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第十六話
しおりを挟む桐生が小説サイトを開いたのは深夜の自宅でだった。机にはカップ酒がいくつかからになっている。普段ビールを飲む男の頬は染まり、目もしっかりと開いていない。そうでもしなければ、好きな男が開発されている小説を読むことはできない。
「仕事だ」
そう言い聞かせて、サイトを開く。
小説の冒頭は主人公による男の紹介から始まる。つまり糸川自身が知っている石原のことが小説風に書かれているのだ。始まりは、柄の悪い先輩教師に酒を無理矢理のまされている後輩教師。その後輩教師の代わりに石原が全て飲み干すという内容だった。
「あいつ、昔からお人好しなんだな」
解散するまでは気丈に振る舞っていた石原が、解散後、急におぼつかなくなり、糸川が近くのビジネスホテルに連れ込んでいる。この時、糸川にまだ開発の意思はなく、翌日、記憶を飛ばしていた石原を見て、開発していくことを決意している。思考が犯罪者のそれだ。
そこまで読み、桐生は酒をもう一本開け、飲み干した。
二話目からは、個人的に食事に誘い、「媚薬」を酒に混入した上で大量に飲ませるという、最後まで使われたであろう手口が登場する。この「媚薬」と表記されているものが、どのような種類の薬かは分からない。しかし、飲んだ後、石原が徐々に様子を変えていく様が詳しく描写されていた。甘い香りのことも書いてある。桐生が店で体験した通りのことだった。そしてホテルへと担ぎ込まれる。いよいよ石原が抱かれてしまうと思い、桐生は冷蔵庫をあさりに行ったが、逃げの酒は尽きていた。乱暴に冷蔵庫を閉め、その場に座り込み、読み進める。
最初は、乳首の開発から。玩具を使い、じっくり快楽を刻み込んでいる。開発の5回目には、フェラをさせ、ある程度すると、ようやくアナルの開発に取り掛かっていた。
「……」
まだしたことのない玩具を使う行為に、独占欲が溢れる。しかし、桐生が危惧している所謂「本番」というものがなかなか話に登場しない。いつまで経っても、糸川は石原に自分の雄を挿入しようとはしない。気づけば、二十話近くまで読み終わっていた。
二十一話。桐生の知っているものが登場する。指輪だ。いつまで経っても微塵も記憶に残っていない石原にやきもきするという、常識ではあり得ない感覚を糸川が抱き、わざと自分の指輪を石原のジャケットのポケットに忍び込ませている。
「あっ」
スマホの画面には、捜査会議で提示された最新話が出てきた。
「てことは、指輪の後に不祥事発覚か」
指輪は、別の形で他の男たちを翻弄することになった。
桐生は、酒ではなくコップに水を注いで、喉を潤す。ゴクゴクと飲みながら、不埒なことを考えていた。
「……先生にとって、初めての男は俺なのか」
完璧な初体験とは言えない。だが、この小説が正しければ、男との初めての性行為の相手は、桐生ということになる。
「くそ……こんな時に何考えてんだ俺は……」
犯罪捜査に余計な喜びが見え隠れする。しかし、それも束の間、スマホを閉じようとした瞬間、小説が更新された。桐生は、邪念を吹き飛ばし、内容に目を通した。
「……っあの、お人好し教師!」
桐生は、スウェットのまま自宅を飛び出した。タクシーを捕まえ、行き先を告げる。タクシーの中で、落ち着いてもう一度内容を確認する。
最新話の内容は、石原が「昨日途中で抜けたお詫び」にと、糸川を呼び出し、糸川は昨日できなかったことを実行すべく、薬を混入させ大量の酒を飲ませるいつもの手口を使っている。今までと違うのは、キスマークに対する激しい嫉妬だ。誰か分からない人物がつけたキスマークに、主人公は男に、別の相手がいると確信し、キスマークの上に自分の唇を押し当て、歯を立てながら吸い付いている。描写が恐ろしく、誤字もある。怒りに任せて書いているのがヒシヒシと伝わってくる。
「お客さん、着きましたよ」
タクシーの運転手に言われ、ハッと顔を上げると、石原のアパートの前にいた。提示された金額を払い、部屋までの階段を駆け上がる。インターホンを押すが、出てこない。在宅の気配ものない。昨日の小説の更新時間を確認すると、桐生が石原を連れ出したすぐ後に更新されている。糸川の性格なのか、すぐに小説を書き更新しているようだ。
