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最終章 Gentleman & Sun
最終話 冬のヒマワリ
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ラクサスは残りの滞在期間、日本を十分に満喫した。1度福岡を離れ、東京と大阪を巡り、帰国直前に福岡へと戻ってきた。
そしていよいよ帰国の日。
ラクサスの願いで春人も空港へと見送りに来ていた。
相変わらずアルバートの車の助手席には乗れない。しかしそれはラクサスの嫉妬ではなく、彼が最後に春人とはしゃぎたくて、後部座席に誘ったのだった。
見送りができるギリギリのロビーまできた三人は、ようやく別れの雰囲気を滲ませだした。
しかしそれを吹き飛ばす元気な声が「また来るよ!」と言う。
「兄さんも、春人も元気で!」
「イギリスに着いたら直ぐに連絡するように。なんなら経由地でも……」
アルバートの言葉にラクサスは呆れたような顔をする。
「兄さんは心配性すぎだよ! もう前の俺とは違うんだから……兄さんも、少しは弟絶ちしないと」
来日した時よりもひとまわり精神的に成長した弟に兄は注意される。
ラクサスの中のアルバートは崩れた。だがらそれはまた違う兄を知る良い出来事になった。
それをもたらした兄の恋人をラクサスは見つめる。
「ありがとう、春人」
「何が?」
空想的な発言でラクサスを説得した春人だったが、本人はそれが常の発言なので、お礼を素直に受け取ることができない。
「色々気づかせてくれて。俺にとっての兄さんは、完璧で、何でもできて、よく考えればロボットのような人間だったかもしれない」
ラクサスがアルバートを見つめ、そして周りを歩く、自分たちと比べて背の低いアジアの人間を見渡す。
「日本は好きだ。でもやっぱり日本人の性格を全て許容はできない」
「仕方ないよ。ラクサス君はイギリス育ちなんだから。僕もアルバートで驚かされることあるし」
周りに目を泳がせていた水色の瞳が春人に向けられる。
「でも、君は素晴らしい日本人だ。必死に異国の地で戦う兄さんもかっこよかった。立ち向かう姿って不格好だと思ってたけど、全然違ってた。、それに……」
水色の球体がその中で星を煌めかせる。
「君のお陰で、兄さんのもっと素敵な顔を見ることができたよ……凄く頬が緩んだ破格の笑顔!」
「ぷっ!」
25歳のイギリス人と日本人が額を付き合わせて笑う。
それを引き離した43歳のイギリス人は「こら、ラクサス!」と不服な声を放つ。
「だって、あんな抜けた笑顔見たの初めてだったんだもの!」
ラクサスが腹を抱え、嬉しさを滲ませながらクシャクシャにしている表情こそ、この前のアルバートと同じ顔だった。
「父さんと母さんにもきちんと報告しておかないとな!」
「余計なことは言わなくていい」
「必ず伝えると約束するよ! 俺は勝手に約束をとりつける英国紳士になるつもりだ!」
陽気に冗談を飛ばすラクサスは、兄とは少し違う道をようやく歩み始める。
そしてその足も、イギリスへと向いてしまう。
「じゃ、本当に元気で。また来るよ。春人もいつか兄さんと一緒にイギリスに遊びに来て」
「帰ってきて」ではなく「遊びに来て」その言葉だけでもラクサスの変化を感じ、2人は微笑んだ。
「必ず行くよ!」
「君の天然と素直さもイギリスに連れてきてよ!」
「天然じゃないよ?」
ラクサスがまた笑う。
そして、涙目になりながら手を振って後ずさった。その涙は笑ったせいもあるが、別れの悲しみも滲ませていた。
しかし、昔の自分を置いていくように、ラクサスはとうとう行ってしまう。
「Bye!」
と元気に手を振り、春人もそれに大きな身振りで返した。
「気を付けてねー!」
千切れんばかりに手を振っていた春人の動きが止まった頃にはラクサスはもうどこにもいなかった。
