一線の越え方

市瀬雪

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一線の越え方

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「押しかけちゃってすみません。あの、これ…」
「え、何」
「食事、ちゃんとしてたならいいんですけど」
「あー…助かるよ。有難う。…片付けてないけど、上がって」

 差し出された紙袋を受け取ると、俺は開けていたドアを更に開いて、彼を室内へと促した。



 さすがに、長居するのは悪いからと言って、彼は一時間後にはあっさり帰って行った。

 相原が持ってきてくれたのは、恐らくそこそこ高級なレストランの食事をテイクアウトしてきたものと、一本二千円以上はしそうな栄養ドリンクが何本か。

 正直自分なら手を出さないようなものばかりで、金額的にも断るべきかと迷ったが、相原に他意がないのは明らかなので、とりあえず素直に受け取らせてもらった。
 後の話を聞いていても、俺がコンビニ弁当を買って渡す――そんな感覚で彼はこれを持ってきたようだったし。

「どうせなら、しっかり味がわかる時に食べたかったな」

 部屋の中央、こたつ兼用のテーブルの上には、空になったトレイと薬の空袋が置いてある。それを横目に一瞥し、俺は再び目を閉じた。

 彼は、純粋に見舞いに来てくれただけのようだった。
 その証拠に、自分からあの話に触れることはなく、だけど俺の方がなんだか間が持たなくて、つい口にしてしまった。

「それで、うまく行ってンの…?」
「…え、あ、……はい」

 彼は僅かに下向いて、躊躇いがちに頷いた。

 俺はベッドに座っていて、彼は床に座っていたから、俯かれると表情は窺えない。
 だけど、その首筋に、いまなら一見してわかる情事の痕跡を見つけると、

「そっか」

 途端にそっけなく目を逸らしてしまった。

 何だか面白くないと思えてしまって。
 何故そんな風に思ってしまったのかまでは解らない。でも、

「あの、先輩。…ちょっと聞いてもらっていいですか」

 次いで顔を上げた彼の眼差しを見ると、その心境もすぐに一変した。

「な、なんだよ」

 相原は笑顔だった。
 だけど、それは酷く痛々しげな笑顔で、俺は思わず背筋を正した。

「確かに俺、数日か置きくらいで、彼に会ってるんですけど……彼、未だに俺に名前教えてくれないんです」
「……名前?」
「はい。それに……あの、俺に声、出すなって…」
「こ――…」

 復唱しかけて、途中で止めた。

 一瞬理解が遅れたけれど、それは要するにそういう状況の話なわけで。
 それを口にすると、うっかり想像してしまいそうで、俺は咄嗟に口を噤む。

「…ちょ、相原……」

 そんな心境が表に出ないよう焦っていると、気がつけば彼の目からは涙が零れていて――。

 俺は慌てて立ち上がると、彼の顔を覗き込んだ。
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