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173. 過ぎてゆく時間は思い出になる -5-
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いったい何があったのかと胡蝶は訝しんだ。
貴之はみふゆの寝姿が映るモニターから目を離さず黙ったまま、予定を変えた理由をついに口にしなかった。
どうやら貴之は何も言う気はないらしい。
胡蝶は探るのを諦めて、予定の変更に気がかりがあるのを示した。
「だったらこれから京司朗を呼んで顔合わせだけでもしたらどうかしら?」
「今日これからか?」
「明日いきなり会わせて行動をとるのはどうかと思いますわ。せめてワンクッション欲しいですわね。京司朗をどの程度認知してるか知りたいですし。もしまるきり記憶にないなら、みふゆちゃんにとってわずかでもいいですから“知っている人”という安心感が欲しいですわ。そのほうが明日、行動をとりやすいのではないかしら?」
「そう・・だな・・・」
貴之は懐から携帯電話を出し京司朗に連絡をとった。
急遽呼び出された京司朗は、着物からカジュアルなスーツに着替え、三上を伴い、桐島の運転する車で惣領家を出た。
京司朗はフランスから帰国した体でみふゆの病室を訪問する段取りだ。
『お前のことは何も覚えてねえかもしれん。あいつの心はいま八歳なんだ』
電話の向こうで貴之が言った。
━━━八歳か。
くちづけた日も、彼女の記憶からは消えてしまっただろう。
築きかけた世界の時間は崩れてしまった。
━━━崩れたならまた積みあげていけばいい。そばにいて、一緒に時間を重ねて生きていけたらそれでいい。
貴之からもたらされたみふゆの現在の状態は、京司朗にとって決してよいものではない。
それでも京司朗の心は穏やかだった。
みふゆの人生のすべてが欲しいと願った心は変わらず、京司朗は前へ進むことしか考えていなかった。
目を覚ましたみふゆは、ベッドのオーバーテーブルに置かれた栄養補助食の小さなお菓子を食べていた。
胡蝶がココアを入れてくれ、これから京司朗が訪ねてくることをみふゆに告げた。
「きょうしろう・・?」
「そうよ。フランスから帰ってきたのよ」
「フランスに行く前にお前の見舞いに来てくれた。覚えてねぇか?」
貴之の問いに、みふゆはしばらく考えて、「わかんない」と首を横に振った。
「会ってみたら思い出すかもしれないわね」
「うん・・」
みふゆは曖昧に返事をして、胡蝶に、
「ママ、フランスっておひめさまがでてくるマンガのくに?」
と訊いた。
「━━━━ママ?!」
みふゆの口から突然飛び出した『ママ』という呼び名。
仰天したのは貴之だ。目をひんむいている。
「あら、どうかしまして?」
「何が“どうかしまして?”だ!!」
貴之はコーヒーに伸ばしかけた手を止め、みふゆの両肩をつかんだ。
「みふゆ、お前の母親は礼夏だぞ!お前を産んだひとだ!わかってるか?!」
「うん。わかってるよ。だからママだよ」
「何?」
意味がわからない。
「おかあさんはね、『ママ』ってよぶとおこるから『おかあさん』ってしかよべなかったけど、みふゆは『ママ』ってよんでみたかったの。そしたら胡蝶せんせいがね、かわりに『ママ』ってよんでもいいのよっていってくれたの」
「・・・・・」
貴之は何も言えなかった。
ようは礼夏を『ママ』と呼びたかったが、呼ばせてもらえなかったので、代わりに胡蝶を『ママ』と呼んで、望みを叶えた・・ということらしい。
ハッキリしていることは、胡蝶は貴之がいないときに、みふゆから過去を聞き出して、『ママ』と呼ぶように誘導したのだ。
胡蝶が微笑んでいる。
油断も隙もねえ女だな、と貴之は思った。
「ママってよんじゃだめ?」
みふゆの表情がしょぼーん(´・ω・`)となっている。
「・・い、いや、まあ、そのー、お、お前がそう呼びたいならまあそれでも・・」
貴之がムニャムニャとごまかしに入ったところで、懐の携帯電話が鳴った。京司朗が病院に着いた知らせだった。
貴之は専用駐車場で京司朗を出迎え、明日の予定を幾つか話し合った。話し合ったといっても貴之が決めた事柄に対して京司朗が返事をするだけだった。
洪水で沈んだ堀内花壇の駅前支店は閉店のままだが、消毒その他のかたづけは済んでおり、明日、社長の堀内が鍵を開けに来る。
「堀内にも会わせるんですか?」
「明日の朝の状態をみてから決める。あと胡蝶が後ろの車に乗ってついてくる」
話してるあいだに貴之と京司朗は病室の前まできていた。貴之がIDカードでドアの解錠をした。警備員が解錠の確認をし、モニターフォンで室内に声をかけてからドアを開けた。
みふゆと胡蝶の笑い声がする。
久しぶり聞くみふゆの声だ。
