一線の越え方

市瀬雪

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一線の越え方

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 あの晩の直人は普通じゃなかったから。彼をそんな風にした相原の言葉とは一体何だったのか、酷く興味が湧いた。

「お、俺……凄く不安でっ……それで、あのっ、三木先輩に泣き言を言っちゃったっていうか……何ていうか……」

 俺に怒られると思ったのか、ギュッと目をつぶって吐き出すようにそう告げた相原に、俺は逆に気持ちが軽くなるのを感じた。

「泣き言?」

 分かっていても追及したくなったのは、明確に相談内容を把握したかったからだろうか。

 相原が何を言って、直人が何を気にしたのか。

 今日、相原に別れ話を切り出すつもりだった俺は、場合によっては彼に対して恥も外聞もなく土下座でも何でもするつもりでいた。

 さっきまでは嫌なことはさっさと済ませて一刻も早く帰宅したいと思っていたのに。
 今は相原を問い詰める自分を抑えられない。

「……不安、だったんです」

 俺が、苗字しか教えなかったことや、情事の最中に声を出すなと言ったことが。

 相原の不安はもっともだった。というより、寧ろ腹立たしいぐらい俺の痛いところを突いている。

「俺、どうしても誰かの、……その、身代わりにされてるようにしか思えなくて……それでっ」

 直人に泣き付いてしまったのだと言う。

 テーブルの上に載せた両の手をグッと握ってそう告げた相原に、何となく申し訳ないような気持ちになる。

 そう。相原が言う様に、俺は彼を直人の身代わりにしていたのだ。
 そう気付いていて、笑顔でいることはどんなに辛かっただろう。

「……すまなかったな」

 そう思ったら、その言葉が自然と口をついていた。

 仕事以外で他人に頭を下げることなんて滅多にない俺が、何の躊躇いもなく相原に謝罪の言葉を述べられたことに、我ながら驚いた。

 二人の間で一口も味わわれることなくじわじわと冷めていくコーヒーが、まるで俺自身の心の温度を表しているように思えて、俺は心の中で密かに苦笑した。

「……え?」

 俺が謝ったことに驚いたらしい相原が、うつむけていた顔を思わず上げる。それで、見るとはなしにコーヒー越しに彼を観察していた俺と目が合ってしまった。

「お前の言う通りだからな……」

 相原も馬鹿じゃない。きっと、俺がここで謝意を表したことで、遅かれ早かれその言葉の裏に含まれた真意に気付くはずだ。

 自らそれに気付かせてガッカリさせるより、俺がはっきりと告げてやったほうが幾分マシな気がした。

「お前が言うように、俺はお前を他のヤツの身代わりにしてたんだ」

 そう明確に言葉にすると、俺は本当に酷いヤツだと自覚させられた。
 目の前で見開かれた相原の目が、その思いを一層強くさせる。

「悪い……。もう、これ以上お前と付き合い続けるの、無理なんだ」

 もう一度謝ると、俺はテーブルに額をこすり付けんばかりに頭を下げた。
 そのまま、何も言わずに頭を下げ続けていたら、相原が慌てたように立ち上がって俺の手に触れた。

「……あ、あのっ。もう、いいですっ。俺、山端さんの気持ち、十分分かりましたからっ。だから、顔、上げてください……!」

 元々俺の気持ちが自分にないのを承知で、それに気付かない振りをしていたのは自分なんだから気にしないで欲しい、と相原が言う。

 全く気にしないのは無理だと思ったが、彼がそう言ってくれたことに少なからずホッとする自分がいたことも否めない。

(とことん俺はずるい人間だ)

 そう、思った。思いながら、彼に促されるままゆっくりと顔を上げると、相原と目が合った。

 今にもこぼれそうなほど目に涙を溜めているくせに、無理してニコッと笑うと、

「……俺、正直スッキリしました……。ちゃんと言ってもらって、ホント、良かったですっ」

 そう言って頭を下げる。

 その拍子にテーブルに涙が零れ落ちたけれど、彼の気持ちを考えて、俺は気付かない振りをした。

「……すまん」

 情けないぐらい同じ言葉しかつむげない自分に、今日ほど苛立ちを覚えたことはない。
 でも、俺には謝罪することしか出来なかったから。
 だから、相原にもう一度深々と頭を下げた。

 周りにどう思われても構わねぇ。

 そんな風に腹をくくって行動を起こせたのは、何年ぶりだろう?

 そんなことを思いながら。
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