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第二章 Another Unrequited love
第三話 水色の海
しおりを挟むイルカショーの会場は大賑わいだった。水がかかるレッドゾーンでは子どもが駆け回り、それを少し後ろの席で眺める親達。
春人とアルバートはかなり後ろだが、真ん中の席に座ることが出来た。
隣に座るアルバートを見る春人。
「ねえ、楽しい?」
「楽しいよ」
本当かな?と疑ってしまう。彼の希望で水族館に来たが、どう考えても楽しんでいるのは春人ばかり。かと思えば失恋を思いだしては落ち込んだりと、一緒にいて楽しい要素が一つもない。
気を抜けば思い出すあの日の事。かろうじあの茶髪の想い人を想像する事だけ押さえ込んでいるが、意識していないと傷口の隙間からあの笑顔が飛び出してくる。
(忘れろ。思い出しちゃいけない)
視界に映りこむものを無理矢理脳内で投影し、苦しみに被せていく。歓声が聞こえ、イルカショーが始まってしまえば、村崎の事もしばらくは心の奥底に仕舞う事ができた。
結局、閉館ギリギリまで楽しみ、閉館のアナウンスに追い立てられる羽目になりながら早足で出口に向かう。
他にもそんな客が数人見受けられ、そのうち急いで出ようとした子どもが春人の前に躍り出た。
「うわっ!」
間一髪衝突は回避し、子どもも無事だった。
「すみません!」
「?!」
慌てて駆け寄る父親に春人の胸が締め付けられる。若い父親だったが、茶髪が村崎と重なり、呼吸が止まりそうになった。
そして、「水族館楽しかった!」「よかったな! でも走っちゃだめだぞ!」とやり取りをしながら微笑み合う父子の姿に赤澤からの叱責が反響する。
——既婚者なんだよ
もしかすると自分が一つの家庭を壊していたかもしれない。家族の笑顔を壊していたかもしれない。その重圧が今になって圧し掛かり、必死に忘れようと暗示をかける。
(忘れないと……)
胸がどんどん痛くなり、立っていられなくなる。館内アナウンスが遠くなり、身体がふわりと浮く。まさか貧血でも起こしたかと思ったが、倒れる気配はない。
うつろな視界で必死に焦点を合わせれば、アルバートの顔がいつもより近かった。
「あれ? 何で?」
「ちゃんと捕まって」
「捕ま……えええ?!」
春人はアルバートに、俗にいうお姫様抱っこをされていた。
「ちょっ」
回りからの視線を気にしたが、それをかいくぐるの様にアルバートは颯爽と歩く。出口が目の前だったとはいえ、大の大人を担いで意図も簡単にゲートをくぐってしまった。
そしてライトアップされている水族館前の広場のベンチまで運ぶが、下ろす気配がない。それどころか、アルバートは真っ直ぐに春人を見つめた後、形の良い唇を耳元に寄せる。
アルバートの力強いのに優しさを纏った低い声が鼓膜を震わす。
「無理に忘れる必要はない」
心を見透かされている様な言葉に春人は腕の中で動揺し「離して!」と身体を捻った。それでも離さぬアルバートを見上げると、そこには春人の混乱した心とは真逆の冷静な表情があった。
「っ‼」
目じりを吊り上げる春人。知ったような口をきくのに、他人事ともとれる表情に、腹の底から燃え上がるような怒りを覚える。
「……無理なんだ」
春人が今まで発したことのない低い声を出してもアルバートは表情を変えない。
それが更に癇に障り、見下ろす水色の瞳を睨み付けながら、春人はアルバートの胸を突き飛ばし、彼の腕から飛び降りた。
「無理なんだよ!」
行き場のない怒りを爆発させ、自分より何十センチも高い男に詰め寄る。それでも微動だにしないアルバートに自分にはない余裕を感じて声を荒げてしまう。
「人の気も知らないで、簡単に「無理に忘れる必要はない」なんて言わないでよ!」
怒りと悲しみ、そしてやるせなさで身体中が震えに襲われる。それを払拭しようと、拳を握りしめて爪が食い込んでいく。
「僕だってどうすればいいか分からないんだ!」
ただ、誰かを愛していた。
一目惚れという不可抗力で落ちた恋に、あっけなくおりた幕。現実味が湧かず、それでも胸の痛みは本物で逃げ場が何処にもない。
飽和状態の悲しみに、既婚者を愛してしまったが故の罪悪感に苛まれ、何から悲しんで、何から解決していけばいいのかも分からなくなっていた。
溜め込んでいた秘密すら簡単に口から零れていく。
「一目惚れして! 凄く好きで! 振られても忘れられない事がどれほど辛いか!」
溢れれば、それはもう元には戻せない。
制御できない自分への苛立ちが想い人への気持ちと共に八つ当たりへと姿を変える。
「アルバートには僕の気持ちなんて分かるわけがない! だから……簡単に言わないでよ‼」
肩で息をしながら「しまった」と1歩引いた時には全て出た後だった。謝罪をしようと慌てて口を開くが、アルバートの声がそれを遮る。
「分かるよ」
出かけた「ごめんなさい」という言葉は吸い込まれ、春人は虚しさでいっぱいになる。
「同情なんていらない」
全てを吐き出し、遅れて溢れる負の雫。
助けてくれたお礼に来たのに、また迷惑をかけてしまった。この場にいるのが辛くなり、いまだに春人を見つめているアルバートの横を通り過ぎようとした瞬間「分かるよ」と、もう一度言いながら、今度はアルバートが一歩踏み込んできた。
「私も同じ気持ちだから」
——ビクッ
そっと伸びてきた長い指が、落ちかけた雫を掬う。指で阻まれた春人の視界が開けた時、目の前のイギリス人からは余裕が消えていた。
「私も一目惚れをした。でも彼は恋をしていたのだ。自分の上司にね」
そして……
「私は君が好きだ」
水族館の青と紫の水を表現した外灯に照らされた眉間の皺、細くなった目、影の落ちる瞳は春人もどこかで味わった苦しみを端正な顔に深く刻んでいた。
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