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短編
囚人・こぼれ話
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「お前、私が怖くないのか」
さらさらの長い黒髪、染み一つ無い白い肌。
柔らかな丸みを帯びた頬に乗る、桃の果実のような薄紅。
ぱっちり開いた両目は愛らしく、視線が合うだけで胸が高鳴る。
その声は寝顔から想像していた通り、早朝に聴く鳥のさえずりを思わせる心地好さ。
妻にと望んでさらった女は、理想以上に好ましい造形をしている。
……姿形だけは。
「怖いよ?」
「城の蓄えで宴会を開きながら言われてもな」
「良いじゃない。ゲストは私だけなんだから」
愛嬌たっぷりにくすくす笑い、グイッと傾ける一升瓶。
夜も明けきらない内に転がした瓶の数、五本。
イカの薫製やら、塩水で茹でた枝豆やらが、絨毯に座り込んだ女の周りで見るも無惨に散らかっている。
女はとんでもない酒豪だった。
「このお酒、味が薄いわ。旨味もほとんど感じない。そのくせ雑味が多い。主原料の質は良さそうなのに、加工した職人の腕が悪いのね。勿体無い」
「さらわれた先で利き酒か」
「こんな物を何本も買ってる貴方の舌も三流ね」
「余計なお世話だ」
酒豪が悪いとは言わない。
だが、見える素材が極上なだけに、放つ言葉がいちいち残念すぎる。
数時間前のときめきを返せ、詐欺女。
「余計じゃないわよ。私は貴方に拉致されてきたのよ? 知らない土地じゃ食べ物の品質が気になるのは当然でしょ」
「殺されるとは思わないのか」
「そのつもりがあるなら、とっくにやってると思うんだけど」
「……余裕だな? すべては私の気分次第だというのに」
はかなげな容姿とは真逆のふてぶてしさが鼻につく。
一升瓶を握ったままの腕を掴み、強引に立たせて腰を抱いた。
多少なり怯えれば小気味好いと笑えたものを。
女はこちらをじっと見て、瓶を反対の手に持ち直し、ぐいーっと呷った。
「……さっきも言ったけど、怖いよ?」
「見知らぬ男に腰を抱かれながら平然と酒をがぶがぶ飲み下すような女に、怖いとか言われてもな。説得力がまるで無いぞ」
「男の人はみんな怖いよ。誰も私を見てないもの」
「…………は?」
女の手から、空になった瓶が滑り落ちる。
「毎日毎日、好きだ。愛してる。付き合ってくれ。結婚してくれ……って、いろんな男の人に言われてたんだけどさ。私、その人達のことなんか何一つ知らないのよね。向こうも、私のことなんか何も知らないと思うんだ。家の人間にいっつも「お前は他人の前で口を開くな!」って怒られてたからさ。人前では特大の猫を被って座ってただけだもん。みんな、どこかから勝手に押し寄せてきて、好き勝手に何か言ってるなーとしか思えないの」
「…………」
「貴方もそうよね。名前も知らない、顔も見覚えない、いきなり現れて私を拉致した変質者。山頂で大きな城に住んでて、食料を提供してくれるだけの懐具合は見せてもらったけど、それだけ。……あ、味覚の残念さもちょっと見えたか」
「…………」
「で? こっちは弱々しく泣いて見せれば良かったの? 怯えて膝を抱えて震えていれば満足? でも、ごめんね。『私』はそういう人間じゃないの。知らなかった? でしょうね。私と貴方は初対面だもの。知ってる筈がないじゃない」
「…………」
「私は、見えてない筈の私に愛を語る男の人がとっても怖いわ。壁に向けてぶつぶつ独り言を唱えている自分に酔った狂人でしかないのよ。そんな目で見ている私と相対している気分はいかがかしら? 拉致犯さん?」
「…………」
掴んでいる手は少しも震えていない。
まっすぐ見返す黒い目は、強い光を宿して私を捉えている。
怖い怖いと言葉にしながら、折れる気配はまるで無い。
そよ風にも吹き飛ばされそうな花姿の、鋼のようなド根性女。
「……詐欺だな」
「外見だけで他人を評価するほうが悪い。生物は心があるから生物なのに」
「お前がそういう女だと知っていたら、さらおうとは思わなかった」
「無駄手間だったね。ご愁傷さま」
「他人の前で本性を暴いてやるほうが楽だった」
「…………はい?」
「男って生き物は、本当に好きになってからでないと『面倒臭い女』全般を嫌煙するものだ。その性格なら、半分くらいは勝手に脱落しただろう」
「半分は残るの? 物好きぃ~~」
「ならば、私も物好きだな」
「……………………………………ぅえ⁉︎」
