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163. 短命の一族(5) 背負う覚悟
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惣領家━━━
表門から入った黒のセンチュリーの後部席を、屋敷に常駐するスーツ姿の構成員が丁寧にあけた。
降りてきたのは惣領一心と惣領早紀子の二人だ。
二人を出迎えた京司朗は、グレーの紬の着物に同色の羽織りを着ていた。いつもオールバックにしていた髪も、ケガをしてからは短めに切り、洗いざらしに少量の整髪料でまとめられるようにしている。京司朗の後ろには、ビジネス用のブラック・スーツの三上と使用人頭の本橋がいた。
「お久しぶりです。お待ちしておりました」
京司朗が頭を下げ礼をした。
「おお、京司朗。ケガの具合はどうだ?」
「はい。動く分には不自由ありません。治りも早いと言われました」
「まあ、良かったこと。珍しく着物なのね。ケガをしてると着物のほうが楽かしら?いつもスーツでしょう?」
「動きも脱ぎ着も楽ですね。袖も広いですし」
「命にかかわらないケガでよかったわ。あなたは貴之の後継者なのだから、じゅうぶんにお気をつけなさい。自分の健康を守るのも仕事のひとつよ」
早紀子の口調は胡蝶とよく似ている。親子だから当然だが、早紀子のほうがやや声の調子が柔らかい。
京司朗は「はい」と笑顔で軽くお辞儀をすると、一心と早紀子の二人を貴之の私室に案内した。
「会長からお二人が来るまでこのままにしておくようにと言われました」
貴之の私室。二間の和室のひとつは床の間があり、寝室にもしている。欄間を挟み、向かい側の座敷は、畳の中央に焼け焦げたあとが黒く残っている。
「獣の痕跡がまだ残っておるな」
「礼夏は確かに“順”と呼んだのね?」
「はい。獣から人の姿に変わったあとも四つん這いのままで、会長が“風見順”かと問いましたが、彼女は何も答えず“御無礼をお許しください”とだけ言って消えました」
京司朗は複雑な気持ちだ。
真夜中の怪異な現象からまだ半日もたっていないのに、まるで遠い過去のようにも思える。焦げた畳がなければ夢だったのではないかとさえ感じる。
「ふむ、ここの真上は昔のままか?」
「はい。同じ間取りの和室で空き部屋のままです」
「そうか。浄めるまで常駐組も全員降ろしてくれ」
「わかりました」
京司朗は三上に命じ、三上がすぐに二階に行った。
「人がいなくなったら始める。早紀子」
「はい」
一心が数珠を取りだした。
「京司朗、クリスタルのコップに湧き水をくんできておくれ。仏前に使う用のがあるでしょう?あれがいいわ」
「はい。いまお持ちします」
京司朗が場を離れた。
常駐組が二階、三階から降りて、外に出て行ったのが見える。
「関わった者達はどうしますか?」
早紀子が一心に尋ねた。
「礼夏が現れたなら災いはないだろうが、全員集めてまとめて経をあげる。そのほうが安心するだろう」
「そうですわね。では正吾に集めさせておきましょう」
早紀子は次女の楓の夫・黒岩正吾に電話をした。
「今朝はそれほどでもありませんでしたわ。端々に子供に返った言動はありましたが」
「退行が進んだか」
「そうかもしれません」
胡蝶はモニターに映るみふゆの寝顔をみて言った。食欲の出てきたみふゆは、昼食をおかわりし、食べ終えると間もなく眠ってしまった。
食事中の会話は終始幼いままだった。
貴之と胡蝶は付きそい用の部屋で話をしていた。
みふゆの状態についての話し合いは、眠ってるとはいえ、本人のそばではできない。
「俺はみふゆが幸せならなんだっていいんだ。あいつが幸せに笑ってくれるならそれでいい。仮に退行したまま生きていくことになったとしてもだ。・・・俺にとっては育ててやれなかった時間が帰ってきただけのことだ。俺の子供が・・俺の手にやっと帰ってきただけのことだ」
胡蝶は押し黙った。
「なんだ?文句があるのか?」
「・・・どうしようもない親バカですわね」
「ほっとけ!」
「会長のお気持ちはわかりましたが、医者としてはこの状態に目をつむるわけにはいきません。しかるべき専門医も正式に担当につけますわよ?」
「ああ。かまわねえ」
貴之は冷めかけたコーヒーをいっきに飲み干した。部屋から出て行こうとした貴之だったが、ピタリと立ち止まり、
「胡蝶」
と、背を向けたまま胡蝶の名を呼んだ。
「はい、なんでしょうか?」
「・・・すまねえ」
「まあ、なんのことですの?」
胡蝶に聞き返され、貴之は何も答えず出て行った。
貴之に何かあった場合の、みふゆの最終的な後見人は松田俊也と胡蝶だ。
胡蝶はモニターを目にした。貴之がみふゆのベッド脇の椅子に座ったのが映った。
黄色いひよこを抱きしめて眠るみふゆの手には、貴之から譲られた数珠が握りしめられている。
退行したままでもいいという貴之の気持ちはわかる。やっと自分の実の子供を抱きしめられる権利を手にしたのだから。だが、退行がこれ以上進むのは好ましくない。
━━━せめて今の段階で止まってくれればいいのだけど・・・。
モニターに映るのは父と娘。
みふゆの頭を撫でる貴之は、みふゆのためなら何でもする。
胡蝶はモニターのスイッチを切った。
━━━まだ何も確定していない。
胡蝶のすることはひとつだ。
