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第二章 Another Unrequited love

第六話 鶏と卵

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 会議室の扉が閉まり、いまだに口を開けている春人の横で中年二人が「助かったよ、アルバート」「いや構わない」と会話をしている。
 そして資料の確認を済ませた村崎が「問題ないよ、さすがだ」と返却し、会議室を後にしようとした。
やっと我に返った春人がその背中に声をかける。

「すみませんでした!」
「どうした?」
「僕のせいで……」

資料の確認を忘れていなければ、今ここで田中と会う事もなかった。そして運送関係の自分では営業成績を上げられない事、色々な事が混ざり、春人は言葉に詰まってしまった。最近まで片想いで苦労をかけたのに、これでは更に恥と迷惑の上塗りだ。 
恐る恐る顔を上げる春人。それを慰める様に微笑んだ村崎は

「大丈夫。気にするな」

と言って「出張だから」と急いで会議室を後にした。
残された二人。落ち込んでいた春人がアルバートに痛い視線を向ける。

「いくらなんでもあれはないよ。田中部長を褒めるにしてももっとマシなのなかったの?」

春人の好きな人を知っていながら、その人を見下げる様なアルバートの発言に、春人は呆れていた。自ずと声にも怒気が含まれる。

「僕の前で村崎部長を悪く言わないで。それともそれで評価を落とすつもりなの?」

怒り心頭の春人にはこれがとんでもなく己惚れている発言だとは気が付かなかった。
それどころかアルバートの謝罪の言葉を待ち続けた。しかし彼は意に反して真面目な表情のまま。

「まさか。私は田中部長を褒めた事など一度もないよ」
「褒めていたじゃん! 日本人上司の鑑だって!」

全く動じないアルバートが、左手を顎にやり右手で左肘を支る考えるようなポーズをしながら「それか」と呟いた。

「ああ言ったよ。日本人は曖昧な返事が多い。即決力のある上司が好まれるイギリスでは嫌われる。私から見ればああいうタイプの人間は優柔不断で見習いたくない部類の上司だ。だから彼を「日本人上司の鑑」と言ったのだよ。何を勘違いしていたのか、とても満足そうな顔をしていたね」

アルバートは、顎を撫でていた手で口元を覆いながら、その下で細く微笑む。

「じゃ、あれは……」

目を細めて春人を見ながら人差し指を天に向かって伸ばす。

「皮肉だ」

春人が己惚れと勘違いに気付き顔を真っ赤にする。せめてもの情けだとそれを見ないようにアルバートはごく自然に会議室の扉に視線を向けた。

「もちろん村崎部長も気が付いているよ。つい最近、その話をしたところだったから。彼はイギリスでもやっていける男だよ」
「は、はずかしい」

春人は誰も傷つけることなくあの場を終わらせたアルバートに頭が下がる。日本の丁寧な心遣いを学びに来た男は完璧だった。
 今だけではない。アルバートは春人をいまだに「月嶋さん」と呼ぶ。春人は「アルバート」と砕けて呼んでいるのに「やはり指導員だから」とそれを貫き通していた。
そして貿易に関する知識も春人よりはるかに多い事は普段の話す内容や行動でもう分かっている。
それなのに彼は春人を「指導者」として引き立ててくれている。

(完璧だ)

 あの時、気を揉んでいたのは春人だけだったのだ。
浅はかな考えをしてしまった自分に不快感が伴い絶望する。そして田中のあの言葉が蘇り、沈んだ心が自信をも底に引きずり込んでいく。

(僕は所詮運送関係の担当だ)

「インテリア事業部にはきちんと営業担当の方がいるから、そっちと交代してもらう?」
「どうして? 何か至らぬ点があっただろうか」
「アルバートじゃないよ。僕だと研修の役にてないと思って。何度も言うけど、僕は運送関係を担当しているから」

運送を軽んじているわけではない。だが、資料作成が多く、彼が望むような研修には至っていなかった。
気落ちする春人の肩にアルバートは大きな手を優しく乗せた。
 そしてアルバートが身体を曲げて、目線が同じ位置になる。交差した視線は春人が初めてみる力強い目つきで、急にアルバートを上司と錯覚してしまう。

「運送は貿易の要だ」

アルバートの言葉が春人の胸を熱くする。

「運送が発展すれば貿易も発展する、勿論逆も然り。貿易と運送はまさに鶏と卵の様な関係に似ている。月嶋さんがいないとこの関係は成り立たないのだよ」

春人の考えを救ってくれる説得に、気持ちが一気に軽くなりため息が零れた。自分の仕事を認めてもらえ承認欲求が満たされていく。そしてそれを簡単にやってのけるアルバートに嫉妬を覚える。

「……」

——ずるい。

仕事もできる、顔もルックスもよし、そして何より誰かを救う優しさを兼ね備えている。
そんな完璧な男に好意を抱かれているとんでもない事実に身を焦がされる。

(この感覚知っている……)

仕事への自信と熱い想いが芽生え、その息吹に固まる春人にアルバートは眉間の皺を深くした。

「例えが悪かっただろうか?」
「え? 違う! そうじゃなくて……」

春人の中ではまだ底に抑えこんだ上司がチラついている。それでもその上から霞がかる桃色。

——ギュッ。

色づこうとする胸を押さえる。

そして……

「好き……かも……」

アルバートも固まるのが肩に置かれた手から洩れることなく体中に伝わる。

「え?」

嬉しそうに口角が上がりそうになるアルバートの顔を春人の小さな両手が覆う。しかしすぐ手首を掴まれ強制撤去された。その下からは満面の笑みが現れた。

「本当に?」
「あああ! 待って!」
「好きって言ったのかい?」
「言ってない! いや、言ったけど! かも、かもだから! 好きかも‼ 付き合うとかは、まだ無理!!」

頬を真っ赤にして荒げた呼吸を整えながら春人はアルバートを見る。優しい目をしていた。

「それでも嬉しいよ」

人差し指が春人の前髪をサラリと撫でる。

「もっと好きになって」

羞恥心で視線を落としながら首を小さく縦に振る春人。指が頬を掠め離れて行く。
それを寂しいと思いつつ、自分が独り占めしてもいいのかと疑問が浮かぶ。

「でも、どうして僕なのか分からなくて」
「月嶋さんは最高だよ」
「でも、背は小さいし、顔は良くないし、仕事もあんな感じだし、気も利かないし」

欠点を列挙しだしたらきりがない。一つ一つ上げるたびに気が重たくなる。
離れて行った熱が頬に戻ってくる。そして五本の熱が春人の顔を持ち上げる。

「そんな顔をしないでくれ。私は君の笑顔に惚れてしまったのだから」
「笑顔?」
「ああ」

——恋をする君の笑顔に、私は全てを持っていかれたのだ。
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