28 / 34
第二十八話
しおりを挟む一番いて欲しくない寝室は廊下に面していて、ドアが開け放たれていた。明かりはついておらず人もいない。桐生はリビングのドアを勢いよく開ける。ドアが壁に跳ね返り激しい音を立てる。
リビングにいたのは革靴の持ち主達──石原と神崎は、桐生の登場と部屋を震わせるドアの音に肩を跳ねさせた。
「何、してんだッ」
激しい登場の仕方をした桐生は跳ね返ってきたドアを殴った。
二人はソファーにいた。石原はソファーに腰かけ、神崎はその下で膝立ちになり、石原のベルトを外していた。桐生の登場に驚くも、余裕を醸し出して不敵に笑う神崎は、石原の腰に抱きついた。
「見てわかるでしょ。先生を抱こうとしているんですよ」
石原は神崎の腕から逃れようと身体を逸らす。
「逃げないでください、先生」
「悪い……教え子とはできない」
「どうしたんですか急に」
「……」
「付き合っている人でもいるんですか?」
「付き合っている人はいない。でも……」
「でも、なんですか?」
俯く石原。桐生は拳を握りしめた。はっきりしない石原に、神崎は確信をつく。
「先生、もしかしてこの刑事さんと関係があるわけじゃないですよね?」
「あるわけないだろ」
「ですよね。だってこの人、いつも連絡会で先生に意地悪なことばかりしてますもん。さっきだって路地裏に無理矢理つれてくし」
「お前から見るとそうかもしれないけど、桐生さんはいい人だ。警察官として立派だし、何より俺たちに補導のあり方や、非行防止についていろいろ教えてくれる」
道徳を諭すように、石原は桐生について優しくそして熱く語った。
「だからって無理矢理酒つがせたり、酷いこと言っていいわけじゃありません」
「俺も言い返している。それなのに俺の生徒指導にも理解を示してくれる。厳しいとかいじわるな人じゃない。優しくて芯のある人間だ」
どうにか桐生の悪い印象を払拭しようとする石原。予想外の反撃に神崎は苛立ち、回している腕に力を込めた。
「とにかく俺は先生が好きです。誰にも渡しません。ダメですか?」
「だから教え子とはそういう関係になれないって言っているだろ」
「やってみなきゃ分かりませんよ。好きです先生。教え子とかじゃなくて男として俺を見てください」
桐生が言い渋っている言葉を神崎は意図も簡単に石原に伝えた。
「そう言われてもなあ……教え子なのは教え子なわけだし。歳だって離れているだろ」
「関係ありません」
「無理だ」
それでも神崎は諦めなかった。薄く口を開き「先生」と囁く。ソファーに手をつき、もう片方の手は石原のネクタイを外そうとしている。
「そこまでだ」
神崎の身体が浮き、石原から引きはがされた。桐生が神崎の襟を掴んでいる。
「強姦未遂の現行犯で逮捕されたくなけりゃ、さっさと出ていけ」
放たれた声は、桐生が糸川教務主任に強姦されていた現場に乗り込んで来た時と同じ声色。
「今、先生ははっきりあんたを拒否した。それでも無理矢理行為に及ぼうってんなら警察の世話になる覚悟をしろ」
桐生の目つきは相手の口を開かせないほど鋭かった。瞳孔が開き、怒りの威圧が部屋中を圧迫し窒息しそうだ。石原は、神崎の身の危険を感じた。
「神崎、今日は帰れ」
「でも先生、俺はッ」
「帰れ帰れ。それとも上司への強姦未遂で免職にされたいか?」
桐生は、犬でも払うかのように神崎に手を振った。その手を石原が叩く。そして神崎の手首を掴んだ。
「行くぞ。大通りまで送ってやる」
「子どもじゃないんだから一人で帰せ!」
聞く耳を持たない石原は神崎を連れて玄関へ。
「おい、先生!」
最後まで教え子につけいる隙を与えてしまっている石原を引き留めようとする桐生。それに対し、石原はようやく足を止め、振り返った。その顔は歪んでいる。
「大切な教え子なんだ。何かあったら困る。だから途中まで送らせてくれ。頼む」
石原は懇願した。教え子を大切にしたいという心からの想いが顔に出ていた。
「……遅かったら迎え行くぞ」
「ああ、分かった」
桐生はなくなく二人を見送った。
外に出た石原は短時間で押し寄せた心労のせいで重たくなった首を回した。
「悪かったな」
「本当に付き合っていないんですか?」
「本当だ」
「そんな感じには見えませんでした。少なくとも刑事さんは先生が好きなんじゃ」
「それはない」
石原は断言した。
「なら……先生が刑事さんを好きとか?」
石原はもう一度首を大きく回した。
「……人間としては好きだ」
「それだけ?」
今度は肩を揉む。
「それだけだ」
「じゃあ、まだ俺にもチャンスありますよね?」
「ない」
神崎は不服そうな表情を浮かべる。
「最初俺と二人で家にいる時は、はっきり断らなかったじゃないですか。なのにあの刑事さんが来た瞬間俺を拒みだした」
「最初から抵抗していただろ」
「形だけね。でも先生の力ならベルトに触れさせないこともできたでしょ?」
「教え子が怪我しちゃいかんだろ」
神崎は、桐生が来てからあからさまに態度の変わる石原にやきもきする。
「本当に何もないんですね?」
「ない」
道に転がる小石を石原は蹴った。神崎は側溝に落ちてしまったそれを見送る。
「だったらやっぱり諦めません。今日はこれで失礼します。また学校で」
「言っとくが学校で変なことしてくるなよ」
「してほしいんですか?」
石原は神崎の額を小突いた。学生時代から敵わぬ恋をしてきた教え子はそれだけで嬉しそうに微笑む。
