幸せという呪縛

秋赤音

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後悔、先に立たず

0.願いと、

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仕事一筋な祖父は、
幼い私によく話を聞かせてくれた。
退職すると間もなく無気力状態になった。
しばらくすれば落ち着くと思っていた祖母や両親の予想は外れ、
そのまま介護が必要となり、
この世を去った。
私が、13歳のときだった。

亡くなる直前に祖父は言っていた。
仕事や勉強が、すべてではない。
好きなことを思いきり楽しむのも、
大切なことだ。
相手の気持ちを考えて、友人や家族を大切にしなさい…と。

教えを胸に刻み生き、
あっという間に20歳。
一人暮らしの祖母が、
家の中で軽い怪我をした。
幸い治ったが、
それからは生活に変化が起きた。
平日は両親が、休日は私が、
用心のために祖母の家へ行く。
重いものや高い場所の作業をして、
祖母と共に作った食事を食べながら話しをして帰るのが日課となっている。

今日は休日。
祖母と過ごして、自宅に帰る。
明るい部屋に漂う空気は、
どこか薄暗い。

「疲れるわ…」

「そうだな…俺は、親子だから。
まだ、辛抱ができる。
巻き込んで、すまないな…」

「いえ。妻として、
できることはする。
那津や鷹広のこと、
よく気にかけてくれているし」

「ありがとう」

「家の改装のことだが…」

テーブルに座る両親は、
帰ったはずの私に気づいていないらしい。
通り過ぎるドアごしに、
夫婦の時間を垣間見た気がする。
そのドアを開けることなく、
自室に戻る。

祖母の家を改装する、らしい。
感傷的な祖母を宥め、
なんとか段取りできるようになった…らいし。
直接は話されないが、
聞こえてくる会話から、
環境の変化を知る。

会うたびに聞く祖母の言葉を思い出す。
台所や居間にいるとき、
ふと語り始めるのは、祖父との思い出だ。
祖父の好物や好きな映画、喧嘩したときの話…
どれも、当時の優しい温度のまま。

鷹昌さん、と祖父を呼ぶ
"三空おばあちゃん"。
怪我の静養をきっかけに少しずつ物覚えが悪くなり、
孫の私は忘れた様子。
鷹広、と親しみを込めて呼ばれていたのは、過去のこと。
やや他人行儀だが、通っているおかげか、
今は、よく遊びに来る友人らしい。
鷹広くん、と呼ばれている。
息子であり、私のお父さんだけは覚えているらしい。

翌週。
同じように祖母のところへ行くと、
普段より落ち込んでいた。
まあ、当然だと思う。
行うのは部分改装なので、住みながらできる。
両親にとって、私にとっても、
助かること。
しかし、祖母はどうだろうか。
思い入れのある場所が変わっていく様子を、
嫌でも直視しなければならないのだから。

「こんにちは。三空さん」

「鷹広くん。こんにちは。
今、見ての通り、
家を直しているから音がするけど…ごめんね」

「いいですよ。
お気遣い、ありがとうございます。
今日のご飯は、何にしますか?」

なんとなく目に入ったのは、古い様式の階段。
そこには、すでに手すりがついてある。
よく通る廊下にも。
街で見慣れている物は、
この空間では見慣れないせいか、
異物感が拭いきれない。

「これ、便利だね。
息子が、私の心配してくれたんだよ」

祖母は、真新しい手すりに、
多くの時間と経験をしている手を添えた。
その声には、嬉しさと哀しみが混じる。

「そうですか」

よかったですね。
とは、言えなかった。

「また怪我をしたら、鷹昌さん。
心配して、ゆっくり休めないからね」

その表情には、とても複雑な感情が現れていた。
どことなく、追い詰められているような。
そんな、危うい気配をまとっていた。

それから、数ヶ月が過ぎた。
祖母が風邪をひいた。
お風呂、廊下や階段、
最後まで説得に苦労していた台所の改装を終え、
新しい家に馴染み始めた頃だった。

「鷹昌さんに会いたい」

作ったお粥を食べ終えた祖母が、
悲しそうに、つぶやいた。
そのまま目をつむり、
規則的な寝息が聞こえてくる。
そして、ゆっくりと部屋を出た。
ガラガラと音の出る玄関を、なるべく静かに閉める。
茜色の空を見上げ、
ふと吹いた優しい風に、亡き祖父を思った。

翌朝。
吸い込んだ空気に、
懐かしい匂いを感じた。
いつものように起きて、
洗面所に向かう。
途中。
台所から、
空腹を刺激する香りが漂ってくる。
小さな音がした後、
軽い足音がこちらへ近づいてくる。

「鷹昌さん。おはよう。
もうすぐできますからね」

そこには、
朝日のように爽やかな笑顔の祖母がいた。
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