「行っちゃったね」
「また会えるさ」
「うん…」
春人の声は寂しさで尻すぼみになる。アルバートが表情を確かめようと視線を下ろすと、その顔は緊張しいた。視線は保安検査場より奥、いや、それよりさらに物理的に表せないほど遠くを見ていた。
「アルバート……」
「ん?」
「連れて行って欲しいところがあるんだけど」
行先は尋ねず、春人も何も告げず、2人は車に乗り込んだ。
空港を背後に、都市高速道路に乗り、春人の指示通りの車線をアルバートは走った。
「そこを熊本方面に」
「OK」
かれこれ一時間以上がたつ。入り組んだジャンクションで春人がさらに南に行くよう指示を出す。
「そろそろどこに行くのか聞いてもいいかい?」
都心部を抜けて、高いパネルやビル、高所の看板がほとんどなくなり、景色は一気に田舎の風景になる。枯れた木々や、中央分離帯に植えられた臙脂色の常緑樹が冬なのに秋を思わせる景色を作り出している。
「まだ秘密」
窓ガラスには微かな反射で真面目な顔をした春人が写っていて、放たれる声は緊張した声色だった。よく見ると本当は違う表情をしているのかもしれないが運転中のアルバートにはそこまでは確認できない。
「やっと助手席に乗れたね」
窓ガラスに反響した声が聞こえる。
「ラクサスの事は本当に申し訳なかった」
「なんでアルが謝るの?」
「あの子がああなったのは私にも責任がある」
ようやく春人がアルバートの方を向いた。
前を見据える端正な顔は、申し訳なさを滲ませている。いつにも増してダンディーを演出している皺が深い。
「可愛くて仕方がなかった。だから甘やかしすぎたのだ」
「仕方ないよ、17歳も離れてるんだもん」
毎日一緒に居ればこうはならなかったかもしれない。しかしラクサスが物心つく頃、アルバートは家を出ていた。たまに会う大人の兄は、弟には欠点のない完璧な英国紳士だった。逆にアルバートも一緒にいれない弟が可愛くて欠点に目を向けなかったし、気がつけなかった。
「僕こそごめんね、アルが完璧じゃないなんて言って。でも悪い意味じゃないからね」
「分かっている。何回も言っているだろ? 君は私の良き理解者だ」
「それに良い事しか言ってないし」
「良い事?」
春人はラクサスの半分以下の年月しかアルバートと過ごしてはいない。しかしアルバートの弱い部分をたくさん知っている。本当は嫉妬もして、そして昔、どんな恋愛をしていたかも知っている唯一の人物だ。
(さすがにそれをラクサスには言わないとは思っていたが、他に何か悪いところがあっただろうか)
答えにたどり着けないアルバートに、春人はアルバートの本当の姿をぶちまけた。
「君のお兄さんは、恋人のエッチな声を録音したり、ストーカーしたり、チョコレートを恋人のお尻の穴で溶かしたり、あと……薔薇に嫉妬しますよとはさすがに言えないよね!」
「……まて、それは──」
「あっ! ここで降りて!」
春人が急に高速道路から降りるように指示したため反論の余地は与えられなかった。そして高速道路を降りた場所は広大な畑、背後には緑生い茂る山が広がっていて普段住んでいる場所とは別世界だった。
「しばらく道なりで……」
春人の道案内を頼りに見慣れぬ土地を進む。
「こんな遠くの場所なのにやたら詳しいのだな」
広大な畑が広がる景色を抜け、市街地に入れば、ナビに青や水色の線が大量に引いてある。
「川だろうか?」
「ここ水路が多いんだ。あっほら!」
指さす方を見れば、柳の木が左右に生い茂る幅の広い水路を、小舟が船頭によって優雅に流れていく。それはまるで……
「ヴェネチアのようだな」
イタリアの観光地を思わすような景色だった。
「川下りが有名なんだよ。僕、この隣の市に出張でよく来るんだ。家具が有名な市でさ、その帰り道にここを通るの」
「なぜこのような遠い土地に君が詳しいのか理解した」
「この交差点真っ直ぐね。 」
