【本編完結】繚乱ロンド

由宇ノ木

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145. 父と娘

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貴之は立ちつくしていた。

遠ざかる堀内の背中を眺めているしかなかった。

ピンクと白のコスモスが風に揺れている。




━━━『お父さん』と呼びたかったんじゃないのか



みふゆが何かを伝えようとしていたのは、貴之も気がついていた。

だが、『お父さん』という言葉は思いつかなかった。

よりによって堀内に指摘され、貴之は悔しかった。

気持ちがおもはゆい。

『お父さん』と呼ぼうとして呼べなかったみふゆが、ただ愛しかった。




リハビリテーション科へ向かうエレベーターの中、みふゆはひよこのぬいぐるみに顔をグリグリと押しつけていた。悶々としているのがわかる。

「お父さんって呼びたかったんじゃなくて?」

エレベーターの昇降ボタンを押した胡蝶に真意を見抜かれ、みふゆは胡蝶を見上げた。すぐにまた抱っこしているひよこに顔を埋めて「・・はい」と返事をした。貴之の喜ぶ顔が見たかったのに。

「心のなかで練習してたんですけど・・いざとなったら・・・なかなか呼べなくて・・。組長先生をお父さんと呼んでも、亡くなった青木の父を忘れることではないとわかってても・・・なんだか・・」

惣領貴之の養子になっても、青木の家族を捨てたわけじゃない。
惣領貴之を父と呼んでも、青木重弘の娘である事実を捨てたわけじゃない。
何度も何度も考えたのに、ぬぐいきれない思いがある。

みふゆはひよこのぬいぐるみに顔を埋めたまま、落ち込んでいる。


昇っていたエレベーターが止まり、ドアが開いた。
胡蝶は開閉の延長ボタンを押すと、車椅子の後ろにまわった。
「大丈夫よ。自然に言えるタイミングが必ず来るわ」
白黒と、はっきりと分けることができないのが人の心だ。こればかりは仕方がない。
胡蝶は車椅子のブレーキを外して前に進め、エレベーターを降りた。
「・・・そうでしょうか・・」
自信なさげなみふゆの声が返ってきた。
「先生と打ち合わせが終わったらソフトクリームを食べに行きましょうか」
カフェを通りすぎるとき、テーブルに運ばれるソフトクリームをじっと見ていたみふゆ。
「ソフトクリーム!?」
みふゆはガバッと顔をあげ、胡蝶を振り向いた。ニコニコと笑顔だ。
「三階にも喫茶室があるのよ。バニラとチョコと抹茶のソフトクリームがあるわ」
「抹茶!抹茶がいい!」
先ほどの落ち込みとはうって変わって、みふゆはご褒美をもらえる子供の笑顔で胡蝶を見上げた。言葉遣いも児童を思わせる。 
「でもバニラもいいなあ」
みふゆの気持ちはすっかりソフトクリームにとりつかれている。
「私がバニラを頼むから一口でも二口でも交換しましょうか」
「ほんとう?!交換してくれる?やったぁ!」
みふゆは喜び、胡蝶は微笑んだ。

端々に現れる『子供』のみふゆ。

大人のみふゆであれば喜ぶにしてもこんなに素直な反応はしなかったろう。ひよこのぬいぐるみの手足を動かしひとり遊びしているみふゆの姿は、七~八歳に見える。

みふゆの印象を問われれば、いつも一歩退きつつ周囲の様子を注意深く伺っている娘━━━と、胡蝶は答えるだろう。礼儀正しさという名の壁を、常に自分と周囲との間に作っていたのが青木みふゆだ。

あれは今年の、紫陽花が美しく咲く時期だった。
貴之が松田家を訪ねてきた。
『青木みふゆ』の後見人になってほしいと頼みにきたのだ。

貴之は、青木みふゆが自分の実子であることを松田俊也しゅんや胡蝶こちょう夫妻に伝えた。すでにDNA鑑定も終えており、親子の証明は成されていた。
みふゆ本人は何も知らないことから、おりを見計らい、養子縁組を申し込むつもりだとも言った。
その上で、もしも貴之自身に何かあったとき、みふゆを支えてやってくれないかと頼まれたのだ。


