幸せという呪縛

秋赤音

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哀しても、愛してる

3.一線の先

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今年度の講義も残り半年。

"これ、分かる?僕、苦手で"

"ここは、先週の応用だと思う"

静かな放課後の図書館。
隣で必死に問題を解く白崎さんを眺める。
少しすると、筆談用のノートに鉛筆の先が滑り始める。

白崎さんとは、机で偶然隣り合わせになったのが
きっかけで話をするようになった。
初めは、
"普通科の白崎 久音です。先週の講義は受けましたか?
申し訳ないですが、よかったら勉強を教えてください"
という文字だった。
隣の席から、机を軽く叩く音がするので見ると、
初めて会う人の安心して泣きそうな顔があった。
同じように筆談で返す。
"普通科の雪城 奏です。私で分かることなら、
いいですよ。何が知りたいですか?"と。
ノート端に書いた文字をみて、彼は微笑んだ。
講義が始まるまでの数分の話。
講義が終わると、同じように机から音がする。
見ると、"ありがとうございました"
と書かれた文字が柔らかな笑みと共に見せられた。
私は会釈をして、席をたった。
最初で最後のことだと思った。

それから。
いつものように、かなり早めにきて人が疎らな教室で、
だいたい同じ席で復習をする。
席の場所にこだわりはないが、なんとなく同じ席になることが多い。
会ってからは、見かけると一度は目で追うようになったA。
いつもではないが隣に座ることに気づく。
もしかすると、彼にも「気が落ち着ける席」があるのかもしれない。
私に気づいた白崎さんは、ノートを見せてくる。
そして、その隅に書かれた"こんにちは。
先週はありがとうございました"から始まる他愛ない話。
そして、時間が合うときは、互いに勉強を教え合う約束をした。

あっという間に、図書館が閉館するの5分前を知らせる鐘が鳴る。
窓の向こうは、綺麗な茜色。
勉強を終え、お互いに帰る準備を始める。

"ありがとう。また明日"

"こちらこそ、ありがとう。また明日"

決まった言葉を文字で交わし、最後にノートを鞄に入れる。
学舎の門をくぐり道を別れるとき、
いつも笑って小さく手を振る白崎さんに手を振り返す。
すると、笑みを深く、柔らかく、
花が咲いたように笑って帰路へ駆けていく。

「可愛いよね…」

遠くなった背に、つぶやいた。
可愛い女性に負けないくらいの可愛さ持つ白崎さんを尊敬している。
男性が言われると落ち込むかもしれないので、
本人に言う気はない。
白崎さんは人懐こく、嫌われることが少ないように思う。
自分磨きの目標しているのは、誰にも言えない秘密。

可愛い友人を見送り、私も帰路を歩む。
途中、空に見つけた一番星に祈った。
明日も変わらない日が来ますように…と。
初めて交わした"また明日"に、
何かが変わる不安とドキドキが胸のうちに生まれていた。

翌朝。
初めて見る、初めて見せる私服姿で街を歩く。
今日は、白崎さんの参考資料を一緒に選ぶ。
暖かな気候に、そよぐ風が心地よい。
特に話をすることなく本屋に着いた。
選び終えた後は、先に出て待つ。
安心した表情で出てくる白崎さんと合流する。
空腹を訴える腹から音が鳴らないかヒヤヒヤしながら、
解散の挨拶をした直後。
迷うように視線を泳がせ、私の服の裾を握る。

「なに?待つよ。焦らないで」

白崎さんは安心したようにため息をつき、
手帳に何かを書いている。

"よかったら、うちでご飯しませんか?
両親がすでに迎える用意をしています。
断りを無視して、連れてくるよう言われました。"

気まずそうな表情を浮かべた白崎さんの手には、
初めて会ったような言葉使いの文字がある。
初めてのことに戸惑った。
私は、友人の家へ行ったことがない。
会うときは、街の喫茶店や施設だ。

「一緒に帰らなかったら、白崎さんはどうなるの?」

"とても、怒られます…怖いです"

泣きそうな表情で、手帳に書いた文字を見せてくる。

「わかった。だから、そんな顔しないで。
伺う前に、寄りたいところがあるけど、いい?」

"ありがとう。もちろん、いいよ。
せっかくだから、ご飯の後で勉強したい"

救われたような表情で、嬉しそうに手帳を見せてくる白崎さん。
急きょ手土産を買い、白崎さんの道案内で着いた家。
先に居間らしきところへ向かった白崎さんの背を見る。

「おじゃまします」

「雪城 奏さん。
急な申し出を受けてくださり、ありがとうございます」

「いえ。こちらこそ、ご招待ありがとうございます」

「先に言っておきますね。
今日見聞きしたことは、誰にも言わないでください」

「はい。わかりました」

「ありがとうございます。では、食事にしましょう」

案内された先には、
親切に座りやすいよう下げられた椅子の隣で白崎さんが待っていた。
私が座ると、三人も座る。

「「いただきます」」

私と白崎さんのお母さんは、手を合わせながら。
白崎さんと白崎さんのお父さんは静かな挨拶で食べ始める。

「今日のご飯もマズイな」

「お母さんのご飯は、いつもマズイ」

そう言う男性たちの箸の進みは、早い。

「ありがとう。でも、今日は静かに食べてね」

「「あ」」

男性たちは、楽しそうに、嬉しそうに話す。
そして、食事の感想を嬉しそうに聞き入れる料理主。
驚いた。白崎さんが話せることもそうだが、その言葉と対応に。
それは、褒め言葉で使われないはずのものだから。

「もう、遅いです。雪城さんが困っています。
言ってもいいですか?」

固まった表情の夫に許可を取る妻、という、よくある光景。
だが、その空気は重い。
夫が静かにうなずいたのを確認した妻が、
重大なことを話し始める…そんな予感しかしない。
思わず息をのんだ。

「雪城さん。誰にも言わないでください。
夫とAは、とある事情で、声に出すと一部の言葉の意味が反転します」

苦い表情で告げられた内容は、
目の前で見ていなければ信じられないことだった。

「反転…ということは、美味しいと言っていたんですか?」

「そうです。なぜか、"好き"は"嫌い"になりますが」

「"無関心"ではないのですね」

私の言葉にキョトンとした白崎さんのお母さん。
そして、「確かに…」と小さくつぶやいた。
そして、私に向き直る。

「そうなんです。不思議ですけどね。
これが、外で声を使わない理由です。
知っているのは、親族と家族が認めた交遊関係者だけです。
万が一、久音が外で声で会話をしそうになったら止めてください。
もし、久音と離れることがあっても他言無用です。
よろしくお願いします」

「わかりました。誰にも話しません。
できるときだけでよければ、ですが止めます」

私の言葉に安心したのか、肩の力がぬけたAのお母さん。

「はい。ありがとうございます。
あ…ご飯、冷めないうちに、どうぞ。
あと、私たちは"白崎さん"なので、
よければ名前で呼んでください」

想定外の役割に拒否権はないと感じた。
食事を終えると、片付いたテーブルで白崎さんが勉強の準備を始める。
なぜかご両親までノートを持って座り、勉強会は四人で始まった。

「雪城さんのおかげで、久音、最近は特に楽しそうに通っています。
勉強で分からなくても相談相手が先生しかいなくて…
休んだ後は苦労していましたからね」

「確かに大変だと思います。
先生、なぜか教室でしか会えないんですよ」

白崎さんと白崎さんのお父さんが問題に向き合っている隣で、
白崎さんのお母さんは苦笑を浮かべている。

「お母さん。そういうの、やめて。雪城さん、これ、分かる?」

白崎さんが私の服の裾をひく。
ゆっくりと話す声と困っている表情で指し示された場所には、
解答に書いて消された痕がある空欄の問題と"これ、わかる?"の文字。

「それは、この公式を使うと…」

一問だけ目の前で解く。
隣では、白崎さんの夫婦が楽しそうに問題を解いている。

「おい。これ、分からないか?私は、とても得意だがな」

「昔からそうね。ここはこう…」

「ああ…そうだった」

「懐かしい。
私が苦手なところは、あなたが得意だから助かっていたわ」

「そうでもない」

声だけでも分かる甘く穏やかな空気に、白崎さんが気まずそうにしている。
確かに、親のイチャイチャはみたくないかも…と思う。

「ああ…もう。
二人とも、そういうのは、僕が、いない、ところで、して!」

慣れた空間にいるはずなのに、白崎さんは緊張しているように見えた。
特に、声を出すときは。外にいるときよりも慎重な様子で、
しかし、どこか嬉しそうにしている。

「雪城さん」

「なに?」

「僕たち、友達?」

不安そうな表情に、思わず考えた。
友達の反対を。辞典にある言葉ではなく、
感覚を表せるような言葉。
思い付いたが、それを友人だと思っている人に言うのは辛い。

「うん。友達。久音さんと一緒にいると楽しい」

私は、嘘つかず、精一杯に笑って返事をする。

「これから、も、一緒に、勉強、したい」

そう、泣きそうな顔で言った。
意味が反転するということは、
"したくない"と声に出しているのだろうか。

「いいよ」

「ありがとう」

"ごめんなさい"と、口先が言っていた気がする。
聞こえる音と、口先の動きが違う。
ついに泣き始めた白崎さんが、私の服の裾を強くひく。

「久音…雪城さん。
難ありな息子ですが、どうか、よろしくお願いします」

私の目を見て話す白崎さんのお母さんと、
静かにお辞儀をして私の目をとらえる白崎さんのお父さん。
二人とも、少しだけ目が潤んでいる。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