「まだ、二人ともホテルにいんのか……どこだ、どこのホテルだ」
自身も怒りで我を見失っていることに気づかない。拳を振り上げ、石原の部屋のドアを思い切り殴る音だけが、虚しく反響する。
しばらく待っても石原は帰ってこなかった。一度帰宅しようか迷った桐生だったが、いつ帰ってくるか分からない男を待ち続けた。結局、石原が帰ってきたのは、朝方だった。ドアの前に座り込み、仮眠をとっていた桐生は肩を揺さぶられて目を覚ました。視界には待ち望んだ男がうつっている。
「こんな所で寝るな。通報されるぞ」
「どこに行ってたんだ」
「どこでもいいだろ。それに、もう関わるなって言っただろ」
呆れた声を出す教師は、桐生に中に入るよう促す。
「入れてくれんのか」
「入れなかったら、ドアを壊されるんだろ。入れた方がマシだ」
明け方の部屋はほんのり水色を帯びている。石原はだらしなく垂れたネクタイをベッドに放ると、新しい着替えをクローゼットから取り出した。
「着替えてもいいか?」
「どうぞ」
着替えを淡々とこなす石原を桐生はじっと観察する。ワイシャツのボタンを外そうとした手がハッと止まる。
「桐生さんは今日休みなのか? 部屋着じゃないか」
「仕事だよ」
「なら帰って着替えなよ。スウェットのあんたは締まりがない」
会話を無理に続け、着替えを進めようとしない。
「着替えろよ。男の上半身なんて隠すもんでもないだろ。それに先生の素っ裸なんてもう見てる」
「けどまじまじ見るもんじゃないだろ」
石原は着替えを持って、脱衣場に逃げようとする。
「待てよ」
後ろから強く抱きしめ、キスマークの上あたりに唇を当てる。あの甘い香りと、石鹸の香りがする。
「着替えようとしてたみてえだけど、シャワー浴びないのか?」
「……」
「それとももう浴びた後か?」
鼻を擦り付けると、石原の体が跳ねる。手をボタンにかけ、一つずつ外していく。
「まだ朝の5時だぞ」
「盛ってねえよ」
「嘘をつくな」
石原の手が桐生の下半身に触れる。固くなっている。
「これは、ちがう」
石原から微かに漂う甘い香りのせいだ。
「……まだ匂うか? 俺から変な匂いがするんだろ?」
「……ああ」
「そうか。どんな薬飲まされてるんだろな、俺は」
桐生は、石原が想定外の範囲まで自分の状況を理解していることに胸が苦しくなった。キスマークを確認する手を止める。石原が後ろを振り返る。
「しないのか?」
力の篭っていない手に、石原の手が重なる。
「俺は、したい。まだ抜けてない」
「さっきまで着替えに恥じらい見せてたくせに」
「隠そうと思ったけど諦めた。どうせもう気づいてるだろうし。得意分野だろ、こういうの。仕事熱心で困るな」
「ある程度は。でも、あんたは、どうやって知ったんだ」
「ん? ああ、桐生さんをヒントにさせてもらった」
「俺?」
「動画を撮った。桐生さんも確実な証拠のためにしただろ? 糸川主任との間に何かしら関係があると思ったから……昨日、食事の席から最後までスマホでこっそり撮影したよ。飲み物に何か混ぜられているのは、勘弁して欲しいな」
「最後って……」
「最後は最後だ。あんたも知っての通り、見るに耐えない俺の発情っぷりだよ。あんなになるまでされたのに、何で気づかなかったんだろうな」
今回は、糸川が嫉妬にかられ、証拠を残した。指輪を忍び込ませたあたりから、糸川としては気づいて欲しかったのだから、もう隠す必要がないということなのだろう。
「無茶してんじゃねーよ」
「してない」
石原は「もういいだろ」と細く息を吐きながら、自分で衣服を脱ぎ去った。
「背中、気にしないでくれ。好きに抱いてくれていい」
そう言って、あの日のように、スウェットの上から桐生の雄にしゃぶりついた。薬が抜けきれていない石原は、すぐに堕ちていく。陽が昇り、明るくなり始めた部屋で、男同士が激しく絡み合う。後背位で攻めたてると、石原は天を仰ぎなら果てていく。桐生はカーテンの隙間から差し込んだ朝日で照らされた石原の背中に視線を落とす。
自分のつけたキスマークは鬱血して赤黒くなっている。周りには歯形。さらに、背中にはおびただしい数のキスマークが挑発するように広がっていた。
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