一線の越え方

市瀬雪

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一線の越え方

22-2

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 俺の手が髪に触れると、彼は驚いた顔をして一瞬固まった。

 と、一拍の後、俺を捉えた彼の双眸にたちまち涙がじわりと滲んで、ともすれば声を上げて泣き出すのではないかと危惧したくらいだったが、

「先輩は、なんでそんな優しいんですかぁ……」

 予想に反して、彼は目元を軽く擦っただけで、無理やりでもない笑顔を浮かべて見せた。

 でも声はまだ少し不安定に揺れていて、その笑顔だってどこか心許無い。
 俺は彼から手を退くと、改めて彼にしっかり釣りを握らせて、

「優しくなんかねーよ。ほら、いいから身体冷やさねーうちにとっとと帰れ。これ、奢ってやるから」

 追加で肉まんをひとつ包むと、それも一緒に押し付けた。

 正直に言えば、罪悪感に胸が痛んだこともある。
 だからこそ、自分の話は一切口にできなかった。

 だけど、やっぱり相原のことは可愛いと思ってしまうから、俺は俺で性質が悪いのかもしれない。 

「じゃあ、ハイ、これ冷めないうちに帰ります。…あ、今度またご飯一緒してくださいね」

 他の客がいないのをいいことに、ハイハイとそれに頷いて、更に自動ドアの外まで彼を見送ると、

(――はぁ…)

 その姿が完全に見えなくなってから、俺はこれ以上ないほどに盛大な溜息を吐いた。

 とりあえず、同じシフトの店員が、レジを離れていた時で本当に良かった。

 バイトを終えて、早朝の冷えた空気の中、俺は再び彼の部屋に向かった。

 翌日は学校も無く、特に他の用事も無かったので時間を気にすることも無く。
 一度自室に戻り、軽くシャワーを浴びた後、眠くなる前にと部屋を出たのが一時間ほど前のこと。

 誰もいない他人の部屋に、勝手に上がり込むのはやっぱり少し緊張したが、昨夜世話をしたばかりの文鳥の声を聞けば自然と安堵の息も漏れた。

 冬とは言っても、既に時間は8時近く。
 カーテンの隙間からは眩しすぎない程度に朝陽が射し込んでいて、室内を程よい明るさに保っていた。

「…そういや、何時に帰ってくるんだろ」

 俺は上着を着たまま、リビングのソファに腰を下ろし、徐に取り出した携帯画面を見ては、何度目かわからない溜息を吐く。

 思えば、帰るまでいろと言われはしたものの、それが何時になるかまでは聞いていない。

 もし夕方にでもなるなら、また何かすぐに食べられるものでも買っておいた方が親切なのかもしれないし、何より俺だってそんな時間まで何も口にしないのは堪えられそうに無い。

 そもそも、普段の俺なら、バイトの翌日のこの時間は確実に熟睡している頃合だ。
 その所為か、さっきから込み上げる欠伸が止まらないし…。

「眠……」

 俺は緩慢に瞬くと、ぱたりとそのまま横になった。

 ソファのサイズは大きめで、俺一人寝転がるくらい何でもない広さがある。
 眠ろうと思ったわけではなかったけれど、一度目を閉じてしまえば意識を手放すのも早かった。

 握っていた携帯が手の中から滑り落ちても、それがソファの上ならば音らしい音も耳には届かず。
 俺は横向きに背凭れに背を預ける形で、あっと言う間に深い眠りへと落ちて行った。
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