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本編
忘却のレチタティーヴォ Ⅴ
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男性が泣いてる。
すごく悲しい声で、ずっとずっと、謝ってる。
無力さを嘆くように、自分を責めて、悔いて。
「……どうして、泣いているのですか?」
使われなくなった古い教会の前。
閉ざされてなお、一輪の白百合が毎日欠かさず積まれていく場所。
そこには誰も居ない。
人間の目にも耳にも無人の空間へ。
白金色の長い髪を風に流しながら歩いてきた長衣姿の女性が問いかける。
穏やかで柔らかいのに、感情の動きを感じさせない口調で。
静かに問いかける。
「お前……」
女性の耳にだけ聴こえる男性の声が、女性に敵意を表した。
気配で、それを感じる。
男性の、憎悪と嫌悪と……少しの後悔が混じる、涙に濡れた声。
「どうして、だと? こんな不完全な封印にした、お前のせいだ! 何故、信徒が居なくなれば綻ぶ結界なんかにした!? お前ならもっと強固で完璧な仕組みを作れた筈なのに! そのせいで、俺は余計な感情を知ったんだ!!」
世界なんかに興味はない。
争い? 勝手にやってくれ。
封印? 好きにしろ。
俺はもう、面倒くさいのはお断りだ。
そうして眠りに落ちて、気付けば現代で意識だけが解放されていた。
同じ場所で眠っていた女悪魔は、嬉しそうにエサを探していたが。
どうでもいいことだ。
人間に用は無いし、悪魔が奴らをどうこうしたって俺には関係ない。
……あの子供は、どうして毎日こっちの教会に来るんだ?
晴れても雲っても、雨が降っても嵐になっても、雪が降り積もっても。
雷が鳴っても風が吹き荒れても、どんなに体調が悪くても。
新しい教会が開いた後まで、飽きもせず毎日来ては同じ願いごとばかり。
白百合は信仰の象徴の一つだから、まだ解らなくはないが。
通いつめたところで、そんな願いをあの女が叶えるわけもないだろうに。
……また、親に叱られたのか。鈍くさい子供だな。
学友にも苛められてるのか。情けない奴だ。
何もできない? そうだろうな。
見るからにバカっぽいし。
子供の域を出たら、世辞の一つも貰えなさそうだ。
一人で泣き喚いて、それでどうにかなると思っているのか。
建設的な発想が欠片も出て来ない、改善案すら編み出せない。
そんな幼稚な思考じゃ、褒められる筈もないだろう。
つくづく愚鈍だな。
そもそも方向性が間違ってるんだよ、お前。
神頼みに時間を割くくらいなら、どうしてもっと他人と接してみようとか考えられないんだ?
一人で解決できる物事なんか、お前らの世界では限られてるだろうが。
何を選び、どこへ向かうにしろ。
教えも乞わずに成長できるのは、ごく一部の突き抜けた有能な奴だけだ。
人間が何の為に集団生活の知恵を得たのか、考えてみろよ。
まずはそこから見直せっての。
阿呆だな。
自分の立ち位置が解ってるなら、対処方法だって本当は解ってる筈だろ。
そんなに、人間が怖いのか。
そこまで他人が信用できないのか。
いや……。
お前が信用できないのは、お前自身か。
それもそうだろうな。
お前は誰かの結果を見るばかりで、その人間の努力を見逃し続けたんだ。
お前が誰の現実にも目を向けなかった分、誰もお前に興味を示してない。
一人きりで得られる自信なんてありはしないんだよ。
もっと早く素直に、何もできないままでも誰かに手を伸ばすべきだった。
助けを求めるべきだったんだ。
一人じゃ何もできないのは他の奴らも同じだって……気付けよ、バカ。
……しょうがない奴……。
元々細い神経をすり減らして、もうボロボロになってるっていうのに。
それでもまだ、皆が仲良くーとか、お花畑なことを祈り続けるのか。
一人で膝を抱えて、歯を食い縛って耐えて、それで何になるんだよ。
もう、充分だろう?
