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第三十一話
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桐生は、様子のおかしい石原の背中を見つめる。今までで一番素っ気ない上に距離を取るような態度が、何を表しているのか、必死に考えた。今日、きちんと告白をするつもりでいる桐生には良くないコンディションだ。いつも以上に平常心を保たねば、再び嫌味を言い、佐藤の言った通り、取り返しのつかない関係にまで落ちるかもしれない。研修が始まり、興味のない話が始まる。目の前の背中はペンを仕切りに動かしているのが分かる。内容を聞くかぎり、石原には必要のないスキルばかり。不必要ではなく、すでに習得済みの内容ばかりだった。それなのに、熱心に参加する姿に、桐生もようやくペンを握った。石原の謙虚なこういう姿勢は嫌いではない。むしろこういうところに惚れているのだと再確認してしまう。そのようなことを考えているうちに休憩に入る旨が主催から伝えられる。忙しなくペンを走らせていた男は、首を回した。なんと声をかけようか迷っていたら、知らない男が石原に声をかけ始めた。
「石原先生じゃないですか」
「ああ、ご無沙汰してます」
「先生がこの研修を? もう必要ないでしょ」
石原の知り合いに見える教師は、桐生が思っていたことと同じようなことをいう。
「いやいや、まだ勉強不足ですよ」
にこやかに返す笑顔が自分に向けられることはない。石原や佐藤のいうように自分達は体だけの関係なのだ。自分でも驚くほどナイーブになっている図体のでかい刑事は、休憩時間の雑談に紛れてため息をついた。
知人の教師が声を落とす。
「報告が遅くなったんですけど、僕、結婚したんですよ」
「それは、おめでとうございます」
「噂流れてますよね?」
「噂? 何の?」
「僕の結婚相手……」
教師はバツの悪そうな顔をする。
「教え子なんですよ」
知っていたのか知らなかったのか、石原は顔色を変えない。
「あーでも、もう30代の女性なんですけどね。残り物どうしくっついたと言うか……」
「別に在学中に手を出したわけじゃないんでしょ。残り物なんて自分にも相手にも悪いですよ。自信もって」
「すみません。なんか先生にはついこういう弱音を……先生は、今も変わらずですか?」
「そうですね」
「先生こそ、いい相手たくさん見つかるでしょう」
「出会いなんて全くですよ。それに恋愛なんてできる歳でもないですから。そういう場所に積極的に足を運ぶタイプでもないですし。もう独身を貫くつもりです」
桐生は、思わず顔を上げてしまう。石原の横顔は悲しそうだった。遠回しに振られた気分に陥った。悲しげな横顔は、恋愛を遠ざけているように見える。もし、このまま告白をしてしまえば、困らせてしまうかもしれない。急に、石原が6歳年上の男性なのだと、遠い存在に感じる。
二人の会話が終わり、休憩時間は残り数分になっていた。石原は、小さく息を吐きながら椅子に座る。
「知り合いか?」
「ああ。前か? いや、もっと前かな? 同じ学校で勤務したことある先生なんだ」
「教え子と結婚したんだな。知ってたのか?」
「風の噂で。でも在学中になにかあったわけじゃないだろ。それなら、人それぞれだ、どう感じるかは」
「あんたと神崎先生みたいなもんか」
「何度も言うけど俺は教え子とだけは──」
嫉妬心に歯止めがかからない。これ以上の会話はこのあとに響く。桐生は、しおらしく「悪かったよ、しつこく言って」とだけ言った。
次の部が始まり、ディスカッションが始まる。あまり得意としない桐生は、ほぼ口を開かない。若年者が多く、石原が上手く司会として立ち回る。年上の圧を感じさせない穏やかな進行に若手も発言が進む。話し合った内容を最後にまとめ、発表は、若手に任せる。自信なさげな女性の教師だったが、石原に背中を押され、全体発表のあとには、嬉しそうに席についていた。知人の教師の言っていた意味もわかる。何故、石原に恋人がいないのか不思議で仕方がない。やはりもう必要としていないのか。桐生は、どんどん追い込まれていく。
研修の最後、案の定、石原は同じグループの女性に捕まった。丁寧にお礼を言われている。桐生は職業柄、相手の視線を観察する癖がある。女性が石原の左手の薬指を確認しているのを見逃さなかった。両手でスマホを握りしめている。この後の展開に嫌な予感しかしない。
「石原先生、そろそろ行くぞ」
桐生は、大人気なく石原を会場から連れ出す作戦に出た。女性が名残惜しそうな顔をしていたが、無視する。
「そうか。車ないのか」
「そうだよ」
「修理か?」
「いや、ぺちゃんこだ。買い直す」
「そんなでかい事故だったのか」
ようやく自分の所に石原が戻って来た気がして、安堵する。しかし、本題はこれからだ。恋人を求めていない石原に告白をするという博打にでなければならない。
石原が女性に捕まっている間に、会場にいるメンバーはほぼいなくなっていた。エレベーターの前で2人で待つ間、桐生は、「このあと、どうするんだ?」と尋ねた。
「学校に戻るつもりだ」