松田俊也しゅんや・胡蝶夫妻は、貴之の実子が現れた事実に驚愕したが、一も二も無くその場ですぐに引き受けた。

胡蝶は驚愕とともに喜びが体内を駆け巡った。

惣領貴之の血をひく娘がこの世に存在していた。たとえ母親があの水無瀬みなせ礼夏れいかだとしてもそれがなんだというのか。

重要なのは、惣領貴之の血をひいていることだ。

みふゆの母・水無瀬礼夏は水無瀬一族の最後の当主だった。
水無瀬は、元々は祓い屋を家業とし、特に女に強い霊能力が引き継がれる一族だった。それが地位を確固たるものにしたのは、戦後『祓い屋・水無瀬』を率いた水無瀬玄州が、男でありながら特殊な力を持ち、政治・経済界に食い込んでいったからだ。水無瀬玄州は自分の力を最大限利用し、富を築き権力を得て、栄華を誇ったのだ。

そんな自らの一族を崩壊させたのが水無瀬礼夏だった。

何があったのかは知らないが、崩壊後、関わっていた全ての人間が固く口を閉ざした為、真相はわからずじまいだ。

探ろうとしたジャーナリスト二名が不可解な死をとげたせいで、生き残っているかもしれない水無瀬の報復を誰もが恐れた。

いまとなっては、『水無瀬一族』は存在したのかしなかったのかさえ怪しく思える。
『祓い屋・水無瀬』の名は、まさに瞬時に消えたのだ。

みふゆが誰かと必要以上に関わろうとしない理由も、母親から引き継いだ能力目当ての同級生たちに傷つけられた出来事やバス事故の話も、貴之から聞いている。


エレベーターを降りた胡蝶とみふゆは、渡り廊下を通りリハビリテーション科と表示されたエリアに入った。

胡蝶はリハビリテーション科 森永もりながただしとプレートのあるドアをノックし、開けた。
誰もいない。
「あら、おかしいわね・・約束の時間ピッタリなのに」
胡蝶がつぶやくと、

「胡蝶先生、森永先生なら病棟のナースステーションにいますよ。呼んできましょうか?」
理学療法士のユニフォームを着た男性が声をかけてきた。
「ありがとう。でもいいわ。私達が行くから。急な患者かもしれないし」
胡蝶が言うと男性は「わかりました。胡蝶先生が顔を見せるとみんな喜びますよ。憧れの先生ですからね」
「まあ、お世辞が上手いわね。あとで差し入れを持っていくわ」
男性は笑いながら「ラッキー!楽しみにしてますから!」と手を振って離れていった。
「大モテなんですね」
みふゆがイタズラっぽい瞳で胡蝶を見る。
「ふふ、めったに現れないせいね」
「疲れませんか?いつも押してもらって申し訳ないです。わたし、入院してからもずっと甘えっぱなしで・・。車椅子、ひとりで動かせます」
『大人』としてのみふゆが気遣う。
「大丈夫よ。あなたはひよこが逃げないようにしっかり抱っこしてらっしゃい」
胡蝶が優しく言うと、みふゆは一瞬きょとんとして、「はーい!」と笑ってひよこを抱きしめた。
大人と子供のみふゆが交互に現れる。

この先みふゆの精神状態がどこへ向かうのか胡蝶にもわからない。

ただ、みふゆが作っていた周囲との壁は、子供特有の素直さを甦らせているおかげで、うまい具合に取り払われている。京司朗にもすっかり懐いてしまったくらいだ。

胡蝶は、みふゆの本来の性質は、『人懐こい』のではないのかと考えた。生まれながらの性質は、母親譲りの能力がもたらした弊害で変質してしまった。誰かに信頼を寄せても、相手からは警戒され嫌われることを学んでしまったからだ。
警戒される前に警戒し、誰かを好くことも好かれたいと望むこともやめてしまったのだろう。

かえっていまのままのほうがみふゆにとっても良いのではないかとさえ胡蝶は思った。

そう、
幼児にまで退行することがなければ━━━━






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