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第十二話
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桐生は石原の家を出る間際に「次、いつ空いてるんだ」と尋ねた。
「そんなにしたいのか?」
石原は、物好きな男だと桐生を見たが、桐生の目的はそこではない。
「夜、予定ない日いつだ」
「そーだな。とりあえず、明後日は無理だ」
刑事の目的に気づいていない教師は不審がらずにそう言う。
「分かった。また来る」
そして2人は朝日が眩しい世界へと戻っていく。
桐生は警察署に向かいながら「明後日、会うのか」とボヤいた。桐生の目的は、石原がいつ「糸川」と呼ばれた指輪の男に会うのか知るためだ。いつもの石原は「夜遅くでいいなら、いつでも空いている」というのが常だった。その男が初めて予定を入れた。その日が、指輪を返す日──つまり、糸川に会う日なのだ。
「別にどうでもいいのに」
また自分本位な質問をしてしまったことに後悔してしまう。全く知らない人物に対して抱く感情は、真っ黒だ。あって欲しくない。会った後、どのような行為を致すのか勝手に想像してしまう。恋人関係にあった人間だと断定されている訳では無いのに、ネガティブな思考に埋め尽くされる。
「これじゃまるで、俺が先生を好きみたいじゃねーか」
無意識に悪態をつく。しかし、口をついた言葉に自分で「はっ?」と言い返し、急ブレーキを踏んだ。後方からクラクションの音がする。
「好き? 誰が誰を……」
車をゆっくり発進させる。微かに気がついた淡い感情にいつも通りの運転ができない。脳内が石原に埋め尽くされる。
「いや、まぁ悪いやつじゃないし。仕事はデキる男だし、身体の相性もいいしな……」
そんなやつ探せば他にもいると、桐生は頭を振ったが、付き合いのある人間関係にはない唯一の気持ちがあった。
──頼って欲しい。
それは事件が絡んでいるとかそういうのが理由ではない。しかも、今回の件は自分から飛び込んだ案件だ。他人から見ればお節介。
「まじかよ」
桐生の悪態とは反対に、どんどん心が支配されていく。
***
2日後──石原が指輪の持ち主と会う日。桐生が朝起きて、まず初めにすることはタバコを吸うことだ。タバコを吸いながら石原のことを考える。何をするにも彼の顔が頭から離れない。送検用の書類作成中もペンが止まり、何度も同僚に声をかけられるし始末だ。
退勤間際、佐藤に声をかけられてもすぐには返事ができなかった。
「おい、桐生。何度呼んだら気づくんだ」
「悪い。捜査に出るか?」
佐藤が呆れた視線を送る。
「飲みに行くって何度も連絡あっただろ」
「今日?」
「今日、そして今から。刑事長がこの前の捜査の礼がしたいって」
桐生たちはいくつか案件を抱えており、そのうち一つが長い捜査の上、ようやく片付いた。被疑者確保のため動いたのは早朝。担当刑事たちに連絡がいったのは朝方の5時だった。その時、桐生は石原とベッドの中。二回目の情事の時だった。酒と日付を跨いだ行為で深い眠りについていた石原を起こさず、桐生は朝こっそりとホテルを出ていた。
「眠い目擦ったかいがあったな。ちょっといい割烹の店に連れて行ってくれるそうだぞ」
「へえ」
「乗り気じゃないな。ああ、そういえば、女に待たされたのもあの頃だったな? 嫌なこと思い出させたか?」
「話が変わってんじゃねえか。女なんて一言も言っていないし、約束してたわけじゃない。あっちは何も悪くない」
しかし、上の空の理由は石原にある。桐生の予想が正しければ、今日は石原が指輪の持ち主と会う日。そして、気づいてしまったもうひとつの感情。恋愛や女など久しく縁のない男には次の一手が浮かばない。捜査のように一つずつ可能性を潰すやり方では、石原が遠ざかるだけだ。
「ああ、もう!」
「急にでかい声出すな」
「うるせえ、お前の言う通りだよ、どうせ俺には無縁のものだよ!」
「何の話だ」
佐藤は、先日自分が桐生に「お前に女は無縁だ」と言った。すっかり忘れている佐藤に桐生は射殺さんばかりの視線を送った。
「え? 俺、殺される?」
「今日はもう一言も喋るな」
桐生は理不尽な言葉を投げつけ、そのまま刑事課を出て行った。向かった先は喫煙所。一気に煙を肺に送り、ため息と共に吐き出した。一人なのに、喫煙所はみるみる白い煙で覆われている。
「どうしたらいいか分かんねえ」
捜査中でも絶対に出さない弱音が簡単に出てくる。佐藤から「もう出るぞ」と飲み会への招集がかかるまで、桐生は視界を遮る煙に包まれていた。
刑事長を先頭に10名近くの刑事や鑑識、科捜研の研究員が提灯が並ぶ路地裏を行く。刑事長の隣には、佐藤が並び、談笑をしている。桐生はさらに後ろからついていく。前を歩いていた鑑識の警察官の後頭部が桐生の顎と接触する。
「悪い」
「いいえ。大丈夫ですよ」
ぼんやりと歩いていたので、ぶつかったことに気づくまで時間がかかった。
店は、路地の奥にあり、知る人でなければ見つけることが難しい場所にあった。提灯の周りには蛾が舞い、出汁のいい香りがして、強面の刑事たちの表情も綻んでいる。桐生だけは相変わらず浮かない顔で、暖簾を潜った。
