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閉ざされた扉: 居酒屋〜マンション
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床を見ると、空の瓶があちこちに転がっていた。
倒れた瓶のうち、何本かは中身が少し残ったままだった。
酒瓶の飲み口からは酒が流れ、カーペットを湿らせていた。
「お酒は毎日お飲みですか」
私は床に目を落としながら、彼の母に尋ねた。
母は投げかけられた問いに、訝しげな顔をしながら答えた。
「あんた、警察なのか」
私は「警察ではなく、彼の友人」であることを伝えた。
彼の母は相変わらず目を細め、赤く腫れた瞼から鋭い眼光を覗かせていた。
「私ならば」と、私は母を見つめながら、続けた。
「一日中飲めば、倒れてしまうので」
私がそう言うと、彼の母は私を確かめるように睨み、そして笑い飛ばした。
「あんたは何もわかっちゃいないね」
彼の母は少し勢いづいたようだった。
母はテーブルに置かれていた瓶を掴み取り、ショットグラスにとくとくと酒を注ぎ込んだ。
「こんなものは水も同然さ。さあ、もっと強いものを持ってきな」
彼女はそう言うと、彼に向かって顎をくいと動かし、酒を足すよう促した。
彼は不安げな表情を浮かべながら、黙って台所へと歩き、冷蔵庫から酒を取り出した。
「度数が高くなればなるほど、嬉しくなるんだ。そうだろう?」
彼の母はソファに横たわりながら、手に持ったショットグラスを下から見上げ、軽く揺らした。
「嬉しくなれるのですか」と私が繰り返すと、母は彼とよく似た笑みを浮かべながら、言った。
「そうだ。幸せが何度でも巡るんだ」
「家族で海に行った思い出もですか」と私が尋ねると、彼の母は重たげな瞼を上げ、こちらを確かめるように見つめた。
しばらくの沈黙が訪れた後、彼の母は私に「とにかく座りな」と短く言った。
私は母に従い、向かい側のソファに座った。
彼が満杯の瓶を持ち出すと、私たちは皆ソファに座った。
ソファは向かい合わせになっており、彼と私の目の前には母が横たわりながら、酒を飲んでいた。
私は母に名前を訊かれたので、名を言い、それから大まかに自己紹介をした。
彼の母はいかにも面倒そうに私の自己紹介を聞いた後、酒をくいと飲み、私をじっと見た。
「ところで、あんたはあたしたちの昔話を知っているのかい」
ふと彼の母に尋ねられたので、私は彼から聞いたことを伝えた。
隣に座っていた彼がそっと頷くと、彼の母はにやりと笑った。
「海に行ったのは、息子が五歳の時だった」
彼の母は機嫌を取り戻したように、滑らかに話を続けた。
「テレビで海を見た息子が、『海に行きたい』って何度もせがんだもんだからね。クーラーボックスや浮き輪なんかを一通り車に詰め込んで、一番近い海に出かけたのさ」
母はそう言うと、テーブルにあったリモコンを取り、電源を付けた。
薄暗闇の中からテレビの明かりが浮かび上がり、旅番組が映し出された。
テレビ画面をよく見ると、細いひびが入っており、画面を横断していた。
「息子は小さかったから、浮き輪を付けていた。だけど、身の丈に合わない浮き輪だったものだから、息子は両手をいっぱいに伸ばして、それを抱えるようにして走り回っていた」
「漫画みたいに滑稽だったよ」と、彼の母はテレビを見ながら、短く笑った。
私は母の話を聞きながら、彼の方を見た。
彼は少しきまり悪そうに笑い、視線をテレビに映していた。
「陸ではそんな調子だったけれど、いざ海に入ると、浮き輪の穴に落っこちたような格好になってしまってね。『溺れているんじゃないか』って、父さんがひどく心配したものさ」
彼の母はソファに横たわりながら、酒を注いでは飲み、とめどなく話していた。
彼の方はというと、落ち着かない様子で視線をあちこちに映していた。
そうして足元に転がっていた酒瓶に目を落とすと、屈み込み、それをそっと拾い始めた。
「片付けるんじゃないよ」
彼の動作に気がついた母が、テレビ画面から目を離し、不満げにその言葉を吐いた。
彼と母はしばらくじっと目を合わせていたが、やがて彼の方が諦め、酒瓶から手を離した。
「うちの息子は、いつも物を片付けようとするのさ。全く、片付けることに何の意味があるって言うんだい?」
彼の母は抗議するように、音を立てながらショットグラスを置いた。
彼の顔は薄暗闇の中に沈み、表情が伺えなかった。
母はその様子を見届けると、今度は私の方に目を移した。
そうして、母は私をじっと見据えながら、突如こう言った。