やめてしまえ。
誰もお前の願いなんか叶えたりしない。聞こえてないし、聞く気もない。
全部無駄なんだよ。諦めろよ。
……真性のバカだ。
ねじれてよじれて、目的も手段も見失ってやがる。
それでも祈りは欠かさないとか、本当にバカだ。
こんなバカは見たことがない。
ああ……こんなくだらない奴、誰も知らないだろう。
くだらなくて、情けなくて、寂しくて……底抜けに一生懸命な。
一人ぼっちの可愛いバカ娘。
仕方ないから、せめて俺くらいは見ててやるよ。
凡人共が諦めて朽ちた道を選んだ、凡人以下の健気な愚か者。
頑張れるだけ、頑張れば良い。
傍に居てやるから。
友達?
悪魔憑きの兎が友達、ねえ。
いや、良いけど。
まあ……、お前の影響なんだろうな。
それも悪くない、とか思うのは……。
「解ける物なら、いっそ全部が解ければ良かったのに! なんなんだよ!? どうしてこんな、中途半端な仕掛けにしたんだよ! 目覚めていなければ、何も知らずに済んだのに! 実体さえあれば、ステラを救えたのに!!」
ステラ……ステラ……。
ごめん……護れなくて、ごめんな……。
傍に居たのに。
ずっと傍に居たのに。
何もできなかった。
俺だけが助けられた筈なのに。
傍に居た俺にしか、助けられなかったのに……っ!
……男性が泣いてる。
見えない涙をぼろぼろと絶えず流して、ひたすら謝ってる。
女性は静かにそれを見る。
見えない相手を見つめながら、唇をそっと開いた。
「それでもまだ、その子を護りたいですか?」
「……どういう意味だ」
「護りたいと願うなら、貴方の封印をすべて解除します。その代わり、私の願いも一つだけ叶えて欲しい」
旧教会の前に積まれた白百合の中から、一番新しい一輪を手に取り。
香りを確かめるように、花弁を鼻先に寄せる。
「お前が悪魔と契約? 何の冗談だ」
「契約が嫌なら、約束でも構いません。内容が不釣り合いだというのなら、そうですね。一度だけ、貴方の求めに応じましょう。その時の私がいかなる状態であっても、私がこの世界に居る限り、必ず貴方の声の元に跳んでくる仕掛けを施しましょう。その時にも私が記憶を失ったままなら、貴方の力でこの約束を思い出させて。『記憶』の奏者・忘却のルグレット」
「……お前の願いは、記憶操作か」
女性が、手に持った白百合を胸に抱いて、目蓋を伏せる。
淡く薄い緑色の虹彩が、憂いに翳った。
「私はこれから、ある場所へ行って、自らの記憶と体の時間を幼少の頃へと戻します。でも、それだけでは足りない。私だけでは、私の力を今以上には抑えられない。無駄だと分かってはいるけれど……別人になれば、可能性は生まれるから」
「何の?」
「私の、存在の消滅」
男性の声が一瞬、戸惑った。
「……はっ……! 世界中を跳び回って悪魔を駆逐し、人間共を従えたかと思えば、今度は自殺願望か。お前の考えはさっぱり解らんな。だが、死ねば約束など果たしようがない。くだらない提案だな」
「それでも貴方は、この子を護る為の実体を取り戻せる」
「…………」
ステラ……
あれからも毎日、この教会に来ては、白百合を捧げて祈ってる。
日が暮れるまでずっと愚痴を溢しながら、一人で膝を抱えて座ってる。
来ないスイを待って、探して、泣いてる。
学院卒業間近なのに、仕事探しも上手くいってないらしい。
残っているのは、初めから能力不足だと諦めて足を向けなかった各役所と書蔵館くらいだ。
全滅したら、確実に落ち込むだろうな。
「……分かった。約束しよう」
男性の声を受けて、女性が白百合を空に掲げる。
薄い緑色の大きな光の球が、女性の頭上にふわりと浮かんで。
卵の殻みたいに、ぽろぽろと剥がれ落ちて消えた。
中から現れたのは、まっすぐ長い銀髪で全身を覆って膝を抱えてる男性。
「貴方を封印前に戻します。目覚めなさい、ルグレット」
男性の声の気配が消えて。
代わりに、光の中から現れた男性が、氷色の目をゆっくりと開いた。
髪をさらりと払い、女性の背後、数歩離れた場所へ降り立つ。
「手を」
男性に振り向いた女性が、真っ白な長衣の袖を揺らしながら手を伸ばす。
男性は黙って、女性の手に自らの手を重ね……次の瞬間。
見える景色が、旧教会の敷地から山奥の廃墟へと変わった。
「ここは?」
「創世の女神が名乗りを上げた最初の地。幼く愚かな私が道を誤った起点。お願いします、ルグレット」
淡く薄い緑色の光が、女性の全身を包む。
膝裏まで伸びていた髪が、耳の後ろまで一気に縮んだ。
長衣の大きさは変わらないまま、体つきや面立ちが幼くなって。
開いたその目には、純粋な疑問が浮かび上がる。
「……え? あ、あれ? 私今、畑仕事をしてたわよね? 道具はどこ? また意地悪された?」
畑仕事?