「直帰にしなかったのか」
「学校発・学校着で出張届は出した」
「直帰にしろっていっただろ」
石原は何も答えない。丁度エレベーターが到着し、2人で乗り込んだ。空気が重い。
──ガタガタ
「「はっ?」」
嫌な、音がしたかと思うと、エレベーターがガタンっ!と動きを停止させる。
「うわっ!」
石原がよろけ、桐生は咄嗟に抱きしめた。普段経験しない動きに桐生もバランスを崩し、そのまま2人で床に倒れ込む。電気が消え、暗闇が2人を包んだ。
桐生は、表情の見えない今がチャンスだと本能的に判断した。
「石原先生じゃないですか」
「ああ、ご無沙汰してます」
「先生がこの研修を? もう必要ないでしょ」
石原の知り合いに見える教師は、桐生が思っていたことと同じようなことをいう。
「いやいや、まだ勉強不足ですよ」
にこやかに返す笑顔が自分に向けられることはない。石原や佐藤のいうように自分達は体だけの関係なのだ。自分でも驚くほどナイーブになっている図体のでかい刑事は、休憩時間の雑談に紛れてため息をついた。
知人の教師が声を落とす。
「報告が遅くなったんですけど、僕、結婚したんですよ」
「それは、おめでとうございます」
「噂流れてますよね?」
「噂? 何の?」
「僕の結婚相手……」
教師はバツの悪そうな顔をする。
「教え子なんですよ」
知っていたのか知らなかったのか、石原は顔色を変えない。
「あーでも、もう30代の女性なんですけどね。残り物どうしくっついたと言うか……」
「別に在学中に手を出したわけじゃないんでしょ。残り物なんて自分にも相手にも悪いですよ。自信もって」
「すみません。なんか先生にはついこういう弱音を……先生は、今も変わらずですか?」
「そうですね」
「先生こそ、いい相手たくさん見つかるでしょう」
「出会いなんて全くですよ。それに恋愛なんてできる歳でもないですから。そういう場所に積極的に足を運ぶタイプでもないですし。もう独身を貫くつもりです」
桐生は、思わず顔を上げてしまう。石原の横顔は悲しそうだった。遠回しに振られた気分に陥った。悲しげな横顔は、恋愛を遠ざけているように見える。もし、このまま告白をしてしまえば、困らせてしまうかもしれない。急に、石原が6歳年上の男性なのだと、遠い存在に感じる。
二人の会話が終わり、休憩時間は残り数分になっていた。石原は、小さく息を吐きながら椅子に座る。
「知り合いか?」
「ああ。前か? いや、もっと前かな? 同じ学校で勤務したことある先生なんだ」
「教え子と結婚したんだな。知ってたのか?」
「風の噂で。でも在学中になにかあったわけじゃないだろ。それなら、人それぞれだ、どう感じるかは」
「あんたと神崎先生みたいなもんか」
「何度も言うけど俺は教え子とだけは──」
嫉妬心に歯止めがかからない。これ以上の会話はこのあとに響く。桐生は、しおらしく「悪かったよ、しつこく言って」とだけ言った。
次の部が始まり、ディスカッションが始まる。あまり得意としない桐生は、ほぼ口を開かない。若年者が多く、石原が上手く司会として立ち回る。年上の圧を感じさせない穏やかな進行に若手も発言が進む。話し合った内容を最後にまとめ、発表は、若手に任せる。自信なさげな女性の教師だったが、石原に背中を押され、全体発表のあとには、嬉しそうに席についていた。知人の教師の言っていた意味もわかる。何故、石原に恋人がいないのか不思議で仕方がない。やはりもう必要としていないのか。桐生は、どんどん追い込まれていく。
研修の最後、案の定、石原は同じグループの女性に捕まった。丁寧にお礼を言われている。桐生は職業柄、相手の視線を観察する癖がある。女性が石原の左手の薬指を確認しているのを見逃さなかった。両手でスマホを握りしめている。この後の展開に嫌な予感しかしない。
「石原先生、そろそろ行くぞ」
桐生は、大人気なく石原を会場から連れ出す作戦に出た。女性が名残惜しそうな顔をしていたが、無視する。
「そうか。車ないのか」
「そうだよ」
「修理か?」
「いや、ぺちゃんこだ。買い直す」
「そんなでかい事故だったのか」
ようやく自分の所に石原が戻って来た気がして、安堵する。しかし、本題はこれからだ。恋人を求めていない石原に告白をするという博打にでなければならない。
石原が女性に捕まっている間に、会場にいるメンバーはほぼいなくなっていた。エレベーターの前で2人で待つ間、桐生は、「このあと、どうするんだ?」と尋ねた。
「学校に戻るつもりだ」
「直帰にしなかったのか」
「学校発・学校着で出張届は出した」
「直帰にしろっていっただろ」
石原は何も答えない。丁度エレベーターが到着し、2人で乗り込んだ。空気が重い。
──ガタガタ
「「はっ?」」
嫌な、音がしたかと思うと、エレベーターがガタンっ!と動きを停止させる。
「うわっ!」
石原がよろけ、桐生は咄嗟に抱きしめた。普段経験しない動きに桐生もバランスを崩し、そのまま2人で床に倒れ込む。電気が消え、暗闇が2人を包んだ。
桐生は、表情の見えない今がチャンスだと本能的に判断した。
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