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paralel dünya
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山奥の神社から貸出し自転車を立ち漕ぎして、約2時間。
川沿いの宿舎『華月楼』に戻ってきた。
松の木や灯籠、敷石と砂利で彩った玄関アプローチ。
そこでハンドルに上半身を預け、ペダルに片足を引っ掛けた姿勢で乱れた呼吸を整えていると。
砂利の音で気付いたんだろうか。
木で出来た格子状の引き戸が開き、中から出てきた茜色の着物を着こなすエキゾチックな雰囲気の若女将が暖簾を払いのけ、自分に腰を折った。
「おかえりやす」
「あ、ドモデス~」
若くも『将』と呼ばれるだけあって、所作の1つ1つに隙が無い。
足音を消して機敏に動く様は、まるで暗殺者ね。
上品な微笑みが逆に怖い。
「おくたぶれさんどした。そちらのチャリンコ、なおしときまひょか?」
「オウ! センキューベリーマッチ! えーと、アリガト、ゴザマス?」
「へー。ほな、ごゆっくり」
挨拶もそこそこに、その場で自転車を返却。
前カゴに入れてきた麦わら帽子とクロスボウ入りの袋を手に、宿舎内へ。
早足で廊下を抜け、目的地の襖をスパーンッ! と開き。
枯山水に面する畳張りの個室へ駆け込む。
「ヘイちゃん、道を繋いで! チェックアウトしたらすぐに行くよ!」
「くかあ~」
「って、まだ寝てたの!?」
書院造りの座敷をリノベーションした客室『松の間』。
その中心にある囲炉裏の横で、金魚柄の浴衣を着崩した女性が寝てる。
きっかり1枚分の畳に這う、限りなく黒に近い濃い金色のうねり髪。
薄いピンクに色付いた形良く細長い指先と、ふっくらした妖艶な唇。
紺色ベースの浴衣から覗く円やかな輪郭の白い肢体は、それだけだったら異性を惑わす30代後半の壮絶美女なのだが。
横たわった状態で「むにゃむにゃ」と言いながら腰をバリバリ掻く様は、まさしく話に聞いた『昭和世代のダメ親父』。
室内に散乱してる揚げ芋の菓子袋やら黒色炭酸飲料の空き容器やらはまあ目を瞑るとしても、せめて、片方立ててるその膝は閉じて欲しい。
見えそうで見えない絶妙な角度が、そこはかとなく、いたたまれない。
「仕方ないなあ、も~っ」
めくれかけている裾の代わりに襖を閉め。
麦わら帽子とクロスボウ入りの袋を放り投げつつヘイちゃんの横に立ち。
腰を屈めて、だらしなさ全開の肩を揺さぶる。
「起きて、ヘイちゃん!」
「んう~? やあ~……お昼に働いたら負けなのお……ぐうぐう、すぴ~」
「そりゃ、昼日中に力が出ないのは知ってるけど! この世界じゃ、それはほぼほぼダメ人間のセリフ!」
「くおー、くおー」
ああ、『昭和世代のダメ親父』が『大の字ニート』に進化しちゃった。
日本情緒溢れる筈の浴衣が、体に巻き付いただけの布になってる。
これはもう、全面起床拒否の構えね。
よろしい。
ならば、闘争だ。
「三神帝デルタの名の下に隔絶を。『ドゥニヤ・クラル・アイルーマ』!」
個室内の空気を振動させ、不可侵の固有領域を展開。
覗き見と音漏れを遮断したここは、今や立派なカラオケルーム。
背筋を伸ばし、掲げた手に愛用のジッリ・デフを召喚。
たたーん! と高らかに打ち鳴らす。
「おいでなさい、我が愛しきクルバンテス! 剣と盾持ち、太鼓を叩け! 我が名を讃えて生の愉悦に浸るがよい!」
呼びかけに応え、約40㎝にデフォルメされたヴァイキングもどきが3体、アジの開きもといヘイちゃんを取り囲み。
頭の上の1体が太鼓を。
右脇腹の1体が剣と盾を。
左脇腹の1体も剣と盾を構える。
さあ、人の目気にせず歌って踊れ!
我が指先よ、狂い咲け!
「楽の音以て、死へと訪れし魂に、今ひとたびの活力を与えよう!」
たーんたんたん、とダクテュロスを奏で、自分はくるりくるりと舞い。
太鼓持ちがヘイちゃんの耳元で勇壮な連打を披露。
他の2体は、ヘイちゃんの胴体上を飛び交いながら剣と盾をぶつけ合う。
食らえ、ヘイちゃん!