京司朗はみふゆの明るい声を直に耳にして、気持ちが柔らかに満たされていくのを感じていた。
いったい何があったのかと胡蝶は訝しんだ。
貴之はみふゆの寝姿が映るモニターから目を離さず黙ったまま、予定を変えた理由をついに口にしなかった。
どうやら貴之は何も言う気はないらしい。
胡蝶は探るのを諦めて、予定の変更に気がかりがあるのを示した。
「だったらこれから京司朗を呼んで顔合わせだけでもしたらどうかしら?」
「今日これからか?」
「明日いきなり会わせて行動をとるのはどうかと思いますわ。せめてワンクッション欲しいですわね。京司朗をどの程度認知してるか知りたいですし。もしまるきり記憶にないなら、みふゆちゃんにとってわずかでもいいですから“知っている人”という安心感が欲しいですわ。そのほうが明日、行動をとりやすいのではないかしら?」
「そう・・だな・・・」
貴之は懐から携帯電話を出し京司朗に連絡をとった。
急遽呼び出された京司朗は、着物からカジュアルなスーツに着替え、三上を伴い、桐島の運転する車で惣領家を出た。
京司朗はフランスから帰国した体でみふゆの病室を訪問する段取りだ。
『お前のことは何も覚えてねえかもしれん。あいつの心はいま八歳なんだ』
電話の向こうで貴之が言った。
━━━八歳か。
くちづけた日も、彼女の記憶からは消えてしまっただろう。
築きかけた世界の時間は崩れてしまった。
━━━崩れたならまた積みあげていけばいい。そばにいて、一緒に時間を重ねて生きていけたらそれでいい。
貴之からもたらされたみふゆの現在の状態は、京司朗にとって決してよいものではない。
それでも京司朗の心は穏やかだった。
みふゆの人生のすべてが欲しいと願った心は変わらず、京司朗は前へ進むことしか考えていなかった。
目を覚ましたみふゆは、ベッドのオーバーテーブルに置かれた栄養補助食の小さなお菓子を食べていた。
胡蝶がココアを入れてくれ、これから京司朗が訪ねてくることをみふゆに告げた。
「きょうしろう・・?」
「そうよ。フランスから帰ってきたのよ」
「フランスに行く前にお前の見舞いに来てくれた。覚えてねぇか?」
貴之の問いに、みふゆはしばらく考えて、「わかんない」と首を横に振った。
「会ってみたら思い出すかもしれないわね」
「うん・・」
みふゆは曖昧に返事をして、胡蝶に、
「ママ、フランスっておひめさまがでてくるマンガのくに?」
と訊いた。
「━━━━ママ?!」
みふゆの口から突然飛び出した『ママ』という呼び名。
仰天したのは貴之だ。目をひんむいている。
「あら、どうかしまして?」
「何が“どうかしまして?”だ!!」
貴之はコーヒーに伸ばしかけた手を止め、みふゆの両肩をつかんだ。
「みふゆ、お前の母親は礼夏だぞ!お前を産んだひとだ!わかってるか?!」
「うん。わかってるよ。だからママだよ」
「何?」
意味がわからない。
「おかあさんはね、『ママ』ってよぶとおこるから『おかあさん』ってしかよべなかったけど、みふゆは『ママ』ってよんでみたかったの。そしたら胡蝶せんせいがね、かわりに『ママ』ってよんでもいいのよっていってくれたの」
「・・・・・」
貴之は何も言えなかった。
ようは礼夏を『ママ』と呼びたかったが、呼ばせてもらえなかったので、代わりに胡蝶を『ママ』と呼んで、望みを叶えた・・ということらしい。
ハッキリしていることは、胡蝶は貴之がいないときに、みふゆから過去を聞き出して、『ママ』と呼ぶように誘導したのだ。
胡蝶が微笑んでいる。
油断も隙もねえ女だな、と貴之は思った。
「ママってよんじゃだめ?」
みふゆの表情がしょぼーん(´・ω・`)となっている。
「・・い、いや、まあ、そのー、お、お前がそう呼びたいならまあそれでも・・」
貴之がムニャムニャとごまかしに入ったところで、懐の携帯電話が鳴った。京司朗が病院に着いた知らせだった。
貴之は専用駐車場で京司朗を出迎え、明日の予定を幾つか話し合った。話し合ったといっても貴之が決めた事柄に対して京司朗が返事をするだけだった。
洪水で沈んだ堀内花壇の駅前支店は閉店のままだが、消毒その他のかたづけは済んでおり、明日、社長の堀内が鍵を開けに来る。
「堀内にも会わせるんですか?」
「明日の朝の状態をみてから決める。あと胡蝶が後ろの車に乗ってついてくる」
話してるあいだに貴之と京司朗は病室の前まできていた。貴之がIDカードでドアの解錠をした。警備員が解錠の確認をし、モニターフォンで室内に声をかけてからドアを開けた。
みふゆと胡蝶の笑い声がする。
久しぶり聞くみふゆの声だ。
京司朗はみふゆの明るい声を直に耳にして、気持ちが柔らかに満たされていくのを感じていた。
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