【R18】逆さの砂時計

梅見月ふたよ

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本編

魔窟の森 Ⅲ

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 エルフ達に導かれて入った集落改め里は、巨大なすり鉢状になっていた。
 落ちくぼんだ中央部分で、天を貫く一本の木が根茎と枝葉を伸ばしている。

 木目が見える四角い柱で作った枠組みに、そこそこの厚みがある木の板をはめ込んだ壁と、色褪せたわらをどっさり積んで三重の層を作っている屋根。
 そんな、初めて見た形状の建築物が、巨木を囲むように点々と建ち並び。
 その外側を、浅い川がゆったり流れている。
 すり鉢の底辺の縁で、上流も下流も無く円を描いて右回りに巡るこれを、『川』と称するべきか『池』もしくは『堀』と称するべきかは、微妙に悩むところだが。
 円の長さや水流の幅から考えれば、『川』という表現が妥当だろう。

 川に架けられた半円状の橋を渡り、まばらな建築物の間を進んでいくと、その先では畑や果樹園らしきものがいくつかに分けて作られ、果物や野菜が彩り美しく枝もたわわに実っている。

 しかし、どれほど目を凝らしてみても、十一人以外の姿が見えない。
 さすがに巨木を挟んだ反対側の様子までは見ようがないが。
 それにしても、感じ取れる気配はすべて動物や植物のものだ。
 まさか、長を含めた十二人が、エルフの里の総人数なのだろうか。

 更にその先へ進もうとするネールの後を黙って付いて行くと、一緒に来たエルフ達がバラバラと散っていった。
 ある者は畑へ。
 ある者は建物の中へ。
 ある者は再び里の外へと出ていく。

 クロスツェルは、自分達を放っておいて良いのか? と不思議そうに首を傾げるが。
 ネールは振り返りもせず、
「この先は、エルフであっても長の許しがなければ決して立ち入れぬ禁域。許しを得ていない彼らは、ひとまず各々の役目に戻っただけだ。何かあればすぐに集まってくる」
 と言う。

 納得してネールが行く先を見れば、巨大な木の根元をこれもまたぐるりと一周する、細めの丸太と太い縄で作られた長大な柵があった。
 柵の高さは、エルフの腰上辺りに年輪の断面が見える程度。
 地面に等間隔で突き立てた杭状の丸太に横穴を空け、一本一本が長い縄を通してそれぞれ繋ぎ合わせ、柵の内側と外側の空間を隔てているが。

 案内された先の一ヶ所だけ、丸太と丸太の間に縄を通さず門にしている。
 その場所をすり抜けると、半透明な人間や様々な動物達が、一列になって木の周りを左回りにのそのそ歩いていた。
 ふと、クロスツェル達の背後から飛んできた半透明な小鳥が、列の隙間に舞い降りて、前後と歩調を合わせるようにテコテコと歩き出す。

「……これが、野良魂が無かった理由ってヤツか」
「そうだ。ここは、全生物の魂が浄化を求めて集う聖地。奴らはここで己の罪を清め、聖樹と一つになる」
「『聖樹』? この大きな木ですか?」

 太い幹を上へと目線で辿れば。
 里の上空はすべて、この巨大な一本の木の枝葉が覆い尽くしている。
 いったい何千年生き続ければ、これだけの巨木に成り得るのか。
 クロスツェルには想像もつかない。

「聖樹は……そうだな。どれほど無知に成り下がった人間であっても、かの御名くらいは聞き覚えがあるだろう。世界の中心で、世界中に清らかな気を循環させている神聖なる息吹。それが、この『世界樹』だ」
「『世界樹』? アリアを産んだとされている、あの『世界樹』ですか?」

 アリア信仰の神父だったクロスツェルは、当時その名前を毎日見ていた。
 ベゼドラ曰く虚飾だらけの教典に、アリアを産み出した聖なる母であり、世界を支える巨木であると書かれていたのだ。

「あの女を産んだ……? まさか。あの女は、どこからともなく突然現れた紛い物。聖樹との関わりなど、ありはしない」

 そんな伝わり方をしているのか、嘆かわしい。
 と、足早に世界樹の元へ向かうネールを追って、二人も足を早める。

 大きすぎて近くにあると錯覚していたらしい世界樹の根元へは、それからしばらく歩いて、ようやく辿り着いた。
 地表にうねり出た根をいくつか登った先で。
 幹に背中を預けて建っている、小さな石積みの祠を見つける。

「連れて参りました、長」

 祠の手前でうやうやしく片膝を突くネールに反応してか。
 祠の中で目を閉じたまま胡座あぐらの姿勢で座っていたエルフが、わずかに顔を上げる。

 見事なまでに、ネール達と同じ色彩、同じ顔、同じ体格。
 だが、髪の長さがネール達とはあまりにも違いすぎる。
 祠の中が、小さな体と大量の髪でぎゅうぎゅう詰めだ。
 そのうち髪の量で体が追い出されるのではないか? と思うほどに長い。
 日々のお手入れなどは、確実にしていないだろう。