体を離して立たせ、掬い上げた左手の指先に唇を落とす。
これまで何にも動じなかった表情が、目に見えてうろたえた。
「ふ……私にも見えたぞ。お前はたおやかな外見を持ち、拉致監禁も笑ってやり過ごす人並外れた根性を備えているが、その実、紳士的な女の扱いには慣れていない」
「や、そ、それはっ! こんなコト、家の人間が許さなかったから……!」
桃色の頬に赤みが増した。
なんてアンバランスな女だ。
これはこれで…………面白い。
「私は、お前の外見が好きだ」
「……そりゃそうでしょ。じゃなきゃ、わざわざさらってこないもんね」
「ああ、その外見は良い。私の好みのど真ん中だ。見ているだけでも良いが触り心地も良さそうだし、毎晩抱き潰しても飽きない自信がある」
「そんな自信はドブにでも捨てて。気持ち悪い」
「断る!」
「断るのか!」
「今のところ、お前にはその価値しか無い!」
「酷い言われようだ⁉︎」
「事実だから仕方ない」
「男の人って本当、ろくでもないな~~……」
「だから、教えろ」
「……へ?」
「私に、お前という女をもっと見せろ」
転がってる空き瓶をどかして、女の足元にひざまずく。
衣の裾を手に取り、口付けた。
「私を教えてやる。私の全部を、お前に見せてやろう。だから」
「ちょ……っ、ちょっと⁉︎」
「お前が欲しい。内も外もそれ以外も、お前を形作っている全部が欲しい。お前が持っている全部を、私にくれ」
「~~~~~~っっ!」
正直に言えば、怯えて恥じらう女を抱きたかった。
涙に濡れた女の体を無理矢理暴く妄想だけで十分イケる。
だが、それを面白くないと感じ始めている自分にも気付いた。
これはそういう女ではない。
そんな扱いをするべき女では、ない。
「~~だっ、誰も助けに来れなかったり、貴方が私をポイ捨てしない限り、必然としてそうなるわよ。さっきもそう言ったでしょ」
「他の連中はどうだか知らないが、私が見限ることは決して無い」
「そ、そう? なら、が……頑張って?」
「ああ」
そそくさと窓際へ逃げていく背中を見送り、立ち上がる。
予想もしなかった展開だ。
さて、これからどう落としていこうか。
まずは……
と、頭を働かせ始めた瞬間、視界に飛び込んでくる宴会の痕跡。
散らばる空き瓶、枝豆の殻。
足だけを食われた哀れな干しイカと目が合った……気がする。
……まずは、エンゲル係数の見直しから始めるか……。
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柔らかな丸みを帯びた頬に乗る、桃の果実のような薄紅。
ぱっちり開いた両目は愛らしく、視線が合うだけで胸が高鳴る。
その声は寝顔から想像していた通り、早朝に聴く鳥のさえずりを思わせる心地好さ。
妻にと望んでさらった女は、理想以上に好ましい造形をしている。
……姿形だけは。
「怖いよ?」
「城の蓄えで宴会を開きながら言われてもな」
「良いじゃない。ゲストは私だけなんだから」
愛嬌たっぷりにくすくす笑い、グイッと傾ける一升瓶。
夜も明けきらない内に転がした瓶の数、五本。
イカの薫製やら、塩水で茹でた枝豆やらが、絨毯に座り込んだ女の周りで見るも無惨に散らかっている。
女はとんでもない酒豪だった。
「このお酒、味が薄いわ。旨味もほとんど感じない。そのくせ雑味が多い。主原料の質は良さそうなのに、加工した職人の腕が悪いのね。勿体無い」
「さらわれた先で利き酒か」
「こんな物を何本も買ってる貴方の舌も三流ね」
「余計なお世話だ」
酒豪が悪いとは言わない。
だが、見える素材が極上なだけに、放つ言葉がいちいち残念すぎる。
数時間前のときめきを返せ、詐欺女。
「余計じゃないわよ。私は貴方に拉致されてきたのよ? 知らない土地じゃ食べ物の品質が気になるのは当然でしょ」
「殺されるとは思わないのか」
「そのつもりがあるなら、とっくにやってると思うんだけど」
「……余裕だな? すべては私の気分次第だというのに」
はかなげな容姿とは真逆のふてぶてしさが鼻につく。
一升瓶を握ったままの腕を掴み、強引に立たせて腰を抱いた。
多少なり怯えれば小気味好いと笑えたものを。
女はこちらをじっと見て、瓶を反対の手に持ち直し、ぐいーっと呷った。
「……さっきも言ったけど、怖いよ?」
「見知らぬ男に腰を抱かれながら平然と酒をがぶがぶ飲み下すような女に、怖いとか言われてもな。説得力がまるで無いぞ」
「男の人はみんな怖いよ。誰も私を見てないもの」
「…………は?」
女の手から、空になった瓶が滑り落ちる。
