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第十話
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石原はアパートの前で車が止まると同時に、自身の心臓が早鐘を打ち始めた。なかなか降りることができない。
「降りないのか?」
「降りるよ。さっさと寝たい」
悪態をつくが、その声は力が篭っていない。
「どうした」
「……寄ってくか」
自分の口からついて出た言葉は、甘い吐息混じり。言ったはいいものの返事が怖くて「やっぱりなんでもない」と逃げるようにドアを開けた。
「寄ってもいいのか?」
「指輪のことは何も話す気はないけどな」
「だったら何故……」
そこまで言いかけた桐生は、街頭の明かりでも分かる石原の真っ赤な耳を捉え、口を閉じる。そして「分かった。とりあえず車を置く場所探さねえと」とハンドブレーキを解除する。石原が求めているものを理解した男は、時間がかかると見越して、車を発進させた。
「来客用の駐車場があるから、そこに」
「分かった」
その後はお互い無言だった。部屋に入ってすぐ、桐生は石原のネクタイを掴み、引き寄せる。
「こういうことであってるよな」
「……ああ」
石原も桐生のネクタイを緩め、僅かな身長差を利用して、理解の早い刑事を見上げた。嫌味の応戦をしていた相手とのあり得ない空気と時間。ゆっくりと唇が重なり合い、貪るようなキスへと変わっていく。力なく、廊下に面したドアを指差せば、なだれ込むように、男たちは寝室へと消えていく。すぐにベッドが激しく軋みだし、石原が低く苦しげな声を上げる。
「痛いか?」
「優しくするな。あんたらしくない」
「やるなら気持ちがいい方がいいだろ」
「だったらあんたの気持ちのいい抱き方をすればいい」
「先生の声も聞きたい」
「悪趣味め」
相変わらず不仲な会話が続く。しかし、かちりとあっている視線はお互い濡れている。石原は雄を欲して、桐生は目の前の獲物を狙うように。遅くに始まった肉体の重なりは、朝方近くまで続いた。
二時間ほどの睡眠をとった石原が目覚めると、桐生はまだ眠っている。規則的に肩が上下している。意図的に体を重ねて初めて迎える二人の朝。石原は天井を見上げ、自分に呆れてしまう。40を過ぎて性欲に負けたのだ。絶対に身体を許したくない相手だったのに、最近では桐生のおせっかいとも言える優しさに触れて絆されてしまっていた。それでも、指輪の件は絶対に話さないと心に決めている。隣で眠る男の顔を覗き込む。いつものような強面ではない。
「意外に穏やかな寝顔なんだな」
生徒を見るように頬が緩んでしまう。しかし、眉間にかすかに入った皺が、仕事の多忙さを物語っている。彼の職種を思い出し、石原は、静かにベッドを抜け出し、リビングに置いてあるテーブルの上で光る指輪を拾った。指輪は燃え上がっていた二人とは正反対に冷たい。
「……これが他人の結婚指輪だと知ったらあんたはどう思う」
指輪を元の場所に置く。
「いや、まだ肉体関係があったと決まったわけじゃない。確かめないと」
石原は、スマホの電話帳を開き、ある人物の電話番号を表示した。まだ電話をかける時間ではない。しかし、必ず今日こそかけると決意し、もう一度寝室へ戻った。ベッドの下で二本のネクタイが絡み合っている。自分のを引き抜き「ほんと、何してんだろな、いい歳して」とさらに自分の感情を消し去った。
「降りないのか?」
「降りるよ。さっさと寝たい」
悪態をつくが、その声は力が篭っていない。
「どうした」
「……寄ってくか」
自分の口からついて出た言葉は、甘い吐息混じり。言ったはいいものの返事が怖くて「やっぱりなんでもない」と逃げるようにドアを開けた。
「寄ってもいいのか?」
「指輪のことは何も話す気はないけどな」
「だったら何故……」
そこまで言いかけた桐生は、街頭の明かりでも分かる石原の真っ赤な耳を捉え、口を閉じる。そして「分かった。とりあえず車を置く場所探さねえと」とハンドブレーキを解除する。石原が求めているものを理解した男は、時間がかかると見越して、車を発進させた。
「来客用の駐車場があるから、そこに」
「分かった」
その後はお互い無言だった。部屋に入ってすぐ、桐生は石原のネクタイを掴み、引き寄せる。
「こういうことであってるよな」
「……ああ」
石原も桐生のネクタイを緩め、僅かな身長差を利用して、理解の早い刑事を見上げた。嫌味の応戦をしていた相手とのあり得ない空気と時間。ゆっくりと唇が重なり合い、貪るようなキスへと変わっていく。力なく、廊下に面したドアを指差せば、なだれ込むように、男たちは寝室へと消えていく。すぐにベッドが激しく軋みだし、石原が低く苦しげな声を上げる。
「痛いか?」
「優しくするな。あんたらしくない」
「やるなら気持ちがいい方がいいだろ」
「だったらあんたの気持ちのいい抱き方をすればいい」
「先生の声も聞きたい」
「悪趣味め」
相変わらず不仲な会話が続く。しかし、かちりとあっている視線はお互い濡れている。石原は雄を欲して、桐生は目の前の獲物を狙うように。遅くに始まった肉体の重なりは、朝方近くまで続いた。
二時間ほどの睡眠をとった石原が目覚めると、桐生はまだ眠っている。規則的に肩が上下している。意図的に体を重ねて初めて迎える二人の朝。石原は天井を見上げ、自分に呆れてしまう。40を過ぎて性欲に負けたのだ。絶対に身体を許したくない相手だったのに、最近では桐生のおせっかいとも言える優しさに触れて絆されてしまっていた。それでも、指輪の件は絶対に話さないと心に決めている。隣で眠る男の顔を覗き込む。いつものような強面ではない。
「意外に穏やかな寝顔なんだな」
生徒を見るように頬が緩んでしまう。しかし、眉間にかすかに入った皺が、仕事の多忙さを物語っている。彼の職種を思い出し、石原は、静かにベッドを抜け出し、リビングに置いてあるテーブルの上で光る指輪を拾った。指輪は燃え上がっていた二人とは正反対に冷たい。
「……これが他人の結婚指輪だと知ったらあんたはどう思う」
指輪を元の場所に置く。
「いや、まだ肉体関係があったと決まったわけじゃない。確かめないと」
石原は、スマホの電話帳を開き、ある人物の電話番号を表示した。まだ電話をかける時間ではない。しかし、必ず今日こそかけると決意し、もう一度寝室へ戻った。ベッドの下で二本のネクタイが絡み合っている。自分のを引き抜き「ほんと、何してんだろな、いい歳して」とさらに自分の感情を消し去った。
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