしなあ)
寂しそうにも拗ねているようにも見える横顔に、若干首をひねりつつ。
普段は開き放しの門扉にもしっかり施錠したアーレストと隣同士、青紫とオレンジが混ざる夕焼け色の坂道を同じ速度で下る。
果樹園の下方にある菜園までの一本道、人影は一つもなかった。
その代わり、菜園の周辺では教会方面に二人、果樹園方面に二人、住宅区方面に二人、村の入口方面に二人、計八人の武装した自警団員が、それぞれ見える範囲の様子を窺うように立っている。
どうやら巡回を無事に終えて、各自指定位置に就いたらしい。
(ここには八人か。二人一組で交通の要所を張ってるなら、村の入口側でも六人から八人くらいは置いてそうだけど……中央広場周辺と船着き場周辺はどうなってるんだろう? 自警団員なんて、全員を同時に引っ張ってきてもせいぜい三十人程度しかいないのに)
訓練でもなんでもない、本物の海賊が相手では、さすがに緊張するのか。
こちらから気軽に声をかけられる雰囲気ではなさそうだ。
相手が振り返った際に「お疲れ様」と挨拶しつつ、その脇を通り抜ける。
みんな、声を出さない代わりか、軽い会釈で答えてくれた。
「……見事な菜園ですね。作物はすべて、村外への商品なのですか?」
「近辺の村や町との商会協定で、この村にも出荷制限が掛けられてるので、全部ではないです。収穫物の三割程度は村人にも格安で売ってくれますよ。ちなみに、ここの畑は主に葉物野菜を育ててます。あっちの、今下りてきた坂道の近くでは芋とかの根菜類。もう少し先の果樹園近くでは、トマトとか背が高くなる植物を中心に植えてますね」
「なるほど……土地の高低差を利用した陽当たりと風通し、水と土の関係を重視する設計でしょうか」
「みたいですよ。なんて、私はオレンジの農園で働かせてもらってますが、実のところ、野菜についてはよく解ってないんです。村のおばあちゃん達が頑張って育ててるなーって、道すがら横目に眺めてる程度なので。神父様は栽培に詳しいんですか?」
「いえ。ただ、植物にも適度な光や水や風通しが必要でしょう? 見た目に全体を気遣っていると感じたので、多分そうではないかと思ったのです」
「へえ……」
(畑仕事とはあんまり縁が無さそうな王都から来た人間でも、植物に理解はあるんだ。意外ね。南方領の大きな街に住んでる人達だって、大半は買って済ますか、小鉢で生けてる程度なのに)
「それに、ネアウィック村が奏でる音色は総じて心地好い。必要以上に理を捻じ曲げずにいることで良い循環が保たれ、ここに住まう生命に活力が満ち溢れている証拠です。こちらに来るまでの街などでは胸を引き裂かれる思いでしたが、こうした場所が残されていると知り、わずかに救われました」
「音色、ですか?」
「ええ」
ちょっと前にも、似たような言葉を聞いた気がする。
あれは、確か……
そうだ。
教会のアプローチで鍵を預かって、礼拝堂に入る少し前。
ミートリッテの音が綺麗とかなんとか言っていた。
「貴女にも、聴こえるでしょう? さざ波の声、鳥や虫達の歌、風の囁き、木や草花の語らいが。ここには無駄な物など一切なく、すべてが輪を描いて繋がっている。あらゆるものが産まれ生きて、死を迎えても地へ水へ還り、新たな命を育む糧となる。途切れることなく続き、されど二度と同じ旋律は辿らない、限られた刻の多重奏。これ以上に美しい音楽を私は知りません」
「…………」
舗装されてない道を、住宅区へ向かって歩きながら。
アーレストは本当に嬉しそうに笑っている。
なんとなくだが……
この人物を放っておいたら、カエルや羽虫などを追いかけて一日中場所を選ばず走り回ってるんじゃないか? と思ってしまった。
そんな子供っぽい真似はしないだろうけど。
あくまで、なんとなく。
「……私も、波の音は好きですよ」
アーレストの言葉は、詩的すぎて所々意味が解らないが。
自分を拾ってくれた村が好意的に見られているのは、純粋に嬉しい。
こそばゆい気持ちで微笑むと、アーレストの顔が急に強ばった。
なに? と思うより先にサッと顔を逸らした彼が、一歩先を進み出す。
その背中を目で追い
「あ。」
「どうされました?」
なんでもない顔で振り返る神父越しに、昨夕視線を感じた場所が見えた。
(……私、バカだ。どうしてすぐに思い出さなかったんだろう)
船で会った腐れ男共とは違い、恐ろしいほど何の感情も滲ませてなかった気持ち悪い視線。
あの視線と遭遇したのは、女衆とアーレストが家の前に集まっていた時。
アーレストが教会へ戻る少し前だ。
坂道の登り下りで掛かる時間を含めても、指輪が消えたであろう頃合いとぴったり重なる。
(関係ない、とは思えない。もしかしたらあの視線の主が、指輪を盗んだ後どこかに隠れていた盗賊だったかも知れないんだ)
恐怖に固まってる場合じゃなかった。
せめて、体が動くようになった後でも良いから。
周辺をもっとしっかり、注意深く探るべきだったのだ。
……今更だけど。
「ミートリッテさん?」
瞳を真ん丸にして茫然と立ち竦むミートリッテを訝しむアーレスト。
目の前で右手を軽く振り
「あ……いえ、すみません。行きましょう」
きょとんとする彼を放置して、ミートリッテは例の場所へと早足で歩く。
(ぼけーっとしてる場合じゃない。いくつか疑問は残るけど、あれが本当に指輪を盗んだ犯人で、海賊とは別の誰かなら……指輪は、もう……)
依頼の完遂と引き替えに、一時的でも確実に恩人達を護る。
そして、次の依頼が来るまでに海賊との縁を切る方法を考案、実行する。
シャムロックのそんな願いは叶わない。
依頼は多分、失敗した。
(だから諦める? 冗談でしょ。まだ二日も残ってる。考えなきゃ。指輪を探す方法を。指輪が無くてもハウィス達を護れる方法を。それができるのは私だけ。私にしかできないんだから、私がやるしかない!)