寝起きにコイツは大迷惑!
「ユング皆伝・集合的無意識奥義、ご家庭の型! 『朝のフライパン』!」
シャンシャンシャンッ♪
たんたんたんっ♪
とととととっ♪
キンキンカンカン、キンカンコンッ♪
「う……」
シャンシャンシャンシャンシャンシャンッ♪
たんたんたんたんたんたんっ♪
ととととととととととっ♪
キキキンカカカン、キカキカコンッ♪
「ううううう~~……」
シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンッ♪
たんたんたんたんたんたんたんたんたんたんたんたんたんっ♪
とととととととととととととととととととととととととっ♪
キンカンキキカンキキカカカン、キカキカコンコンキキカンコンッ♪
「っっうう~~……っるさああああああ~い~ッッ!」
あ、飛び起きた。
ヘイちゃんの魔力放射を受けてクルバンテスが消滅。
自分のジッリ・デフも固有領域共々吹き飛ばされてしまった。
いやあ~、危うく興が乗るトコだったから、消してくれて助かったわ。
「おはよ、ヘイちゃん♪」
体育座りを崩した感じでぜえぜえ言ってるヘイちゃんに、笑顔でご挨拶。
ヘイちゃんは、金色のワカメを思わせる前髪の隙間から自分を睨んだ。
ややタレ目だからか、怯ませるほどの迫力は無い。
「おはよ、じゃありませんわっ! アル様、妾を殺すおつもり!? 寝起きは体と意識の覚醒にズレが生じやすいのですよ! 心臓の過活動で呼吸不全に陥るかと思ったじゃありませんのッ!」
「すっごい既視感覚えるクレーム。だいじょぶだいじょぶ。仮に死んでも、ヘイちゃんなら旦那さんが助けてくれるって!」
「あんなヘタレ誘拐犯、妾は夫と認めておりません!」
「あーあ、ハー君が涙目案件ね。冥界が海没しなければ良いんだけど……。ところで、それだけ大声出せるなら、もう動けるでしょ? 道を繋いで! チェックアウトしたらすぐに移動するから!」
「女神使いが荒すぎです! チャージも不充分だというのに」
「文句なら2年経った後にまとめて聴くわ! よろしく!」
「アル様の人でなしーッ!」
「うん。人ではないよ。遥か昔に辞めてるからね」
顔面を覆い隠してむせび泣くヘイちゃんは置いといて。
自分は枯山水を望む縁側に出て、両手を叩く。
「お待たせ! おいで、リオ君!」
「がう? んにゃあ~っ♪」
上空で待機してた大きなリオ君が、自分の顔を見てぬいぐるみ化。
背中に乗せていたセレちゃんを庭に落とし、自分めがけて飛んできた。
「みゃ~、みゃ~」
「うんうん。すっごく助かったわ。ありがとね」
「ぐるぐる……」
左右揃えた手のひらの上、喉を鳴らして得意げに尻尾を振るリオ君。
『可愛いは正義』って、万世共通の真理だわ。
嗚呼、にゃんこ万歳。
本当は獅子だけど。
「じゃ、ちょっと待ってて。セレちゃんを治すから」
一切の重さを感じさせないリオ君を肩へ招き。
頭から太股まで地面にすっぽりと埋まってるセレちゃんに向けて、開いた右手をかざす。
「ごめんね、セレちゃん。三神帝デルタの名の下に祝福を。傷を癒しなさい『ドゥニヤ・クラル・タミラト』」
真っ黒に焦げた枯れ枝が、白く健康的な十代女子の生足へ。
かと思えば地面の修復開始と僅差で空高く飛翔、華麗に宙返り。
召喚した銀色のソリへ、ふわりと優雅に着地。
元通りになった庭の上空で、腰まで届く黄金のウェーブヘアーと真っ白な膝丈ワンピースの裾を翻し。
吊り上げた月色の目に尋常ならざる殺気を込め、自分を睨みつけた。
怒ってる……よね。
避雷針にしちゃったんだもん、当然だよね。
うん。
「アル」
あらやだ。
声が地鳴り。
「あ、あはは! 元気になって、良かった良かった~……」
「私のフェガロフォト、乱暴に扱ってないでしょうね」
「ないない。ほら、ちゃんと部屋に……あ。」
体をずらして指した室内。
囲炉裏の中で、クロスボウ入りの袋に火が着いていた。
気まずいことに、一緒に投げた自分の麦わら帽子は座布団の上で無事。
形状と重さの違いで、着地点が変わっちゃったんだね?
