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第三章 Love matures

第八話 恋が成熟する

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 あの会議室事件の後、村崎伝いに「悪かったな。」と赤澤の分まで謝罪を貰った。当の本人は「まだ付き合ってないならどう接していいか分かんねえ。」と急に心配してきて、アルバートと春人を交互に見るだけだった。アルバートはそんな赤澤を見て「やはり君は考えが目に出るね。」と言い、春人は本当は優しい人なのだなと知った。でないと同期の為に社員にあれほどまでの剣幕で突っ掛らないだろう。もうわだかまりも無くなり、あとは二人の恋がどうなるのかを待つばかりとなった。

 そして更に寒波が厳しくなったある休日———今日はクリスマスだ。
 春人は外出用の必需品と、昨日からテーブルに用意しておいた小さな紙袋を大切に持って家を出た。電車の中では両手で持ち、片手で持たなければならない時は紐が切れたら大変だと紙袋を鷲掴みしていた。勿論皺が付かない程度に。
 アルバートの最寄り駅につき、彼の姿なない事を確認して一安心する。
最初「迎えに行く。」と言われたが、プレゼントを持っているのに一緒に居るなんて緊張が半端ないと丁重にお断りしたのだ。既に松田のお陰でプレゼントの件は知られている為、アルバートも苦笑いをしながら今回の迎えは断念してくれた。
 
道中の記憶はない。気が付けばいつの間にかアルバートの部屋の前に居て、何度も深呼吸をしてからインターフォンを強く押した。
直ぐに開いた扉から現れた端正な顔も今日はどこか緊張していて、「おじゃまします。」という声が裏返った。そして挨拶と共に吸った空気はとても美味しかった。それは澄んでいるという意味ではなく、食欲をそそるという意味で。鼻孔を擽る香ばしい匂いに、少しだけ緊張がほぐれ、家主の背中についていき久しぶりのダイニングへ足を踏み入れる。
前回、春人を唸らせた朝食が並んでいたテーブルにはチキンにサンドイッチなどクリスマスを華やかにする料理が並んでいて、ボトルのワインまであった。
直ぐに告白の返事を催促されると思っていたが、アルバートは春人に椅子に座るよう促した。「冷めてしまう前にどうぞ。」と言われ、春人はプレゼントを足元に置いた。そのまま何も触れられず、普通に食事が始まり、アルバートの手作りに舌鼓をうつ。だが、満腹になってくるとこの後の事を想像しどうしても喉の通りが悪くなってくる。
ちらりとアルバートを確認すると、香りを楽しみながらワイングラスを傾けていた。そして一口含み、ゆっくりとグラスを置く。その微かな音が、春人には大きく聞こえ、まるで合図の様に鼓膜に響いた。

「どうかしたのかい?」

手が止まってしまった春人にアルバートが声をかける。何か話そうと息を吸った春人の肺が重たくなる。

「あの……」

と、声を絞り出したが続きが出で来ず「これ美味しいね!何のお肉?」と話を濁した。丁寧にアルバートが食材の説明をしてくれたが、頭に入って来ず、話が終わっても俯いたままだった。
 そこへ椅子を引く音が響く。

「?!」

顔を上げるとアルバートが席を立ちキッチンへ行くところだった。ホッと一息ついたのも柄の間、柔らかい匂いがし戻ってきたアルバートの手には真っ赤なバラの花束が抱えられていた。

「これを君に。」

ガサリと、春人の腕に届けられた花束が更に香りを咲かす。花束を初めて貰った春人は放心状態だが、ふわりと香るバラにその緊張も解けた。「ありがとう。こんなの初めて。」とキラキラ瞳を輝かせながら匂いを堪能していると、今度は首元が温かくなった。

「これって。」

視線を落とすと、そこには黒のマフラーが巻かれていた。

「私から君へクリスマスプレゼント。受け取って欲しい。春人の綺麗な瞳を想像しながら選んだ。とても似合っているよ。」
「ありがとう!凄く嬉しい!うわあ、温かい。」

高級そうな肌触りに鼻先までマフラーに埋まる。唇をスリスリと擦りつけ顔と首で贈り物を楽しむ春人の目は細くなり、口元は見えずとも微笑んでいることが伝わる。包み込まれる温もりにしばらく浸り、マフラーと同じ黒い瞳をゆっくり上向きにする。
 嬉しそうな表情で春人を見ているアルバートと視線がぶつかり、マフラーの中で小さく深呼吸をした。
 バラの花束をテーブルに置き、マフラーを大切に畳む。それを椅子に置き、更にその下へ腕を伸ばし、あの紙袋を手に取る。紙袋の隙間から覗く小さな箱に願いを込めてアルバートに渡した。

「僕も……プレゼント。」

再びマフラーを巻いて顔を埋めたくなるほどの恥ずかしさを堪えながら受け取るアルバートの様子を伺う。

「開けても?」
「うん。」

紙袋から出できたリボン付きの箱。クリスマスカラーのリボンを解き、アルバートは箱を開け、嬉しさで目を瞑ってしまう。そして喜びに日本語を忘れてしまい、感嘆の英語が漏れる。

「どうかな?」

と、恐る恐る春人が尋ねると、アルバートは額同士をくっつけた。

「ああ、春人。素敵な贈り物だ。この気持ちをどう表現すればいいのか分からない。」

その言葉に春人も言葉に表せない満足感が込み上げ額をコツンと当て返した。
そして視線を下へ下ろすと既に腕時計は送り主の腕でその時を刻み始めていた。
 カチカチと音がしてきそうな秒針を見つめ、春人は額を離す。そしてまだ喜びの色が消えないアルバートに自分の意志を伝える覚悟をした。

「一応意味を込めて買ったんだ。」

両手でアルバートの腕で動き出した時計を包み込む。そしてガラスの部分を撫でた。

「僕もアルバートと同じ時間を刻みたいなって。」

意味が伝わっているかは分からないが、アルバートは黙って聞いてくれている。
 高鳴る心臓が腕から伝わってしまいそうなほど静かな空間で、春人は息を吸う。ゆっくりとその音が耳に伝わり、心臓と重なる。その恋の騒音の中で最後の言葉を捕まえ、顔を上げた春人はあの日の返事を伝える。

「勿論……恋人として。」

アルバートの瞳が揺れ、薄く開いた唇から何かが零れおちる。それが溜息なのか、言葉なのかは聞き取れない。まだ煩い心臓ごと包み込む様にアルバートは春人を抱きしめた。
その時、距離が縮まり、その口から零されている何かが鼓膜を震わす。

——ありがとう。

23年生きて、こんなに幸せに溢れた心地よい「ありがとう」は春人にとって初めてだった。

41年生きて、こんなにも心揺さぶられた日々は初めてだった。そしてそれら全てに感謝を込めてアルバートは「ありがとう。」と伝えた。

意味も捉え方も違えど、その一つの言葉は恋の成熟をありありと響かせてくれた。

そして全てを終え、ようやく緊張がほぐれた春人の笑顔はアルバートがようやく待ち望んだ満開の笑顔だった。
勿論、その先にあるのは彼の上司ではなく……

「大好きだよ、アルバート!」

その人だった。

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