汗が滲む手でバッグの持ち手を強く握りしめた。
これも、もう使えなくなるなと自嘲で口元を歪ませて……立ち止まる。
「……神父様?」
気が付けば、隣に並んでいたアーレストが、果樹園へ続く坂道をじぃっと見上げている。
目線の先を追いかけてみても、そこにあるのは風に揺れる木々の葉だけ。
「この先が、ミートリッテさんの職場ですか?」
「ええ、そうです。完熟させた果実と、摘果した実で作ったマーマレードがおすすめな、この辺りで一番大きいオレンジの農園ですよ」
「……なるほど」
何に納得したのか、険しかった表情がふわりと和らぐ。
「空もずいぶん黒くなってきましたし、急ぎましょうか。帰りはもちろん、お送りしますので。もう少しだけお付き合いください」
「それは構いませんが」
にこっと笑って歩き出すアーレスト。
彼に付き添う形で自警団員二人の間を通り抜け、住宅区へ入る。
今日は女衆に取り囲まれることもなく、村の人達の足音すら聞こえない。
みんな、大人しく自宅で過ごしているようだ。
「この造りは、すべてのご家庭から海を望めるようにとの配慮でしょうか」
「はい。一人暮らしだった場合は、そりゃあもう贅沢ですよ。絶景を堂々と独り占めですからね。教会の敷地から眺める海には劣りますけど」
「ふふ。教会の外門から見下ろす村の景観も圧巻ですよ。住み慣れるには、少々時間を要しますが」
海へと向かうなだらかな傾斜地で、チェッカー柄のように配置されている木造二階建て庭付き家屋の群れ。
その隙間を縫って中央広場まで出ると、砂浜へ続く階段の両脇に武装した自警団員が二人、間隔を空けて立っていた。
そこから西側の少し離れた所にある、開店したばかりの酒場前にも一人。
同じく東側にある村長の家の前には、誰も居ない。
灯りが漏れていることから察するに村長の警備を兼ねて屋内で待機中か。
「砂浜と通じているのは、この階段だけですか?」
「いえ。船着き場の近くに、水揚げされた魚を一時保管する施設があって、その手前に搬入用の小道が作られてます。舗装はされてませんが」
「ああ、あの大きな倉庫ですね」
夜目が利くのだろうか?
ついさっきまで地上を真っ赤に染めていた陽光はあっという間に海没し、遠く離れた船着き場の辺りはもう、暗くてはっきりとは見えていない。
それでも、アーレストが見つめる先には確かに保管施設がある。
「住宅区の東側には漁業関係の建物しかありませんが、行ってみますか?」
国のど真ん中、内陸部に位置する王都には当然『漁業』なんかない。
興味があるならと尋いてみたが、彼は首を横に振った。
「ここまでで十分です。ありがとうございま」
「アーレストさまーっ!」
ドカーン! と、派手な衝突音を響かせて。
何かが突然、アーレストの体に激突した。
彼が勢いで吹っ飛ばされなかったのは、激突してきた何かが妙に細っこい女性だったからだ。
(って、ちょっと。この人今、砂浜から走ってきたわよ? 驚いてないで、仕事しなさいよ自警団員! もしこれが怪しい奴だったらどうすんの⁉︎)
慌てふためく自警団員二人を睨むミートリッテの斜め前で、アーレストにべったり貼り付く謎の女性。
背格好だけで判断するなら、ハウィスよりやや年下? くらいか。
「マーシャルさん⁉︎ 何故、貴女がここに⁉︎」
アーレストも酷く慌てている。
「退屈だったから、来ちゃった」
驚いて固まる一同を気にもせず。
マーシャルと呼ばれた女性は、舌先をペロッと出して無邪気に笑った。
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