「あんたが何をしに来たのか当ててやろうか。あたしを止めに来た。そうだろう」
倒れた瓶のうち、何本かは中身が少し残ったままだった。
酒瓶の飲み口からは酒が流れ、カーペットを湿らせていた。
「お酒は毎日お飲みですか」
私は床に目を落としながら、彼の母に尋ねた。
母は投げかけられた問いに、訝しげな顔をしながら答えた。
「あんた、警察なのか」
私は「警察ではなく、彼の友人」であることを伝えた。
彼の母は相変わらず目を細め、赤く腫れた瞼から鋭い眼光を覗かせていた。
「私ならば」と、私は母を見つめながら、続けた。
「一日中飲めば、倒れてしまうので」
私がそう言うと、彼の母は私を確かめるように睨み、そして笑い飛ばした。
「あんたは何もわかっちゃいないね」
彼の母は少し勢いづいたようだった。
母はテーブルに置かれていた瓶を掴み取り、ショットグラスにとくとくと酒を注ぎ込んだ。
「こんなものは水も同然さ。さあ、もっと強いものを持ってきな」
彼女はそう言うと、彼に向かって顎をくいと動かし、酒を足すよう促した。
彼は不安げな表情を浮かべながら、黙って台所へと歩き、冷蔵庫から酒を取り出した。
「度数が高くなればなるほど、嬉しくなるんだ。そうだろう?」
彼の母はソファに横たわりながら、手に持ったショットグラスを下から見上げ、軽く揺らした。
「嬉しくなれるのですか」と私が繰り返すと、母は彼とよく似た笑みを浮かべながら、言った。
「そうだ。幸せが何度でも巡るんだ」
「家族で海に行った思い出もですか」と私が尋ねると、彼の母は重たげな瞼を上げ、こちらを確かめるように見つめた。
しばらくの沈黙が訪れた後、彼の母は私に「とにかく座りな」と短く言った。
私は母に従い、向かい側のソファに座った。
彼が満杯の瓶を持ち出すと、私たちは皆ソファに座った。
ソファは向かい合わせになっており、彼と私の目の前には母が横たわりながら、酒を飲んでいた。
私は母に名前を訊かれたので、名を言い、それから大まかに自己紹介をした。
彼の母はいかにも面倒そうに私の自己紹介を聞いた後、酒をくいと飲み、私をじっと見た。
「ところで、あんたはあたしたちの昔話を知っているのかい」
ふと彼の母に尋ねられたので、私は彼から聞いたことを伝えた。
隣に座っていた彼がそっと頷くと、彼の母はにやりと笑った。
「海に行ったのは、息子が五歳の時だった」
彼の母は機嫌を取り戻したように、滑らかに話を続けた。
「テレビで海を見た息子が、『海に行きたい』って何度もせがんだもんだからね。クーラーボックスや浮き輪なんかを一通り車に詰め込んで、一番近い海に出かけたのさ」
母はそう言うと、テーブルにあったリモコンを取り、電源を付けた。
薄暗闇の中からテレビの明かりが浮かび上がり、旅番組が映し出された。
テレビ画面をよく見ると、細いひびが入っており、画面を横断していた。
「息子は小さかったから、浮き輪を付けていた。だけど、身の丈に合わない浮き輪だったものだから、息子は両手をいっぱいに伸ばして、それを抱えるようにして走り回っていた」
「漫画みたいに滑稽だったよ」と、彼の母はテレビを見ながら、短く笑った。
私は母の話を聞きながら、彼の方を見た。
彼は少しきまり悪そうに笑い、視線をテレビに映していた。
「陸ではそんな調子だったけれど、いざ海に入ると、浮き輪の穴に落っこちたような格好になってしまってね。『溺れているんじゃないか』って、父さんがひどく心配したものさ」
彼の母はソファに横たわりながら、酒を注いでは飲み、とめどなく話していた。
彼の方はというと、落ち着かない様子で視線をあちこちに映していた。
そうして足元に転がっていた酒瓶に目を落とすと、屈み込み、それをそっと拾い始めた。
「片付けるんじゃないよ」
彼の動作に気がついた母が、テレビ画面から目を離し、不満げにその言葉を吐いた。
彼と母はしばらくじっと目を合わせていたが、やがて彼の方が諦め、酒瓶から手を離した。
「うちの息子は、いつも物を片付けようとするのさ。全く、片付けることに何の意味があるって言うんだい?」
彼の母は抗議するように、音を立てながらショットグラスを置いた。
彼の顔は薄暗闇の中に沈み、表情が伺えなかった。
母はその様子を見届けると、今度は私の方に目を移した。
そうして、母は私をじっと見据えながら、突如こう言った。
「あんたが何をしに来たのか当ててやろうか。あたしを止めに来た。そうだろう」
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