意地悪された?
少女は不思議そうに辺りをキョロキョロと見渡した後。
目の前の男性に向き直って、首を傾げた。
「あの……貴方は、レゾ……じゃないわよね? さすがに」
さっきまでのアイツとは、まるで違うな。
言動の端々が微妙に引っ掛かるが……どうでもいい。
「忘れてしまえ。全部」
「え?」
男性の左手が、少女の額を覆う。
白い光が少女の目に反射して、弾けた。
少女の両腕がだらりと落ちて、瞳から意思が消える。
「拾ってくれ、とは、言わなかったからな」
自殺願望があるなら、おそらく放置されたいんだろう。
何かに絶望したのか、単なる興味で人間として死んでみたくなったのかは知らないが。
「自由にするがいい。俺はステラを護れれば、他の奴はどうでもいいんだ」
あんな思いは二度と味わいたくない。
護れないのは、もう嫌だ。
ステラ。
君が迷い続ける道を、俺が一緒に歩いていこう。
君は自分を信じられない、バカな迷子。
俺が見ててやるから。
ずっと見ててやるから。
自分の足で出口を探すんだ。
迷路の中だとしても、その道を歩いたこと自体がいつか君に力をくれる。
君自身を作り、君自身の生きる力に変わるから。
歩き方を忘れたら、少しだけ教えてやるから。
ステラ。
どうか、生きて。
「じゃあな」
棒立ちになった少女を置き去りにして、男性は廃墟から跳び去る。
街へ戻り、髪をバッサリ切り落として。
関係書類を偽造し、人間のフリで書蔵館に職を持った。
入所試験で歴代最高点を叩き出した結果与えられた特権を利用し、あえて人が少ない部所に席を置いて、元々居た職員は適当に人事異動させる。
そうして、入所試験に訪れた私を、それとなく迎え入れて…………
そうだ。
仕事に対する姿勢を丁寧に、丹念に教え込んでくれたのは、貴方だった。
私がどんなに初歩的な失敗をくり返しても、決して怒鳴ったり呆れたり、投げ出したりもしないで、こうであれと根気強く手本を見せ続けてくれた。
貴方が仕事に厳しかったのは、私を導く為。
私が仕事に誇りを持てるように。
私自身がやり遂げることで、自信を得られるように。
甘やかしたり突き離したりせず、ただじっと見守ってくれていた。
ずっと……、私を見守っててくれたんだ。
……でもこれ……甘やかしてるのと変わりないでしょ、室長さまー……
…………んー?
なんだろ……声が出る……
目も開けそう……、って……
うわぁああ~……きれえー……
薄い緑色の光の粒が、辺り一帯で雪みたいにふわふわ降ってるー……
ところで、今の夢に出て来たらしい、白金色の髪の、絶世の美女さん……
貴女、創造神アリア様の肖像にそっくりですねー……
大人に戻ってるしー……
「そんなに良いものではないわ」
いやいや……ふわって笑ってると、魅力数値が跳ね上がりますよー……
貴女みたいな、綺麗な人間になりたかったなあ……
「私には、あなたこそが、うらやましい」
へ……?