「…………てへ☆」
「射る」
「なんか物騒な発音してない!?」
セレちゃんの額で三日月紋が発光。
着火した袋の中から、クロスボウ本体をセレちゃんの手へ召喚。
銀色に光る魔力の矢をつがえ、自分に向けて構えた。
「うわあん、ごめんなさいごめんなさい! 直すからしまってください!」
「当然よ、バカ! 次に同じことをしたら、宿代払ってあげないからね!」
「切実に困る!」
ここは素直に土下座1択!
突然の平伏に驚いたリオ君が、頭の上に登って「にゃ?」と鳴く。
ぬいぐるみに頭を踏んづけられながら土下座している自分の格好で気勢が殺がれたのか、セレちゃんは必死で何かを堪えるように深呼吸。
クロスボウとソリを消し、自分の横に降り立った。
「結局、私が気絶してる間に野良獅子まで拾ってきてるし、まったく……。今回はちゃんと、あんたが責任持って世話しなさいよ」
「それはもちろん!」
「アルの「自分がちゃんと世話をするから」は当てにならないけど。まあ、良いわ。さっさと支度するわよ。リンクしてきたんでしょ? あいつが」
「お察し感謝!」
「あの孑孑、どこにでも涌いて出るわね。ほんっと、気色悪い!」
両手を腰に当てて鼻息荒く吐き捨てたセレちゃんの言葉に、
「セレ様、その言い様はあんまりです。それでは似たような権能を持つ妾も孑孑になってしまうではありませんか!」
ヘイちゃんが自分の背後から不満の意を表明。
リオ君を頭頂部に乗せたまま立ち上がって振り返れば。
散らかった室内は綺麗に片付け済みで、荷造りもバッチリ完了。
囲炉裏の中で燃えかけていた袋も、鎮火後に取り出されて座布団の上。
ヘイちゃんは黒いキャリアスーツに着替え、ボサボサ髪をシニヨンに。
さすがは『霊の先導者』。
本気を出せば、昼間でも仕事が早い。
「はいはい、あいつとあなたじゃ性格が全然違うから。支度できたんなら、さっさと行くわよ。アルは袋を直して早急に返せ」
「あいさ! リオ君は帽子に隠れててね。触ってないと道を通れないから」
「んにゅっ!」
座布団の上で並ぶ麦わら帽子と袋を手に取り、袋は直してセレちゃんへ。
麦わら帽子はリオ君を乗せてる頭に被せ。
セレちゃん、ヘイちゃん、自分、それぞれが室内に置いておいた真っ黒なボストンバッグを肩に掛け、『松の間』を後にする。
「「お世話になりました」」
「女将サン、若女将サン、仲居サン、アリガート!」
「おーきに」
「ほな、またおいでやす」
セレちゃんの稼ぎで宿泊代を精算した後。
『将』達の見送りを背に、川沿いを上流へと辿り。
獣道から鬱蒼とした山林に足を踏み入れ、山道と交わる場所まで登った。
「ヘイちゃん。まだ少し明るいけど、この辺りなら大丈夫そう?」
「そうですわね……。ええ、ここなら繋がりますわ」
「じゃ、お願い」
「お任せを」
自分達の影と樹木の影が一体化する、薄暗い場所で。
ヘイちゃんが右手に松明を召喚。
登ってきた獣道を前面に、山道を左右に構え、松明に灯した魔力の黒火を高く掲げる。
「おいでなさい、過去、現在、未来の使徒ケルベロス。妾を可能性の領域と繋がる道へ通すのです!」
ヘイちゃんの声に怯え、辺り一帯の動植物が突風を受けたように騒ぐ。
直後、正面の獣道から黒い闇が波となって自分達に襲いかかり。
どこでもあり、どこでもない、高次元空間の概念に閉じ込められた。
どれだけ見渡しても星明かり1つ、天も地も無い真っ黒な世界で。
月色に発光しながらふわふわと漂う自分達の元へ、グリーク・サルーキに似た3つの首と蛇の鬣を持って黒く光る、巨大な異形の獣が歩み寄る。
正確な比較はできないが、日本一高い電波搭くらいはあるだろうか。
地面が無いのに、何故かのっしのっしと足音が聴こえる気がする迫力。
この外見だけは、何度見ても慣れない。