「人間。こちらへ」

 長がクロスツェルに手を伸ばした。

 一瞬驚いたネールが姿勢を崩しそうになるが、すぐに正す。
 その横をすり抜けたクロスツェルが長の手を取り、片膝を突く。

 しばらくの沈黙の後、長は静かに目蓋を持ち上げ。
 虹色に輝く虹彩で、不思議そうな表情のクロスツェルを見据えた。

「語る必要はないよ、クロスツェル。貴方の記憶は、世界樹が読んだ」
「え?」
「貴方はアリアに命を救われたのだね。証こそ無いが、アリアの力は確かに天神てんじんの一族と同じ物。彼女に救われた貴方から力を感じるのは当然だ」
「……『世界樹』と長様が私の記憶が読めるのでしたら、何故、ベゼドラを里に招いていただけたのでしょう?」

 クロスツェルは、ベゼドラが居ないと説明が難しいと言って押し切った。
 口頭での説明を必要としないなら、同行を許す理由も無い筈だ。

「貴方が言った通り、避けられる争いなら避けるべきだと思ったからだよ。僕達は神々に仕える民ではあるけれど、それ以前に創造神の作り物。悪魔もまた然り。ならば、害意無き者に敵意を示すは、真の愚行だ」

 どうやら、ネールの記憶を通してクロスツェルの説教を聴いたらしい。
 長は可愛らしくにこっと微笑み、クロスツェルから手を離した。
 そして、人差し指をクロスツェルの前に立てる。

「貴方にこれを授けよう、クロスツェル。きっと貴方達の旅に必要な物だ」

 しゃらしゃらと、鈴の音にも似た軽やかな音色を引き連れて。
 長の全身から溢れ出した虹色の輝きが、その指先に丸く集まっていく。
 拳程度にまで大きくなった輝きは、傾けた指先を伝い。
 クロスツェルの胸の中へと、溶け込むように消えた。

「これは……?」

 長い髪を器用に逆立てて驚きを表現しているネールと。
 ちょっとびっくりしたらしいベゼドラの気配を背中で感じながら。
 クロスツェルは自分の胸に手を当ててみる。
 見える場所にも、心拍や呼吸にも、特に変化はない。

「アリアの力に敵う物だよ。使い方は自然と理解できる。僕達エルフが代々護り継いできた大切な宝物だから、大事にしてね」
「そんな大切な物を、どうして私に?」

 腕を下ろした長は目蓋を閉じ、口元だけで弧を描いた。

「アリアを迎えにきたらしいあの男を止められるのは、現代のこの世界にはアリアしか居ない。そのアリアを僕達側に引き留められるのは、貴方達だけだと思うから。特にクロスツェル。貴方は、彼女にとって重要な立ち位置に在る。まさしく『アリアの鍵』だ」
「!」

 ベゼドラの目が丸くなる。

 『記憶を読んだ』と言っていた。
 つまり長はクロスツェルを通して、魔王と呼ばれた悪魔の再来を知った。
 かつて世界を脅かしていた者の再来を。
 だから、世界の脅威と対峙する為の物を、クロスツェルに与えたのか。

「世界を救えとか言うなよ、白蟻しろあり。俺達は、ロザリアを取り戻せればそれで良いんだ。他の奴らなんぞ知ったこっちゃねぇぞ!」
「知ってるよ、ベゼドラ。でも、貴方達が彼女を取り戻すつもりなら、あの男は絶対に邪魔をする。そうでなくても、貴方達の存在の大きさに気付いてしまったら、男は貴方達を殺しにくるよ。アリアと再会する前に死にたくはないでしょう?」

 貴方達は弱いから。
 言外にそう言われたベゼドラは、苛立ちながらもそれ以上反論できない。
 魔王に叩きのめされてしまったことは、誤魔化しようがない事実だ。

「……ありがとうございます。さすがに世界の命運まで背負うつもりは一切ありませんが、活用はさせていただきます」

 クロスツェルはにっこり笑って長に頭を下げる。
 長も一つ頷いた。

「長……っ 貴方は……なんということを……!」

 ガクガクと四肢を震わせるネールにも、長はゆったりと微笑む。

「ネール。この二人を、森の外まで案内しなさい」
「長!!」
「聖樹を護る為に必要なことだ。この二人を死なせてはいけない」

 護る為。
 その言葉にネールは唇を噛み、苦々しくも頭を下げた。

「……行くぞ」

 立ち上がり、長に背を向けて、来た道を引き返していくネール。
 不機嫌なベゼドラと、長に一礼したクロスツェルも、その後に続く。

「幸多き未来を」

 長は静かに、三人の背中を見送った。



「なんじゃ、お主ら? 長に処分されたのではないのか」

 巨木の根を降り、魂の列と柵を越え、建築物の近くまで戻ったところで。
 元気いっぱいに走り回っていたリーシェが、三人に駆け寄ってきた。
 手に持っているのは、見るからに年季を感じさせるくわ
 どうやらリーシェは畑を耕していたらしい。