どうして……?
「私には二度と触れられないものを、あなたは持っているから」
……何を見てるの……?
あ……クロスツェルさんと、黒い人……?
さっきの足音、あの二人だったんだ……
並んでるところを見ると、あの二人も知り合いなんだねえ……
世界は狭いや……
「そうね。世界は、こんなにも狭いのに……どうして私達は争うばかりで、ただ手を取り合うことさえ、できないのかしらね」
手を、取りたいの……?
世界の……?
あの二人の……?
「さあ……どうかしら? もう、私にもはっきりとは答えられないわ」
……ああ……そんな寂しそうに笑ってたら、さすがにわかりますって……
情報だけは、耳年増なんですから、私……
「ふふ。なら、私の想いは、あなたが知っていて。私にはもう、答えを探す余裕がないから」
良いですけど、いずれは向き合うことになると思いますよー……
ほら、石みたいに固まってるあの二人、貴女しか見てないもの……
「……諦めが悪いのは、私なのかしら? あの二人なのかしら?」
両方、じゃないですかね……
よくわからないけど……
「そうね。きっと、そうなのでしょうね。……ありがとう、ステラ。友達を大切にしてね。あなたの為に泣いてくれる存在を、忘れてはダメよ」
忘れない。
絶対、忘れないよ。
「さあ、本当の目を開いて。残る生命は少ないけれど……他の誰でもない、あなた自身の時間を生きて。誰にも惑わされず、あなただけの道を探して。あなたの願いは、あなたにしか叶えられないのだから。迷った時は……」
うん。解ってる。
私はもう大丈夫。
全部教えてくれた友達がいるから、大丈夫です。
ありがとう……、えーと……
アリア様? で、良いのかな?
「見えるままで構わないわ。本当の私には、名前なんて無かったから」
…………なら、自分がなりたい名前で、良いんじゃないですかね?
「……そうね。あなたのそういうところが、うらやましいのよ。ステラ」
あ。待って。
結局、名前……は……
…………なんだろう? 体が温かい。
ああ、スイだ。
私の大好きな、白いもふもふさん。
……あったかい……なあ……
すごく悲しい声で、ずっとずっと、謝ってる。
無力さを嘆くように、自分を責めて、悔いて。
「……どうして、泣いているのですか?」
使われなくなった古い教会の前。
閉ざされてなお、一輪の白百合が毎日欠かさず積まれていく場所。
そこには誰も居ない。
人間の目にも耳にも無人の空間へ。
白金色の長い髪を風に流しながら歩いてきた長衣姿の女性が問いかける。
穏やかで柔らかいのに、感情の動きを感じさせない口調で。
静かに問いかける。
「お前……」
女性の耳にだけ聴こえる男性の声が、女性に敵意を表した。
気配で、それを感じる。
男性の、憎悪と嫌悪と……少しの後悔が混じる、涙に濡れた声。
「どうして、だと? こんな不完全な封印にした、お前のせいだ! 何故、信徒が居なくなれば綻ぶ結界なんかにした!? お前ならもっと強固で完璧な仕組みを作れた筈なのに! そのせいで、俺は余計な感情を知ったんだ!!」
世界なんかに興味はない。
争い? 勝手にやってくれ。
封印? 好きにしろ。
俺はもう、面倒くさいのはお断りだ。
そうして眠りに落ちて、気付けば現代で意識だけが解放されていた。
同じ場所で眠っていた女悪魔は、嬉しそうにエサを探していたが。
どうでもいいことだ。
人間に用は無いし、悪魔が奴らをどうこうしたって俺には関係ない。
……あの子供は、どうして毎日こっちの教会に来るんだ?
