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第二十九話

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 時計の針が19時を回ったころ、萎れた桐生が刑事課に現れ、佐藤は「やらかしたな」と呆れた声を出した。佐藤はラーメン屋の後どうなったのか尋ねた。  
「実は──」
 全てを聞き終え、ラーメン屋から無理矢理連行しなかったことを後悔した。
「この、クズ!」
「どうしたらいい?」
「とりあえずそこに正座しろ!」
「他に何かアドバイスはねえのかよ!」
 悪態をつきながらも、自分に非があると分かっている桐生は冷たい床の上に正座した。
「言っただろ、お前にまともなアドバイスしても実行できる気がしないって。実際また喧嘩しているじゃないか! それに性犯罪の被害者になんてこと言ってるんだ! お前が新聞に載るぞ!」
「年齢も詐称した」
「はあ?!」
「先生と同い年っていっちまった」
「何ですぐばれるような嘘ついた!」
「だって、先生が年下とは付き合わないって言うんだぜ?!」
「未成年立ち入り禁止の場所で18歳が成人済みって嘘つくのと同じくらい低レベルだな!」
「未成年と成人じゃ全く違うだろ! おっさんが6歳さばよんだぐらいいいじゃねえか!」
「年下と付き合わないって言ってる人間に6歳も詐称するって重罪だぞ!」
 土下座をしている同期を見下ろし、佐藤は椅子をデスクの方へクルッと回した。古い背もたれによりかかると。キィと嫌な音がする。
「お前が35歳だって知ったら先生落ち込むだろな。嘘つかれたんだからさ。そしたらもう、本気でお前のこと嫌いになるんじゃね?」
「……」
「職場の男には酒と薬を飲まされて犯され続け、ようやく平和が来たってのに、今度はそれを助けた刑事が年齢詐称して自分とベッドを共にしていたなんて先生が知った暁には……」
「……」
「二度とお前には会わないだろな」
 静かに鉄槌を零す。佐藤は、さすがに言い過ぎたかと、横目でちらりと桐生を見た。
「……どうしたらいいんだ」
 犯人をすごませる鋭い目つきを持っているはずなのに、今はこの世の終わりのように瞳が遠くを見ている。
「本当に気持ち悪いな。そんなになるまで好きなら最初から告白すればよかったんだ」
「したのに通じていなかった」
「お前のは告白に入らん!」
 そう言い放った佐藤は刑事課を出て行った。しばらくして戻ってきた彼の手には数枚の紙。それを桐生のデスクに叩きつけた。
「これが最後だ。お前の好きにしろ」
 桐生は佐藤に「読め」と目で訴えられる。
「何だこれ」
 研修実施要項と内容、そして申込用紙だった。
「青少年の指導に関わる職員の研修会? 刑事の俺が何でいかなきゃなんねえんだ」
「補導された青少年のカウンセリング術を学べるそうだぞ」
「あのなあ、俺が高等学校の連絡会に行っているのは人数合わせなだけで、少年課に異動したいわけじゃないんだ」
「だったら俺が変わってやろうか?」
「そこまで言ってないだろ」
「はいはい。とりあえずそれに行け。あとよく読め」
「……ッ!?」
「気付いたか。参加資格者の欄、「警察職員、小・中・高等学校教師」って書かれてるだろ。あとは自由にしろ。俺はもう知らん」
 佐藤は「資料室に行ってくる。桐生の辛気臭い表情見てると仕事が捗らない」と席を立った。資料室での仕事を終え、刑事課に戻る途中、喫煙室で誰かに電話をかける桐生を見て「さっさとけりつけろ」とぼやいた。

***

 喫煙室の桐生は今か今かと電話に石原が出るのを待っていた。
『もしもし』
 不機嫌そうな声が出た
「さっきのことなんだが……」
『しつこいな。もう気にしてないからかけてくるな』
「悪かったって」
『気にしてない』
 石原の声は冷たい。桐生は言葉を慎重に選ぶ。だが、いつも喧嘩腰のせいで、優しい言葉が見つからない。
「……」
『今度は何の用だ』
 石原がくれたラストチャンス。研修会のことを伝えると、石原は少し考えた後「うちにもそんな案内来てたな」と思い出していた。
『他の先生も誘ってみるか』
「ダメだ」
『なんでだ』
「他の先生って生徒指導部なんだろ?」
『そこに限定する気はない』
「……あいつくんのか?」
『あいつ? ああ、神崎先生?』
「そうだ」
『言えば来るだろうけど。強制はしない。いやでもあいつのことだから言えば来るかも。けどなぁ……』
 石原と桐生の心配事は違う。石原は上司に言われて強制参加を匂わすことが嫌。桐生は他の教師が来て二人になる時間を奪われることが嫌だった。
「そもそも平日だけど大丈夫なのか? 俺は非番だけど先生は年休とらないといけないだろ?」
『その日はテスト期間中だし、出張扱いになる。部活も中止だし、生徒も午前で帰るから午後はフリーだ』
「だったら、研修の後は直帰か?」
『それも可能だけど……どうするかな……たまには直帰でもいいけど、仕事を早めに終わらせるために戻るのもありだな』
「直帰にしろよ」
『どうして』
「さっきの件があるからだ。ちゃんと詫びを」
『だから良いって言っているだろ』
 石原は頑なに拒む。いつもより意志が固い。桐生は焦燥感に襲われた。どうにか石原と自分を繋ぎたい。学習した男は「抱きたい」以外の言葉を探した。
「会いたいんだ」
『ッ!?』
「会って話したいことがある」
『電話じゃダメなのか?』
「直接じゃないと意味がない。今すぐあって話したいけど、テストが迫ってんなら忙しいだろ?」
 石原は生徒指導主事には珍しい数学科の教師。試験前には生徒から質問攻めにあい帰宅がいつもより遅くなることを桐生は知っている。
『助かるよ』
 石原の声は重たい。すでに連日質問攻めにあっているのが分かる。桐生は用件だけ済ませると電話を切った。
どうにかこうにか会う約束は取り付けた。研修を餌にしてしまった自分の臆病さに頬をかきながらも、小さくガッツポーズした。
 だが、ことはそう上手く行かない。研修当日、午前だけ出勤した桐生。一日休みを取っていたのに、家にいればソワソワしてしまい、仕事で紛らわそうとした自分を責めた。
 警察署の横の職員駐車場にトラックが突っ込んだのだ。しかもトラックの下では桐生の愛車が見る無惨なことになっていた。
「警察呼びますね」
「いや、俺が警察だ」
 気が動転している運転手はここが警察署の駐車場なのにおかしなことを言う。
桐生は隣の署に電話をかけた。電話をかけながら腕時計を見る。事故処理が最短で終わると仮定し、車で裏道を行けば間に合う時間。しかしその車はトラックの下で潰れている。タクシーか電車なら確実に遅刻だ。
 桐生は遅刻する旨を石原に電話で伝えた。
『俺も遅れるかもしれない』
「何かあったのか?」
『大したことじゃないよ。テスト期間中にはよくあることさ』
「カンニングか」
『そんなところだ』
 要件を伝え終えたのに石原は電話を切らない。
『……桐生さんがよければ俺の車で行かないか?』
 天は桐生を見離していなかった。
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