「今回は滞在時間短めだったね、ヘペりん」
「もう見つかったのか、マヌケ」
「そろそろ帰ってきてください、ヘポたん」
「3匹同時に喋らないでくださいませ。やかましいですわ、ケルベロス!」
「しょうがないでしょ。ボクはボクだもの」
「隠れ遊びも満足にできないから、ご主人様に騙されたんだろ。マヌケめ」
「どちらに行っても八つ当たり。中間管理職をもっと優遇して欲しいです」
……この、見事にバラバラな性格も慣れないわ~。
口が動かないから、どの首がどの性格なのか、いまだに判別できないし。
他者からの干渉を防止する為に真名を禁じてるとはいえ、呼び方も酷い。
「分かっています。2年後に必ず待遇改善を上申しますから、今は通して」
「そうだね。急いだほうが良い」
「そうだな。もう干渉されかけている」
「そうですね。後ろを見ないでください、アベ様。かの者の手が来てます」
「うげっ! あいつの手が生えてるの!? 背後に!?」
「うん。アッきゅんに向かって少しずつ伸びてる。絶対に見ちゃ駄目」
「ああ。認識を確定したら、式に汲まれて可能性の領域で具現化するぞ」
「はい。マイナスあるいはディヴィジョンしながら、行きたい世界の概念を具体的に思い描いてください」
「オッケー了解がってん承知! 任せて!」
各地でよく聴く、見るなって言われると見たくなる法則。
ろくな結果にならないそんな物は、全身全霊で振り切る!
自分が行きたい世界、自分が行きたい世界~……
「あと1㎝」
「秒にして2」
「死ぬ気で妄想、頑張ってください。アベ様」
自分は〆切直前の作家か!
「ええい、もう! あいつが居ない世界なら、この際どこでも良いわよ!」
「あと5㎜」
「速やかに案内開始」
「確定要素・不十分。具現先不明。アベ様、『知識の保護者』とか言って、想像力無さすぎです」
「余計なお世話ああーッ!」
「再現開始」
「具現開始」
「どうなるか知りませんが、今度は、余裕があるト、良イ、でス、ne……」
「……シイ。……ッタノニ……」
ケルベロスに後光が差した。
と思ったら、自分達もその光に呑み込まれ。
真っ黒な世界が白く弾け飛ぶ。
あまりに眩しくて、咄嗟に閉じた目を腕で庇い。
そよぐ風に頬を撫でられて、ゆっくり視界を開いた。
青い空、白い雲。
風に香る大地の匂いと、ひらり舞う蝶々の群れ。
地平の彼方まで敷き詰められた草花の絨毯と、遠くに見える糸杉。
ビルなどの人工物は見当たらず、鳥の鳴き声が牧歌的な光景を演出する。
どうやら無事に到着したらしい。
元始より、ありとあらゆる記憶を記録し続けている形無き世界事典。
それを基にケルベロスの権能を使って三次元の領域で再現・具現化した、数多ある『平行世界』の中の、どこかに。
「…………はっ! 手! あいつの手は!?」
道を通る寸前、小さく聴こえた嫌な声。
あれは、間違いなくあいつの声だった。
万が一にも付いて来てないだろうなと、周辺を見回すが。
少なくとも、見える範囲には居ない。
「あ~、良かった~……」
「良くないわよ。ここはどこ?」
「人工物が1つでもあれば、文明から国と時代を割り出せるのですけど」
「見事に大草原ね。アル。神社へ行く前に、本は読めてた?」
「……あ。う、うん。読んでは、いた……」
平行世界を渡り歩く為には、世界を認識する必要がある。
自分は行く先々で辞書や事典や雑誌他、様々な記録媒体を入手。
時間が許す限り目を通してきた。
前回居た世界でも、興味深い雑誌を読んでたんだけど……やばいかも。
「何を読んでたの?」
「『創刊号、ここまで来たか! バーチャルリアリティーの世界100選』」
「バーチャ……って、まさか!?」
察し良いセレちゃんの顔色が、リトマス試験紙並みの速さで蒼白に。
次いでヘイちゃんの目が丸くなり。
滝汗流れる自分の姿を映した。