飲み物を頼んだ後、桐生はすぐトイレに立った。顔でも洗って、気分を切り替えようとしたのだ。だが、トイレで思わぬ人物に会ってしまう。石原だ。
「そんなにしたいのか?」
石原は、物好きな男だと桐生を見たが、桐生の目的はそこではない。
「夜、予定ない日いつだ」
「そーだな。とりあえず、明後日は無理だ」
刑事の目的に気づいていない教師は不審がらずにそう言う。
「分かった。また来る」
そして2人は朝日が眩しい世界へと戻っていく。
桐生は警察署に向かいながら「明後日、会うのか」とボヤいた。桐生の目的は、石原がいつ「糸川」と呼ばれた指輪の男に会うのか知るためだ。いつもの石原は「夜遅くでいいなら、いつでも空いている」というのが常だった。その男が初めて予定を入れた。その日が、指輪を返す日──つまり、糸川に会う日なのだ。
「別にどうでもいいのに」
また自分本位な質問をしてしまったことに後悔してしまう。全く知らない人物に対して抱く感情は、真っ黒だ。あって欲しくない。会った後、どのような行為を致すのか勝手に想像してしまう。恋人関係にあった人間だと断定されている訳では無いのに、ネガティブな思考に埋め尽くされる。
「これじゃまるで、俺が先生を好きみたいじゃねーか」
無意識に悪態をつく。しかし、口をついた言葉に自分で「はっ?」と言い返し、急ブレーキを踏んだ。後方からクラクションの音がする。
「好き? 誰が誰を……」
車をゆっくり発進させる。微かに気がついた淡い感情にいつも通りの運転ができない。脳内が石原に埋め尽くされる。
「いや、まぁ悪いやつじゃないし。仕事はデキる男だし、身体の相性もいいしな……」
そんなやつ探せば他にもいると、桐生は頭を振ったが、付き合いのある人間関係にはない唯一の気持ちがあった。
──頼って欲しい。
それは事件が絡んでいるとかそういうのが理由ではない。しかも、今回の件は自分から飛び込んだ案件だ。他人から見ればお節介。
「まじかよ」
桐生の悪態とは反対に、どんどん心が支配されていく。
***
2日後──石原が指輪の持ち主と会う日。桐生が朝起きて、まず初めにすることはタバコを吸うことだ。タバコを吸いながら石原のことを考える。何をするにも彼の顔が頭から離れない。送検用の書類作成中もペンが止まり、何度も同僚に声をかけられるし始末だ。
退勤間際、佐藤に声をかけられてもすぐには返事ができなかった。
「おい、桐生。何度呼んだら気づくんだ」
「悪い。捜査に出るか?」
佐藤が呆れた視線を送る。
「飲みに行くって何度も連絡あっただろ」
「今日?」
「今日、そして今から。刑事長がこの前の捜査の礼がしたいって」
桐生たちはいくつか案件を抱えており、そのうち一つが長い捜査の上、ようやく片付いた。被疑者確保のため動いたのは早朝。担当刑事たちに連絡がいったのは朝方の5時だった。その時、桐生は石原とベッドの中。二回目の情事の時だった。酒と日付を跨いだ行為で深い眠りについていた石原を起こさず、桐生は朝こっそりとホテルを出ていた。
「眠い目擦ったかいがあったな。ちょっといい割烹の店に連れて行ってくれるそうだぞ」
「へえ」
「乗り気じゃないな。ああ、そういえば、女に待たされたのもあの頃だったな? 嫌なこと思い出させたか?」
「話が変わってんじゃねえか。女なんて一言も言っていないし、約束してたわけじゃない。あっちは何も悪くない」
しかし、上の空の理由は石原にある。桐生の予想が正しければ、今日は石原が指輪の持ち主と会う日。そして、気づいてしまったもうひとつの感情。恋愛や女など久しく縁のない男には次の一手が浮かばない。捜査のように一つずつ可能性を潰すやり方では、石原が遠ざかるだけだ。
「ああ、もう!」
「急にでかい声出すな」
「うるせえ、お前の言う通りだよ、どうせ俺には無縁のものだよ!」
「何の話だ」
佐藤は、先日自分が桐生に「お前に女は無縁だ」と言った。すっかり忘れている佐藤に桐生は射殺さんばかりの視線を送った。
「え? 俺、殺される?」
「今日はもう一言も喋るな」
桐生は理不尽な言葉を投げつけ、そのまま刑事課を出て行った。向かった先は喫煙所。一気に煙を肺に送り、ため息と共に吐き出した。一人なのに、喫煙所はみるみる白い煙で覆われている。
「どうしたらいいか分かんねえ」
捜査中でも絶対に出さない弱音が簡単に出てくる。佐藤から「もう出るぞ」と飲み会への招集がかかるまで、桐生は視界を遮る煙に包まれていた。
刑事長を先頭に10名近くの刑事や鑑識、科捜研の研究員が提灯が並ぶ路地裏を行く。刑事長の隣には、佐藤が並び、談笑をしている。桐生はさらに後ろからついていく。前を歩いていた鑑識の警察官の後頭部が桐生の顎と接触する。
「悪い」
「いいえ。大丈夫ですよ」
ぼんやりと歩いていたので、ぶつかったことに気づくまで時間がかかった。
店は、路地の奥にあり、知る人でなければ見つけることが難しい場所にあった。提灯の周りには蛾が舞い、出汁のいい香りがして、強面の刑事たちの表情も綻んでいる。桐生だけは相変わらず浮かない顔で、暖簾を潜った。
飲み物を頼んだ後、桐生はすぐトイレに立った。顔でも洗って、気分を切り替えようとしたのだ。だが、トイレで思わぬ人物に会ってしまう。石原だ。
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