赤信号で止まれば、助手席の窓の奥に興味をそそるものが視界に入る。それをじっと見ていると春人もそれに気が付き目を細めた。
「へえ……グローバル教育か」
荘厳な門を構える学び舎に掲げられている教育理念の看板、それは今まさにアルバートがしているものとどこか似ていた。
「教育現場は進化しているのだな」
「進化……うん……なるほど」
何かをぶつぶつ復唱している春人はまた声が緊張しだしたが、彼の奥の学び舎の看板をアルバートは見続ける。
(この日本、そして社会で私のやり方がどこまで通用するかは分からない。田中部長のように反対するものもいるが、上にばかり目を向けるのでなく、外から入ってくるもの、そして社会のこれからを変えていくであろう若者を引っ張り、共に新しい仕組みを作っていく──そんな人間に私もなっていく必要があるのかもしれない)
田中の「若造」というあの嫌味も、今のアルバートには、自分にも飛躍するチャンスがあるのだとポジティブに受け取れる。
「アル、信号青だよ!」
これから社会を引っ張て行くであろう若い力の声で我に返る。
「むっ、すまない」
学び舎を背に前へ進めばまた広大な土地に出た。
「あそこに車を停めて。」
水路の多い市街地からはだいぶ離れたが、ここも観光地なのか、ちらほら人の姿がある。みな車を停めて同じ方向へ歩いていく。2人の横を子どもが手を引っ張って早く行こうとはしゃいでいる。
アルバートと春人も同じ方へ歩いて向かう。そこには……
「綺麗だね」
「……ああ」
目の前に広がる黄色の光景に一瞬反応が遅れる。奥の堤防に登れば正真正銘の大海原が広がっていた。
「海だな……いや、それよりも……」
大海原を背中に眼下に広がる黄色い絨毯を見下ろす。
「So beautiful.」
アルバートから感嘆の声が漏れる。
「この花、何か知ってる?」
「Sun flower……ヒマワリだったかな?」
「うん。これ、夏の花なんだよ」
夏の花──ヒマワリは、冬の冷たい大地で咲き誇っている。
「品種改良されてるんだって」
「それでこんなに咲いているのか」
ヒマワリ畑を眺める春人はそれ以上何も言わない。しかし何かを伝えようとしているのは、先ほどから握ったり開かれたりしている彼の両手が物語っている。
「春人、どうして私をここへ?」
一度強く拳が握られ、ゆっくりと開く。
「僕とアルバートもさ……」
そしてこの黄色の花にも負けない天真爛漫な黒い未来の種がアルバートの目を真っ直ぐに見つめる。
「冬のヒマワリになれたらいいなって」
春人は、真逆の季節に負けずに咲き誇る花と自分達を重ねた。
「文化も言語も違う、そして同性。普通なら一緒になるのは難しいけど、それを乗り越えてこんなふうに綺麗に咲けたらいいなって」
眼下のヒマワリがバラバラにに揺れる。
「まだまだ未熟だし、無知だし、迷惑もかけるけど……アルバートと一緒に居たい。イギリスに帰ったりしないよね?」
冷たい風がプラチナブロンドと黒髪を同じ方へと靡かせる。
「君は、自分にもう少し自信を持ってもいいと思うのだが」
「自己肯定感がないのは日本人の特性って言われそうだね」
苦笑いした春人は大海原の向こうを見る。方向は違うが今頃空にいる男を思い出しているのだろう。
「ラクサスを説得できたのは君のお陰だ」
「僕、何もしてないよ。普通に話しただけで」
「それでいいのだ。君は、そのままが一番素敵だよ。」
顔を真っ赤にした春人が堤防の階段を降りていく。アルバートが春人を追いかけると、彼はヒマワリ畑の中で足を止めていた。顔は未だ赤い。
「ヒマワリ小さいね」
春人はアルバートとヒマワリを見比べている。確かに目の前で咲くヒマワリは夏より痩せて、背丈も低い。
「まだ品種改良の途中らしい」
「いいではないか……私と君もこれからまだまだ変われるということだろ?」
「うわぁ、最後に良いところ持っていかれた。やっぱり本場の英国紳士には適わないなあ。あっ、そうだ!」