晴れても雲っても、雨が降っても嵐になっても、雪が降り積もっても。
雷が鳴っても風が吹き荒れても、どんなに体調が悪くても。
新しい教会が開いた後まで、飽きもせず毎日来ては同じ願いごとばかり。
白百合は信仰の象徴の一つだから、まだ解らなくはないが。
通いつめたところで、そんな願いをあの女が叶えるわけもないだろうに。
……また、親に叱られたのか。鈍くさい子供だな。
学友にも苛められてるのか。情けない奴だ。
何もできない? そうだろうな。
見るからにバカっぽいし。
子供の域を出たら、世辞の一つも貰えなさそうだ。
一人で泣き喚いて、それでどうにかなると思っているのか。
建設的な発想が欠片も出て来ない、改善案すら編み出せない。
そんな幼稚な思考じゃ、褒められる筈もないだろう。
つくづく愚鈍だな。
そもそも方向性が間違ってるんだよ、お前。
神頼みに時間を割くくらいなら、どうしてもっと他人と接してみようとか考えられないんだ?
一人で解決できる物事なんか、お前らの世界では限られてるだろうが。
何を選び、どこへ向かうにしろ。
教えも乞わずに成長できるのは、ごく一部の突き抜けた有能な奴だけだ。
人間が何の為に集団生活の知恵を得たのか、考えてみろよ。
まずはそこから見直せっての。
阿呆だな。
自分の立ち位置が解ってるなら、対処方法だって本当は解ってる筈だろ。
そんなに、人間が怖いのか。
そこまで他人が信用できないのか。
いや……。
お前が信用できないのは、お前自身か。
それもそうだろうな。
お前は誰かの結果を見るばかりで、その人間の努力を見逃し続けたんだ。
お前が誰の現実にも目を向けなかった分、誰もお前に興味を示してない。
一人きりで得られる自信なんてありはしないんだよ。
もっと早く素直に、何もできないままでも誰かに手を伸ばすべきだった。
助けを求めるべきだったんだ。
一人じゃ何もできないのは他の奴らも同じだって……気付けよ、バカ。
……しょうがない奴……。
元々細い神経をすり減らして、もうボロボロになってるっていうのに。
それでもまだ、皆が仲良くーとか、お花畑なことを祈り続けるのか。
一人で膝を抱えて、歯を食い縛って耐えて、それで何になるんだよ。
もう、充分だろう?
やめてしまえ。
誰もお前の願いなんか叶えたりしない。聞こえてないし、聞く気もない。
全部無駄なんだよ。諦めろよ。
……真性のバカだ。
ねじれてよじれて、目的も手段も見失ってやがる。
それでも祈りは欠かさないとか、本当にバカだ。
こんなバカは見たことがない。
ああ……こんなくだらない奴、誰も知らないだろう。
くだらなくて、情けなくて、寂しくて……底抜けに一生懸命な。
一人ぼっちの可愛いバカ娘。
仕方ないから、せめて俺くらいは見ててやるよ。
凡人共が諦めて朽ちた道を選んだ、凡人以下の健気な愚か者。
頑張れるだけ、頑張れば良い。
傍に居てやるから。
友達?
悪魔憑きの兎が友達、ねえ。
いや、良いけど。
まあ……、お前の影響なんだろうな。
それも悪くない、とか思うのは……。
「解ける物なら、いっそ全部が解ければ良かったのに! なんなんだよ!? どうしてこんな、中途半端な仕掛けにしたんだよ! 目覚めていなければ、何も知らずに済んだのに! 実体さえあれば、ステラを救えたのに!!」
ステラ……ステラ……。
ごめん……護れなくて、ごめんな……。
傍に居たのに。
ずっと傍に居たのに。
何もできなかった。
俺だけが助けられた筈なのに。
傍に居た俺にしか、助けられなかったのに……っ!
