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8.epilogue
(2)
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「……機種変更も済ませたばかりだから、特に用がないだけのことじゃないですか」
「そんなわけないじゃない。それだってあの子、そもそも美鳥君と同じ携帯にしたいが為に、あのタイミングで機種変したんでしょ。そこまでこだわってんのに、理由もなく来なくなるわけないじゃない」
「え……」
「もう在庫のない店舗もでてきたって聞いて、慌てて変えに来たっていうんでしょ?」
「……そうなんですか?」
仕方なく顔を上げ、仕方なく当たり障りのないことを言ってみたら、思いがけない話を聞かされた。
「そうなんですか?」
「え?」
「機種。あえて俺と同じのにしたって」
初耳だった。思わず間を置いてしまうほど、内心驚いていた。
優駿が選んだ機種は、確かに宰と同じものだったが、優駿からは友人――香坂に勧められたからとしか聞いていなかった。
「……あら」
薫は珍しく目を泳がせた。
「い、いいじゃない。それくらい、可愛いもんでしょ。しかもそれを相手に言わないだなんて、健気じゃない。いじらしいわ」
(そう言うの、世間ではストーカーって言うんじゃないですかね……)
誤魔化すにしても、余りにも楽天的に返されて、宰は思わず半眼になった。
「あ、なんだよ、暇そうだな」
そこに酷く眠そうな顔をした柏尾が通りかかる。薫が助かったとばかりに「お疲れさまです」と笑顔を向けた。
柏尾は軽く頷くと、持っていたバイト用の作業表でとんとんと肩を叩きながら、カウンター前で足を止めた。込み上げたあくびを一つ漏らし、「徹夜した」「コーヒー飲みたい」などと泣き言のようにこぼすその目は、さながら立ったまま寝ているかのように閉じていて、いつにも増して草臥れた感が拭えない。黙って姿勢を正していれば、十中八九いい男だと言われるだろう風貌なのに、それが保てないのが彼らしいと言えば彼らしかった。
「おはようございます!」
そこに突然、別の声が響く。柏尾とは正反対に、元気すぎるほど元気な声だ。誰のものかは言うまでも無かった。
宰は一瞬ぎょっとして、すぐさまそれを隠すように視線を落とした。その横で、薫が待ってましたと振り返る。柏尾は目が覚めたように瞬いた。そんな一同の前へと、眩しいほどの笑顔で近づいてきたのはもちろん優駿だ。
「急なシフトの変更があって、今日一日休みになったので!」
「え、なになに? シフトって、いま何してるの?」
「工事現場のバイトです」
「え、工事現場でバイトしてんの? そりゃまた大変だなぁ」
たちまち盛り上がる三人を余所に、宰はさりげなく書類へと向き直る。自分だけは巻き込まれたくないと、完全に無関係を装う心算だ。
(まぁ勝手にやってくれ……)
思いながら、項目ごとに書類をファイリングしていく。その刹那――、
「宰さんもお疲れ様です! 今日も好きです!」
バサバサバサ! と派手な音を立てて、床に何かが落下した。宰が処理していたはずのファイルだ。目の前にあった何冊かのファイルが、全て足下に落ちていた。
視界の端で、優駿がびしっと片手を挙げていた。宰はそのまま暫し固まった。
ややして、どうにか身体を動かした。下方へと手を伸ばし、拾い上げたファイルを、トントンと整え――ていた手が、ギリギリとその縁を握り締める。
自分から越えてしまった線を、改めて引き直すべきかと本気で考えた。
そもそもこの男を相手に、線は一本では足りなかったのかもしれない。
「つ、宰……さん?」
再び名を呼ばれ、きわめてゆっくり顔を上げる。少し離れた場所で、薫と柏尾が必死に笑いを堪えていた。それでもなお無邪気な笑顔を浮かべたままの優駿を見て、宰の中の何かが切れた。