その後も勉強会は続き、
来週も同じ曜日に開かれることが決まり、和やかに終える。
帰り道は、途中まで白崎さんが見送ってくれた。



そして、約束通りに始まった勉強会。
なぜか、当日にご両親が急用で不在。
二人きりの白崎さんの家は、何となく緊張する。

「雪城さん?」

お茶を運んできた白崎さんが、私を見て固まった。
ふと、運ばれたお茶を見る。
添えてあるのは、手作りのようなお菓子。
形は歪だが、甘い香りがする。

「白崎さん。
そのお菓子、初めて見る。どこで買ったの?」

音をたてずに置かれたお茶とお菓子。
目の前で見ると、ますます美味しそうに感じる。

「僕が、作った」

不安そうに、そう言った。

「そうなの。美味しそうだね」

「どうぞ」

白崎さんが私をじっと見ていて食べにくいが、一口いただく。
噛んでいると、ドライフルーツが入っていることに気づく。
甘いそれは、私の好物の一つ。
ゆっくりと飲みこんだ。

「美味しい。ドライフルーツが入ってて甘い」

「前、嫌い、て言った」

白崎さんは、頬をわずかに赤くしている。
男性には失礼かもしれないが、可愛いな…と思った。
確かに、以前、互いの好物を話したことがある。

「覚えててくれたのね。ありがとう」

私が素直に伝えると、
白崎さんはとても嬉しそうに微笑んだ。

その後。
今日の勉強会も楽しく、有意義に終わる。
放課後は、都合が合えば図書館で自然と会うのが定番になっている最近。
白崎さんが得意な分野は私が苦手なので、とても助かっている。
やはり、よく会う人の方が聞きやすい。

「見送り、する」

「ありがとう」

先に行くよう案内され、玄関で靴を履く。
ふと気づくと、白崎さんがぼんやりと私を見ていた。

「嫌い」

こぼれ落ちたような小さいその声は、
少しだけいつもと違う…気がした。
触れてしまうと、何かが変わる気がして、
気づかないふりをする。

「白崎さん?行こう?」

「雪城さん。僕ね。雪城さんが、好き」

今度は、はっきりと意思がこもる声だった。
その瞳を、その顔を見て後悔する。
自身の鼓動が飛んで跳ねている。
気づきたくなかった。

「うん。私も好きだよ。大切な友達だもの」

「ありがとう」

痛みと、悲しさと、嬉しさと、安堵が雑じったような音だった。

「あ…名前」

思い出したように、しっかりと私を見て言った。

「うん?」

「僕の、名前、久音って呼んでほしい」

そこまで言われて初めて分かった。
ご両親の前では呼んでいたが、あくまで呼び分けのためだった。
懇願するような声には、どこか艶がある。
私は心で耳をふさぐ。
何も見えない、何も聞こえない。

「久音?」

「うん」

白崎さんを、友人として初めて名前で呼ぶ。
照れながらも嬉しそうな表情な久音と、
何かが満たされていく私の心。
私は、気づいたそれに蓋をした。



二度目の、白崎さんの家から歩く帰り道。
珍しく車の量が多い道路。
その傍にある歩道を歩く。
整備されている広くもなく、狭くはない。
いつもより半歩だけ遠い白崎さんの、久音の言葉が、頭から離れない。
ぼんやりとしながら歩いていると、
後ろから荒い音が近づいてくる。

「あ」

久音の声がした瞬間、私は腕の中にいた。
そして、早い鼓動がする身体で、
通り過ぎていく車の音を聞いた。

「車が、走ってきたの?」

私を抱きしめたまま、久音がうなずいた。

「助けてくれて、ありがとう」

離れるように久音の腕へ触れるが、半歩分の間が開くだけ。
見上げると、久音は歯を食いしばり、静かに泣いていた。

「おかげで、生きているから。泣かないで」

久音は私からゆっくりと腕を離し、涙を指先で拭った。
そして柔らかく微笑み、
さらりと車道側へ移動して、進行方向を指先で示した。
私は、先導されるように歩く。
身に起こった色々に頭が追い付かないうちに、
別れの時が来た。

「ありがとう。またね」

私は、言った後で、自然とでてきた言葉に驚いた。
久音も驚いているが、一度瞬くと嬉しそうに微笑んで手を振った。
手を振り返して背を向けて、歩き出す。
遠ざかる距離。
聞こえない足音に思わず振り向いた。
そこには、切ない表情を浮かべる男性が、いた。
ふと、目が合う。
すると、悪戯が見つかった子供のように、
しかし色香を含んだ笑みで私を見つめる。
その姿から目が離せない。
ゆるりと手を振る久音に、反射反応で手を振り返す。
背を向けて来た道を戻る久音の足音で、
空になっていた意識が形を取り戻す。
息が苦しい。
それから、私は走った。
鼓動の速さは、走るせいなのだと、言い聞かせながら。
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