「うん。多分ここ、VRの世界だと思う」
川沿いの宿舎『華月楼』に戻ってきた。
松の木や灯籠、敷石と砂利で彩った玄関アプローチ。
そこでハンドルに上半身を預け、ペダルに片足を引っ掛けた姿勢で乱れた呼吸を整えていると。
砂利の音で気付いたんだろうか。
木で出来た格子状の引き戸が開き、中から出てきた茜色の着物を着こなすエキゾチックな雰囲気の若女将が暖簾を払いのけ、自分に腰を折った。
「おかえりやす」
「あ、ドモデス~」
若くも『将』と呼ばれるだけあって、所作の1つ1つに隙が無い。
足音を消して機敏に動く様は、まるで暗殺者ね。
上品な微笑みが逆に怖い。
「おくたぶれさんどした。そちらのチャリンコ、なおしときまひょか?」
「オウ! センキューベリーマッチ! えーと、アリガト、ゴザマス?」
「へー。ほな、ごゆっくり」
挨拶もそこそこに、その場で自転車を返却。
前カゴに入れてきた麦わら帽子とクロスボウ入りの袋を手に、宿舎内へ。
早足で廊下を抜け、目的地の襖をスパーンッ! と開き。
枯山水に面する畳張りの個室へ駆け込む。
「ヘイちゃん、道を繋いで! チェックアウトしたらすぐに行くよ!」
「くかあ~」
「って、まだ寝てたの!?」
書院造りの座敷をリノベーションした客室『松の間』。
その中心にある囲炉裏の横で、金魚柄の浴衣を着崩した女性が寝てる。
きっかり1枚分の畳に這う、限りなく黒に近い濃い金色のうねり髪。
薄いピンクに色付いた形良く細長い指先と、ふっくらした妖艶な唇。
紺色ベースの浴衣から覗く円やかな輪郭の白い肢体は、それだけだったら異性を惑わす30代後半の壮絶美女なのだが。
横たわった状態で「むにゃむにゃ」と言いながら腰をバリバリ掻く様は、まさしく話に聞いた『昭和世代のダメ親父』。
室内に散乱してる揚げ芋の菓子袋やら黒色炭酸飲料の空き容器やらはまあ目を瞑るとしても、せめて、片方立ててるその膝は閉じて欲しい。
見えそうで見えない絶妙な角度が、そこはかとなく、いたたまれない。
「仕方ないなあ、も~っ」
めくれかけている裾の代わりに襖を閉め。
麦わら帽子とクロスボウ入りの袋を放り投げつつヘイちゃんの横に立ち。
腰を屈めて、だらしなさ全開の肩を揺さぶる。
「起きて、ヘイちゃん!」
「んう~? やあ~……お昼に働いたら負けなのお……ぐうぐう、すぴ~」
「そりゃ、昼日中に力が出ないのは知ってるけど! この世界じゃ、それはほぼほぼダメ人間のセリフ!」
「くおー、くおー」
ああ、『昭和世代のダメ親父』が『大の字ニート』に進化しちゃった。
日本情緒溢れる筈の浴衣が、体に巻き付いただけの布になってる。
これはもう、全面起床拒否の構えね。
よろしい。
ならば、闘争だ。
「三神帝デルタの名の下に隔絶を。『ドゥニヤ・クラル・アイルーマ』!」
個室内の空気を振動させ、不可侵の固有領域を展開。
覗き見と音漏れを遮断したここは、今や立派なカラオケルーム。
背筋を伸ばし、掲げた手に愛用のジッリ・デフを召喚。
たたーん! と高らかに打ち鳴らす。
「おいでなさい、我が愛しきクルバンテス! 剣と盾持ち、太鼓を叩け! 我が名を讃えて生の愉悦に浸るがよい!」
呼びかけに応え、約40㎝にデフォルメされたヴァイキングもどきが3体、アジの開きもといヘイちゃんを取り囲み。
頭の上の1体が太鼓を。
右脇腹の1体が剣と盾を。
左脇腹の1体も剣と盾を構える。
さあ、人の目気にせず歌って踊れ!
我が指先よ、狂い咲け!
「楽の音以て、死へと訪れし魂に、今ひとたびの活力を与えよう!」
たーんたんたん、とダクテュロスを奏で、自分はくるりくるりと舞い。
太鼓持ちがヘイちゃんの耳元で勇壮な連打を披露。
他の2体は、ヘイちゃんの胴体上を飛び交いながら剣と盾をぶつけ合う。
食らえ、ヘイちゃん!
