上 下
10 / 34

第十話

しおりを挟む
 石原はアパートの前で車が止まると同時に、自身の心臓が早鐘を打ち始めた。なかなか降りることができない。
「降りないのか?」
「降りるよ。さっさと寝たい」
 悪態をつくが、その声は力が篭っていない。
「どうした」
「……寄ってくか」
自分の口からついて出た言葉は、甘い吐息混じり。言ったはいいものの返事が怖くて「やっぱりなんでもない」と逃げるようにドアを開けた。
「寄ってもいいのか?」
「指輪のことは何も話す気はないけどな」
「だったら何故……」
 そこまで言いかけた桐生は、街頭の明かりでも分かる石原の真っ赤な耳を捉え、口を閉じる。そして「分かった。とりあえず車を置く場所探さねえと」とハンドブレーキを解除する。石原が求めているものを理解した男は、時間がかかると見越して、車を発進させた。
「来客用の駐車場があるから、そこに」
「分かった」
 その後はお互い無言だった。部屋に入ってすぐ、桐生は石原のネクタイを掴み、引き寄せる。
「こういうことであってるよな」
「……ああ」
 石原も桐生のネクタイを緩め、僅かな身長差を利用して、理解の早い刑事を見上げた。嫌味の応戦をしていた相手とのあり得ない空気と時間。ゆっくりと唇が重なり合い、貪るようなキスへと変わっていく。力なく、廊下に面したドアを指差せば、なだれ込むように、男たちは寝室へと消えていく。すぐにベッドが激しく軋みだし、石原が低く苦しげな声を上げる。
「痛いか?」
「優しくするな。あんたらしくない」
「やるなら気持ちがいい方がいいだろ」
「だったらあんたの気持ちのいい抱き方をすればいい」
「先生の声も聞きたい」
「悪趣味め」
 相変わらず不仲な会話が続く。しかし、かちりとあっている視線はお互い濡れている。石原は雄を欲して、桐生は目の前の獲物を狙うように。遅くに始まった肉体の重なりは、朝方近くまで続いた。
 二時間ほどの睡眠をとった石原が目覚めると、桐生はまだ眠っている。規則的に肩が上下している。意図的に体を重ねて初めて迎える二人の朝。石原は天井を見上げ、自分に呆れてしまう。40を過ぎて性欲に負けたのだ。絶対に身体を許したくない相手だったのに、最近では桐生のおせっかいとも言える優しさに触れて絆されてしまっていた。それでも、指輪の件は絶対に話さないと心に決めている。隣で眠る男の顔を覗き込む。いつものような強面ではない。
「意外に穏やかな寝顔なんだな」
 生徒を見るように頬が緩んでしまう。しかし、眉間にかすかに入った皺が、仕事の多忙さを物語っている。彼の職種を思い出し、石原は、静かにベッドを抜け出し、リビングに置いてあるテーブルの上で光る指輪を拾った。指輪は燃え上がっていた二人とは正反対に冷たい。
「……これが他人の結婚指輪だと知ったらあんたはどう思う」
 指輪を元の場所に置く。
「いや、まだ肉体関係があったと決まったわけじゃない。確かめないと」
 石原は、スマホの電話帳を開き、ある人物の電話番号を表示した。まだ電話をかける時間ではない。しかし、必ず今日こそかけると決意し、もう一度寝室へ戻った。ベッドの下で二本のネクタイが絡み合っている。自分のを引き抜き「ほんと、何してんだろな、いい歳して」とさらに自分の感情を消し去った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ずっと女の子になりたかった 男の娘の私

ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。 ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。 そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

昭和から平成の性的イジメ

ポコたん
BL
バブル期に出てきたチーマーを舞台にしたイジメをテーマにした創作小説です。 内容は実際にあったとされる内容を小説にする為に色付けしています。私自身がチーマーだったり被害者だったわけではないので目撃者などに聞いた事を取り上げています。 実際に被害に遭われた方や目撃者の方がいましたら感想をお願いします。 全2話 チーマーとは 茶髪にしたりピアスをしたりしてゲームセンターやコンビニにグループ(チーム)でたむろしている不良少年。 [補説] 昭和末期から平成初期にかけて目立ち、通行人に因縁をつけて金銭を脅し取ることなどもあった。 東京渋谷センター街が発祥の地という。

警察官は今日も宴会ではっちゃける

饕餮
恋愛
居酒屋に勤める私に降りかかった災難。普段はとても真面目なのに、酔うと変態になる警察官に絡まれることだった。 そんな彼に告白されて――。 居酒屋の店員と捜査一課の警察官の、とある日常を切り取った恋になるかも知れない(?)お話。 ★下品な言葉が出てきます。苦手な方はご注意ください。 ★この物語はフィクションです。実在の団体及び登場人物とは一切関係ありません。

性的イジメ

ポコたん
BL
この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。 作品説明:いじめの性的部分を取り上げて現代風にアレンジして作成。 全二話 毎週日曜日正午にUPされます。

思春期のボーイズラブ

ポコたん
BL
この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。 作品説明:幼馴染の二人の男の子に愛が芽生える  

いろいろ疲れちゃった高校生の話

こじらせた処女
BL
父親が逮捕されて親が居なくなった高校生がとあるゲイカップルの養子に入るけれど、複雑な感情が渦巻いて、うまくできない話

僕の部屋においでよ

梅丘 かなた
BL
僕は、竜太に片思いをしていた。 ある日、竜太を僕の部屋に招くことになったが……。 ※R15の作品です。ご注意ください。 ※「pixiv」「カクヨム」にも掲載しています。

処理中です...