心の中心を占めているのは常に惣領貴之の幸福。
そのためには、胡蝶もまた何でもするのだ。
惣領家━━━
表門から入った黒のセンチュリーの後部席を、屋敷に常駐するスーツ姿の構成員が丁寧にあけた。
降りてきたのは惣領一心と惣領早紀子の二人だ。
二人を出迎えた京司朗は、グレーの紬の着物に同色の羽織りを着ていた。いつもオールバックにしていた髪も、ケガをしてからは短めに切り、洗いざらしに少量の整髪料でまとめられるようにしている。京司朗の後ろには、ビジネス用のブラック・スーツの三上と使用人頭の本橋がいた。
「お久しぶりです。お待ちしておりました」
京司朗が頭を下げ礼をした。
「おお、京司朗。ケガの具合はどうだ?」
「はい。動く分には不自由ありません。治りも早いと言われました」
「まあ、良かったこと。珍しく着物なのね。ケガをしてると着物のほうが楽かしら?いつもスーツでしょう?」
「動きも脱ぎ着も楽ですね。袖も広いですし」
「命にかかわらないケガでよかったわ。あなたは貴之の後継者なのだから、じゅうぶんにお気をつけなさい。自分の健康を守るのも仕事のひとつよ」
早紀子の口調は胡蝶とよく似ている。親子だから当然だが、早紀子のほうがやや声の調子が柔らかい。
京司朗は「はい」と笑顔で軽くお辞儀をすると、一心と早紀子の二人を貴之の私室に案内した。
「会長からお二人が来るまでこのままにしておくようにと言われました」
貴之の私室。二間の和室のひとつは床の間があり、寝室にもしている。欄間を挟み、向かい側の座敷は、畳の中央に焼け焦げたあとが黒く残っている。
「獣の痕跡がまだ残っておるな」
「礼夏は確かに“順”と呼んだのね?」
「はい。獣から人の姿に変わったあとも四つん這いのままで、会長が“風見順”かと問いましたが、彼女は何も答えず“御無礼をお許しください”とだけ言って消えました」
京司朗は複雑な気持ちだ。
真夜中の怪異な現象からまだ半日もたっていないのに、まるで遠い過去のようにも思える。焦げた畳がなければ夢だったのではないかとさえ感じる。
「ふむ、ここの真上は昔のままか?」
「はい。同じ間取りの和室で空き部屋のままです」
「そうか。浄めるまで常駐組も全員降ろしてくれ」
「わかりました」
京司朗は三上に命じ、三上がすぐに二階に行った。
「人がいなくなったら始める。早紀子」
「はい」
一心が数珠を取りだした。
「京司朗、クリスタルのコップに湧き水をくんできておくれ。仏前に使う用のがあるでしょう?あれがいいわ」
「はい。いまお持ちします」
京司朗が場を離れた。
常駐組が二階、三階から降りて、外に出て行ったのが見える。
「関わった者達はどうしますか?」
早紀子が一心に尋ねた。
「礼夏が現れたなら災いはないだろうが、全員集めてまとめて経をあげる。そのほうが安心するだろう」
「そうですわね。では正吾に集めさせておきましょう」
早紀子は次女の楓の夫・黒岩正吾に電話をした。
「今朝はそれほどでもありませんでしたわ。端々に子供に返った言動はありましたが」
「退行が進んだか」
「そうかもしれません」
胡蝶はモニターに映るみふゆの寝顔をみて言った。食欲の出てきたみふゆは、昼食をおかわりし、食べ終えると間もなく眠ってしまった。
食事中の会話は終始幼いままだった。
貴之と胡蝶は付きそい用の部屋で話をしていた。
みふゆの状態についての話し合いは、眠ってるとはいえ、本人のそばではできない。
「俺はみふゆが幸せならなんだっていいんだ。あいつが幸せに笑ってくれるならそれでいい。仮に退行したまま生きていくことになったとしてもだ。・・・俺にとっては育ててやれなかった時間が帰ってきただけのことだ。俺の子供が・・俺の手にやっと帰ってきただけのことだ」
胡蝶は押し黙った。
「なんだ?文句があるのか?」
「・・・どうしようもない親バカですわね」
「ほっとけ!」
「会長のお気持ちはわかりましたが、医者としてはこの状態に目をつむるわけにはいきません。しかるべき専門医も正式に担当につけますわよ?」
「ああ。かまわねえ」
貴之は冷めかけたコーヒーをいっきに飲み干した。部屋から出て行こうとした貴之だったが、ピタリと立ち止まり、
「胡蝶」
と、背を向けたまま胡蝶の名を呼んだ。
「はい、なんでしょうか?」
「・・・すまねえ」
「まあ、なんのことですの?」
胡蝶に聞き返され、貴之は何も答えず出て行った。
貴之に何かあった場合の、みふゆの最終的な後見人は松田俊也と胡蝶だ。
胡蝶はモニターを目にした。貴之がみふゆのベッド脇の椅子に座ったのが映った。
黄色いひよこを抱きしめて眠るみふゆの手には、貴之から譲られた数珠が握りしめられている。
退行したままでもいいという貴之の気持ちはわかる。やっと自分の実の子供を抱きしめられる権利を手にしたのだから。だが、退行がこれ以上進むのは好ましくない。
━━━せめて今の段階で止まってくれればいいのだけど・・・。
モニターに映るのは父と娘。
みふゆの頭を撫でる貴之は、みふゆのためなら何でもする。
胡蝶はモニターのスイッチを切った。
━━━まだ何も確定していない。
胡蝶のすることはひとつだ。
心の中心を占めているのは常に惣領貴之の幸福。
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