不貞腐れていた春人が、突如アルバートの腕を下に引き、2人で身を屈めた。
ヒマワリ畑で隠れた2人。その中で春人はアルバートに不意打ちのキスをした。
「へへ、どう? 驚いた?」
いつの間にか相手を驚かせる大会に変わっている春人の悪戯な笑みは冬の寒さを吹き飛ばす。
(春人らしいな……)
そして、その笑顔の熱に既視感を覚えたアルバートは、春人の隣で咲く黄色い花たちが向いている先を見上げる。
「春人」
「ん?」
「君はヒマワリというより……」
アルバートが目を細める。春人も同じ方向に目をやるが、直ぐに閉じてしまった。
「まぶしっ! 太陽、直接見ちゃダメだよ!」
それでもアルバートは瞼を完璧には下ろさない。微かに下りた瞼の裏では春人との思い出が繰り返されている。
衝撃的な一目惚れ。
一目惚れした瞬間の失恋。
それでも手に入れたいと思った
なりふり構わず口説き、落とし、愛を実らせた。
同じ空の下にいられない遠距離は、まさに相手の地を照らす太陽を求めるような本能の鬩ぎ合い。
そしてなりふり構わず手に入れた帰国は、ようやくアルバートの心に太陽を取り返した。
(黄色い花はいつかそれに手が届くだろうか。心を照らす温かな光に。私は手に入れてしまった。そして二度と離さない。それがなくては生きていけない。君は私に適わないと言うけれど……)
──私こそ、君には適いそうにないよ。やはりこれは最後の恋だ
アルバートは、地上へと視線を戻す。そこにはもう1つの太陽がいて、眩しそうに目を擦ったあと、放熱する笑顔を向けてきた。
──ああ、ここは本当に温かい場所だ。
今度はアルバートからキスを1つ落とし、幸せで目を細める。
海風に揺れたしゃがんだ2人と同じ背丈のヒマワリが、頭を垂れるように揺れた。
完結
そしていよいよ帰国の日。
ラクサスの願いで春人も空港へと見送りに来ていた。
相変わらずアルバートの車の助手席には乗れない。しかしそれはラクサスの嫉妬ではなく、彼が最後に春人とはしゃぎたくて、後部座席に誘ったのだった。
見送りができるギリギリのロビーまできた三人は、ようやく別れの雰囲気を滲ませだした。
しかしそれを吹き飛ばす元気な声が「また来るよ!」と言う。
「兄さんも、春人も元気で!」
「イギリスに着いたら直ぐに連絡するように。なんなら経由地でも……」
アルバートの言葉にラクサスは呆れたような顔をする。
「兄さんは心配性すぎだよ! もう前の俺とは違うんだから……兄さんも、少しは弟絶ちしないと」
来日した時よりもひとまわり精神的に成長した弟に兄は注意される。
ラクサスの中のアルバートは崩れた。だがらそれはまた違う兄を知る良い出来事になった。
それをもたらした兄の恋人をラクサスは見つめる。
「ありがとう、春人」
「何が?」
空想的な発言でラクサスを説得した春人だったが、本人はそれが常の発言なので、お礼を素直に受け取ることができない。
「色々気づかせてくれて。俺にとっての兄さんは、完璧で、何でもできて、よく考えればロボットのような人間だったかもしれない」
ラクサスがアルバートを見つめ、そして周りを歩く、自分たちと比べて背の低いアジアの人間を見渡す。
「日本は好きだ。でもやっぱり日本人の性格を全て許容はできない」
「仕方ないよ。ラクサス君はイギリス育ちなんだから。僕もアルバートで驚かされることあるし」
周りに目を泳がせていた水色の瞳が春人に向けられる。
「でも、君は素晴らしい日本人だ。必死に異国の地で戦う兄さんもかっこよかった。立ち向かう姿って不格好だと思ってたけど、全然違ってた。、それに……」
水色の球体がその中で星を煌めかせる。
「君のお陰で、兄さんのもっと素敵な顔を見ることができたよ……凄く頬が緩んだ破格の笑顔!」
「ぷっ!」
25歳のイギリス人と日本人が額を付き合わせて笑う。
それを引き離した43歳のイギリス人は「こら、ラクサス!」と不服な声を放つ。