「毎日毎日、好きだ。愛してる。付き合ってくれ。結婚してくれ……って、いろんな男の人に言われてたんだけどさ。私、その人達のことなんか何一つ知らないのよね。向こうも、私のことなんか何も知らないと思うんだ。家の人間にいっつも「お前は他人の前で口を開くな!」って怒られてたからさ。人前では特大の猫を被って座ってただけだもん。みんな、どこかから勝手に押し寄せてきて、好き勝手に何か言ってるなーとしか思えないの」
「…………」
「貴方もそうよね。名前も知らない、顔も見覚えない、いきなり現れて私を拉致した変質者。山頂で大きな城に住んでて、食料を提供してくれるだけの懐具合は見せてもらったけど、それだけ。……あ、味覚の残念さもちょっと見えたか」
「…………」
「で? こっちは弱々しく泣いて見せれば良かったの? 怯えて膝を抱えて震えていれば満足? でも、ごめんね。『私』はそういう人間じゃないの。知らなかった? でしょうね。私と貴方は初対面だもの。知ってる筈がないじゃない」
「…………」
「私は、見えてない筈の私に愛を語る男の人がとっても怖いわ。壁に向けてぶつぶつ独り言を唱えている自分に酔った狂人でしかないのよ。そんな目で見ている私と相対している気分はいかがかしら? 拉致犯さん?」
「…………」
掴んでいる手は少しも震えていない。
まっすぐ見返す黒い目は、強い光を宿して私を捉えている。
怖い怖いと言葉にしながら、折れる気配はまるで無い。
そよ風にも吹き飛ばされそうな花姿の、鋼のようなド根性女。
「……詐欺だな」
「外見だけで他人を評価するほうが悪い。生物は心があるから生物なのに」
「お前がそういう女だと知っていたら、さらおうとは思わなかった」
「無駄手間だったね。ご愁傷さま」
「他人の前で本性を暴いてやるほうが楽だった」
「…………はい?」
「男って生き物は、本当に好きになってからでないと『面倒臭い女』全般を嫌煙するものだ。その性格なら、半分くらいは勝手に脱落しただろう」
「半分は残るの? 物好きぃ~~」
「ならば、私も物好きだな」
「……………………………………ぅえ⁉︎」
体を離して立たせ、掬い上げた左手の指先に唇を落とす。
これまで何にも動じなかった表情が、目に見えてうろたえた。
「ふ……私にも見えたぞ。お前はたおやかな外見を持ち、拉致監禁も笑ってやり過ごす人並外れた根性を備えているが、その実、紳士的な女の扱いには慣れていない」
「や、そ、それはっ! こんなコト、家の人間が許さなかったから……!」
桃色の頬に赤みが増した。
なんてアンバランスな女だ。
これはこれで…………面白い。
「私は、お前の外見が好きだ」
「……そりゃそうでしょ。じゃなきゃ、わざわざさらってこないもんね」
「ああ、その外見は良い。私の好みのど真ん中だ。見ているだけでも良いが触り心地も良さそうだし、毎晩抱き潰しても飽きない自信がある」
「そんな自信はドブにでも捨てて。気持ち悪い」
「断る!」
「断るのか!」
「今のところ、お前にはその価値しか無い!」
「酷い言われようだ⁉︎」
「事実だから仕方ない」
「男の人って本当、ろくでもないな~~……」
「だから、教えろ」
「……へ?」
「私に、お前という女をもっと見せろ」
転がってる空き瓶をどかして、女の足元にひざまずく。
衣の裾を手に取り、口付けた。
「私を教えてやる。私の全部を、お前に見せてやろう。だから」
「ちょ……っ、ちょっと⁉︎」
「お前が欲しい。内も外もそれ以外も、お前を形作っている全部が欲しい。お前が持っている全部を、私にくれ」
「~~~~~~っっ!」
正直に言えば、怯えて恥じらう女を抱きたかった。
涙に濡れた女の体を無理矢理暴く妄想だけで十分イケる。
だが、それを面白くないと感じ始めている自分にも気付いた。
これはそういう女ではない。
そんな扱いをするべき女では、ない。
「~~だっ、誰も助けに来れなかったり、貴方が私をポイ捨てしない限り、必然としてそうなるわよ。さっきもそう言ったでしょ」
「他の連中はどうだか知らないが、私が見限ることは決して無い」
「そ、そう? なら、が……頑張って?」
「ああ」
そそくさと窓際へ逃げていく背中を見送り、立ち上がる。
予想もしなかった展開だ。
さて、これからどう落としていこうか。
まずは……
と、頭を働かせ始めた瞬間、視界に飛び込んでくる宴会の痕跡。
散らばる空き瓶、枝豆の殻。
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