寝起きにコイツは大迷惑!
「ユング皆伝・集合的無意識奥義、ご家庭の型! 『朝のフライパン』!」
シャンシャンシャンッ♪
たんたんたんっ♪
とととととっ♪
キンキンカンカン、キンカンコンッ♪
「う……」
シャンシャンシャンシャンシャンシャンッ♪
たんたんたんたんたんたんっ♪
ととととととととととっ♪
キキキンカカカン、キカキカコンッ♪
「ううううう~~……」
シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンッ♪
たんたんたんたんたんたんたんたんたんたんたんたんたんっ♪
とととととととととととととととととととととととととっ♪
キンカンキキカンキキカカカン、キカキカコンコンキキカンコンッ♪
「っっうう~~……っるさああああああ~い~ッッ!」
あ、飛び起きた。
ヘイちゃんの魔力放射を受けてクルバンテスが消滅。
自分のジッリ・デフも固有領域共々吹き飛ばされてしまった。
いやあ~、危うく興が乗るトコだったから、消してくれて助かったわ。
「おはよ、ヘイちゃん♪」
体育座りを崩した感じでぜえぜえ言ってるヘイちゃんに、笑顔でご挨拶。
ヘイちゃんは、金色のワカメを思わせる前髪の隙間から自分を睨んだ。
ややタレ目だからか、怯ませるほどの迫力は無い。
「おはよ、じゃありませんわっ! アル様、妾を殺すおつもり!? 寝起きは体と意識の覚醒にズレが生じやすいのですよ! 心臓の過活動で呼吸不全に陥るかと思ったじゃありませんのッ!」
「すっごい既視感覚えるクレーム。だいじょぶだいじょぶ。仮に死んでも、ヘイちゃんなら旦那さんが助けてくれるって!」
「あんなヘタレ誘拐犯、妾は夫と認めておりません!」
「あーあ、ハー君が涙目案件ね。冥界が海没しなければ良いんだけど……。ところで、それだけ大声出せるなら、もう動けるでしょ? 道を繋いで! チェックアウトしたらすぐに移動するから!」
「女神使いが荒すぎです! チャージも不充分だというのに」
「文句なら2年経った後にまとめて聴くわ! よろしく!」
「アル様の人でなしーッ!」
「うん。人ではないよ。遥か昔に辞めてるからね」
顔面を覆い隠してむせび泣くヘイちゃんは置いといて。
自分は枯山水を望む縁側に出て、両手を叩く。
「お待たせ! おいで、リオ君!」
「がう? んにゃあ~っ♪」
上空で待機してた大きなリオ君が、自分の顔を見てぬいぐるみ化。
背中に乗せていたセレちゃんを庭に落とし、自分めがけて飛んできた。
「みゃ~、みゃ~」
「うんうん。すっごく助かったわ。ありがとね」
「ぐるぐる……」
左右揃えた手のひらの上、喉を鳴らして得意げに尻尾を振るリオ君。
『可愛いは正義』って、万世共通の真理だわ。
嗚呼、にゃんこ万歳。
本当は獅子だけど。
「じゃ、ちょっと待ってて。セレちゃんを治すから」
一切の重さを感じさせないリオ君を肩へ招き。
頭から太股まで地面にすっぽりと埋まってるセレちゃんに向けて、開いた右手をかざす。
「ごめんね、セレちゃん。三神帝デルタの名の下に祝福を。傷を癒しなさい『ドゥニヤ・クラル・タミラト』」
真っ黒に焦げた枯れ枝が、白く健康的な十代女子の生足へ。
かと思えば地面の修復開始と僅差で空高く飛翔、華麗に宙返り。
召喚した銀色のソリへ、ふわりと優雅に着地。
元通りになった庭の上空で、腰まで届く黄金のウェーブヘアーと真っ白な膝丈ワンピースの裾を翻し。
吊り上げた月色の目に尋常ならざる殺気を込め、自分を睨みつけた。
怒ってる……よね。
避雷針にしちゃったんだもん、当然だよね。
うん。
「アル」
あらやだ。
声が地鳴り。
「あ、あはは! 元気になって、良かった良かった~……」
「私のフェガロフォト、乱暴に扱ってないでしょうね」
「ないない。ほら、ちゃんと部屋に……あ。」
体をずらして指した室内。
囲炉裏の中で、クロスボウ入りの袋に火が着いていた。
気まずいことに、一緒に投げた自分の麦わら帽子は座布団の上で無事。
形状と重さの違いで、着地点が変わっちゃったんだね?
