連立スル 夕顔ノ 方程式

ベンジャミン・スミス

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第五章 夕顔咲く十月

第三話 花は散る

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 それから数日間は何もない日々だった。
 宇野からは一度も連絡はない。授業中、窓の外の楓の木を眺めては、染まっていく紅い葉が不安を煽る。ガラス越しでは時折散るその音は聞こえない。恐ろしく静かで平和な日々は嵐の前を予感させる。

 そして秋の終わりの足音が聞こえ始めたある日、その時は来た。

「昨夜、辻本先生が逮捕されました」

職員朝礼で校長から告げられた事件に、職員は震撼した。突然の事に学校は休校となり、生徒は強制下校。
そして昼のニュースで事件が報道され、生徒が消えた静かな学校の電話が一斉に騒がしくなる。事務室だけでは対応しきれず、準備室その他諸々の電話を使い、事情説明が行われた。
詰めかける報道陣に、カーテンは閉め切られ、扉の鍵という鍵もかけられた。外に出ているのは教頭。校長は朝礼後教育委員に呼び出された。

 福山も保護者に事情と謝罪の電話をかけた。昼のニュースという事もあり、ほとんどの保護者が初耳で言葉を失っていた。変に文句をつけてくる親もおらず、福山のクラスは連絡が直ぐに終わった。だが、噛みついてくる親ももちろんいて、電話を握りしめ必死に頭を下げる教師もちらほらいる。
 こっそりスマートフォンを取り出しニュースをチェックする。
デカデカと電子版の新聞の見出しが痛い。

《高校教諭、覚せい剤所持で逮捕》

下へとスクロールする。

《──昨夜未明。高校に勤務する教諭・辻本 充容疑者(48)を覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕》

何度も電話で説明した内容だった。
そして更にスクロールし、福山の指が震えだす。

《———取引に使われた経路は現在公表されていない。だが、辻本容疑者は何らかの形で5回ほど大阪と福岡の暴力団関係者に覚せい剤を譲渡していたことが分かっている》

「大阪……福岡……5回……」

福山が出張に行った場所と回数が一致する。
震えが止まらずスマートフォンが滑り落ちる。
更に液晶に傷が入る。

——教師として終わったかもしれない。

何も考える事ができないほどのどん底に落とされ、職員室の雑音が、罵声や咎める声に聞こえてくる。だが何を言われているのか分からない。そもそも福山に向けられた言葉ですらない。だが、その意味不明な雑音の中でも「覚せい剤」という単語だけは聞きとってしまう。それが聞こえる度に体中が鉛の様に重たくなり、下肢から痺れ始め、脳が内部で小刻みに震えだす。

——ここにはいられない。

フラフラと立ち上がり職員室を出る。

すり足で廊下を進み、屋上へ続く階段を見上げる。

(所持していたことがバレれば俺も終わる。俺はもしかすると……薬物を運んでいたのかも……しれ……ない)

思考すら途切れ始め、足に力が入らない。
振り絞り階段に足をかける。果てしなく遠い屋上までの道のり。それでも一段、一段、死に向かって昇っていく。

「今は生徒に感謝だな」

閉まっている筈の屋上の扉。鍵穴にはクリップを真っ直ぐに伸ばした針金が刺さっており、誰かがピッキングしていた。

体重全てをかけ、扉を開ける。

「ッ?!」

宇野と最後に会った時の夏風より冷たい秋の風が福山を攫いそうになる。髪が靡き、皮膚に張り付く凍てつく風が自身の罪を鮮明に刻み込む。
足の裏が冷たい。
履物は脱げ、福山のボロボロの心と10年の軌跡を表す様にバラバラに別の方向に転がっている。

手すりに手をかけ眼下を見ると、記者が詰めかけていた。誰も上など見ていない。
もう一人の罪人が落下してくるなど予知していないだろう。

もう跨ぐ元気もなかった。

手すりの滑らかな金属と、スーツに任せ、ズルリと上半身を乗り出す。
 あとは地面さえ蹴れば楽になれる……

 北から死へ誘う風が福山を襲う。あれほど重たかった身体が攫われ、ふわりと浮く。かと思えば自然の摂理に任せ、重力が福山を硬い地面へと誘う。

——さようなら……宇野

無意識に脳を掠めたのは教え子の顔。

「約束、守れなくてごめんな」

そして福山は目を閉じた。
あとは、痛みに一瞬耐えれば……

———全てが終わるのだ……全てが……

ガンッ‼

 福山の全身を血が沸騰したよう熱と痛みが包み込む。
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