……男性が泣いてる。
見えない涙をぼろぼろと絶えず流して、ひたすら謝ってる。
女性は静かにそれを見る。
見えない相手を見つめながら、唇をそっと開いた。
「それでもまだ、その子を護りたいですか?」
「……どういう意味だ」
「護りたいと願うなら、貴方の封印をすべて解除します。その代わり、私の願いも一つだけ叶えて欲しい」
旧教会の前に積まれた白百合の中から、一番新しい一輪を手に取り。
香りを確かめるように、花弁を鼻先に寄せる。
「お前が悪魔と契約? 何の冗談だ」
「契約が嫌なら、約束でも構いません。内容が不釣り合いだというのなら、そうですね。一度だけ、貴方の求めに応じましょう。その時の私がいかなる状態であっても、私がこの世界に居る限り、必ず貴方の声の元に跳んでくる仕掛けを施しましょう。その時にも私が記憶を失ったままなら、貴方の力でこの約束を思い出させて。『記憶』の奏者・忘却のルグレット」
「……お前の願いは、記憶操作か」
女性が、手に持った白百合を胸に抱いて、目蓋を伏せる。
淡く薄い緑色の虹彩が、憂いに翳った。
「私はこれから、ある場所へ行って、自らの記憶と体の時間を幼少の頃へと戻します。でも、それだけでは足りない。私だけでは、私の力を今以上には抑えられない。無駄だと分かってはいるけれど……別人になれば、可能性は生まれるから」
「何の?」
「私の、存在の消滅」
男性の声が一瞬、戸惑った。
「……はっ……! 世界中を跳び回って悪魔を駆逐し、人間共を従えたかと思えば、今度は自殺願望か。お前の考えはさっぱり解らんな。だが、死ねば約束など果たしようがない。くだらない提案だな」
「それでも貴方は、この子を護る為の実体を取り戻せる」
「…………」
ステラ……
あれからも毎日、この教会に来ては、白百合を捧げて祈ってる。
日が暮れるまでずっと愚痴を溢しながら、一人で膝を抱えて座ってる。
来ないスイを待って、探して、泣いてる。
学院卒業間近なのに、仕事探しも上手くいってないらしい。
残っているのは、初めから能力不足だと諦めて足を向けなかった各役所と書蔵館くらいだ。
全滅したら、確実に落ち込むだろうな。
「……分かった。約束しよう」
男性の声を受けて、女性が白百合を空に掲げる。
薄い緑色の大きな光の球が、女性の頭上にふわりと浮かんで。
卵の殻みたいに、ぽろぽろと剥がれ落ちて消えた。
中から現れたのは、まっすぐ長い銀髪で全身を覆って膝を抱えてる男性。
「貴方を封印前に戻します。目覚めなさい、ルグレット」
男性の声の気配が消えて。
代わりに、光の中から現れた男性が、氷色の目をゆっくりと開いた。
髪をさらりと払い、女性の背後、数歩離れた場所へ降り立つ。
「手を」
男性に振り向いた女性が、真っ白な長衣の袖を揺らしながら手を伸ばす。
男性は黙って、女性の手に自らの手を重ね……次の瞬間。
見える景色が、旧教会の敷地から山奥の廃墟へと変わった。
「ここは?」
「創世の女神が名乗りを上げた最初の地。幼く愚かな私が道を誤った起点。お願いします、ルグレット」
淡く薄い緑色の光が、女性の全身を包む。
膝裏まで伸びていた髪が、耳の後ろまで一気に縮んだ。
長衣の大きさは変わらないまま、体つきや面立ちが幼くなって。
開いたその目には、純粋な疑問が浮かび上がる。
「……え? あ、あれ? 私今、畑仕事をしてたわよね? 道具はどこ? また意地悪された?」
畑仕事?
意地悪された?