「だって、あんな抜けた笑顔見たの初めてだったんだもの!」
ラクサスが腹を抱え、嬉しさを滲ませながらクシャクシャにしている表情こそ、この前のアルバートと同じ顔だった。
「父さんと母さんにもきちんと報告しておかないとな!」
「余計なことは言わなくていい」
「必ず伝えると約束するよ! 俺は勝手に約束をとりつける英国紳士になるつもりだ!」
陽気に冗談を飛ばすラクサスは、兄とは少し違う道をようやく歩み始める。
そしてその足も、イギリスへと向いてしまう。
「じゃ、本当に元気で。また来るよ。春人もいつか兄さんと一緒にイギリスに遊びに来て」
「帰ってきて」ではなく「遊びに来て」その言葉だけでもラクサスの変化を感じ、2人は微笑んだ。
「必ず行くよ!」
「君の天然と素直さもイギリスに連れてきてよ!」
「天然じゃないよ?」
ラクサスがまた笑う。
そして、涙目になりながら手を振って後ずさった。その涙は笑ったせいもあるが、別れの悲しみも滲ませていた。
しかし、昔の自分を置いていくように、ラクサスはとうとう行ってしまう。
「Bye!」
と元気に手を振り、春人もそれに大きな身振りで返した。
「気を付けてねー!」
千切れんばかりに手を振っていた春人の動きが止まった頃にはラクサスはもうどこにもいなかった。
「行っちゃったね」
「また会えるさ」
「うん…」
春人の声は寂しさで尻すぼみになる。アルバートが表情を確かめようと視線を下ろすと、その顔は緊張しいた。視線は保安検査場より奥、いや、それよりさらに物理的に表せないほど遠くを見ていた。
「アルバート……」
「ん?」
「連れて行って欲しいところがあるんだけど」
行先は尋ねず、春人も何も告げず、2人は車に乗り込んだ。
空港を背後に、都市高速道路に乗り、春人の指示通りの車線をアルバートは走った。
「そこを熊本方面に」
「OK」
かれこれ一時間以上がたつ。入り組んだジャンクションで春人がさらに南に行くよう指示を出す。
「そろそろどこに行くのか聞いてもいいかい?」
都心部を抜けて、高いパネルやビル、高所の看板がほとんどなくなり、景色は一気に田舎の風景になる。枯れた木々や、中央分離帯に植えられた臙脂色の常緑樹が冬なのに秋を思わせる景色を作り出している。
「まだ秘密」
窓ガラスには微かな反射で真面目な顔をした春人が写っていて、放たれる声は緊張した声色だった。よく見ると本当は違う表情をしているのかもしれないが運転中のアルバートにはそこまでは確認できない。
「やっと助手席に乗れたね」
窓ガラスに反響した声が聞こえる。
「ラクサスの事は本当に申し訳なかった」
「なんでアルが謝るの?」
「あの子がああなったのは私にも責任がある」
ようやく春人がアルバートの方を向いた。
前を見据える端正な顔は、申し訳なさを滲ませている。いつにも増してダンディーを演出している皺が深い。
「可愛くて仕方がなかった。だから甘やかしすぎたのだ」
「仕方ないよ、17歳も離れてるんだもん」
毎日一緒に居ればこうはならなかったかもしれない。しかしラクサスが物心つく頃、アルバートは家を出ていた。たまに会う大人の兄は、弟には欠点のない完璧な英国紳士だった。逆にアルバートも一緒にいれない弟が可愛くて欠点に目を向けなかったし、気がつけなかった。
「僕こそごめんね、アルが完璧じゃないなんて言って。でも悪い意味じゃないからね」
「分かっている。何回も言っているだろ? 君は私の良き理解者だ」
「それに良い事しか言ってないし」
「良い事?」
春人はラクサスの半分以下の年月しかアルバートと過ごしてはいない。しかしアルバートの弱い部分をたくさん知っている。本当は嫉妬もして、そして昔、どんな恋愛をしていたかも知っている唯一の人物だ。
(さすがにそれをラクサスには言わないとは思っていたが、他に何か悪いところがあっただろうか)
答えにたどり着けないアルバートに、春人はアルバートの本当の姿をぶちまけた。