「あーあ、いけると思ったのにな。先生、家にも入れてくれたし、抵抗もしないんだもん」
「家で飲みたいって言うからだろ。それに最初は驚いてどうすればいいか分からなかったんだ」
「さっきは「教え子に怪我させられない」って言ったのに」
「……どっちも含めて抵抗できなかったんだ。上げ足をとるな。ここまででいいな? 気を付けて帰れよ」
神崎は社会人らしく一礼した。そして帰りのホームルームを彷彿させるように「さようなら!」と元気な声で言って踵を返した。
立派な教師。しかし高校生だった時の面影を残す神崎の背中が見えなくなるまで石原はその場にいた。見えなくなると真実を吐露した。
「……魔が差した……なんて言えるわけないよな」
教え子だから関係が持てないという頑固な意思は崩れかけていた。その原因は桐生の同期・佐藤の存在だった。店を出てすぐ、佐藤が桐生に「俺の目の届くところにいろ」と言った瞬間、胸がざわついた。冷静に考えれば荒れた桐生を監視する意味だったのかもしれない。しかしあの時の石原には佐藤が桐生を独占しているように見えた。それもあって路地裏で「あの刑事と仕事に行けばいい」と突き放した。
「セフレを独占したいだなんて馬鹿げてる。まるで俺が桐生さんを……」
認めたくない想いを飲み込む。桐生が待つ家に帰る気にもなれず、近くの自販機で缶コーヒーを買い、口をつけては離すを繰り返した。
「おい」
振り返ると咥え煙草で立っている桐生がいた。機嫌が悪そうにジャケットを肩にかけて持っている。
「帰るのか?」
「ちげーよ。迎えに行くって言っただろ」
「まだそんなに時間経ってないだろ」
「もう20分は経った」
「過保護か」
「お人好しなあんたを見張るには、過保護位がちょうどいいかもな」
「教え子とだけはありないって言ってるだろ」
「他のやつならありえるのかよ。俺意外でも」
「不特定多数と? それは桐生さんのことだろ」
「?」
「いや、今のは忘れてくれ」
「おい、気になるだろ。どういう意味だ」
「別に! とりあえず俺は教え子、というかそもそも年下と関係を持つことはない! 年下に抱かれるなんてまっぴら御免だ!」
桐生の頬がピクリと痙攣する。石原はそれを見逃さなかった。
「桐生さん、俺より年下なのか?」
「……いや、同い年だ」
「絶対嘘ついただろ! 免許証見せろ!」
「も、持ってねえよ!」
「いいから見せろって!」
「持ってないって言ってんだろ! あっ、名前も見る気だな?!」
石原はいまだに桐生の名前にたどり着いていなかった。
「俺の名前を知りたいって言えば、免許証を見せるか考えてやる」
「どうせ考えるだけなんだろ」
「ちっ」
睨み合いが続く。
「神崎も帰ったことだし、桐生さんも帰ればいいだろ。大体何しに来たんだ」
「何って……」
「そんなにしたいのか?」
やるだけの関係は桐生の望むものではない。抱きたいがここはぐっと我慢した。その代り、我慢した分、強烈な一言を石原に放ってしまう。
「は? なわけねえだろ! 無防備な先生がまた強姦されないか心配で来ただけだ! 仕事増やされちゃたまったもんじゃないからな!」
「……」
「……やっば」
気付いた時には遅かった。佐藤の鬼の形相が脳裏を掠める。石原は肩を震わせ足早に家へ。追いかけた桐生だったが、鼻先でドアを閉められて終わった。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
性的イジメ
ポコたん
BL
この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。
作品説明:いじめの性的部分を取り上げて現代風にアレンジして作成。
全二話 毎週日曜日正午にUPされます。
僕の部屋においでよ
梅丘 かなた
BL
僕は、竜太に片思いをしていた。
ある日、竜太を僕の部屋に招くことになったが……。
※R15の作品です。ご注意ください。
※「pixiv」「カクヨム」にも掲載しています。
馬鹿な先輩と後輩くん
ぽぽ
BL
美形新人×平凡上司
新人の教育係を任された主人公。しかし彼は自分が教える事も必要が無いほど完璧だった。だけど愛想は悪い。一方、主人公は愛想は良いがミスばかりをする。そんな凸凹な二人の話。
━━━━━━━━━━━━━━━
作者は飲み会を経験した事ないので誤った物を書いているかもしれませんがご了承ください。
本来は二次創作にて登場させたモブでしたが余りにもタイプだったのでモブルートを書いた所ただの創作BLになってました。
部室強制監獄
裕光
BL
夜8時に毎日更新します!
高校2年生サッカー部所属の祐介。
先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。
ある日の夜。
剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう
気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた
現れたのは蓮ともう1人。
1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。
そして大野は裕介に向かって言った。
大野「お前も肉便器に改造してやる」
大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる