瓶詰めの神

東城夜月

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第九話 狩り②

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振り下ろされた鉈を、鉄バットで受け止める。
川崎安奈かわさき あんなさん、ですね。こんなに活発な人だとは、意外でした」
 三年A組、川崎安奈。綾部あやべは彼女をよく知っていた。言葉を交わしたことはなかったが、小学生の時から彼女の姿を至る所で見かけていた。それだけ、彼女は教団の活動に対し熱心だった。故に、きっとこの馬鹿げた儀式に対しても熱心に取り組んでいるに違いない。男二人に単身で突っ込んでくるほどに。
「失望しました。長年教団に身を置いているあなたが、儀式の進行を妨害しているなんて」
「妨害、とは」
「三人で徒党を組むなど、儀式を遅延させる行為です。儀式は、速やかに進まなければいけない」
 長田おさだをアーチェリーで狙った際に、なごみ達といるのを見たのだろう。だが、あまりに非合理だ。
「それだけのために、わざわざ危険を犯して僕達を追ってきたんですか?」
「私は儀式が遂行されればそれでいい。生き残るのが自分でなくとも構いません。ただ、儀式が速やかに進行するのであれば」
「なんて女だ!」
 綾部は思わず吐き捨てた。子供の頃から教団に身を捧げている敬虔な女子生徒だとは思っていたが、まさか狂信者だったとは。
 一度鉈をバットで払いのけ、距離を取ってどうするべきか考えを巡らせる。悪いことに、跳ね返った矢に足の肉を深く抉り取られている。あまり大立ち回りはできないし、逃げて彼女を振り切ることもできないだろう。
 性差を生かして力で押し切るかとも思ったが、火事場の馬鹿力とでも言うべきか、理性を無くした彼女は凄まじい運動能力を発揮している。無理に押し切るのも難しい。
 詰みじゃないか、と内心絶望する。殺し合う気のない者を集めて脱出しようと考えていたのに、なぜ永友ながともに先に行けなどと言ってしまったのか。別段、永友にも和にも義理立てることも、借りもないのに。
 なら永友を盾にして逃げるべきだったか、と問えば、不思議とそうすればよかったとは思えなかった。彼を盾にして逃げれば、和が都丸とまる高遠たかとおに殺されただろう。それを生き延びた自分が知るのを想像したら、今よりもっと絶望的な気分になったに違いない。
 もう余計なことを考えるだけ無駄だ。この局面を生きて帰ることだけを全力で考えるしかない。彼女に対するアドバンテージは、理性を失っていないという点しかないのだから。
 覚悟を決めてバットを握り直し、彼女の鳩尾目掛けて突き出す。だが、彼女は体を捻ってそれを躱すと、躊躇無く綾部の頭目掛けて鉈を振りかぶる。踏み込んだ勢いのまま前に移動すると、顔の横を鉈が通っていった。血の気が引く。だが、怖じ気づいたら負けだ。冷静に彼女に向き直ると同時に、その勢いを利用して下からバットを振り上げる。ひゅう、と空を切る音がしたと同時に、川崎の顎下辺りが切れ、血が流れ出した。バットが掠めたのだろう。あと少し位置がずれていれば頭を直撃したのにと歯噛みする。
 体勢を立て直し、状況をフラットに戻そうとする。
 不意に、鉈が銀色に燦めいた。
 左肩が、カッと熱くなる。腕を生温い液体が覆い、制服に赤黒い染みが広がっていく。
 川崎が投げた鉈が左肩を捕らえたのだと理解した時には、もう彼女は目の前まで迫っていた。

 硬質な廊下の床を、何かが這いずってくるような音がする。黒板に爪を立てたときの音にもよく似ている、耳障りな音だ。
「都丸か」
 みなとが顔を上げた。
「これ、バット引きずって歩いとる音と違うか」
「だとしたら、永友さん達は逃げたのかもしれませんね」
「そんな……」
 有希ゆきの言葉に、和は首を振った。
「もしかしたら、都丸に怪我させられたのかもしれない。わたしが見てくる」
 思わず飛びだそうとした和を、彼女が制した。
「あなたを一人で行動させるわけにはいきません。私も行きます。先輩は隠れていてください」
 二人で足音を立てないように廊下に出る。耳をそばだてると、音は南側の曲がり角の向こうから聞こえてくるようだった。
 もしもこれが都丸だったら──。心臓が爆発しそうなほどに脈打つ。裕矢達は、どうしたのだろう。逃げなかったとしたら殺されているということになるし、生きているとしたら、逃げたということになる。胸が、ざわめく。
 早く、音の主を確定させたかった。こんな不安な状態には耐えられない。息を殺して、和は曲がり角から身を乗り出した。
 廊下に、いやに背の高い影がくっきりと浮かび上がる。ぎらついた目と、和の目線が、真正面からぶつかった。
 この人、見たことある──。そう思った瞬間、後ろから強い力で突き飛ばされた。前方に意識を集中していたため、予想外の力に体勢を崩して廊下に転がる。
 直後、背後からガラガラと音がした。顔を上げると、そこにもう通路はなく、重々しい防火シャッターが下りていた。
 有希に、囮にされたのだ。
「あれ、湊じゃなかったな」
 背の高い男子生徒は、不思議そうに首を傾げる。
 和は彼に見覚えがあった。入学式の日、裕矢に詰め寄られる自分を物珍しそうに見に来た生徒と同じ顔だ。彼が、都丸貴広。
「まあ、いいか。どうせ皆死ぬんだし」
 目当ての菓子が購買で売り切れた、そんな口ぶりで、彼はそう言った。死ぬ、と。
「あなたが、田中さんを殺したの?」
「そうだけど、なに? あいつの知り合い?」
「あなた、田中さんと友達だったんでしょ? どうして殺したの?」
「だって、そういうルールじゃん」
 殺人者に似つかわしくない、きょとん、とした顔で彼は言った。背は高いが、顔には比較的幼さが残っている。
「一番近くにいたし、あいつ油断してたし、殺した」
「どうして……こんな殺し合い、おかしいと思わないの?」
「なんで?」
 意味がわからない、というように彼は言った。
「これ、結構楽しいよ?」
 和は絶句した。理解ができなかった。殺し合いが、楽しい?
「じゃあ、俺、湊を探さなきゃいけないから。逃げられちゃったんだよね」
 都丸はそう言って、笑った。
 鉄バットが振り上げられる。
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