上 下
10 / 112
第二章 Another Unrequited love

第一話 アルバート・ミラー

しおりを挟む
  春人が目を覚ますとそこには見慣れぬ天井があった。瞼が重い、それ以上に身体も鉛の様に重たい。その怠さに加え、胸のあたりに違和感がある。

(ムカムカする)

 胃のあたりを擦りながら横に寝返る。それでもやはり見慣れぬ風景。重たい首だけを回すと、この部屋にはベッドとナイトテーブルしかなかった。しかもベッドはシングルより大きい。あとは、カーテンがあるのみ。
勝手に男性の部屋だと思い込んだ春人は、安心感から肌触りの良いシーツに頬を擦りつけ、ベッドに身を預けた。
 シーツからふわりと舞う香りが鼻孔を擽る。

(良い匂い……でもどこかで……)

 寝起きの脳では知った匂いでも、人物を特定することが出来なかった。知っているのに分からない匂いにようやく募る不安。身体に倦怠感と気持ち悪ささえなければ飛び起きていただろう。

「?!」

何か音がした。この部屋より向こうの扉を開ける音……そして、重く掠れた足音。それなりの体格の人物がスリッパで歩いている時の音だ。
 気流すら聞こえるほど耳をそば立てる。

——ガチャッ

 部屋の扉が開き、ビクッと身体が跳ねてしまう。しかし、焦りから寝たふりという姑息な手しか思いつかず目を瞑った。

——ギシッ、ギシッ……ギシッ

一度深くベッドが沈み、今度は春人の近くでもう一度沈んだ。
 シーツと同じ匂いがし、春人の黒髪を揺らし耳元で誰かの吐息を感じる。それがくすぐったくて、眉をピクリと動かしてしまった。

「目が覚めたかい?」

(この声って……)

それは毎日聞くあの男の声だった。思いきり目を開いた春人の視界にプラチナブロンドが揺れる。

「えっ? アルバート?」

そこには研修生のアルバート・ミラーがいた。

「えっ、えっと」

 知った相手でも結局しどろもどろの春人は、ようやっと身体を起こした。
マットレスにバランス感覚を奪われる春人の腰にそっと手をあてがうアルバート。
職場ではありえない距離感に身を硬くする。
しかし春人の緊張とは裏腹にアルバートはどこ吹く風で、今後の話を始めた。

「朝食を用意したのだが、食べられそうか?」

 断ろうと思った。しかし、口を開く前に春人のお腹が盛大に返事をした。

「ははは。決まりだな」

その音を聞いて、嬉しそうに微笑むアルバートが手を引いてベッドから下ろしてくれる。これではおとぎ話の王子と姫だと恥ずかしくなり「一人で歩け。」と伝えると、良質な残り香を置いて、家の主は身体を離した。
 リビングへお邪魔すると朝食の良い匂いが漂っている。
カウンターキッチンに、綺麗に片づけられたリビング。革張りの黒いソファーに本棚、そしてウッドテーブルとその他生活家電もシックにまとめられている。無駄な物は何もない。
 
「どうぞ」

と、椅子を引いてくれるアルバートはこの部屋に釣り合うハンサムな表情だが、いつもより柔らかく見える。
その原因は服装だった。
いつもはスーツにベストという格好のアルバートが、今は黒のテーパードパンツに、長袖の白のワイシャツとグレーのニット姿だったからだ。私服も着こなす紳士はいつもより親近感が沸いてしまう。
 そこでようやく春人も自身の服装に目を向けた。女性の部屋ならすぐに確認したが、男性という先入観で衣服の乱れなど気にも留めなかった。

「僕、スーツだ」
「昨日の歓迎会の後、そのままここに来て貰ったからね」
「来てもらった?」

アルバートに誘われた?しかしそんな記憶は一ミリも存在しない。
記憶を辿っていると、二度目の催促をされ、慌てて椅子に座った。
 目の前にパンとベーコンエッグ、サラダに紅茶が並んでいく。

「どうぞ」
「い、いただきます!」

 この不可解な状況を振り払おうと大きな音を鳴らして手を合わせる。
それとは逆に静かに手を合わせたアルバート。手を合わせる行為が日本の文化だと再確認してしまう程おかしな光景だった。
アルバートはとても優雅だ。所作全てに目がいく。仕事中もそうだ。流れるような動き、紙をめくる時の長い指、やはりどこか日本人離れした美しさを感じる。だからこそ、そんな彼と食事を共にしている現在に不安を感じる。いくら年下とはいえ、春人は彼の指導係なのだから。
フォークでベーコンエッグを掬って口に放り込む。半熟の卵に、塩コショウの効いたベーコンが口の中で広がる。ジューシーなのに優しい食感と味に頬が痺れた。

「んっ、美味しい!!!」

まだ頬張っているのに、口をついて感想が飛び出す。慌てて口を押さえるが、アルバートは優雅に紅茶を飲んでいる。そして細く微笑んだ。

「それは、よかった」

嬉しそうなアルバートの表情に、春人は何となく恥ずかしくなり、俯きながら黙って食べ進める。しかし、時折美味しさが表情に漏れ出て、アルバートは満足げな笑みを浮かべるのだった。
 半分ほど食べ終えた頃、恐る恐る昨日の事を尋ねた。

「僕、何か迷惑かけた?」
「いや、何も」
「あまり覚えていなくて」
 
何度考えてもアルバートの家に来た記憶はない。覚えているのは……

——ズキリ

胃の辺りを押さえる春人。

「大丈夫かい?」
「大丈夫」
「昨日から体調が悪いのかい?」
「え?」
「いつもの君は笑顔の絶やさぬ青年だ。しかし昨日は辛そうな表情をしていたから、どうしたのかなと」
 
琥珀色の水面に視線を落とした春人。
そこには泣きそうな表情をした自分が写っていた。そして琥珀色と上司の茶髪が交差する。
 慌ててソーサーに乗っていたミルクを入れて色を変える。ミルクティーの湖面には自分の表情すら写らない。

「ちょっと体調が悪かっただけ。もう大丈夫」

 本当は大丈夫ではない。しかし、必死に平常を取り繕う。

「それなら良かった。やはりあのまま無理に連れてきて正解だった」
「……」
「歓迎会の後、駅前で倒れていた。意識も朦朧としていたし、君の家も分からないから私の家に来て貰ったのだ」
「なるほど」

納得したが、記憶は戻ってこない。

「あの、そのうちお礼を……」
「いらないよ」
「でも!」

 アルバートは日本人の性格を理解している。恩は必ず返す。きっとここで断り続けても春人は折れないと思い、二言目で自分が折れた。

「では、一つお願いがある」
「何?」
「今日一日、君の時間を私にくれないだろうか?」

 目をパチクりさせる春人。
それがデートのお誘いだと気が付くのに五分は要した。
しおりを挟む
感想 26

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...