幸せという呪縛

秋赤音

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明けた夜の向こう側

1.出会いと嵐

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帽子はつかんだ。
次の瞬間、体が海へ落ちていく。
誰か、これを持ち主へ届けてくれたらいいと願い、
つかんだ手を離した。
少しすると、冷たい水が体を包む。
もう何も見えないが、なぜか、この感覚を知っている。
サラ家に行く前は、よく一人で海に来て遊んでいた。
あの時は、確か、少女が助けてくれたんだ。
煌めく白銀と赤い色の。

「エアス!」

意識が途切れる直前に感じたのは、
抱きしめられる腕と、僕の頬につたった温かな涙と、
懐かしい声だった。

ここは、どこだろう。
軋む上半身をなんとかおこす。
白い壁に滑らかな素材でできた家具が置いてある部屋。
傍らには緑色の髪の女性が眠っている。
自分は海へ沈んだはずだ。
かなり高い場所だったから、死んでいてもおかしくない。
だが、まあ、僕はいなくてもいいと思う。
誰とも血のつながりはない僕なら。

「起きましたか。
サラ家のエアス様ですね?
ルドア・ヴォルと申します。
そこで寝ているのは、リア。海を守るウォル家の者です。
事情は、風が伝えてくれたので知っています」

薄青の髪の男性は、女性を守るようにすぐ傍へ立っている。

「はい。エアス・サラと申します。
助けていただき、ありがとうございます。
知っている…ということは、
僕がつかんでいた帽子がどうなったかもご存じですか?」

「帽子…ああ、はい。
風が運んで手元に届きましたよ」

「ん…あれ?」

「リア。彼は無事だ。会話もできる」

「ルドア…よかった。
ありがとう。お母様に報告してきます」

リアさんは、立ち上がると部屋を出て言った。

「あの…助けていただき、ありがとうございます」

「あなたを助けたのは、魔女です。
俺たちは、起きたあなたを魔女の元へ連れていくよう言われただけです」

「そうですか。
看病してくださり、ありがとうございます」

「…支度をしてください。
着ていた服は、そちらに。乾いています」

ルドアさんは、そのまま部屋を出た。
廊下で止まる足音で、傍にいることがわかる。
手元にあった服を着て部屋を出ると、
待っていた二人は先導するように歩き出す。
こけそうになったリアさんを支えるルドアさんは、
そのまま手を繋いで歩いている。
不思議な門をくぐると、景色が変わる。

「待っていた。待ち焦がれていたよ。私の番。
命が繋がり安心したよ」

三歩あれば届きそうな先へ現れたのは、
深い海が美しさを引き立ててる白銀の髪と潤んでいる赤い瞳。
ドレスが強調するのは、妖艶な体の凹凸と滑らかそうな白い肌。
なんとなく、その色に見覚えがある気がした。

「昔、このような姿で遊んだことは覚えているか?
やっと見つけた孤児院へ迎えに行こうと思ったら、
人間に連れていかれた後だったよ。
ずっと、会いたかった」

変わった姿に思い出す。
間違いなく、昔一度だけ浜で遊んだディーちゃん。
怖がられることが多い赤い瞳を、綺麗だと言ってくれた。
この赤を嬉しそうに見つめてくる、赤い瞳の少女。

「ディーちゃん?」

「そう。
エアスがくれた、エアスだけが呼べる特別な名前だよ。
皆はディロと呼ぶ。
地上では、エアスは死んだことになっているけれど」

「そう、ですか…」

「だから、ね。
エアス、一緒にここで暮らそう?」

ここは海の世界で、
暮らすほど長く呼吸が続くわけ…ないと、思ったが。
苦しくなるなら、すでに溺れているはずだ。

「なんで苦しくないの?って顔してるね。
溺れたとき、苦しくならないように、私が魔法をかけたよ」

慈愛に満ちた瞳に見つめられ、
久しぶりに心が満たされていく気がする。
誰といても、求められたのは、僕ではなく理想の三男だった。
僕が求めていたのは、
僕を認め、愛してくれる人かもしれない。
ふと、知らない記憶が流れてきた。
ザラスと僕に似た人呼ぶディーちゃんと、愛を向けるザラス。
たとえ僕が何者だったとしても、
エアスとして出会ったディーちゃんに抱く感情は僕のものだ。

「そうですか。ありがとうございます。
一度、地上に戻って家族へ…国王様へお別れを言いたいです。
名もなき僕に名前と場所をくれた人です。
なぜか王妃様には邪険にされましたけど、お母様です。
お兄様やお姉様にも、とてもお世話になりましたから」

「分かった。
エアスを保護して育ててくれた家族だもの。
私も、妻として、一緒に行っていいよね?」

「いいのですか?心強いです。
あ…せっかくだから、ディーちゃんを紹介します」

すると、元の姿で歩み寄り僕を抱きしめてくるディーちゃん。
その背へ腕を添えると、嬉しそうに見上げてくる。

「ありがとう。私、良い妻になる」

「今のままでも十分良いです。
僕も、良い夫になれるよう頑張ります」

「エアスは、エアスのままでいいのよ。
でも、頑張るエアスも素敵」

「ありがとうございます。
あ…一つ、お願いがあります」

一瞬でも想像するだけで、不快感しかなかったので、
妻にしかできない協力してもらおうと思う。

「なに?」

首をかしげて、緊張した表情がじっと見つめてくる。

「着ていく衣装は、できれば露出の少ないもので。
体の線を隠せる上着も着てほしいです。
ディーちゃんの綺麗なところは、
僕だけ知っていればいいです」

その魅力しかない美しい姿は、
間違いなく男性の欲望を掻き立てる。
知らないところで勝手に思われることすら、不快だ。
何を着ても避けられない。
できることは、隠せるところは隠すことだけ。

「エアス!嬉しい。
私も、同じことを考えていたのよ。
日々の鍛錬で磨かれた美しさは、
私だけが知っていればいいの。
私は、下品な者どもを気に留めることすらないけれど。
エアスが嫌なことは、私も嫌。
ねえ、リア。
あなた方の衣装を仕立てている者を呼んでくださる?
というか…そうだった。明日、来られるのよね。
一緒にお願いしてもいい?」

ディーちゃんは、抱き着いたまま後ろにいる二人へ顔を出し、
声をかける。
いつの間にか後ろにいた二人だが、なぜかリアさんの顔は赤い。
甘ったるい気配を隠すことなく、
静かにうなずいてルドアさんと共に来た道を戻る。

「準備ができたら呼んでくれるよ。
それまでは、ここでお話しよう?」

「はい」

いつの間にか出てきたソファベットに促されるまま座る。
隙間なく隣にいるディーちゃんのぬくもりは、
僕の心を癒してくれた。

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