漂流物

九時木

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夜の訪問: 居酒屋〜アパート

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 海へ行って以来、彼と私は頻繁に会うようになっていた。
 仕事帰りに、私は毎週彼の働く居酒屋へ立ち寄り、ビールを飲んだ。 
 私が来店すると、彼は以前よりも明るみの増した、満足げな笑みをこちらに向けた。 
 「この前は、海に誘ってくれてありがとう」と、彼は一言礼を言い、私にビールを運んだ。
 彼はビールを二杯用意していた。それは、私たちがカウンター席で話をする時の合図だった。


 「そういえば、以前君と一緒に受けた講義についてなんだけどさ」

 私たちは席に座り、二人で酒を飲んでいた。
 彼の顔はほんのりと赤みを帯びており、酔い始めているようだった。

 「『ゴルギアス』について、少し語っただろう。僕は基本的に、ソクラテスの考えに完全には同意できない。だけど、カリクレスとの議論に限っては、彼を支持しなければと思う所があるんだ」

 酔いが回った時の彼は、普段よりも増して饒舌になった。
 彼は真面目な表情でビールを眺めながら、話を始めた。

 「カリクレスは、欲望の赴くままに行動し、できる限り自身の欲望を満たすことが正義だと説いた。それに対してソクラテスは、欲望を抑え、節度を守ることこそが善い生き方だと説いた」

 彼の言葉に、私は頷いた。
 彼は酒をちびちびと飲みながら、話を続けた。

 「ソクラテスの節度は、決して禁欲的ではない。『避けるべきものを避け、追い求めるべきものを追い求める』。善悪の判断を働かせながら、より善い選択をすることが、彼にとっての節度だった」

 彼はジョッキからそっと口を離した。
 私が「その節度は支持しなければならないと思うか」と尋ねると、彼はこちらをじっと見つめて話した。

 「ソクラテスの例えに倣うとすればね。彼によれば、穴の塞がった大甕おおみかはある時点で満たされることを知っているけれど、穴の空いたそれは、常に水を注がなければ満たされることがないようだから」

 「つまり」と、彼は少し間を置いた後、私に話した。

 「ビールを飲むなら一杯までにした方がいい、ということだろうな」

 彼はにっこりと微笑みながら、軽くジョッキを揺すった。
 私は彼を見ながら、その奥の席から流れる視線を静かに捉えていた。


 「酒などいくらでも飲める」

 彼の隣に潜んだ影が、嗄れた声を放った。
 彼が振り向くと、老人がジョッキの束を並べていた。

 「いつの間にいたんですか」と、彼は少し驚いた様子で、老人に尋ねた。
 「お前たちの方が後から来たんだ」と、老人はため息をつきながら彼に返した。
 老人は、薄暗いカウンターの端の席で、ひっそりと酒を飲んでいた。
 「へえ」と彼はまるで感心した様子を見せながら、またビールを飲んだ。


 「誰が何と言おうと、バッカスが正しいんだ」

 老人はそう言うと、顎を上げ、これ見よがしにビールを呷った。
 「議論への参加をお望みですね」と言いながら、彼は老人に向かってにっこりと微笑んだ。

 「しかし、幸せになりたいのならば、節度を守らなければなりませんよ」

 彼は空になったジョッキを見せながら、諭すような口調で、老人に語りかけた。

 「飲めば飲むほど幸せになれるのさ。下戸のお前にはわかるまい」

 老人は意地悪そうな目を向けながら、ビールで喉を波打たせた。

 「ソクラテスが言っていたでしょう。善と快は異なるものだって」

 「幸福をもたらさない酒などない」

 老人は強気な口調でそう言うと、息を吐き、辺りにむっとしたビールのにおいを漂わせた。
 彼は少し身を後ろへ引き、眉をひそめながら、老人に言い返した。

 「『知を愛すること』を思い出した方が良いでしょうね」

 「それならば、酒飲みの世界も知れ」

 彼らはしばらく睨み合ったが、やがて彼の方が口を開いた。

 「節度を守らない飲み方が、果たして知恵をもたらしてくれるのか、僕にはわかりかねますよ」

 「お前が言うのか」

 「僕は下戸だから、一杯までと決めている」

 「だが最後には酔い潰れる」

 「節度を守りつつ、酒飲みの世界も知る。どうでしょう。僕は何か間違ったことをしていますか?」

 「詭弁だ」


 彼らの言い合いは長く続いた。
 二人は蹴りをつけるというよりも、酒に飲まれながら、微睡みの中で延長戦を続けることに満足しているようだった。
 店内は、ほの明るい照明や生暖かい空気に包まれていた。
 夜が段々と更け、騒がしかった店内も、緩やかな波の段階に入るところだった。
 私は二人が言い合うのを眺めながら、残りのビールをそっと飲んだ。
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