「…………てへ☆」
「射る」
「なんか物騒な発音してない!?」
セレちゃんの額で三日月紋が発光。
着火した袋の中から、クロスボウ本体をセレちゃんの手へ召喚。
銀色に光る魔力の矢をつがえ、自分に向けて構えた。
「うわあん、ごめんなさいごめんなさい! 直すからしまってください!」
「当然よ、バカ! 次に同じことをしたら、宿代払ってあげないからね!」
「切実に困る!」
ここは素直に土下座1択!
突然の平伏に驚いたリオ君が、頭の上に登って「にゃ?」と鳴く。
ぬいぐるみに頭を踏んづけられながら土下座している自分の格好で気勢が殺がれたのか、セレちゃんは必死で何かを堪えるように深呼吸。
クロスボウとソリを消し、自分の横に降り立った。
「結局、私が気絶してる間に野良獅子まで拾ってきてるし、まったく……。今回はちゃんと、あんたが責任持って世話しなさいよ」
「それはもちろん!」
「アルの「自分がちゃんと世話をするから」は当てにならないけど。まあ、良いわ。さっさと支度するわよ。リンクしてきたんでしょ? あいつが」
「お察し感謝!」
「あの孑孑、どこにでも涌いて出るわね。ほんっと、気色悪い!」
両手を腰に当てて鼻息荒く吐き捨てたセレちゃんの言葉に、
「セレ様、その言い様はあんまりです。それでは似たような権能を持つ妾も孑孑になってしまうではありませんか!」
ヘイちゃんが自分の背後から不満の意を表明。
リオ君を頭頂部に乗せたまま立ち上がって振り返れば。
散らかった室内は綺麗に片付け済みで、荷造りもバッチリ完了。
囲炉裏の中で燃えかけていた袋も、鎮火後に取り出されて座布団の上。
ヘイちゃんは黒いキャリアスーツに着替え、ボサボサ髪をシニヨンに。
さすがは『霊の先導者』。
本気を出せば、昼間でも仕事が早い。
「はいはい、あいつとあなたじゃ性格が全然違うから。支度できたんなら、さっさと行くわよ。アルは袋を直して早急に返せ」
「あいさ! リオ君は帽子に隠れててね。触ってないと道を通れないから」
「んにゅっ!」
座布団の上で並ぶ麦わら帽子と袋を手に取り、袋は直してセレちゃんへ。
麦わら帽子はリオ君を乗せてる頭に被せ。
セレちゃん、ヘイちゃん、自分、それぞれが室内に置いておいた真っ黒なボストンバッグを肩に掛け、『松の間』を後にする。
「「お世話になりました」」
「女将サン、若女将サン、仲居サン、アリガート!」
「おーきに」
「ほな、またおいでやす」
セレちゃんの稼ぎで宿泊代を精算した後。
『将』達の見送りを背に、川沿いを上流へと辿り。
獣道から鬱蒼とした山林に足を踏み入れ、山道と交わる場所まで登った。
「ヘイちゃん。まだ少し明るいけど、この辺りなら大丈夫そう?」
「そうですわね……。ええ、ここなら繋がりますわ」
「じゃ、お願い」
「お任せを」
自分達の影と樹木の影が一体化する、薄暗い場所で。
ヘイちゃんが右手に松明を召喚。
登ってきた獣道を前面に、山道を左右に構え、松明に灯した魔力の黒火を高く掲げる。
「おいでなさい、過去、現在、未来の使徒ケルベロス。妾を可能性の領域と繋がる道へ通すのです!」
ヘイちゃんの声に怯え、辺り一帯の動植物が突風を受けたように騒ぐ。
直後、正面の獣道から黒い闇が波となって自分達に襲いかかり。
どこでもあり、どこでもない、高次元空間の概念に閉じ込められた。
どれだけ見渡しても星明かり1つ、天も地も無い真っ黒な世界で。
月色に発光しながらふわふわと漂う自分達の元へ、グリーク・サルーキに似た3つの首と蛇の鬣を持って黒く光る、巨大な異形の獣が歩み寄る。
正確な比較はできないが、日本一高い電波搭くらいはあるだろうか。
地面が無いのに、何故かのっしのっしと足音が聴こえる気がする迫力。
この外見だけは、何度見ても慣れない。
「今回は滞在時間短めだったね、ヘペりん」
「もう見つかったのか、マヌケ」