「お前は本当にばかなのかっ……!」
END(番外編に続きます)
「そんなわけないじゃない。それだってあの子、そもそも美鳥君と同じ携帯にしたいが為に、あのタイミングで機種変したんでしょ。そこまでこだわってんのに、理由もなく来なくなるわけないじゃない」
「え……」
「もう在庫のない店舗もでてきたって聞いて、慌てて変えに来たっていうんでしょ?」
「……そうなんですか?」
仕方なく顔を上げ、仕方なく当たり障りのないことを言ってみたら、思いがけない話を聞かされた。
「そうなんですか?」
「え?」
「機種。あえて俺と同じのにしたって」
初耳だった。思わず間を置いてしまうほど、内心驚いていた。
優駿が選んだ機種は、確かに宰と同じものだったが、優駿からは友人――香坂に勧められたからとしか聞いていなかった。
「……あら」
薫は珍しく目を泳がせた。
「い、いいじゃない。それくらい、可愛いもんでしょ。しかもそれを相手に言わないだなんて、健気じゃない。いじらしいわ」
(そう言うの、世間ではストーカーって言うんじゃないですかね……)
誤魔化すにしても、余りにも楽天的に返されて、宰は思わず半眼になった。
「あ、なんだよ、暇そうだな」
そこに酷く眠そうな顔をした柏尾が通りかかる。薫が助かったとばかりに「お疲れさまです」と笑顔を向けた。
柏尾は軽く頷くと、持っていたバイト用の作業表でとんとんと肩を叩きながら、カウンター前で足を止めた。込み上げたあくびを一つ漏らし、「徹夜した」「コーヒー飲みたい」などと泣き言のようにこぼすその目は、さながら立ったまま寝ているかのように閉じていて、いつにも増して草臥れた感が拭えない。黙って姿勢を正していれば、十中八九いい男だと言われるだろう風貌なのに、それが保てないのが彼らしいと言えば彼らしかった。
「おはようございます!」
そこに突然、別の声が響く。柏尾とは正反対に、元気すぎるほど元気な声だ。誰のものかは言うまでも無かった。
宰は一瞬ぎょっとして、すぐさまそれを隠すように視線を落とした。その横で、薫が待ってましたと振り返る。柏尾は目が覚めたように瞬いた。そんな一同の前へと、眩しいほどの笑顔で近づいてきたのはもちろん優駿だ。
「急なシフトの変更があって、今日一日休みになったので!」
「え、なになに? シフトって、いま何してるの?」
「工事現場のバイトです」
「え、工事現場でバイトしてんの? そりゃまた大変だなぁ」
たちまち盛り上がる三人を余所に、宰はさりげなく書類へと向き直る。自分だけは巻き込まれたくないと、完全に無関係を装う心算だ。
(まぁ勝手にやってくれ……)
思いながら、項目ごとに書類をファイリングしていく。その刹那――、
「宰さんもお疲れ様です! 今日も好きです!」
バサバサバサ! と派手な音を立てて、床に何かが落下した。宰が処理していたはずのファイルだ。目の前にあった何冊かのファイルが、全て足下に落ちていた。
視界の端で、優駿がびしっと片手を挙げていた。宰はそのまま暫し固まった。
ややして、どうにか身体を動かした。下方へと手を伸ばし、拾い上げたファイルを、トントンと整え――ていた手が、ギリギリとその縁を握り締める。
自分から越えてしまった線を、改めて引き直すべきかと本気で考えた。
そもそもこの男を相手に、線は一本では足りなかったのかもしれない。
「つ、宰……さん?」
再び名を呼ばれ、きわめてゆっくり顔を上げる。少し離れた場所で、薫と柏尾が必死に笑いを堪えていた。それでもなお無邪気な笑顔を浮かべたままの優駿を見て、宰の中の何かが切れた。
「お前は本当にばかなのかっ……!」
END(番外編に続きます)
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