一線の越え方

市瀬雪

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灯る頃

14-2

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「っ、ぁ……」

 嚥下し損ねた唾液が溢れ、伝い落ちるそれを逸樹さんの舌が受け止める。

 名残惜しいみたいに下唇を啄み、かと思えば艶かしく吸い上げて、そうしてやっと顔を離した彼は、どこか不穏な笑みを浮かべて俺を見下ろした。

 そんな彼の表情を茫洋と見つめながら、ずるずると俺の身体は床の上へと崩れ落ちる。支えていた彼の手が緩むと、腰が抜けたみたいに堪えきれなくなった。

「な、なん……」
「ケーキよりまずお前だ」

 軽く混乱している俺に、躊躇いもなく囁いて、彼はそのまま俺の上へと覆い被さってくる。

「え、こ、ここで……?!」

 言うが早いか、彼の手は既に俺の上着の合わせをはずしにかかっていた。
 そうしながら、狭く冷たいキッチンの床に俺を押し倒し、再び唇を重ねようとする。

「ま、待てって、そんな急に……っ、玄関の鍵も締めてねぇのにっ」
「俺が締めた」
「!」

 顔を背け、一時は彼の意図をかわしたけれど、結局また顎を捕らわれ、強引に口付けられた。

(マジかよ……っ)

 肌蹴られた胸元に、キンと冷えた室内の空気が触れる。
 口許から首筋へと位置を変える唇が肌を濡らし、より一層寒さが染みた。思わず小さく肩が震える。

「……ちっ」

 と、彼が舌打ちするのが聞こえて、俺は彼の動きを目で追った。

 彼はおもむろに身体を起こし、ぞんざいに髪を掻き上げると、無言のまま俺を抱き上げた。

「わっ」

 ぐらりと視界が傾いて、突然の浮遊感に思わず声が出る。咄嗟に逸樹さんの首にしがみついたものの、そんな自分の行動に気づいてすぐにその手をぱっと離した。

「お、下ろせよ……っ」

 気まずさと気恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じ、顔を逸らして悪態をつくが、

「床の上が嫌なんだろ」

 そんなことお構いなしに、逸樹さんは奥の洋室に向かい、壁際に置いてあるベッドに俺を下ろした。

「ちょ……逸樹さんっ……」
「確かに床の上は寒いからな」
「そ、それはそうだけど……っ」

 間違ってないけど、なんか違う!

 身体を起こそうとする俺の肩を、当たり前のように押し返し、

「お前が風邪をひくと俺が退屈する羽目になるし」

 さらりとそんなことを言いながら、彼は俺の上にのしかかってくる。

「な……」

 一瞬言葉を失った俺は、それでも何とか抗議しようと口を開くが、

「いいから黙って抱かせろよ」
「…っ……」
「お前だって別に嫌じゃねぇだろ?」

 続けざまにそう囁かれ、吐息が掠める距離まで顔を寄せられると、結局なにも言えなくなってしまう。

 せめてもの意地で視線を逸らしても、それすら楽しいみたいに視界の端で笑みを浮かべられて、俺はひたすら頬に血が昇るのを意識するしかない。

「………っ」

 そこに揶揄うようなキスが降ってくる。一層意識させたいみたいに、それは柄にもなく頬に落ち、目尻に滑り、こめかみを過ぎて、耳元で止まった。

 俺はもう縫い止められたかのように動けなくなっていた。

 静まり返った室内で、相手に聞こえてしまうのではないかと心配になるくらい、心臓の音がうるさく鳴っていた。
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