「君のお兄さんは、恋人のエッチな声を録音したり、ストーカーしたり、チョコレートを恋人のお尻の穴で溶かしたり、あと……薔薇に嫉妬しますよとはさすがに言えないよね!」
「……まて、それは──」
「あっ! ここで降りて!」
春人が急に高速道路から降りるように指示したため反論の余地は与えられなかった。そして高速道路を降りた場所は広大な畑、背後には緑生い茂る山が広がっていて普段住んでいる場所とは別世界だった。
「しばらく道なりで……」
春人の道案内を頼りに見慣れぬ土地を進む。
「こんな遠くの場所なのにやたら詳しいのだな」
広大な畑が広がる景色を抜け、市街地に入れば、ナビに青や水色の線が大量に引いてある。
「川だろうか?」
「ここ水路が多いんだ。あっほら!」
指さす方を見れば、柳の木が左右に生い茂る幅の広い水路を、小舟が船頭によって優雅に流れていく。それはまるで……
「ヴェネチアのようだな」
イタリアの観光地を思わすような景色だった。
「川下りが有名なんだよ。僕、この隣の市に出張でよく来るんだ。家具が有名な市でさ、その帰り道にここを通るの」
「なぜこのような遠い土地に君が詳しいのか理解した」
「この交差点真っ直ぐね。 」
赤信号で止まれば、助手席の窓の奥に興味をそそるものが視界に入る。それをじっと見ていると春人もそれに気が付き目を細めた。
「へえ……グローバル教育か」
荘厳な門を構える学び舎に掲げられている教育理念の看板、それは今まさにアルバートがしているものとどこか似ていた。
「教育現場は進化しているのだな」
「進化……うん……なるほど」
何かをぶつぶつ復唱している春人はまた声が緊張しだしたが、彼の奥の学び舎の看板をアルバートは見続ける。
(この日本、そして社会で私のやり方がどこまで通用するかは分からない。田中部長のように反対するものもいるが、上にばかり目を向けるのでなく、外から入ってくるもの、そして社会のこれからを変えていくであろう若者を引っ張り、共に新しい仕組みを作っていく──そんな人間に私もなっていく必要があるのかもしれない)
田中の「若造」というあの嫌味も、今のアルバートには、自分にも飛躍するチャンスがあるのだとポジティブに受け取れる。
「アル、信号青だよ!」
これから社会を引っ張て行くであろう若い力の声で我に返る。
「むっ、すまない」
学び舎を背に前へ進めばまた広大な土地に出た。
「あそこに車を停めて。」
水路の多い市街地からはだいぶ離れたが、ここも観光地なのか、ちらほら人の姿がある。みな車を停めて同じ方向へ歩いていく。2人の横を子どもが手を引っ張って早く行こうとはしゃいでいる。
アルバートと春人も同じ方へ歩いて向かう。そこには……
「綺麗だね」
「……ああ」
目の前に広がる黄色の光景に一瞬反応が遅れる。奥の堤防に登れば正真正銘の大海原が広がっていた。
「海だな……いや、それよりも……」
大海原を背中に眼下に広がる黄色い絨毯を見下ろす。
「So beautiful.」
アルバートから感嘆の声が漏れる。
「この花、何か知ってる?」
「Sun flower……ヒマワリだったかな?」
「うん。これ、夏の花なんだよ」
夏の花──ヒマワリは、冬の冷たい大地で咲き誇っている。
「品種改良されてるんだって」
「それでこんなに咲いているのか」
ヒマワリ畑を眺める春人はそれ以上何も言わない。しかし何かを伝えようとしているのは、先ほどから握ったり開かれたりしている彼の両手が物語っている。
「春人、どうして私をここへ?」
一度強く拳が握られ、ゆっくりと開く。
「僕とアルバートもさ……」
そしてこの黄色の花にも負けない天真爛漫な黒い未来の種がアルバートの目を真っ直ぐに見つめる。
「冬のヒマワリになれたらいいなって」
春人は、真逆の季節に負けずに咲き誇る花と自分達を重ねた。