少女は不思議そうに辺りをキョロキョロと見渡した後。
目の前の男性に向き直って、首を傾げた。
「あの……貴方は、レゾ……じゃないわよね? さすがに」
さっきまでのアイツとは、まるで違うな。
言動の端々が微妙に引っ掛かるが……どうでもいい。
「忘れてしまえ。全部」
「え?」
男性の左手が、少女の額を覆う。
白い光が少女の目に反射して、弾けた。
少女の両腕がだらりと落ちて、瞳から意思が消える。
「拾ってくれ、とは、言わなかったからな」
自殺願望があるなら、おそらく放置されたいんだろう。
何かに絶望したのか、単なる興味で人間として死んでみたくなったのかは知らないが。
「自由にするがいい。俺はステラを護れれば、他の奴はどうでもいいんだ」
あんな思いは二度と味わいたくない。
護れないのは、もう嫌だ。
ステラ。
君が迷い続ける道を、俺が一緒に歩いていこう。
君は自分を信じられない、バカな迷子。
俺が見ててやるから。
ずっと見ててやるから。
自分の足で出口を探すんだ。
迷路の中だとしても、その道を歩いたこと自体がいつか君に力をくれる。
君自身を作り、君自身の生きる力に変わるから。
歩き方を忘れたら、少しだけ教えてやるから。
ステラ。
どうか、生きて。
「じゃあな」
棒立ちになった少女を置き去りにして、男性は廃墟から跳び去る。
街へ戻り、髪をバッサリ切り落として。
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そうして、入所試験に訪れた私を、それとなく迎え入れて…………
そうだ。
仕事に対する姿勢を丁寧に、丹念に教え込んでくれたのは、貴方だった。
私がどんなに初歩的な失敗をくり返しても、決して怒鳴ったり呆れたり、投げ出したりもしないで、こうであれと根気強く手本を見せ続けてくれた。
貴方が仕事に厳しかったのは、私を導く為。
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甘やかしたり突き離したりせず、ただじっと見守ってくれていた。
ずっと……、私を見守っててくれたんだ。
……でもこれ……甘やかしてるのと変わりないでしょ、室長さまー……
…………んー?
なんだろ……声が出る……
目も開けそう……、って……
うわぁああ~……きれえー……
薄い緑色の光の粒が、辺り一帯で雪みたいにふわふわ降ってるー……
ところで、今の夢に出て来たらしい、白金色の髪の、絶世の美女さん……
貴女、創造神アリア様の肖像にそっくりですねー……
大人に戻ってるしー……
「そんなに良いものではないわ」
いやいや……ふわって笑ってると、魅力数値が跳ね上がりますよー……
貴女みたいな、綺麗な人間になりたかったなあ……
「私には、あなたこそが、うらやましい」
へ……?
どうして……?
「私には二度と触れられないものを、あなたは持っているから」
……何を見てるの……?
あ……クロスツェルさんと、黒い人……?
さっきの足音、あの二人だったんだ……
並んでるところを見ると、あの二人も知り合いなんだねえ……
世界は狭いや……
「そうね。世界は、こんなにも狭いのに……どうして私達は争うばかりで、ただ手を取り合うことさえ、できないのかしらね」
手を、取りたいの……?
世界の……?
あの二人の……?
「さあ……どうかしら? もう、私にもはっきりとは答えられないわ」
……ああ……そんな寂しそうに笑ってたら、さすがにわかりますって……
情報だけは、耳年増なんですから、私……
「ふふ。なら、私の想いは、あなたが知っていて。私にはもう、答えを探す余裕がないから」
良いですけど、いずれは向き合うことになると思いますよー……
ほら、石みたいに固まってるあの二人、貴女しか見てないもの……
「……諦めが悪いのは、私なのかしら? あの二人なのかしら?」
両方、じゃないですかね……
よくわからないけど……
「そうね。きっと、そうなのでしょうね。……ありがとう、ステラ。友達を大切にしてね。あなたの為に泣いてくれる存在を、忘れてはダメよ」
忘れない。
絶対、忘れないよ。
「さあ、本当の目を開いて。残る生命は少ないけれど……他の誰でもない、あなた自身の時間を生きて。誰にも惑わされず、あなただけの道を探して。あなたの願いは、あなたにしか叶えられないのだから。迷った時は……」
うん。解ってる。
私はもう大丈夫。
全部教えてくれた友達がいるから、大丈夫です。
ありがとう……、えーと……
アリア様? で、良いのかな?
「見えるままで構わないわ。本当の私には、名前なんて無かったから」
…………なら、自分がなりたい名前で、良いんじゃないですかね?
「……そうね。あなたのそういうところが、うらやましいのよ。ステラ」
あ。待って。
結局、名前……は……
…………なんだろう? 体が温かい。
ああ、スイだ。
私の大好きな、白いもふもふさん。
……あったかい……なあ……
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メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
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