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六章 イクメンの正体

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「気づきましたか」

 辰巳の声が頭に響く。
 途端に、今まで座っていた縁側が無くなり、何もない白の空間に自分がいることにただ呆然とする。

「辰巳……さん」
 恐る恐る彼の名を呼ぶ。

 本当は、龍神としての名を呼んだ方がいいのかも知れない。
 でも、菜緒は彼の神としての名を知らない。
 いきなり無の空間に一人いることになって、立ちすくみ、辰巳の名を呼ぶ菜緒の前に突如、藤色の狩衣を着た辰巳が現れた。
 夢の中で見たままの姿で。
 どうして突然に自分の正体を明かしたのか、どうしてこのような場所に自分を連れてきたのかわからない。
 いや、もっとわからないのは辰巳の言っていることが事実なら、どうして神様達は自分を辰巳に関わらせようとしているのか。
 一番、菜緒にとってショックなのは――辰巳は自分を危険分子として見ているということに気づいたことだった。

 唐突に気づいた。

「辰巳さん……嫌なら嫌とちゃんと言ってください。人間は神様のように心なんて読めないんですから。ずるいですよ、簡単に人の心を読むくせに、自分の心は明かさないなんて」

 それが神だとしても――

「菜緒さん」
 急に名を呼ばれ、菜緒は飛び上がる。
 いつの間にか真後ろに彼は移動していた。
 美麗な顔で、硬い表情のまま崩さずに菜緒を見つめる。
「手を……」
 と手を差し伸べられて、菜緒はおずおずと躊躇いながらも彼の手を取る。

 彼の手は人の体温と変わらなく温かい。
 そのままゆっくりと白い空間を歩いて行く。

「どこへ?」
「すぐ、見えます……ほら」
 辰巳は足を止めると、指を差した。

 差した場所には小さな、それは小さな神社が建っていて、取り囲むように藤が咲き誇っている。空気まで紫色に染まっているように見え、幻想的な光景だ。
 そうだ、初めて夢の中に彼が出てきたときに舞った花びらは藤の花だ。

「私がいた神社です。後ろにそびえている山一帯に、季節になると藤が咲きました。村人達はここ一帯を神聖な場所として扱い、山から藤を下ろしてこうして神社の脇に植えて整えてくれたりしてくれました」
「……すごく綺麗です。夢のようですね」
「私も藤の咲く時期がとても楽しみで、いつも心待ちにしておりました」

 神社は綺麗に整備されている。きっと村の人達が毎日掃除にきてくれるのだろう。
 風が吹き、藤の花が香りを空に撒きながら揺れる。
 その光景を、辰巳は微笑んで眺めながら口を開いた。

「私はいつの間にか生まれていました。藤の花に揺られ、藤の香りに包まれて蛇のような小さな体で……どうして生まれたのか、どうしてここにいるのかも、ゆっくりと悟りながらここで『藤龍神』として祀られたのです。とても長い月日のなか、私は村の様子を眺め、守り続け、あがめ奉られてきました。……村人達はみな親切で気のいい方ばかりで……子供達はいつも元気に私の前で遊んで、見ていてとても幸せでした」

 辰巳はそこまで話すと、一変して哀しげな顔をする。

「……けれど、時代が進むにつれ村はさびれ、一人二人と人が減っていきました。限界集落と言われるまでになったある日、村はダムに沈むことになったのです」
「辰巳さんの神社は……?」
「遷座することになりました。ダムのすぐ傍の村に」

 よかった、とホッとするが菜緒はすぐに違和感を持った。
 なら、どうして辰巳はここにいるのだろう?
 ダムというのだから、こんな都心にいるはずはないのに。

(神社からここまで移動しているの? でも、ご神体と呼べる彼が移動できるの?)
 菜緒の声に出ない疑問に、辰巳は目を伏せ哀しげに答えた。

「遷座に失敗したのです……私は何度も新しく造られた宮に入ろうとしました。けれど元の神社に戻ってしまう。戸惑いました。諦めずに何度も何度も繰り返しましたが入った途端、ダムの水底に沈んでいる神社に戻ってしまう……」
「そんな……誰も気づかなかったんですか? 移してくれた神主さんも?」
 辰巳はゆるゆると首を横に振る。

「幾度か夢に入りお願いをしましたが……徒労に終わりました。手をこまねいているうちに、空の神社に新しい御霊が入ってしまったのです」
「じゃあ、辰巳さんは? 辰巳さんはどうしたら……!」

「このままでは私は消えてしまうか、自分自身がわからなくなり彷徨うか、忘れられるのを受け入れることができなくて、人と世を恨み邪神になってしまう。……絶対にそうなるわけにはいかなかった、子供達を守る存在でいたかった。それが私の御霊として生きている意味。誰か自分に手を貸してくださる神がいるか願いました。――そんな私に手を差し伸べてくださったのが多成神社の龍神様達です」

「――あ」
 繋がった。辰巳がなぜここにいるのか。




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