「二人を森の外に送ってくる」
「そうかそうか。やはり獣に肉を喰わせるわけじゃな……って、なにぃ!? の外ではなく、の外じゃと!?」

 いちいち大袈裟に反応するリーシェを見ると、なんとなく癒されるなと、クロスツェルが目を細めていると。
 数歩先に居るネールが、凄まじく敵意溢れる眼でクロスツェルを睨んだ。

「何故じゃ!? 人間は例外なく始末せねば、森が! 里が! 聖樹がっ!!」
「リーシェ。長の決定だ」

 ネールがリーシェの肩を軽く叩いて、その脇を通り過ぎる。
 彼女はけろっと態度を改め。
 そうか。長の決定か。ならば仕方ないの!
 と、笑いながら畑仕事へ戻っていった。

「……アイツ、まじウゼェ」

 里に入ってから妙に大人しいベゼドラが、両肩を落としてため息を吐く。
 もしかして、本当に『聖なる気』とかに当てられてたりするのだろうか。

「一番若いエルフだ。まだ落ち着きがないのも仕方ない」

 ネールは二人に顔を向けることもなく、スタスタと先を歩いていく。
 一刻も早く、二人を里から追い出したいようだ。

「若いっつったって、とっくに百年は生きてんだろ? どうせ」
「ひゃ……?」
「来年で三百歳だ」
「さっ⁉︎ え、さ、三百……!?」

 思わずリーシェを二度見、三度見するクロスツェルに。
 ベゼドラが意地悪そうな顔で、にやりと笑う。

「見た目じゃ分かんねえだろ」
「え、ええ。意外です」

 とても楽しそうに土を耕すリーシェ。
 その笑顔は、無邪気な少女そのものだ。

「三百、ね。にしたって、ずいぶん甘やかされてる感じだが」
「……リーシェは現在、里で唯一の女性体。これからエルフ族の母となる、貴重な身の上だ。大切に護らなくてはならない」

 ネールの背中へと向き直ったクロスツェルが。
 なんだかいろいろと問題がこもっている発言にギョッと目を剥く。
 対してベゼドラは、愉快そうに笑い声を上げた。

「なるほどね。アイツは白蟻しろありの次期女王様ってヤツか。里中がお相手とは、ご苦労なことだ」

 エルフは決して、里に部外者を招き入れない。
 つまり、この種族は純血種。

 『絶滅危惧種』とまで言われた者達が。
 今日になるまで、どうやって一族を繋いできたのか。
 これから、どうやって繋いでいくのか。
 当然、一に対して一で足りる数ではない。

 再びリーシェの姿を遠目に見たクロスツェルは、背筋を凍らせた。
 実年齢はともかく、あんな小さな子を種の保存に利用しようというのか。
 いや、全員同じ容姿ではあるのだが。

「なんとでも言え部外者よ。それでも我らは絶えるわけにはいかないのだ」

 拳を握り肩を震わせて足を早めるネールに付いて行きながら。
 二人は真逆の顔色で、森の外まで案内された。
 二人が入ってきたほうと反対側に抜け、ネールはさっさと里へ引き返す。
 その背中を複雑な表情で見送るクロスツェルに、けらけらとお腹を抱えて嗤うベゼドラ。

「アイツら、まるで変わらねえんだな。元々女の数は少ないほうだったが、今じゃ男十一匹に女一匹の崖っぷちも崖っぷちだってのに、ここまできてもまだ排他存続を貫くとか。バカだろ絶対」
「…………やはり、エルフの総数は十二人なのですか?」
「この周辺にゃアイツら以外で人型の生体は居なかったからな。動物相手に種付けしてりゃ知らんが、お前が会話できるエルフに限れば十二匹だな」
「そう……、ですか」

 普段であれば、言葉を選びなさいと叱る場面だが。
 今のクロスツェルは、そんな気持ちにはなれなかった。
 所詮、部外者でしかない者が口出しして良い話でもないし。
 その行いを非難できる立場でもないのだが。

「……どうか、未来の彼女にも労りと安らぎがあらんことを……」

 誇り高い、少し間抜けなエルフの少女の笑顔を思って。
 クロスツェルは、閉ざされた世界樹の森に密やかな祈りを捧げた。

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