「そろそろ帰ってきてください、ヘポたん」
「3匹同時に喋らないでくださいませ。やかましいですわ、ケルベロス!」
「しょうがないでしょ。ボクはボクだもの」
「隠れ遊びも満足にできないから、ご主人様に騙されたんだろ。マヌケめ」
「どちらに行っても八つ当たり。中間管理職をもっと優遇して欲しいです」
……この、見事にバラバラな性格も慣れないわ~。
口が動かないから、どの首がどの性格なのか、いまだに判別できないし。
他者からの干渉を防止する為に真名を禁じてるとはいえ、呼び方も酷い。
「分かっています。2年後に必ず待遇改善を上申しますから、今は通して」
「そうだね。急いだほうが良い」
「そうだな。もう干渉されかけている」
「そうですね。後ろを見ないでください、アベ様。かの者の手が来てます」
「うげっ! あいつの手が生えてるの!? 背後に!?」
「うん。アッきゅんに向かって少しずつ伸びてる。絶対に見ちゃ駄目」
「ああ。認識を確定したら、式に汲まれて可能性の領域で具現化するぞ」
「はい。マイナスあるいはディヴィジョンしながら、行きたい世界の概念を具体的に思い描いてください」
「オッケー了解がってん承知! 任せて!」
各地でよく聴く、見るなって言われると見たくなる法則。
ろくな結果にならないそんな物は、全身全霊で振り切る!
自分が行きたい世界、自分が行きたい世界~……
「あと1㎝」
「秒にして2」
「死ぬ気で妄想、頑張ってください。アベ様」
自分は〆切直前の作家か!
「ええい、もう! あいつが居ない世界なら、この際どこでも良いわよ!」
「あと5㎜」
「速やかに案内開始」
「確定要素・不十分。具現先不明。アベ様、『知識の保護者』とか言って、想像力無さすぎです」
「余計なお世話ああーッ!」
「再現開始」
「具現開始」
「どうなるか知りませんが、今度は、余裕があるト、良イ、でス、ne……」
「……シイ。……ッタノニ……」
ケルベロスに後光が差した。
と思ったら、自分達もその光に呑み込まれ。
真っ黒な世界が白く弾け飛ぶ。
あまりに眩しくて、咄嗟に閉じた目を腕で庇い。
そよぐ風に頬を撫でられて、ゆっくり視界を開いた。
青い空、白い雲。
風に香る大地の匂いと、ひらり舞う蝶々の群れ。
地平の彼方まで敷き詰められた草花の絨毯と、遠くに見える糸杉。
ビルなどの人工物は見当たらず、鳥の鳴き声が牧歌的な光景を演出する。
どうやら無事に到着したらしい。
元始より、ありとあらゆる記憶を記録し続けている形無き世界事典。
それを基にケルベロスの権能を使って三次元の領域で再現・具現化した、数多ある『平行世界』の中の、どこかに。
「…………はっ! 手! あいつの手は!?」
道を通る寸前、小さく聴こえた嫌な声。
あれは、間違いなくあいつの声だった。
万が一にも付いて来てないだろうなと、周辺を見回すが。
少なくとも、見える範囲には居ない。
「あ~、良かった~……」
「良くないわよ。ここはどこ?」
「人工物が1つでもあれば、文明から国と時代を割り出せるのですけど」
「見事に大草原ね。アル。神社へ行く前に、本は読めてた?」
「……あ。う、うん。読んでは、いた……」
平行世界を渡り歩く為には、世界を認識する必要がある。
自分は行く先々で辞書や事典や雑誌他、様々な記録媒体を入手。
時間が許す限り目を通してきた。
前回居た世界でも、興味深い雑誌を読んでたんだけど……やばいかも。
「何を読んでたの?」
「『創刊号、ここまで来たか! バーチャルリアリティーの世界100選』」
「バーチャ……って、まさか!?」
察し良いセレちゃんの顔色が、リトマス試験紙並みの速さで蒼白に。
次いでヘイちゃんの目が丸くなり。
滝汗流れる自分の姿を映した。
「うん。多分ここ、VRの世界だと思う」
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