「文化も言語も違う、そして同性。普通なら一緒になるのは難しいけど、それを乗り越えてこんなふうに綺麗に咲けたらいいなって」
眼下のヒマワリがバラバラにに揺れる。
「まだまだ未熟だし、無知だし、迷惑もかけるけど……アルバートと一緒に居たい。イギリスに帰ったりしないよね?」
冷たい風がプラチナブロンドと黒髪を同じ方へと靡かせる。
「君は、自分にもう少し自信を持ってもいいと思うのだが」
「自己肯定感がないのは日本人の特性って言われそうだね」
苦笑いした春人は大海原の向こうを見る。方向は違うが今頃空にいる男を思い出しているのだろう。
「ラクサスを説得できたのは君のお陰だ」
「僕、何もしてないよ。普通に話しただけで」
「それでいいのだ。君は、そのままが一番素敵だよ。」
顔を真っ赤にした春人が堤防の階段を降りていく。アルバートが春人を追いかけると、彼はヒマワリ畑の中で足を止めていた。顔は未だ赤い。
「ヒマワリ小さいね」
春人はアルバートとヒマワリを見比べている。確かに目の前で咲くヒマワリは夏より痩せて、背丈も低い。
「まだ品種改良の途中らしい」
「いいではないか……私と君もこれからまだまだ変われるということだろ?」
「うわぁ、最後に良いところ持っていかれた。やっぱり本場の英国紳士には適わないなあ。あっ、そうだ!」
不貞腐れていた春人が、突如アルバートの腕を下に引き、2人で身を屈めた。
ヒマワリ畑で隠れた2人。その中で春人はアルバートに不意打ちのキスをした。
「へへ、どう? 驚いた?」
いつの間にか相手を驚かせる大会に変わっている春人の悪戯な笑みは冬の寒さを吹き飛ばす。
(春人らしいな……)
そして、その笑顔の熱に既視感を覚えたアルバートは、春人の隣で咲く黄色い花たちが向いている先を見上げる。
「春人」
「ん?」
「君はヒマワリというより……」
アルバートが目を細める。春人も同じ方向に目をやるが、直ぐに閉じてしまった。
「まぶしっ! 太陽、直接見ちゃダメだよ!」
それでもアルバートは瞼を完璧には下ろさない。微かに下りた瞼の裏では春人との思い出が繰り返されている。
衝撃的な一目惚れ。
一目惚れした瞬間の失恋。
それでも手に入れたいと思った
なりふり構わず口説き、落とし、愛を実らせた。
同じ空の下にいられない遠距離は、まさに相手の地を照らす太陽を求めるような本能の鬩ぎ合い。
そしてなりふり構わず手に入れた帰国は、ようやくアルバートの心に太陽を取り返した。
(黄色い花はいつかそれに手が届くだろうか。心を照らす温かな光に。私は手に入れてしまった。そして二度と離さない。それがなくては生きていけない。君は私に適わないと言うけれど……)
──私こそ、君には適いそうにないよ。やはりこれは最後の恋だ
アルバートは、地上へと視線を戻す。そこにはもう1つの太陽がいて、眩しそうに目を擦ったあと、放熱する笑顔を向けてきた。
──ああ、ここは本当に温かい場所だ。
今度はアルバートからキスを1つ落とし、幸せで目を細める。
海風に揺れたしゃがんだ2人と同じ背丈のヒマワリが、頭を垂れるように揺れた。
完結
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みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
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翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
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※感想やコメントは受け付けることができません。
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